エトワール国の天空礼拝堂
かつて、竜がまだ人間界の空を泳いでいた時代のことである。
パンゲア大陸の西岸にエトワール国とヴィンダース国という2つの大きな国があった。
エトワール国は、国土の南側に大きな河が流れ、東側に険しい山脈がそびえ立ち、西側は海洋に面しているという天然の要塞を持つ国家だった。
しかし、唯一、北の国境には、なだらかなオリビア大平原が広がっており、北国のヴィンダース国との間で、戦争が絶えなかった。
暖かく肥沃な大地を持つエトワール国の国土を狙って、ヴィンダース国が攻め入り、国境線を巡る戦いは300年以上続いていた。
そんな長きに渡る両国の血で血を洗う戦争が、ついに終結することになる。
この話は、エトワール国とヴィンダース国の最終戦争についての物語である。
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エトワール国の北の国境沿いには、ヴィンダース国の侵略に備えて、大規模な前線基地が作られており、常に5000人規模の兵士が駐在していた。
前線基地の兵士であるロストとルイジは、この日の監視当番だった。2人は、前線基地の後方にある高さ20メートルほどの石造りの監視塔で、ヴィンダース国の様子を見張っていた。
「最近、ヴィンダースの連中、やけに大人しいな。」と、ロストは隣に座るルイジに話しかけた。
「噂だと、ヴィンダースは北のエスキーマ族と戦争中らしい」と、ルイジはマグカップのコーヒーをすすりながら答えた。
「エスキーマ族と?あんな氷に覆われた永久凍土を手に入れて何になるんだ?」と、ロストは首を傾げた。
「ヴィンダースの新しい将軍が北方征略に力を入れてるらしいぞ。だけど、いずれまた、去年の夏みたいに大軍がここに押し寄せてくるだろうな」
ルイジがそう言うと、ロストは去年の夏、オリビア平原で起きた大規模な戦いを思い出した。
1年前、ヴィンダース国から8000人規模の大軍隊が攻め入り、エトワール国の前線基地にいた5000人の兵士が応戦した。ロストとルイジも甲冑を着込んで、鋼の剣を持ち、歩兵部隊に組み込まれてヴィンダース国の歩兵団と戦っていた。
ヴィンダース国側は、兵隊の多さを前面に出した人海戦術で、エトワール国を徐々に押し込んでいき、戦争10日目には、エトワール国の前線基地が陥落寸前という危機が訪れた。
「あの時は、ゴルツ傭兵団のおかげで助かった」と、ロストは言うと、ルイジは当時の様子を思い出しながら答えた。
「ああ、あいつらは実際、エトワール国最強の傭兵団だからな」
壊滅寸前の前線基地に現れたのが、ゴルツ傭兵団であった。
ゴルツ傭兵団は対人戦で絶対的な強さを誇っており、隊の規模は僅か1000人程であったが、雷のような速さと強さでヴィンダース国の軍隊を蹴散らしていった。
「でも、ゴルツ傭兵団は今、王都トスカールに駐屯してるんだよな。いいよな、おれもトスカールで都会暮らしをしてみたいぜ」ロストは望遠鏡で、はるか南方に見える王都トスカールに建設中の天空礼拝堂の影を見ながら羨んだ。
「今は、骨休めさせているんだろ。この先、必ずヴィンダース国は大きな動きを見せるはずだからな。その時にはまた、ゴルツ傭兵団の力が必要になる。」
「そうだな。そういえば、天空礼拝堂って、なんか不思議だと思わないか?こうやって、遠くから眺めているだけで、勇気が湧いてくるんだ」ロストは、望遠鏡を覗き、遥か遠くにそびえ立つ天空礼拝堂を見ながら呟いた。
★
王都トスカールでは、100年前から建設が始められた天空礼拝堂の完成が迫っていた。
第13代エトワール国王が建設を始めた天空礼拝堂は、高さ100メートルをゆうに超え、国境沿いの前線基地の監視塔からもその姿見えるほどである。
