【episodeZero】深愛と修羅場
「ママー、ママー!見てみて、おっきいちょうちょー!」
「おー、おっきいな………ミネア、残念だがそれは蛾だ」
「そーなの?でも綺麗でかわいいからいいのー」
あんなバカでかい蛾を見ても物おじしないとは、さすが妾の娘だ。
将来は絶対に大物になるな。
「ふふふ、無邪気で可愛いですねー、ミネアちゃん」
「そうだね。まあ、追っかけまわしてんのが小さい蝶々じゃなくて、腕くらいあるでかい蛾じゃなければもっといい光景だったんだろうけど」
「ディーシェおねーさん、ネイルおねーさん、これいるー?」
「が、蛾はいらないかな………」
今日は妾だけでなく、魔王軍幹部のディーシェと、その恋人で右腕の猫耳アンデッド、ネイルも一緒にいる。
アンデッド族は眠ることができない種族のため、何もない夜は暇だと言ってちょくちょく遊びに来るのだ。
「ミネア、この辺りで遊んでいていいぞ。遠くには行くなよー」
「わかったー!」
そういって再び蛾を追いかけまわし始めたミネア。
毒はない種だから、まあいいか………。
「子供っていいなあ………わたしたちもほしいねー………ねえネイル?」
「え?あ、うん………な、なんですり寄ってくるんだ?なんで逃がさないとばかりに腕に抱き着いてがっちり固めるんだ、ディーシェ」
「………こういうのはなんだが、お前たちはアンデッド族なのだから、いくらベッドでいろいろやっても子供はできないだろう」
それ以前に妾という例外を除いて、同性で子をなすのは無理だ。
「そうなんですよねー………この二百年、できないものかといろいろ試したんですけど、どれも失敗に終わりましたし」
「試したって何を………いやいい、言わなくていい」
「一番可能性の高かった方法が無駄に終わったのはショックでした………」
一番可能性の高かった方法?
「ネイルに『孕んで♡』って命令したんですけど」
「さらりとえげつないこと言ったなお前!?」
「部屋でくつろいでるときにいきなり命令されて………さすがに命令されたときは背筋が凍りましたよ………ははっ」
遠い目をしてから笑いをするネイルからは、哀愁すら感じた。
アンデッド族の特徴として、最上位個体であるアンデッドの王『リッチ』、つまりディーシェには、下位個体は絶対に逆らうことができないという特性がある。
ネイルとディーシェは恋人同士だが、ネイルは上位アンデッドとはいえ、ディーシェの命令という絶対の強制力には逆らえない。完璧な上下関係が形成されている。
ネイル、お前も苦労してるんだなあ………。
まあ、原理的に不可能な命令を与えることはできないから、孕むことはできなかったのだろう。
「なぜ原理的に不可能なんでしょう!ネイルは女の子!子供も産める歳で死んでいる!ああ、なのになぜ、ネイルは妊娠してくれないの!?」
「死んでるから………」
「死んでるからな」
「嗚呼、なんと悲しき種族、アンデッド………」
舞台女優ばりの名演技でその場に崩れ落ちたディーシェ。
こいつ、普段はまともなのに性癖が歪んでるのが玉に瑕なんだ。
たまに、ヴィネルすら引くことがあるほどで、しかもその性癖の赴く先のすべてがネイルに向かっている。
「ネイル………お前、なんで別れようとしないんだ?」
「………何故か、別れようって気が起きないんですよ。ほっとけない気持ちっていうか、この子はアタシがいなくなったらどうなるんだろうとか考えると」
あ、これしってる。
ダメなやつを引き付ける性格ってやつだ。
「おいディーシェ、お前まさかとは思うが、ネイルに自分への思いを強制して、その記憶を消したりとかしてないよな」
「失敬な、してませんよ!いくらわたしだって、そんな作られた心で愛されてもむなしいだけです!」
