【episodeZero】慟哭、そして黒歴史
フルーレティアはあの一件で、引退を決めてしまった。
妾も引き留めたのだが、奴の決心は固かった。理由は二つ。
一つは言わずもがな、ヴィネルの件だ。あの後、何とかフルーレティアを落ち着かせたが、あの変態娘へのトラウマは癒えず、パフォーマンスが著しく落ちてしまった。
しかも、あの魔法を長期にわたってかけられていた影響で、ヴィネルの言葉に逆らうことができなくなっていたという超展開まであったものだから手に負えない。
そしてもう一つ。………寿命だ。
フルーレティアは竜人族。それなりの長命種ではあるが、それでも寿命はせいぜいが三百年。………だがこれは平均寿命ではなく、竜人族が最大で生きる年数。平均寿命でいえば、約二百四十年だ。
千年以上を生きる我ら吸血鬼やエルフ、三千年の寿命を持つ悪魔族、ほぼ無限の時を生きる妖精族からしてみれば、十分な早死。
そしてフルーレティアが生まれてから、既に二百二十年が経過している。
………正直、いつ半不老が終わり、体内が老化を始めてもおかしくない状態だったのだ。
その時は唐突に訪れた。フルーレティアが引退してから五年ほどが経った頃、突如、フルーレティアの後任として魔王軍幹部に就いた、竜皇ヴァベルから緊急の知らせが入った。
フルーレティアの半不老が終わり、もう、歩くことすら厳しくなってきていると。
長命種全種に共通する半不老は、外見と肉体の状態を生涯固定する。ただしその時が来ると、体の内部が急速に劣化し、やがて寿命死を迎える。
その期間は、寿命から一年前。つまり、フルーレティアの寿命は………
あと、一年。
※※※
「ママ、ごはんこぼれてるよ?」
愛娘のミネアの声ではっと我に帰ると、膝の上になかなかの量のスープがこぼれていた。
「うわっ………」
「はい、ハンカチ」
「あ、ああ………ありがとう、ミネア」
ミネアもすでに八歳。『能力下ろし』でも妾には及ばないものの、かなり高い数値を出した。さすが妾の娘。
特に、やはり回復系の術が優れていて、選んだ職業も神官。
いるだけで周りに癒しを与えてくれるこの子にはぴったりだ。
「どーしたの?おしごと、つらいの?」
「いや、そうじゃないんだ。何でもないよ」
本当は、フルーレティアのことを考えていた。
二百年以上の時を妾と共に歩んでくれたフルーレティア。
彼女は、あと一年ほどで寿命を迎えてしまう。
妾が魔王となる前からの友人で、なんだかんだ言いながらもずっとそばにいてくれたあいつが、もうすぐ………。
「ママ、さいきんへんだよ?」
ミネアが心配そうにこちらを見ている。顔にも出てしまっていたらしい。
そういえば、初めてあいつと会ったときは、今のミネアのようにしたったらずだったな。
それが今じゃ、あんなお姉さんぶった口調で………。
「………ふふ」
「あ、笑ったー!」
「ごめんな、ミネア。お母さんが変だったみたいだ。さ、早く食べてしまえ」
「うん!」
そうだ、悲しんでいる暇はない。
妾のイスズ様との契約の時は、未だ一割も済んでいないのだから。
この時が来るのはわかっていた。クヨクヨウジウジと考えている暇があれば、フルーレティアが挙げてくれた戦果を生かす方法を考えろ。
「さて………ミネア、お母さんはちょっと早めに仕事に行くからな。ちゃんと寝るんだぞ」
「えー、行っちゃうの?」
「ごめんな。多分、今日は帰ってこれない。おばあちゃんとおじいちゃんの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」
「………はあい」
「ただし、どうしてもいたずらしたくなったりしたら、それは妾の血だから仕方がない。ちょっとくらいなら里の奴らを困らせてもいいからな」
「わかった」
「何を教えているんだお前は!だめだよミネア、いたずらなんて………おいフィリス、説教だ!親の教育ってのはな………くそ、あのバカ娘、逃げやがった!」
※※※
「ああ、そっちの部隊はこっちの国に動かせ。あと、グレイの軍をB-4地点へ移動させろ。ヴィネル、何か案はあるか?」
