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「まさか記憶が戻るなんて思ってなかったよ」


 あははと軽快に笑うエディストに、うさんくさいと言わんばかりの視線を送る辰砂。

 いつも通りの光景ではある。

 辰砂のことを連絡すると飛ぶようにやってきたというのに、こうして茶化すあたりはエディストも人がいい。

 心配を表に出さない気質は多分今の辰砂には一番いいことなのだろう。辰砂のほうも落ち込んでいる姿を見せるものかと気を張っていたので、いい気分転換だ。

 そんな様子をのんびり観察しながらお茶を啜り、お菓子を頬張る。

 今日はサヴァランだ。たっぷりと含んだシロップがとても美味しいが、さすがに手が込みすぎではなかろうか。

 多分この砂糖漬けのさくらんぼはこの間仕込んでいたものだ。種も丁寧にとられているが、あの大量のさくらんぼ、全部処理したのなら大変な労力だっただろう。

 紅茶やキルシュの風味に頬を緩ませながら、目の前での会話を眺める。

 これは、なかなか幸せなことではなかろうか。


「しかも赤獅子の力を使ったんだって?すごいねぇ」

「……何ですか、それ」

「君の種族だよ。希少種」

「はぁ……そうなんですか」

「理解していないね?何を隠そう僕も希少種だよ?」

「古代種よりも珍しいんですか?」


 うん、と頷くエディストを見て、ふと思う。

 確かに、古代種も珍しいが、集落を作って隠れ住んでいるので発見率が低いというのも影響している。

 もちろん、希少な部類であることは否定しないが。


「ここに白梟がいればそろい踏みだったのにね」


 こちらに同意を求められたので、ひとまず頷く。

 もちろん、辰砂はそんなことわかっているはずがない。


「それってすごいんですか?」

「そうだな。赤獅子、黒狼、白梟の三種族は特別だと言われている。ただ、特別だからなのか数は少ない」

「乱獲されてるんだよ。能力が特殊だからね」

「能力、ですか」

「そう。エディストたち黒狼は身体能力が段違いに高い。白梟は精神に作用することが出来る。お前の記憶を消したのも白梟だ」

「あ、そうそう、記憶!」


 突然割り込んできたエディストに目を向ける。

 そのエディストは天藍石のような瞳でじっと辰砂を見つめ、細める。


「君は、記憶を取り戻したわけだけど、どうするんだい?」

「……どういう、意味ですか?」

「いや、忘れていたほうが幸せならもう一回消そうかって」

「あ……あー」


 困ったように呻いて、辰砂の視線がさまよう。

 そして、ひたりとこちらを見据え、静かに伏せた。


「答えは決まっていますが、一応、聞きます。記憶を消すって、全部ですか?それとも、一部ですか?」

「どっちでもいいよ。ただ、何度も記憶を操作すると精神に支障をきたすから、今回は強いものになる。

 そうなると、必要な記憶も忘れてしまう可能性はあるね」

「……そうなんですか」


 このあたりの話は、知らなかった。なかなかためになる話である。

 確かに、白梟の能力は精神に影響を及ぼすことが出来る。だからと言って、記憶に干渉できるわけではない。

 彼らに出来ることは、記憶を消すわけではなく、消したように思わせるだけ。

 つまり、きっかけがあれば思い出すこともある。辰砂のように。

 まぁ、面倒なので一般的には記憶を消す、という扱いではあるが。


「それで、答えは変わったかい?」

「いいえ。変わりません。このままでお願いします」

「消さなくていいのかい?」

「はい。先生にしてしまったことを、消してはいけないと、思います」

「そうか。君は律儀だね」


 まったくだ。

 すっかり自由だというのにこうしてかいがいしく世話をしてくれることも含めて、辰砂は律儀だ。

 いなくなったらとても困るので、助かっているのは確かだが。


「それで、これからどうするんだい?」

「今はここで先生のお世話をしつつ勉強をして……その後は……まだ、考えていません。でも、僕は……先生を守りたい、です」

「なるほど。だったら、君はもっとちゃんと鍛えて、赤獅子の力を使えるようにならないといけないね」

「力?」

「うん。使えたんだろう?」