「そ、そうか。すまなかった、お前を少し侮辱してしまった………」
「まあただ、付き合い始めて一年後くらいに『そのわたしへの愛を永久に忘れないで♡』とは命令しましたけど」
「妾の真剣な謝罪を返せ。………ちなみにほかにはどんな命令を」
「『一日に三十回以上好きって言って』、『わたしの帰りが遅くなったり他の人に優しくしたりしたら嫉妬して』、『一日三回以上のキス』、『痛いのは気持ちいい』、『する時は必ず服を」
「もういいわかった、もう言わなくていい」
「え?後二十個くらいありますけど、いいんですか?」
「にじゅっ………!?」
「ははは………アタシ、愛されてるなあ………わあい………」
ネイル、こいつはある意味、フルーレティアより哀れな奴かもしれない。
意識ごと支配されているだけ、あいつはまだましな気がする。
もう見ていられなくなったので、妾は諦めて、ミネアと遊ぶことにした。
ああ、変に知ってしまった大人の事情が、すべて浄化されていく気がする。
この子はやはり、神官や浄化の才能があるのかもしれない。
※※※
事件はその日の朝方、ミネアを寝かしつけた直後に起こった。
準備をしてさあいざ魔界へ戻ろうというときに、フランから《念話》が届いたのだ。
しかもあいつにしては珍しい、切羽詰まったような声で。
『もしもしフィリス、聞こえる!?』
『なんだ、どうした。問題が起きたのか』
『大問題だよ!今すぐ竜人族の街まで来て!マジで緊急事態!』
『わ、わかった。すぐに向かう』
「念話ですか?」
「あのフランが、凄まじく焦ったような声でな………まずいかもしれない。すぐに向かうぞ」
「………かしこまりました」
「委細承知、です」
「じゃあ母さん、すまないがミネアのこと頼む」
「ええ、いってらっしゃい。気を付けて」
「………行くぞお前たち。《転移》!」
素早く魔法を使い、即座に竜人族の街へと転移した。
「問題というのは………」
「フィリス!それにディーシェとネイル、こっちこっち!やばいってマジで!」
どうやら妾の転移魔法の魔力を察知したらしいフランが、屋根伝いに走ってきて手を振っていた。
その顔はやはり、かなりの焦りで満ちている。
「フラン、何があった!」
「見たほうが早いよ、早く来て!」
言われるがままにフランについていくと、大広場に出た。
人だかりができている。事件はこの中心部か!
「すまない、どいてくれ!」
「え?あ、魔王様だ!」
「魔王様!なんとかしてください!」
竜人族の奴らもかなり焦っている。
皆が道を開けてくれて、円の内側へ入ることができた。
そして円の中心では………
「ち、ちかよらないでえ!怖い、本当に怖い!それ以上近づいたら舌噛むから!」
「あ、あの、ちがうんですよレティ、話を聞いてくださいませんかねえ?」
「ひいい!!一歩でも近づいたら本当に死んでやるから!」
………………………えっと?
これは一体全体、どういう状況なんだ?
フルーレティアが真っ青な顔で歯をがちがち鳴らしながら蛍光灯にしがみついて舌を見せ、それをヴィネルが珍しく焦った顔で必死に説得しているという、異様な光景。
「魔王様、一体何が………本当になんですかこれ」
「フルーレティア様とヴィネル様?なんか、すっごい修羅場みたいだけど」
「ひいい!怖い怖い怖い!犯されるー!」
「ちょっ、そんなことしませんって………」
いやまあ、何があったかは大体わかる。大体わかるから聞きたくない。
だが魔王として、配下のあの二人のトラブルを見過ごすこともできない。
なんて嫌な立場だ。反射的に放り出したくなる。
「………………フラン。聞きたくはないが、説明を頼む」
「あー、えっとね。まあ一言でいうと、ヴィネルの惚れさせ魔法が解けちゃった」
だろうよ。




