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遠まわしな人体欠損などの表現があります。痛々しいものではありませんが、苦手な方はお気をつけ下さい。
それは、朝食の最中、唐突に訪れた。
ノックの音と、遠慮もなく開く扉。
慌てたように辰砂が立ち上がるのを、ぼんやりと、見る。
「アリシスウェリカ」
名前を呼ばれ、あぁなるほど、と来客を理解した。
「ファルトステルか。久しいな」
「あぁ、そうだな」
ふっと笑うのを見て、どうやら元気そうだと悟る。
「食事中だったようだな」
「構わない。あ、お茶を入れてもらえるか?」
ぽかんとしたまま来客を見つめる辰砂に声をかけると、こくこくと頷き。
そしてそのまま奥へを引っ込むのを見てから、ひとまずファルトステルに空いている席に座らせた。
「あれは?」
そう言う目線が辰砂の去ったほうへ向けられている。
そういえば、前に会ったのは辰砂が家に来る前だったかもしれない。
「拾った。辰砂と名づけた」
「……あの赤毛か」
「あぁ」
「なるほど、赤獅子の色だな」
「うむ。いい色だろう。瞳も上質な藍玉だ」
赤獅子は希少種だ。本人は多分、そんなことは知らないだろうが。
特に、知る必要もないだろう。
「ずいぶんと気に入っているのだな」
「気が利くし身体能力も高い。何よりも料理が上手い。完璧だよ」
「アリシスウェリカが親バカだとは知らなかった」
「うん?親とかそういうつもりはないが……」
「あぁ、恋人か」
「いや、だから拾っただけだ」
……とすると、この関係性は何だ?
今まで考えてもなかったことを問われると、困る。
前に家政婦だの言っていたが、そういうつもりもない。
先生などと呼ばれてはいるが、何かを教えているわけでもない。
そもそもあれば村人が先生と呼んでいるのが原因だ。
「お茶です」
おや、いいところに戻ってきた。
「辰砂」
「はい」
「私とお前の関係とは、何になるんだ?」
「はい?」
きょとんとしたまま、首が傾げられた。
そして、うーんと悩む間、赤くなったり青くなったり。
やがて、眉を顰めたまま、重々しく口を開く。
「何でしょう?」
やはり、そうなるか。
結局、答えが出そうにないのだが。
「それよりも、現状のことなのだが……」
「あぁ、そうだった」
ファルトステルの言葉に、頭を切り替える。本題だ。
つい違うほうで悩んでしまったが。というか、朝食も途中だ。
少し冷めてしまった野菜のスープに手をつけつつ、どこから話したものかと考える。
「……お母さんの状態は?」
「薬は効いてる。今のところ特に進行はしていない」
「ならよかった……村の様子は?」
「そちらも問題ない。発症したという話もない」
「そうか……」
よかった。少なくとも、悪い方向には向かっていないらしい。
現状の経過を見るに、現在の薬は症状を抑えるだけであれば非常に有効ということか。
ただ、回復には向かっていない。やはりもう少し研究の方向を変えるべきかもしれない。
とはいえ、まだ打開策は見つからないが。
「アリシスウェリカのほうは?」
「特に変わりはない。よくも悪くも」
「そうか……悪くないのならよかった」
相変わらずの優しさだ。だからこそ母を任せられるのだが。
ごくんと最後の一口を飲み込み、さじを置く。
野菜の甘みが出ていてとても美味しかった。
「エディストはちゃんと届けているか?」
「あぁ。律儀に持ってきている」
やはり彼は有能だ。
稼ぎの一部に薬。きちんと持っていってくれているようだ。
少々複雑な森の中にある集落を重い荷物を持って。
昔はこうしてファルトステルが来て回収していたことを思うと、ずいぶんと助けられている。
「あれの連れはどうなんだ?」
「エイネレグラスのことなら、まだ大丈夫らしい。そちらも薬が効いているようだ」
「そうか……右足だったか」
「あぁ。崩れたらしい。花は形がなくなる分、むなしいものだな」
ことんと置かれた食後のお茶を口に含む。
鼻に抜ける葉の香りがとてもいい。
ファルトステルが好みそうだ。
「あぁそうだ。辰砂」
「はい」