 ね?と、エディスト目線がこちらに向けられた。

 飲み込んでから、頷く。


「使えた。けれど、無意識だ」

「それは……ちょっと危ないね」


 暴発するような危うい能力ではないが、正しく使えないと困る代物ではある。

 正しく使えればとても有効なものではあるけれど。


「ところで、力って結局何ですか?」


 きょとんと首を傾げているので、思わずエディストと顔を見合わせる。まだ言っていなかっただろうか。

 そういえば、エディストが割り込んできて結局言い損ねたのだと思い出す。

 それは悪いことをしてしまった。


「赤獅子は、言葉に力を持たせられるんだ」

「言葉、ですか」

「そう。お前はあの地下室で来るなと言った。その結果として、私の足は動かなくなった」

「……はい」

「その様子だとわかってないんじゃない?」


 エディストの言う通りかもしれない。

 顔を顰めて難しそうな顔をしている辰砂の様子を見ると、理解できていない気がする。

 錯乱状態だったので、はっきりと覚えていないのだろう。無理もないことだ。


「まぁ使ってみたかったらアリスに教えてもらえばいいんじゃないかな」

「……エディストが教えるわけではないのか?」

「え、僕は専門外だよ。黒狼は身体能力が高いだけだからね」


 それは、そうなのだが。エディストに向いてないというのは否定できない。

 けれど自信ありげだったので出来るのかと期待したというのに。

 こういうことは、それこそ白梟が精神に作用する能力なので適任なのだろうけれど、前はエディストの伝手でお願いしたので、直接の知り合いがいるわけでもない。

 そうなると、やはり教えられる人物はいないだろう。

 もちろん、先ほどのエディストの提案など、受けられるはずもない。


「だが、私が教えるのは無理だろう。何も知らないというのに」

「大丈夫だよ。多分、君が使う石の力と同じだって」


 大きく違うだろう。

 言ってやりたいが、エディストに違いを説明するのも億劫なので結局黙っておく。

 鉱石を核にすることと実体のない言葉を核にすることは大きく違う。そして、難易度も桁違いだ。

 これでは辰砂に教えることは出来ないだろう。

 ちょっとした原理くらいならどうにかなるかもしれないが、実際に使えるかどうかはまったくの別問題になる。


「結局、僕はどうすればいいんですか?」

「そうだねぇ……戦い方なら教えてあげられるよ?」

「……戦い方、ですか」


 赤獅子も身体能力は他の種族に比べれば十分に高い。

 黒狼が飛びぬけているだけなので、エディストが教えるのはいいことだろう。

 それは確かだ。


「そうですね……それも大切なことですし」


 ちらりと目線がこちらに向けられる。

 じっと見て、逸らされた。

 ……何があったのだ。言いたいことがあるのなら、言えばいいだろうに。


「では、お願いします」

「そっかー。なら僕が来たときだけ教えるから、覚悟するんだよ」

「はい」


 覚悟、などと言っているが、エディストは優しい。ほどほどに痛めつける程度で終わらせるだろう。

 なので、あまり心配はしていない。

 はぐ、と最後の一口を食べる。甘い。美味しい。

 堪能して、お茶を飲み干し息をつく。

 ……さて、そろそろ仕事をしなければ。


「あ、先生、もういいんですか?」


 立ち上がったところを目ざとく見つけた辰砂の声に、とりあえず頷く。


「では後片付けしておきますね」


 頷き、部屋を出ると、エディストがついてきた。

 とてもさりげなく、自然に。

 目を向けて、首を傾げる。


「……まだ完成はしていないのだが」

「途中経過を見たくてね」


 いつもはそんな確認など、しないくせに。

 あまりにも嘘くさい言い訳に息を吐く。

 多分、辰砂に聞かれたくないだけのことだろう。あれは耳がいい。

 仕方がないので工房に招き入れ、いつもの場所に座らせる。


「それで、辰砂のことを聞きたいのだろう?」

「んー、まぁ、そうなんだけど」

「何か気になるところでもあったか?」

「いいや。今のところは問題なさそうだよね」


 やはりエディストもそう思うか。