「そうですねえ、たしかこっちにいるのは、準幹部のナツメちゃんでしたよねえ?なら彼女の偵察能力を生かして………」
「き、緊急!緊急ー!」
入ってきたのは、斥候に就く男。
「どうした、何かあったか」
「ま、魔王様………それにフラン様、ディーシェ様、ヴィネル様!一大事でございます!フルーレティア様が、もう………」
そこまで聞いて、妾はすぐに会議を中止し、三人と共に竜人族の街の転移陣へ転移した。
すぐに通された部屋に駆け込む。
「フルーレティア!」
そこにいたのは。
もう、動かなくなったフルーレティアだった。
「レティ………!?」
「………そん、な」
「………息を引き取られたのは、つい今しがたでございます」
そんな医者の声も遠く、妾たちはその場で呆然とすることしかできなかった。
妾と共に魔王軍を作り、長い時を魔王軍に尽くしてくれた英雄、最古参の魔王軍幹部、『不侵将』フルーレティア。
その寿命が、今、尽きた。
「………フルーレティア」
顔を覗き込むと、いまだ寝ているようにしか見えない。
だが、息はしていない。心臓も止まっている。
わかってはいた。いつか、こんな時は来るのだと。
だが………わかっていたとしても、こんな別れは悲しすぎる。
せめて一言、なにか最後に告げたかった。
「レティ………目を覚ましてよお………!」
「………………………っ」
フランは泣いていた。
過去にこいつが泣いたことなど、一度しか見たことがなかった。
リンカが死んだ時。あの時以来だ。
ヴィネルは泣いてこそいなかったが、唇をかみしめて、必死に何かをこらえていた。
きっと、涙を我慢しているのだろう。
自分が、フルーレティアのために泣く資格はないとでも思っているのかもしれない。
「フルーレティア。お前には、本当に世話になった」
気づけば妾は、冷たくなっていくフルーレティアに、語りかけていた。
「感謝してもしきれない。お前のおかげで、魔王軍の損害は最小限で済んできたといっても過言ではない。お前の結界魔法に、何度頼もしさを覚えたかわからない。その小さな体で、何度も仲間を守ってくれた。随分と負担をかけていただろう………」
周囲にいる、フルーレティアを慕っていた竜人族も、涙を流している。
部屋の中は、妾の話声と、すすり泣きの音で満ちていた。
「何百年も、ありがとう。………ご苦労だった」
そこでようやく、自分も涙を流していることに気が付いた。
フルーレティアへの妾の思いは、想像以上に大きかったようだ。
「………………………あのー」
ああ、フルーレティア。本当に今までありがとう。
「えっと、フィリス?」
ははは………なんだか、フルーレティアの声が聞こえた気がした。
あの世から声をかけてくれたのかもしれない。「頑張れ」、と。
「ちょっと、顔上げなさいな」
顔?
聞こえてきた声のままに、顔を上げると。
なにやら気まずそうな顔で起き上がっている、フルーレティアの顔があった。
「………………………は?」
「えっと、その………そんなふうに思ってくれてたとはね。その、ワタクシも結構、フィリスには感謝してるわ。ありがとう。ただその、小さな体でっていうのは、フィリスにだけは言われたくないわね。だから、あの………」
ちょっと待て。今、何がどうなってどうしてこんなことになっているんだ?
「ん?あ、え?なん、ん?あ?」
「えっと、その。なんか………ごめんなさい。あー、それがいろいろなんやかんやで………進化して生き返りましたー!………みたいな?」
進化して生き返ったってなんだ。
じゃあ、今までの妾の独白は何だったんだ。
「その、とりあえず詳しく………」
「フラン、やれ」
「《衝撃波》」
「なんっ!?危なっ!?」
突如、フルーレティアに魔法が放たれた。
放ったのは勿論フランだ。
どうやら、思っていたことは同じだったらしい。
「………………………あたしたちの涙を返せえええええ!!!」
「いやああああ!ちょ、なにい!?」
この時、妾は初めて、プライベートな問題でフランに感謝した。