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 もぞりと、辰砂が身じろぎをした。

 気休めに読んでいた本から目を離す。

 しばらくじっと見ていると、ゆるゆると目が開いた。

 美しい藍玉がしばらくさまよい、ひたりと、こちらを見据える。


「……先生?」


 声が掠れている。

 少し大人びた声に聞こえた。

 そういえば、最初はもっと幼い声をしていたと、思い出す。


「大丈夫か?痛い場所や気分が悪くなってたりしないか?」

「……大丈夫、です」


 ぱちぱちと数度の瞬き。

 そして、ゆったりした動きで体を起こしたので、水を入れた木のマグカップを差し出す。

 律儀に礼を言って受け取り、一気に飲み干した。


「あれ……?」


 零れたのは不思議そうな声。

 手にしていたマグカップをじっと見つめ、びくりと体を震わせる。

 どうやら、現状に気付いてしまったらしい。


「なんで、ここに……」


 怯えた目で見られてしまった。仕方がないことだろう。

 眠っても、取り乱した心は落ち着かなかったか。

 マグカップを握ったままの手に、そっと重ねるように触れた。


「辰砂。すまない」

「何で謝るんですか。それは、僕が言わなきゃならないことです」

「ずっと、隠していたからな」

「僕が聞かなかっただけです。先生が僕のことを知ってるなんて、考えてなかっただけです」


 そういえば、辰砂は案外と頑固だった。こういうときは譲ってくれない。

 人のことは言えないが。

 ちらりと辰砂を窺う。

 じっと、目線はマグカップへと向けられていた。


「なんで、僕を助けたんですか。僕は、貴方を殺しに来たんです。

 なのに僕の記憶を消して、育ててくれて。

 先生はっ……何を、したいんですかっ」

「そんなに力を入れると、割れるぞ」


 みしみしと嫌な音がする。握りすぎだ。もう少し、力を入れると握りつぶしてしまう。

 それに気付いたのか、少し、力が抜けた。

 泣きそうに潤ませた瞳を見て、目を逸らす。


「助けたのは、単なる気まぐれだ。子供の殺し屋を哀れんだというわけでもない」

「気まぐれ、ですか……」

「お前が来て、ちょうど来ていたエディストが返り討ちにしたまではよかったんだが、殺すのも、という話になった。

 もちろん、元の組織に戻って新たな刺客が来るのも避けたかったのでどうするかとなったとき、エディストが言い出したんだ。

 お前をここに置いたらどうかと」


 最初は何を言い出すのかと、思った。

 あまりに突拍子のない提案だった。


「断る理由もなかったから、別にいいかと、お前をここに置くことにした。引越しもそのときにしたんだ。

 隅とはいえ、かろうじて村にいたからな。何かあって迷惑をかけるわけにもいかないし、身を隠せればと、これもエディストが」


 こう考えると辰砂が来てからの処理は全部エディストに任せてしまった。

 殺されそうになったところを助けられ、記憶を消すための配慮も引っ越すのも、ほとんどやってくれた。

 もうそれは、商人のやることではない。


「……本当、あの人には敵わないですね」

「あれに恩を売ったばかりに、何倍にもなって戻ってきてしまった」


 それだけエイネレグラスが大切なのは、わかるのだが。

 今度はこっちが恩を返さなければならないのに、未だに受け取ってはくれない。


「だが、お前が来たことは結果的にはよかったと思っている」

「え?」

「家事の時間を研究に使うことが出来るようになったし、安定して食事を取るようになった。

 徹夜なんて当たり前で飲まず食わずで没頭していた生活は、お前を中心にすることで変わった。逆に効率まで上がってしまった。

 何より、一人ではないというのは、安寧をもたらした」

「……せんせ」


 眉間に力を寄せるのは、苦しいのか、泣きたいのか、よくわからない。

 この話をどんな気持ちで聞いているのかうかがい知るなんて、不可能だ。

 辰砂の感情は、辰砂だけのものだ。言ってくれなければ、わからない。