 戸惑いながらも記憶を受け入れる選択をした辰砂に先日の取り乱した様子は見られない。

 記憶を消した悪影響があるとも思えない。

 いたって順調に元の生活へ戻っている、ように見える。


「それに、君を守る決意を固めてくれたのはよかったと思うよ」

「最初から護衛にさせるつもりだったのだろう?」

「もちろん。アリスに死んでもらっては困るからね」

「安心するといい。辰砂も今に同じ薬を作れるようになるはずだ」

「……まだあの薬は完成してないじゃないか」


 確かに。

 まだまだ異質化の進行を止めるだけで、完治させるほどの効果はない。

 正直に言えば、完成させられるかもわからないほどだ。


「それに、エルを他の男に任せたくはないからね」

「……そうか」


 想像以上に呆れた声が自分の口から出ていた。

 エイネレグラスに対する独占欲が強すぎる傾向があったのはわかっていたはずなのだが。

 こうして改めて聞くと、病的なのではないかと不安になることもある。

 とはいえ、こうした言葉の裏で心配などが見え隠れするような性格をしていることも、理解はしているのだが。

 まだ薬を完成させていないのに死んでもらっては困る、という意味合いもあるのだろう。


「まぁでも、一応彼は気にかけたほうがいいよ。時々変な後遺症で精神が歪むとかもあるらしいから」

「物騒だな」

「大きく現実と乖離したら陥るとかって話だし、大丈夫だとは思うけどね。

 それに、アリスなら止められそうだし」

「……どこに根拠があるんだ」

「秘密」


 うっすらと目を細める獣顔。

 それだけで何かを企んでいるのだろうな、と思えるのは付き合いの長さのせいだろうか。

 とはいえ、聞いたところで教えてくれることはないというのも理解しているので、諦める。

 それにしても、歪むとは厄介だが、その兆候は見えていないはずだ。

 いつものようにきらきらと眩しい笑顔が戻ってきているほどなのだから。


「もちろん、何も無いならいいんだ。健康が一番だよね」

「そうだな」

「というわけで、途中経過を見せてくれるかな」


 あまりに唐突で理解するまでに少しかかった。

 もうこの話は終わりらしい。

 心配していたわりには、あっさりとした対応だ。

 それにしても切り替え方が雑で返答に困る。

 それに、こんなことを言ってくるとは思っていなかった。


「……さっきの話は本気だったのか」

「もちろん。売る相手を先に決められるっていいよね」


 相変わらずのエディストの様子に顔を顰めつつ、途中のものを出す。

 まだ荒く形を削りだしただけの紅柱石は多色のようにも見える。


「これはまだ完成品じゃないの?」

「どう見てもまだだろう」

「十分綺麗だと思うけどね。この角度の発色がいい」


 くるくると回して眺めていた手がぴたりと止まる。

 きちんと正面を理解しているあたり、さすがと言うべきだろうか。

 見る角度によって色を変えるだけあって、どこから見ても綺麗だと思うのだが、その中でも一番いいと思う場所。

 商人としてのエディストは本当に、有能だ。

 多分、今頃頭の中では売りつける相手を考えているのだろう。

 大切にしてくれる相手なら特にこだわりもないし、そもそも誰に売っているのかすら知らない。

 エディストがいいと思ったのなら、それで正解なのだろう。

 おかげで生活には困らず、研究の時間だって取れているので感謝するほかない。


「うん、完成が楽しみだね」


 たっぷりと時間をかけて眺めていたが、満足したらしい。

 静かに机に戻して背もたれに体を預ける。


「やっぱりアリスの作るものは素晴らしいね」

「……そうか」

「まだこれからも頼みたいんだから、死なないでもらいたいね」

「本当に、おせっかいだな」

「僕は、気に入った相手のためなら協力を惜しまないだけだよ」

「なるほど」


 多分そこには辰砂も入るのだろう。

 茶化しているくせに、やはり真面目なものだ。


「さて、目的も果たしたし、そろそろ行くよ」


 ゆったりと立ち上がり、ゆったりとふさふさとした尻尾を揺らす。

 相変わらず唐突だけれど、いつものことだ。

 早く帰ってエイネレグラスに会いたいというのもあるだろう。