奥で片づけをしている様子の辰砂に声をかけると、ぱっと嬉しそうにかけよってくる。
なるべく近くに寄せ、小声で話しかけた。
「持ち運べるような携帯食を作ってやってくれ。あと、甘いものが食べたい」
「はい。わかりました」
頷き、慌しく準備に向かうのを見送り、ファルトステルに向き直る。
一人静かにお茶を飲む姿は小さい頃から変わらない。
そういう時間を好む性質だ。
「よく働くな」
「おかげでとても助かっている。不摂生も減った」
「お前は集中すると周りが見えなくなっていたからな」
そのおかげで数日食事すら忘れることも多かった。
そんなこと、よく覚えていたな。さすが付き合いが長いだけある。
「お待たせしました。昨日の残りですが」
そう言って机に置いたのはマフィンだ。
チーズが入っていて、一緒にりんごのジャムも置かれた。
もちろん、美味しい。昨日も食べたので確実だ。
「食べるといい。美味しいぞ」
言いながら、ひとつ手にとる。
昨日は焼きたてでふかふかしていたが、冷めるとそういうわけでもない。
だが、食べると味が馴染んでいて少し違った風味にも感じる。
ジャムとの相性もいい。
「……美味しい」
「そうだろう」
まるで自分が褒められたように嬉しくなる。不思議なものだ。
もくもくと言葉少なく食べていると、ふいに視線を感じる。
顔を上げると、ファルトステルがじっと、見ていた。
「どうした?」
「いや、アリシスウェリカは少し変わったな」
「そうか?」
「あぁ。よい傾向だ」
「……そうか」
こうして面と向かって褒められるのはなんともくすぐったい。
が、表には出せそうにない。
向こうもそれを理解しているだろうから、気にしないが。
きっと、母に報告されることだろう。
静かに部屋の奥を通り過ぎる辰砂は、どうやら包み紙を取りに来たらしい。
また奥へと戻っていったのを見ながら、最後の一口を飲み込む。
美味しかった。
ファルトステルのほうはもう食べ終わっていて、のんびりとお茶を飲んでいる。
それに倣うわけではないが、同じようにお茶を飲んで一息つく。
「ここに来てこんなにのんびりするのは初めてだ」
やんわりと浮かんだ笑みに、思わず苦笑で返してしまう。
きっと、傍から見ればどちらも無表情のままなのだろうが。
「……私は、あまりそういうのが得意ではなかったからな」
料理は必要最低限しかできない。お茶も、こんなに美味しく淹れられない。
人をもてなすには向いていなかった。
なので、やはり辰砂がいるのは助かる。
「ん……そろそろ昼だな」
ふと窓の外を見たファルトステルの目線を追いかける。
あぁ本当だ。昼の日差しが。
「帰るのか?」
「あぁ。また来る」
静かに立ち上がったのを見て、同じように立ち上がる。
奥を見ると、心得たように辰砂が寄ってきて、塊を渡された。
丁寧に畳まれた包みはずしりと重みがある。
昼だけではなく、夕食までありそうだな。
そんなことを思いながら、先に行ったファルトステルを追いかけた。
「ファルトステル」
玄関先に立つ姿がゆっくりと、振り返る。
「どうした?」
少し微笑んだような様子に、ふと、昔を思い出した。
……あの頃とあまり、変わっていないな。
いつだって見送る側で、見送られたことは数少ない。
「そのうち、一度家に帰る。お母さんにもそう言っておいてくれ」
「わかった。伝えておく」
「それから、これ。後で食べるといい。辰砂の作ったものだ。美味しくないはずがない」
包みを手渡すときょとんとした顔をして、やがて、珍しくはっきりと、笑った。
「アリシスウェリカがこんな気配りをするようになるとはな。受け取っておく」
「……私が、作っているわけではないからな。これくらいの配慮くらいは出来る」
「なるほど」
作れないからあげていなかっただけだ。
そう言いたいのを察したらしく、一つ頷く。
「ではアリシスウェリカ、健やかで」
「ファルトステルもな。お母さんを頼む」
「わかっている」
そう言ってさっさと出て行くのを見送る。
扉が閉じたところで、ふぅ、と息が漏れた。
相変わらず、唐突に来て唐突に帰るのだから。
内心でぼやきつつ踵を返し、何かにぶつかった。
「……っ!」
声にならない何かが喉でつっかえる。
