5
「届けてきました」
聞きなれた声がしたので、読んでいた本から目を離す。
しばらくすると辰砂が戻ってきてにこりと笑った。
「大丈夫だったか?」
「はい。前の薬が効いたそうです」
「そうか」
なら、今回持っていったもので完治するだろう。
さすがに村から慌てた様子で人が駆け込んできたのは驚いたが。
変わった流行り病の類でなくてよかった。
そういうものは対応できない。
「本当先生の薬はすごいですね」
きらきらと羨望の眼差しが痛い。
ちゃんと前にも言っているだろう。結晶化の研究の流れで薬学をかじっただけだと。本格的には学んでいないので、簡単な対処しかできないと。
……言っても、結局すごいで押し切られるわけだが。
と、そこでふとひらめいた。
「それなら、辰砂も薬学を学ぶか?」
「え?」
「おまえの力なら私がやっていることくらい、簡単に出来る。
それに、森の中を歩くのはお前のほうが向いている」
山葡萄や野いちごの群生地を見つけられるほどだ。薬草になるものも採取できるだろう。
もちろん、獣人としての能力は申し分ない。
なかなかいい案である。
出来るなら辰砂が一人でも生きていけるような能力を授けたいと思っていたし。
もちろん、いなくなっては困るのだが、もしものためだ。
「どうする?」
「……じゃ、じゃあ学びます」
「そうか。なら……」
ちらりと天気管を見る。
あぁ、いい感じだ。
「そろそろ補充をしたいと思っていたところだ。明日にでも森に出よう。
昼食は外にするから、準備をしておくといい」
「はい!」
嬉しそうな輝く笑顔。
……まぶしい。
思わず眇め、上着を片付ける様子を見守る。
さて、明日の準備をしなくては。
外出なんて、久しぶりかもしれない。
じーっと手にした葉っぱを見比べる辰砂が目の前にいる。
「えぇと、こっちが痛み止めで、こっちが……止血、でしたっけ?」
「あぁ。無理に今覚える必要はない。こういうものもある、というだけだ」
さくさくと下草を踏みしめ、奥へ向かう。
後ろをついてくる足音は重い。深く考えすぎているんだろう。
別に一日で覚えろとは言っていないのに。
「今は適当に採取して家で乾燥させる。またそのときに細かく説明するから」
「はい……」
「あの花の実はいい解熱剤になる。ただし臭い。辰砂はあまり近づかないほうがいい」
「あぁ……あれですか」
その声色は、近づいたことがあるようだな。
古代種に比べれは獣人の嗅覚はとても強い。
嫌な記憶があっても仕方ないだろう。
他の花もあれこれと説明し、真っ直ぐに進むとやがて川に出た。
「少し休憩しようか」
「はい」
川辺に腰を下ろし、手を浸す。
さらさらと透明度の高い穏やかな流れだ。
少し掬って口に含む。
ひんやりと心地いい冷たさが喉を通った。
「先生は本当によく知っているんですね」
ぴんと立てた耳にふさふさと揺れる尻尾。
完璧に、楽しんでいる。
いや、それはそれでいいことだが。
「知っているわけではない。わかるんだ。古代種の特性のようなものだろう」
「特性、ですか?」
「種族ごとにいろいろとあるだろう。足が速い、遠くまで見える、空を飛べる……」
「……あーあるみたいですね」
それは、種族によって様々だ。
中には必要なのか不思議になるものもあるにはあるが。
大体は、有用なものばかりである。
「古代種はその中でも鉱物や植物に秀でている。
植物の名前は知らなくても、どういうものかは何となくわかる」
「えぇと……」
「色やにおい、気配のようなもので薬効の予測が可能だ。
果物が熟しているかどうか、見ればわかるようなものだ」
「無茶苦茶ですね」
「私は鉱石のほうの素養が強いので、あくまでも予測の範囲だがな」
見てもわからないものも多々ある。
植物に関して言うのであれば、エイネレグラスが秀でているようだが。
多分、だからこそ花化したのだ。
素養が強いものに変化していく。
それは昔から言われていたことだ。
「ところで、鉱石はどんなことがわかるんですか?」
「そうだな……刃の入れやすい場所や綺麗に見える箇所が大体わかる。
細工をしているのはその影響だ」
「そうだったんですかっ!?」
そういえば、言っていなかったかもしれない。
特に聞かれるようなこともなかった。
言ってどうかなるような話でもない。
「古代種ってすごいんですねー」
お前も本当はすごいんだがな。
言おうとした言葉を飲み込む。満足に制御できないであろう能力を迂闊に言うのは危険だ。
それは大概の種族に言えることであり、辰砂のような特殊な種族なら尚更だ。
またゆっくり時間のあるときにでも教えたほうがいい。
「僕も先生みたいになれたらいいんですけどね」
「辰砂なら、なれるだろう」
言うと、子供みたいに笑った。
少し、眩しい。
「さて、そろそろ行くか。辰砂先生」
「え?なんですかそれ」
「いつかお前もそう呼ばれるだろうからな」
「ないですよ。先生は先生だけの呼び方です」
「そうでもない。薬学の影響で村人から先生と呼ばれるようになったからな」
立ち上がり、周りを確認しながら言うと、そうだったんですか、と小さな声が聞こえた。
「なるほど。それで先生だったんですね」
「そういうことだ」
森の奥へと歩き出す。
後ろをついてくる足音はゆっくりとしていて、歩幅をあわせてくれているのだろう。
採取と説明を織り交ぜながら進むとなると、この森は広い。
昼食を用意して歩いても、さすがに全ては回りきれなかった。
空を見て、少し悩む。もう夕暮れだ。
「……そろそろ帰ったほうがいいな」
薬草の袋もいっぱいになったことだし。