「わざわざ呼んですまなかったな」

「いいよ。今回のことは、僕も関わっているからね」

「何から何まで、助けてもらってばかりだな」

「それはお互い様だよ。エルのことには、本当に感謝しているんだよ、アリス。いつもありがとう」


 ……珍しく、わかってしまった。

 とても嬉しそうに笑っていると。

 表情を読み取りにくいエディストだが、その声色は、確かに笑っていた。

 とても喜ばしいことだと感じながら、玄関へと向かう。


「次は完成品を受け取りに来るよ」

「わかった。エイネレグラスにもよろしく」

「そうだね。君の事を気にかけていたから、伝えておくよ」


 柔らかく手を振って出て行く姿を見送る。

 普通の足なら約一日。エディストなら半日で帰るだろう。

 ふぅ、と息をついて振り返る。

 ちらりと辰砂が覗いていた。


「どうした」

「いえ、帰ったんですね」

「あれで忙しいらしいからな」

「そうですか……」


 少し残念そうだ。これまた珍しい。

 何か伝えたいことでもあっただろうか、と考えるが、教えてはくれないだろう。

 今まで懐いている様子はなかったのだが、今回の件で何かしら恩義を感じているのかもしれない。


「きっとまたすぐ来るだろう」

「……そうですね。ところで先生、夕食は何がいいですか?」


 にっこりと、切り替えるように笑ったのを見て、考える。

 夕食、か。さてどうしたものか、悩んでしまう。


「何でもいい。おまえの作るものは、なんでも美味しいからな」

「……なんでも、ですか」


 うぅんと眉間に皺を寄せ悩む様子は、いつもと何も変わらない。

 きっと家にある在庫を思い出しながらメニューを組み立てているのだろう。

 頼もしい限りだ。


「では、肉でも焼きましょう。保管庫にあるのがいい具合だと思います」


 保管庫、と言われて、自分でも驚くほどに動揺した。

 地下の保管庫。辰砂を入れて、いいのだろうか。

 父さんがいるのはさらに下の階ではあるが、地下であることに変わりはない。


「……たまには取りに行こうか?」


 思わず尋ねてしまう。

 唐突な申し出に少し固まった辰砂だが、しばらくの間を置いて、やんわりと笑う。

 多分、何を考えていたのか、悟られた。

 申し訳ないような情けないような複雑な心境だ。


「大丈夫ですよ。先生が心配しなくても、僕はもう、大丈夫です。地下にも入れますから」

「……そうか?」

「はい。だから先生……今度あの石のことを教えてください。

 僕は、きちんと知りたいです」


 少し言いよどんだのは我慢しているわけでも、無理しているわけでもないのだろう。

 ただ、あの石が何かを理解した上での、こちらへの配慮だと思われる。

 今回のことも、これまでのことも、辰砂はきちんと正しく受け入れた。

 きっと、そういうことなのだろう。


「……なら、今度話そう」

「はいっ」


 そう頷く顔はいつものように眩しくて、改めて思う。

 記憶喪失だった少年は、とても立派になった。

 それがとても喜ばしくて、誇らしい。

 自然と頬が緩むのを実感していると、辰砂のほうがずっと緩んだ顔をしている。


「何かいいことでもあったか?」

「僕はいつも幸せなことでいっぱいですよ」

「本当に?」

「もちろん。僕は先生の側でお世話を出来る日常が、とても好きです」


 恥ずかしげもなく言えるのは、少しエディストに似ているのではなかろうか。

 そんなことを思いながら、応じるように頷く。


「そうか。私も、辰砂のいる日常は悪くないと思っているよ」


 顔を真っ赤にして固まったのを横目に見ながら居間に入る。

 これから仕事をすると集中しすぎて間違いなく辰砂に怒られることになるので、諦めた。

 天気管はすっきりと晴れ。

 ぽすんとソファに座り目を閉じる。

 得がたく安寧で、とても心地よい日常にまどろむように。

 ぱたぱたと慌てた足音を聞きながら、しみじみと思う。

 あの時辰砂を拾ったのは、決して間違ってはいなかった、と。


以上で終了となります。読んでくださり、ありがとうございました。

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