「すまないな。私だけが、救われていた」

「それは、僕もです。何も知らない僕が幸せでいられたのは、先生のお陰です」


 ようやく、笑った。やんわりと、静かなものだったけれど。

 それで十分だ。


「……そうか。私の話は、こんなところだが、何か知りたいことは?」

「いえ、今は……大丈夫です。また今度、聞かせてください」

「……わかった。では、今度はお前のことを聞いても良いか?」


 うん、と静かに頷く。

 少し、手が震えている。


「そうだな、まずはここに来るまでのことはわかるか?」

「僕、は……生まれたときから、ずっと、殺すために育てられました。

 先生のところに行く前にも数人、殺しています。だから、先生を殺すことに抵抗はありませんでした」

「なるほど」

「先生のところへ来たのは、鉱石を入手する妨げになるからだったはずです。

 地下の……あれを、持って帰る命令も受けました」


 それは、予想していたことだ。古代種の結晶は高値で売れる。

 研究を続けて特効薬でも作られようものなら困るのだろう。

 地下に関しては、多分、あれば、ということではあったのだろう。研究をしているなら所持していると思われて当然だ。

 ただ、薬の研究に関しては一部の古代種以外に知られていないと考えていたのだが。

 一体どこから漏れたのか、未だによくわからない。辰砂に聞いてもわからないであろうことは予測済みだ。

 エディストにも把握できていないらしいので、相当難しいことなのだろう。

 ひとまず、こうして予想が肯定されたのはよかった。


「……あの時もですけど、先生は、怖くないんですか?」

「何が?」

「殺されること、というか、死ぬことが。

 殺した数は少ないけど、みんな殺される時は怯えるとか命乞いとか、してました。けど、先生はしなかった。何も、変わらなかった」


 訥々とした語り口はいつもの辰砂とは違う空気を纏っている。

 そういえば、ここに来た頃はこうだったかもしれない。

 戸惑いを浮かべ、静かに頷く。

 そんな記憶が確かにある。

 いつから笑うようになったのか。案外と覚えていないものだ。

 笑ってしまいそうになるのを押さえ込み、返答のために口を開く。


「怖い、ということがよくわからない。死は、多分そう近いものではないと、思っているのかもしれない。

 古代種は比較的長命で頑丈だからな」

「それは、先生だけなのか古代種全体なのかよくわからないですね」

「そうだな。ファルトステルにでも聞く必要がある」

「……あの人は、僕のことを知っているんですか?」

「いいや。引越しの理由すら言っていない。

 エディストが伝えているかと思ったが、この前来たときの反応だと、聞いていないのだろう」


 警戒もなく、ただ物珍しいものを見る目だった。

 なので、多分辰砂が家に来た経緯を含め、何も知らないと思われる。

 先日訪ねてきたときに初めて会い、居候を知った。

 きっとその程度だ。


「伝えなくていいんですか?」

「わざわざ報告することもないだろう。そういうことを気にする性格でもない」

「……古代種は良くも悪くもおおらかですね」

「そうかもしれないな。

 それよりも、辰砂…………と呼ぶわけにはいかないか」


 よくよく考えれば、この名前はここに来たときにつけたものだった。

 赤獅子の髪の色から拝借した名前だが、それは本来の名前ではない。

 気付いて言いあぐねていると、ふわりと、笑う。


「構いません。僕は、先生にもらった名前がいいです」

「だが、昔の名前があるだろう」

「ありませんよ。僕たちは、番号で管理されていたので、固有名はありません」


 管理、という言い方は好ましくない。

 それだけ辰砂にとっては厭うものだったということなのだろうけれど。

 ……それは、あんまりなことではないだろうか。

 そうやって笑って言うようなことではない。

 どれほどの境遇で生きていたのかはわからないが、言葉の端々からいい生活を送っていなかったのだろうとは、思う。


「先生のほうが悲しそうに見えますよ」