彫刻師見習いのロッシは、天空礼拝堂で働く少年である。ロッシは、師匠のビートルの彫刻作業の補助をして、もう2年になる。
「ロッシ、5番のハンマーを取ってくれ」
ビートルが、木製の脚立の上から頼むと、「はい!」と、ロッシはすかさずハンマーを渡した。
ビートルは受け取ったハンマーと彫刻刀を使って巧みに大理石を削る。大理石はみるみるうちにふわっとした羽が生えた天使の姿に変わっていく。
ロッシは、脚立を支えながら、ビートルの神業を目に焼き付けていた。
「やっぱりすごいよ、ビートル師匠は!今日の天使なんて、本当に今すぐ飛んで行っちゃいそうだったんだ!」
仕事帰りに、ロッシは、同じく天空礼拝堂の建設現場で働いているガラス職人見習いのジルーに熱く語った。夕日が2人の影を長く伸ばしている。
「またロッシの師匠自慢が始まっちゃったよ」と、ジルーは肩をすくめたが、気にせずにロッシは続ける。
「おれもいつか師匠みたいな彫刻師になるんだ!」夕日に照らされたロッシの大きな瞳は希望に燃えていた。
「いいねぇ、若者は夢があって」と、2人の頭上から声がした。ロッシが見上げると塀の上に金髪の青年が寝転んでいた。
「あっ、サラーさん!またこんなところでサボってるんですか?」と、ジルーが塀の上の青年に向かって言うと、ロッシも「また、ゴルツ団長に怒られちゃいますよ」と、茶化した。
「バカ、おれはここでサボってるんじゃなくて、不審者がいないか見張ってるんだよ。さあ、ガキは早く帰って飯食って寝な」と、サラーは笑って言うので、ロッシとジルーはその場を立ち去った。
「ああ見えて、サラーさんってエトワール国最強の剣士なんだろ。人は見かけによらないよな」と、ジルーが言った。
「ビートル師匠が、サラーさんは竜を切ったことがあるって言ってた」と、ロッシが言うと、ジルーは笑いながら顔の前で手を振った。
「いやいやいや、さすがにそれはありえないでしょ。確かに去年の夏の大戦で、ヴィンダースの兵士を100人斬りしたってのはホントみたいだけどさ」
2人がサラーについて話しながら歩いていると、一軒のパン屋の看板が見えてきた。
「今日も寄ってこうぜ」と、ジルーが言うと、ロッシも「ああ」と頷いた。
2人が店に入ると、香ばしい匂いに包まれた。亜麻色の髪の少女アンナが、ちょうど焼きたてのパンを棚に並べていた。
アンナは、ロッシとジルーを見ると、「あら、いらっしゃい!ちょうど焼きたてのパンが出来たところよ!」と、笑顔で言った。
「今日も美味そうだな。じゃあ、いつものやつ2つで」とロッシが言うと、ジルーも「おれも、いつもの2つ頼むよ!」と言った。
アンナは、「ありがとう!今日もここで食べたくでしょ?コーヒーをサービスするわよ」と言いながら、トレイに2人分のパンを取り分けている。
ロッシとジルーは店の奥にあるテーブルで、焼きたてのパンを頬張った。少し塩が効いていて、パンの自然な甘さが引き立っていた。
「もうすぐで、完成なんでしょ」と、コーヒーを運んできたアンナが2人に話しかけた。
「うん。クリスマス前には完成する予定なんだ」と、ロッシはコーヒーにミルクを足しながら答えた。
アンナは空いている席に腰かけながら、「ふたりは、天空礼拝堂が完成したらどうするの?」と、尋ねた。
「おれたち、2人で旅に出ようと思ってるんだ」と、ロッシがパンを頬張りながら答えた。
隣でコーヒーを飲んでいたジルーも、「王宮に旅券を申し込んでて、許可が出たら、世界中を旅して外国の建物を見て回りたいんだ」と続けた。
「いいわね。あなたたちには夢があって。でも、ちゃんとエトワールに帰ってきてよね」
アンナがにっこりと笑ってそう言うと、ロッシとジルーは顔を赤くした。アンナの笑顔があまりに可愛らしかったのだ。