ふらりとよろけ、後ろに倒れこみそうだった体が引っ張られた。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?先生?」
なるほど。辰砂か。まさか真後ろにいるとは考えていなかった。
柔らかく打ち付けた鼻を擦り、頭一つ、ではないほど大きくなっていた辰砂を見上げる。
鳩尾より少し上に当たっただろうか。
結構な勢いでぶつかったと思われるのだが、特に問題なく立っている姿は少々腹立たしくもある。
立派に育ったものだ。
「先生?」
沈黙をどう受け取ったのか、弱々しい声がして、思考が引き戻される。
耳が力なく垂れていて、そこまで落ち込むこともないだろうに、と思った。
「大丈夫だ。辰砂のほうは?」
「なんともありません。先生は軽いですから」
「……そうか」
そうだろうな。これだけ体格が違っては。
脇を抜け居間に戻る。
先ほどのティーカップはすでに片付けられ、来客の様子は見受けられない。
相変わらず仕事が速い。
外れたところにあるソファに座り、息をついた。
ついで、すぐ近くの椅子に辰砂が腰掛ける。
「先生、先ほどの方は?」
「あぁ……兄だ」
「あ、やっぱり。名前で呼ばれるのですね」
「そうだな。幼い頃からそう呼んでいた」
「……先生の子供の頃」
ぽつりと呟き、うーん、と悩む声。
予想できないのだろう。無理もない。
古代種は比較的長寿の生き物だ。もう成長する年でもないので、辰砂がいた十年程度では、ほとんど年を取ったようには見えないだろう。
「先生って、いつからここで暮らしているんです?」
「そうだな……この家に引っ越してきたという意味では、お前が来たときだ」
「あれ、そうなんですか?」
「いろいろあってな」
あのときはエディストにも迷惑をかけた。
気にしていないと笑ってはいたが、大変だったことだろう。
「家を出たという意味では、もう二十年ほど前になるか」
「……失礼ですが、先生って何歳なんですか?」
「詳しく数えてはいないが……五十年を少し超えたところではないかな」
「古代種って長生きですよね……」
途方に暮れたような声だった。
確かに、平均で二百年、長いと三百年生きるような種族だ。百年生きていれば、という他の種族に比べれば長いのだろう。
さらに長命種もちらほらいるのだが。
「さっきのお兄様は何歳くらいなんですか?」
「ファルトステルか……確か二十ほど上ではなかったかな」
「……結構な年の差のある兄妹なんですね」
「長生きする生き物ほど子は出来にくいものだ」
むしろ、種の保存に関する危機感が薄いというべきか。
人のことは言えないが、他の種族に比べれは危険に対して鈍いし、色恋に聡い同種を見たことはない。
「そんなものですか。それで、お兄様は先生の様子を見に来たんですか?」
「そうだな。引っ越す前は年に一度ほど来ていたが」
「僕初めて会いましたよ?」
「引越しで少し山のほうへ来てしまったからな。ファルトステルへの届け物をエディストに任せることにしたんだ」
そういえば、兄への対応もエディストの申し出だったな。
本当に、世話になってばかりだ。
礼をしても、きっと受け取ってはもらえないだろうが。
「届け物……?」
「金と、薬だ。わざわざ取りに来てもらっていた」
「へぇ……でもわざわざ先生が作った薬が必要なんですか?」
「特殊だからな。多分、私にしか作れない」
「どんな薬なんですか?」
今日は、質問が多いな。
あまり見ない様子が少し面白い。
こう興味を持った顔をされると、どうにも弱い。
「結晶化の進行を抑えるためのものだ」
「……結晶化?」
初めて聞いた言葉なのだろう。
顔を顰めて首を傾げる。
馴染みのないであろう言葉だ。仕方がない。
「文字通り、体の一部が鉱石になるんだ。古代種の三割くらいがかかる異質化の一つだ。
もう一つ花化もあるが、皮がはじけて体の一部を持っていかれる分、そちらのほうが大変だな。
大抵は腕や足、死ぬほどのものにかかることは極稀。結晶化は肌から、花化は肉から進行し……」
「わ、わ、先生ちょっと待って!それついていけませんから!」
慌てた様子で腰を浮かし、手を伸ばしているので口を閉じる。
