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「ただいま戻りました」
玄関から辰砂の声がして、昼下がりのおやつとして食べていたスコーンを皿に戻す。
もそもそと口の中に残ったものを紅茶で喉奥に押し込んで一息ついた。
それと同時に、扉が開く。
「おかえり」
声をかけると多くの荷物を抱えた辰砂が嬉しそうに目元を細める。
天気はどんよりと曇り。天気管は概ね当たり。
暑くも寒くもなく、買出しにしては上々な気候であったことだろう。
荷物を抱えたままに入ってくる姿を眺める。
本当なら手伝いたいところだが、手伝いすらさせてはもらえないので大人しく座っている。
「今日はどうだった?」
「ずいぶんと肉が多く手に入ったので、地下で熟成させたり塩漬けや燻製もいいですねぇ。
野菜も今年は豊作みたいですが、海の魚はいまいちとか……」
「なるほど」
たとえ不作でもなんとかなる程度に山の恩恵は得られる土地柄だが。
それでも、やはり恵みは多いに越したことはない。
「町の状態としては、相変わらず、というところです。
鍛冶屋のおやじさんに孫が生まれたとか八百屋のおばあさんが倒れたとか……」
「あぁ……ずいぶんなお年だからな」
ここに来たときからお世話になっているし、まだお元気なうちに一度挨拶に伺いたいものだ。
鍛冶屋さんには近々道具の手入れをしてもらいたいので、ついでにお祝いでも持っていくか。
「……あと」
何やら言いよどむ辰砂の様子に首を傾げる。
目線で問いかけると、心底嫌そうな顔をして、やがて溜息をつく。
それとほぼ同時に、玄関の扉が開いた。
「やぁアリス、元気にしているかい?」
……あぁなるほど。
底抜けに明るく嘘くさく響く少々低音な声に、納得した。
街で来客に遭遇していたのか。
来客はそのままこちらの部屋に近づき、あっさりと扉を開く。
狼にも似た獣人だ。
よいせと立ち上がり、辰砂へと顔を向ける。
「工房へ行ってくる」
「はい」
返事が少し不機嫌そうで、少しだけ、口元を緩めた。
そのまま来客を引き連れ、二人で工房へと向かう。
「久しいな、エディスト。商売は、順調か?」
「もちろんだよ。何もかもが、順調だ」
「ならよかった」
「で、アリスのほうは?」
「無事に出来ているよ」
そう言って入る工房の中。棚に片付けてあったものを取り出し、まばらにかかる埃を払った。
手渡すと、エディストの目つきが鋭くなる。
それを確認してから、また別のものを取り出した。
「座るといい」
「あぁ、うん」
促したのは作業台とは別の、簡素な机と椅子だ。
エディストが座ると木が軋む。
その机に、もう一つ完成品を置いて、いつも座っている椅子に座った。
待つこと数秒。
エディストの目線が、離れた。
「いやー相変わらずアリスの腕は見事だね。あんな投売り同然で売られていたクズ石がこんな見事なものになるんだから!」
「……エディストも、相変わらずのようだな」
主に性格が。
黒曜石の毛並みを持つこの獣人とは長い付き合いだ。
手にしている天藍石の加工品を眺め、光に透かす。
ほぼ不透明な石だろうに。
そして、じっと見つめるその瞳は、エディストのものと同じ色をしていて、ここから見るとまるで目が三つあるようだ。
やがて出来に満足したのか、もう一つ置かれた透輝石へと手を伸ばす。
これもまた、じっくりと眺め、透かし、光沢や重さを確認する。
もしかしたら、獣人である彼の目には違う風に見えたりするのだろうか。
そんなことをふと思う。
「うん、本当に素晴らしいね。これなら高く売れそうだ。
前回のは本当にびっくりする値段で売れたんだよ」
そう言ってごそごそと何の変哲もない古びた鞄から古びた袋を取り出す。
中身は相当な大金が入っているなど、誰も予想できないだろう。
どん、と置かれた袋はずいぶんと重そうだ。
「はい、いつもの取り分ね」
「あぁ。ありがとう」
売れた値段の四割。これが、いつものことだ。
エディストとしてはもう少し渡したいと思っているらしいが、そんな多くても困る。
これでも結構、貯金に回しているのだから。
辰砂が増えても生活には何の支障もなかったくらいだ。
その辰砂は先ほどの買出しでの戦利品を片付けている頃だろうか。
エディストを苦手としている節も見受けられるので、こちらに近寄ることもない。
「で、次はこれ、と……これ」
ごろりと、鞄からこぶし大の原石が二つ。
無造作に置かれた。
「黄水晶に灰簾石か。……ん?黄水晶は混色か?」
「え。そうなの?」
渡した細工物を丁寧に梱包する手を止め、エディストが顔を上げる。
「多分紫水晶からの変化の途中だったんだな。割るか?」
「いや、そのままでいいよ」
「わかった。こっちの灰簾石はどうする?加熱すれば青くはなるが……」
「好きにして良いよ。そのまま彫刻にしてもアリスの作品は売れるから」
「そうか」
どうしたものかな。なかなか脆い石だ。彫刻にしても気をつけねば。
まぁ、それについてはおいおい考えるとしよう。
「……で、今回の仕事に関しては、これだけか?」
「そうだよ」
「……そうか。なら、次はこれか」
直ぐ横の机から、白い袋を取り出す。
