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「あぁあぁぁぁっ!」


 吐き出すような悲鳴が聞こえて顔を上げる。

 家中に響いているのではないかと思うようなそれに、作業中だった鉱石を放り捨て、慌てて部屋を飛び出す。


「辰砂!」


 呼んでみるが、返事はない。

 今の声は、間違いなく辰砂のものなのに。

 辰砂の部屋へ向けて駆け出す。

 あぁいやもしかしたら台所か?それとも他の……。

 多分家の外はない。いや、ないとは言い切れないじゃないか。

 混乱で思考がまとまらない。

 しまった台所から行けばよかった。そっちのほうが近い。

 後悔しながら辰砂の部屋がもぬけの殻なのを確認して、台所へと向かう。

 ふと、開いている扉が見えた。

 ……地下室、だ。

 呼吸が止まる。足も止まりそうになる。

 無理矢理動かして転がるように地下室への階段を下りる。明かりが点っているので、辰砂は確かに、ここに来ている。

 食料の保存棚、薬草の保管棚と順に抜け、一番奥。

 その光景に、動かしていた足が、止まってしまった。


「……なんで」


 隠してあった扉が、開いている。

 つまり、あれを、見た。その悲鳴だ。

 ひやりと背筋が凍って、ぐっと、胸が苦しくなる。

 は、と浅いながらも息を吐き出し、気力を振り絞って、歩き出す。

 地下室に点っていた明かりでは弱くてうすぼんやりとしか階段は見えない。

 けれどもう何年も通った通路だ。ほとんど見えなくても問題はない。

 やがて、ほんのりと明るさが見えてきた。

 やっぱり、ここに来てしまったのか。

 こみ上げるこれは、絶望だろうか。それとも、後悔、安堵、不安、どれだろう。

 わからないまま部屋に入り、明かりの中心を見る。

 暗い場所に慣れてきたところなので、少し眩しい。

 ランプの不安定な明かりは部屋を照らし、中心の鉱石を光らせ、そして、中央に座り込む辰砂の影を長く伸ばす。

 真珠のような独特の光沢をした半透明の鉱石は精巧に作られた人間の彫刻、などではない。

 生きているような、ではなく、実際に、生きていたのだから、驚いても不思議ではないだろう。

 呆然と鉱石を見上げる姿に近づき、少し離れたところから、声をかけた。


「……辰砂」


 びくりと、わかりやすいほどの驚き。

 そして、恐る恐るというように、ゆったりとした動きで、こちらへ振り向いた。


「せ……んせ……」


 ぼんやりと、見開いていた目の焦点がこちらに合わされ、怯えたように、顰められていく。

 呼吸が浅く乱れ、ずざりと、逃げるように腰を引いた。

 まったく予想もしていなかった反応だ。

 結晶化の成れの果てに怯えただけでこうなるのだろうか。


「辰砂?」


 不安になって一歩を詰める。

 けれど、わなわなと震わせた唇が大きく開かれていくのを、止められるほどに、近くはなかった。


「来ないでください!」


 じぃんと、部屋中に反響し、空気を揺らす大きな声。

 冷汗と涙を浮かべて蒼白になっている辰砂から出たとは思えないほどに。

 思わず、ぴたりと足を止めてしまった。縫いとめられたように動けなくなる。

 これは、赤毛の力か。赤獅子の力か。辰砂はそんなことを知らないから使えないと、思っていたはずなのに。

 足止めくらいは、出来てしまうことに驚いてしまった。

 それがさらに足を止める要因となってしまう。

 噂には聞いていたが、思い込みや焦りがさらに能力を強化するとは、のろいのような力だ。

 早く、行かなければならないのに。

 どんなに恐れられていようと、そばにいてやらなければならないのに。


「僕には、貴方を殺そうとした僕には、そんな心配そうな顔をされる資格なんてないんです!」

「……辰砂。思い出した、のか?」

「ずるいですよ。僕なんかに優しくする必要ないのに。こんな、生かして育てて救うなんて、先生はずるいです」


 俯いてしまった辰砂からぽたりと、零れた。

 そのまま後を追うようにひとつぶ。ふたつぶ。

 数え切れないほどに落ちて、そこでようやく、動けるようになっていることに気付いた。

 ただ無心で眺めるしかなかった今の一瞬に、解けたらしい。

 一歩、前に進む。


「……お願いですから、来ないでください。

 僕は、先生を傷つけるもの全部が許せない。

 先生には、そんなものを、近寄らせたくないんです」


 それはつまり、自分を許せないということだろうか。

 この強い憎しみや衝動は、きっともうすぐ自分に向かう。

 このまま放っておけば、辰砂は耐えられなくなるだろう。

 時間はない。正確に、迅速に。

 余計な事を考えないようにして、ポケットから一つ、石を取り出す。

 小さな石を握り締め、足を進める。


「先生!お願いですから!」


 顔を上げて懇願する様子に笑いかけ、一気に距離を詰めた。

 その勢いのまま身をかがめ、抱きつき、握っていた石を辰砂の背に押し当てる。

 丸く研磨した紅玉髄。夕日を閉じ込めたような赤いオレンジ。