……あぁいけない。説明となると、つい。
熱が入るというわけではないが、一方的に進めてしまった。
黙り込むと、落ち着いたようで、また座り込む。
安堵の息をついて、少し顔を顰めたのは、多分言葉を探しているんだろう。
「えぇと……要するに、腕が石になったりするんですか?」
「重症だとそうなるな。軽症のうちは皮膚に石が生えているようにしか見えない。
花化に至っては自覚すらないだろう」
「はぁ……で、その薬を何故先生が作れるんですか?」
「長年研究しているからな」
「ここで?」
頷く。
そもそも研究のために一人で暮らしはじめたのだから。
フォーリーモーリーは植物や鉱石が豊富なので、研究には丁度良かった。
そのためにここまできたのだが。
うーんと一人悩む様子の辰砂は、ようやく心の中で折り合いをつけたらしい。
深く息を吐き出した。
「とりあえず、先生、そんな簡単に言ってますが、簡単な病気じゃありませんよね?」
「そうだな。治療はまだ見つかっていないし、何より不便な病だ」
「……不便って……簡単に考えてるじゃないですかそれ」
「だが、結晶化してしまうと思うように動かせなくなってしまうから、不便だろう?」
「もう不便どころじゃありませんから。なんか大変な感じですから」
「一部くらいならそう大変でもないと思うが」
腕が結晶化してしまった母はそこまで困っているようには見えなかった。
少し面倒そうなときもあったが。
辰砂がいうほど大変だと思っていないのは、そのあたりが影響しているのだろうか。
「どうやら、認識に違いがあるようだな」
「……そうみたいですね。僕は結晶化なんて初めて聞いたので」
「そうか。物語にはよくあるのだが。石になった話なんて」
「それもう大体重症なんで大事にしか思えません」
「それもそうだな。石になる途中が描かれるわけでもない。
ただ異質化は痛みがないからどうにもな……」
あーもう。
案外とよく聞くその言葉を吐き出しながら、辰砂が顔を顰める。
「わかりました。先生が大丈夫と言うのなら多分大丈夫なんでしょう。
それで、先生はその病気にかかったわけじゃないんですよね?」
「もちろん。今のところはそんな気配もない」
「薬は誰に?」
「母だ。異質化の研究を始めた頃にはもう結晶化が始まっていた」
「……そうですか」
「心配せずとも、古代種以外での異質化の発症例はない」
これは、種族的な問題だ。むしろ、古代種の成り立ちからの問題だ。
獣人は動物になんらかの力を加えたために今の姿になったと思われる。
同様に、古代種は植物や鉱石などの自然物を元に作られているのだろう。
そういう意味では異質化は元の形に戻ろうとしているのかもしれない。
……と、辰砂に説明しそうになって飲み込む。
あくまで仮説であり、そんなもので辰砂を混乱させるわけにはいかない。
「辰砂」
「……はい」
「こういうことは、先に言っておいたほうがよかったのか?」
「……いえ。僕も疑問に思ってもいなかったので、先生が気にする必要はありません。
ただ、僕は先生のことを何も知らないんだと、改めて実感しただけです。
でも、昔のことを知らないんだから、自分のこともわかってませんけどね」
はは、と困ったように笑う。
記憶喪失の少年は、いろいろ知ったが、やはり記憶喪失の青年になっただけだ。
ふとしたときに、実感してしまうのだろう。
「昔のことを、知りたいか?」
「いえ、別に。今の生活のほうが、昔よりきっと幸せなので」
「そうか」
それなら、よかった。
昔のことを聞かれても、教えられるわけもないというのもあるが、何より現状を幸せに思ってくれているということ。
それが何より嬉しい。
「だから先生、本当に、感謝しています」
「……そうか」
あまりに幸せそうに言うから。隠す様子もまったくないから。
真っ直ぐに見ていられなくて、目を逸らす。
その素直さは、好ましいのだがな。
ただ、どうにも少し、気恥ずかしい。
最近特にその傾向があるのは、素直さを失ってきているからだろうか。
まだまだわからないことは、多いものだ。
そんなことを思って、気付かれないように小さく溜息を吐き出した。