「……そうか?」

「はい。僕は、先生にもらったものの中で一番嬉しいのが、名前だと思っています。だから、気にしていません」

「そうか……なら、これからも、辰砂と呼べばいいだろうか」

「はい。そう呼んでください」


 あぁ、いつもの、輝くような笑顔だ。

 ようやく見られたことが、嬉しい。そしてやっぱり、眩しい。


「それで、辰砂、これからのことを聞きたいんだが……。どうしたいか、希望はあるだろうか」

「これから……ですか」

「記憶を消す前に行きたかった場所やしたかったことくらい、あるだろう」

「ないですよ」


 至極あっさりと、即答された。

 当たり前とでも言うような態度に、何故、と問おうとしたが、やめておく。これまでの反応と対応を考えると、どうしたっていい答えが返ってくるとは思えない。

 知りたいと思う反面、これ以上過去を掘り返してやりたくはないとも思う。

 幸せではない記憶を掘り返すことは辰砂のためにはならないだろう。


「……なら、今のお前がしたいことはあるか?」

「そう、ですね……」


 難しい顔をして俯き、考える。

 そしてしばらくそのまま固まってしまったのだが、大丈夫だろうか。

 これまでも辰砂には欲がないと思っていたが、これほどとは。昔の経験に基づくものなのかはわからないが、このままでいいとも思えない。

 どうしたものかと悩んでいると、ようやく、俯いていた顔が上がる。


「やっぱり僕は、先生の側でお世話をして、先生を守っていきたいです」

「……いいのか?」


 そんないつもと変わらないものを望んでも。もっと他にいろいろとあるだろうに。

 望んでも、いいというのに。

 それなのに、辰砂はぴんと耳を立て、ゆらゆらと尻尾を揺らし、眩しい笑顔で頷く。


「はい。先生が許してくれるのなら、僕は、先生の側にいたいです」

「……退屈だろう」

「いいえ。ちっとも退屈じゃありません。

 それに、薬学の勉強も途中ですよ?」


 そうだ。まだ、教えていないことはたくさんある。

 教えたいことも、ある。

 こうして薬学を教えているのは生きていくための手段を与えるためでもあった。

 だとしたら、尚更教えるべきではないだろうか。


「そうだったな。まだ、勉強の途中だ」

「……これからも、教えてくれるんですか?」

「当然だろう。お前が知りたいのであれば、どれだけでも教える」


 ぺたりと耳が垂れた。

 というか、小刻みに震えている。

 顔も赤いが……。


「大丈夫か?調子が悪いなら眠ったほうが……」

「いいえ何でもありません大丈夫です」


 一言で言い切られた。

 本当に、大丈夫だろうか。眠らせたときに変な副作用が出たとか。それとも家事を全部押し付けているので積もりに積もった疲れが表に出てきた、という可能性もある。

 体調を崩してしまっては、一大事だろうに。


「本当に……なんでもないので、そんな心配そうな顔をしないでください。

 ただ、僕は、嬉しいだけですから」

「……嬉しい?」

「はい。先生、僕を、拾って育ててくれてありがとうございます。

 名前をつけてくれて、ありがとうございます。

 他にも、いっぱい、ありがとうございます。

 先生を殺しに来た僕を受け入れて、大切にしてくれることが、とても、嬉しいです」


 あぁ、そうか。

 これは、どうしようもなく嬉しくて仕方ないのを、堪えているのか。

 眉間に皺を寄せた顰め面は、泣かないようしているのかもしれない。

 こういうところがこんなにも不器用だとは思っていなかった。


「先生」

「どうした?」

「……また、これからも、お願いします」

「あぁ。もちろんだ」


 そう答えると、泣きそうに顔を歪ませながらも、心底嬉しそうに笑った。

 眩しいほどにとてもきらきらと輝かせている。

 殺しに来たときの空っぽの瞳をした少年は、もうここにはいない。

 ただそれだけのことが、ひどく嬉しいと、感じていた。

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