ほとんどは乾燥させるが、一部は煮出して成分抽出をさせないと。
明日は一日その作業だろう。
そのあたりは辰砂もよく手伝ってくれているので問題ないだろうけれど。
「先生はいつもこんなことしていたんですか?」
薬草の袋を持ち上げたところで、辰砂に奪われた。
どれも小さいとはいえ、もう二袋も持っているのに。
全部持たせるのは申し訳ないので、一つ持とうとしたのに、さりげなくかわされた。
譲るつもりはないらしい。
仕方がないのでそのまま家へと歩くことにする。
「私はほとんど採取をしていないのは知っているだろう」
「はい。だから不思議なんです。庭の薬草園以外で採取はしていないと思って」
「必要なものはほとんどは庭に植えなおしてあるからな。
今回は、一度実際に生えているところを見せておこうと思ってな」
「なるほど」
庭が使えなくなったときのことも考えるべきだろう。
あと、庭で育成されたものだけではなく、野生のものを見ておくことも必要だ。
明日は庭のものと比べさせるのも悪くない。
同じように見えて、案外違うのだ。
人の手が入るからなのか、周囲にある植物から違う影響を受けるのか、性質が変わることもある。
「あと、このあたりにないものはエディストに頼んである」
「……あの人何でもしてますね」
まったくだ。とても助かるが、いいのだろうか。
とはいえ、言ったところで現状が変わるとは思えないが。
「ところで先生」
「どうした?」
「このままだと帰る頃には真っ暗です」
言われて、見上げる。
大丈夫だろうと思ったのだが……。
けれど、確かに一番星が見えている。
少しくらい遅くなるのは問題ないだろう、と、思ったが、辰砂はそういうわけにはいかないか。
夕食の支度に洗濯も干したままのはず。
「辰砂」
「はい」
「先に帰っているといい。お前一人なら暗くなる前に帰ることも簡単だろう」
「先生はどうするんですか?」
「このまま歩いて帰る。帰る頃には夕食も出来ているだろう?」
はっきりとわかるほどに、不愉快な顔をされた。
どうやらこれは、間違った提案だったらしい。
問題は、どこだったのか。
離れることか?夕食を任せっぱなしのところか?
荷物を預けたままでは大変だったか?
「あのですね、その話だけは乗れません」
「そうか……辰砂だけでも先に帰そうと思ったのだが」
「それが問題なんです!先生一人置いていけるわけがないです!」
「別に一人でも問題はないと思うが……?」
慣れた森だ。方角だってわかるし、体力も残っている。
家に帰るくらい簡単なのだが……。
何が気に障ったのだろう。
「あぁもう……先生は危機感がなさすぎるんですよ……。
夜になれば獣だって動き出すんですから、あんまり過信しないでください」
それはそれは深い溜息が出た。
獣か。確かにそれは危険だな。
狙われれば命はないだろう。
戦う術がまったくないわけではないのだが、無事でいられるかと聞かれると、自信はない。
辰砂に心配されるのも無理はないだろう。
「はい、これ、持っていてください」
そう言って、薬草が詰め込まれた袋を全部渡された。
さすがに三つは、結構重い。
辰砂は軽々と持っていたので気付かなかったが、やはり悪いことをしていた。
とりあえず、渡されたので落とさないように抱え込む。
「失礼します」
「……うん?」
体が浮いた。
目線がいつもより少し高くなって、思わず動揺した。
ぶらぶらと地に着いてない足が揺れて、なるほど、と、ようやく理解する。
これは、いわゆる抱っこというやつか。しかもお姫様抱っこだ。
本でしか見たことがないものだ。
「……重いだろう?」
「いいえ。軽いです」
簡単に答えた辰砂が歩き出す。
その腕の中で抱え上げられ運ばれるというのは、非常に変な感じだ。
すたすたと、手入れされていない足場を事も無げに歩くので尚更かもしれない。
しかも、早い。
こればかりは、身体能力の差、としか言いようがないのだろう。
「腕が疲れたら下ろしていいからな」
「大丈夫です。買出しの荷物のほうが重いですよ」
にこにこと、先ほどまでとは対照的なほどの上機嫌だ。
というか、そんなに大量に買い込んでいただろうか。
さすがに今のほうが重いだろうと思うのだが。こうして袋もあることだし。
けれど、楽しそうなのでいいか。
今のところ無理をしている様子はない、と思う。
「先生は、嫌ですか?」
「何がだ?」
「こうして運ばれるの」
「……楽だとは思う。それに、この方が早いのも確かだ。
でも、辰砂が無理をしていないかどうかは、心配だ」
「それなら気にしなくても大丈夫なことです」
「……そうか」
それでいいのか。
こうはっきりと言い切られてしまうと、どうにもならない。
不愉快でないのなら、構わないか。好きにさせておこう。
「そうだ、辰砂」
「はい」
「今日は採取だったわけだが、薬学の勉強は続けるか?」
返事までに時間がかかったのは、悩んでいたのか、言葉の意味を考えていたのか。
やがて、一つ頷いた。
にっこりと、わかりやすい笑顔が浮かぶ。
きらきら輝くようで、夕闇の中でも眩しい。
「もっと先生に教わってみたいです。それに、今日は楽しかったですから」
「わかった。なら、明日は今日採取した薬草の選別と乾燥をするが……一緒にするか?」
「先生がいいなら、手伝いたいです」
「なら、朝のうちから始めよう」
「はい!」
大きく頷く様子に、ぴんと立った耳。
嘘などはなく、本気だということだろう。
ふわふわと揺れる中、考える。
きっと辰砂はいい先生になってくれる。
その日が来るのが、とても楽しみだ。