 背伸びでは足りず、飛びあがるようにしがみつき、辰砂の耳元で、囁く。


「石のちから、眠りのちから。解放されよ。解放されよ」


 反応が鈍い。


「疾く、解放されよっ!」


 石の力の解放は強力で持続性もあるが発動は遅い。最後は焦りから早口で、叫びに近くなっていた。

 抱きしめる腕に力が入りすぎている。

 それに気付いたのはぐらりと前に倒れる時で。

 眠りに落ちて後ろに倒れようとする辰砂を止めようにも足は届かず、しがみついたままに倒れこむ。

 もちろん、衝撃はほとんどない。

 背を抱いていた腕はそれなりに痛いが、問題にはならない程度だ。


「……辰砂?」


 返事はない。

 体を起こして、顔を覗き込む。

 涙のあとを残したままに眠る姿は、なんだか泣きつかれて眠ってしまった子供のようだ。

 ……そういえば、ここに来た頃にもこういう顔をして眠っていたことがあったな。

 ふいに、思い出した。


「……いっ」


 ちくりと手のひらの痛みに顔を顰めると記憶が霧散する。

 下敷きになっていた腕を引き抜き、広げてみれば砕けた石。

 さすがに……無理矢理すぎたか。

 力の解放を急かせばそれだけ負荷がかかり効力も落ちる。

 これは、仕方のないことか。

 この石には悪いことをしてしまった。

 破片をハンカチに包んでポケットに戻す。手のひらは尖ったところで傷をつけた程度らしい。そんな問題にはならないだろう。

 息をついて、傍らに座り込む。

 ぼんやりと目を向ける先は、中央の大きな石。

 ランプの明かりを受けゆらゆらと不規則に輝く透明な。


「……親というのは、大変なんだな。お父さん」


 声をかけ、自嘲するように顔を歪める。

 偉大な父はこっちを見てはくれない。

 当たり前だ。もうとっくに、鉱石となった。

 よいせと立ち上がって、辰砂を見下ろす。

 気合を入れて、体を起こす。


「重くなったな」


 ここに来たときは、殺しに来たときは、まだ小さく軽い子供だったのに。

 もう軽々と背負ってやるどころか、背負われてしまうほどだ。

 足だって引きずっているし。さすがに、そこに配慮をしてやれる余裕はない。

 ずるずると引きずりながら部屋の入り口へ向かう。

 正面には、ずらりと続く階段。

 あの時のようにエディストがいれば、と思わなくもないが、今ここにいないのだから、考えるだけ無駄だ。

 もちろん、あの時のように記憶を消してやることも今は出来ない。

 しばらくは、覚えたままでいなければならないだろう。

 今までと同じような生活が出来るか、わからない。

 それでも、多分、これでよかった。

 辰砂は一人で決められるほどに成長している。

 いつ気付かれるかと考える必要も、ない。

 ようやくの開放感と、後ろめたさと、寂しさが蟠っていて不思議な感情が心を占める。


「……さすがに、きつい、な……」


 どさりと最上段に倒れこむ。

 押しつぶされて苦しい、が、息が切れて腕も足も悲鳴を上げていて、動けそうにない。

 体力の要ることは基本辰砂にやってもらっていたので、以前よりも非力になった。

 一人で暮らしていたときよりも、弱くなった。

 ……ずいぶんと、甘えてしまっていたな。

 汗で張り付く髪を払おうと上げた腕が疲れで震える。

 まだ、ここは地下室だというのに。

 辰砂の部屋は、果てしなく遠い気がする。

 もう少し成長する前に全部話しておけば、こうはならなかっただろうか。

 そんな気がしてきた。

 容赦なく押しつぶしてくる背中の存在が重い。

 ずっと背負ってきたと思っていたのに、そうではなかったのかもしれない。

 はぁぁ、と息を吐き出し、再び立ち上がる。

 まだ平坦な場所だ。階段ではない。

 よろよろと歩く。

 裏の清水で冷やしたフルーツシロップの水割りが飲みたい。数種のベリーをはじめ様々な果物を砂糖で漬け込んだ、甘さとさわやかな酸味。

 あれがとても、好きだ。

 あと丁寧に豆を擂り潰して作ったスープ。ふわふわのミートオムレツ。薄焼きパンに野菜とベーコンと特製ソースを入れたのも美味しかった。

 他にもいっぱい、思い出してしまってきりがない。

 辰砂の作った料理が、とても好きだ。

 準備が出来たと呼ぶ声も、美味しいと言ったときに浮かぶ笑顔も、きらきらと輝いているのだ。

 出来ることなら、もう一度、見たいものだ。

 滲む視界をふらふら進む。

 あぁ、地上への、階段だ。

 肺が痛い。足ももう、重くて仕方ない。

 けれど、きっと、止まってしまえば動けなくなる。

 もはや意地だ。

 ここで諦めては、辰砂に背負われてばかりになってしまう。


「わ、たし……は、辰砂の……せん……せ、だ……からな」


 言い聞かせるように口に出す。

 すぐ真横にある辰砂の寝顔は穏やかで、そういえば寝顔なんてずいぶんと久しぶりに見たことに気付く。

 うん、早く、寝かせてあげねば。

 そう決意して、階段に足をかけた。

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