清潔にしているつもりではあるが、やはりこの部屋にあると汚れてしまう。
次は気をつけねば。
「エイネレグラスの状態は?」
「現状維持、かな」
「……そうか」
袋を渡すと、細工物以上に壊れ物を扱う手つきで受け取るのがなんともおかしい。
そっちは壊れやしないのに。
とはいえ、それも仕方のないことだろう。それは、命の重みに近い。
「本当に、感謝しているよ。アリス。エルもずいぶんと明るくなった」
その目は、袋に注がれる。けれどその向こうには可憐に笑う女性がいるのだろう。
エディストの大切な人だ。
「その薬はあくまでも病状の進行を食い止めるだけだ。それだけは、忘れないでいてくれ」
「あぁ。ちゃんとわかってるって。アリスがいつか薬を完成させてくれることも、ね」
すっかりいつものエディストだ。
とはいえ、その茶化す様子は、少し安心する。
なんだかんだで付き合いは長い。
「さて、そろそろ戻るか。辰砂が心配する」
「……相変わらず過保護だね」
「そうか?」
過保護、なんていうほど気にかけているわけではないと思うが。
毎回、辰砂がこちらに踏み込むか悩んでいるのは、事実だろうし。
「自覚ないならそれでいいよ。あっちはどうか、知らないけど」
「……うん?」
どういう意味だ。
問いかけようとしたが、先にエディストが立ち上がったので渋々付き合うことにする。
とはいえ、別にわからないならわからないでいいかと、思う気持ちもある。
工房を出て向かうのは辰砂のいるであろう居間。
案外几帳面な彼は買ったものをひとまず書き出す癖がある。
そして現在も、その作業の真っ只中だ。
「先生!」
近づいた気配に気付いたのか、がたんと音を立て、立ち上がる。
瞬間、じとりと背後へと視線を向け、すぐに笑顔になった。
「お話は終わったんですか?」
「あぁ。金ももらったから後は頼んだ」
先ほど受け取った袋をほいと渡す。
買出しだけに関わらず、家事全般は辰砂の仕事だ。
別で必要になる一部の金は抜いてあるが、ほとんどは辰砂に渡してある。
生活費はここから抜いていかれるので、自然と金の管轄も辰砂の仕事になっていた。
「わかりました。大切に管理させていただきます」
「……そんな大事にしなくても、ほしいものがあれば買うといい」
これはもう恒例の言葉だ。
けれど、辰砂が頷くことはない。
「特にほしいものもありませんし、これは先生のお金です」
「律儀な犬だねぇ」
はははと軽快に笑うエディストを見て、思わず首を傾げる。
「辰砂は犬ではないだろう?どちらかといえば猫系の獣人だ」
きょとんとした顔でエディストが固まる。
そして数秒後、唐突に、ぶは、と噴出す。
そのまま笑いが止まらず、仕舞いには腹まで抱える始末だ。
「……エディスト?」
思わず呼んだが、笑いが収まらない。
さらに数秒して、ようやく変化が訪れた。
「う、げほ……っふ、ごめ……」
笑いすぎて咽ながら、苦しみながら、ゆるゆると体を起こす。
時折思い出し笑いがあるらしく、不自然に震えるが、それも段々と落ち着いてきた。
涙目のまま、こちらを見る。
「いやぁ……アリスは本当に……なんていうか…………っふ」
耳や尻尾を震わせながら向けるその視線は何だ。
よくわからないが、あまりいいものではないのだろう。
特に気にしないが。
辰砂のほうは、何かしら気付いているようにも見える。少し顔を顰め、エディストを見ているので。
「うん、そうだ。素直だね。うん」
どうにか復活したらしい。
いつもの笑みを浮かべ、深く息をつく。
「久々にこんなに笑ったよ。
じゃ俺はこのあたりで帰るから。エルも待ってるし」
「わかった」
慌しく出て行くのを見送り、空を見る。
もう真っ暗ではないか。
そういえばおやつの途中だった。空腹を感じるのはその影響か。
「辰砂、夕飯は?」
「準備できています。ところで……エルさん?でしたか?どなたです?」
「言ったことはなかったか?エディストの彼女、と言えばいいのか。結婚の約束も交わしてあるらしい。
私と同じ、古代種だ」
「そんな人がいたんですか」
何故そんな安堵した様子なんだ?
ふと思ったが、問いただすほどのことでもない。
「でも古代種とは珍しいですね」
「いないわけではないんだが……ほとんど集落を作り暮らしているからな。見つけづらいのかもしれん」
「なるほど……僕も先生以外は見たことないと思いますし。
……多分」
どこか不安げなのは、仕方ない。
辰砂にはここに来るまでの記憶が消えている。
頭の中を探しても、そう簡単には出てくることはないだろう。
「見つけたからと言って、何かあるわけでもないしな」
「そうですね。では、夕食にしましょうか」
きっと、本人は記憶がないことをそこまで気にしていないのだろう。
あっさりと切り替わり、夕食の仕上げに向かう姿を見てそう考える。
記憶など、戻らないほうがいい。
そう思っていることには気付いていないだろうし、ついでに言えば、本人に思い出したいという素振りは見えない。
ならば当分の間は、現状を甘受していればいい。そうすれば、美味しい食事にもありつけるのだから。
ふわりと漂う甘さを帯びた香りに空腹を呼び起こされ、考えることをあっさり放棄することにした。