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「せんせー」


 呼び声に、机に向かって作業をしていた手を止め、振り返る。

 とても不満そうな顔が見えた。

 ぴん、と頭上の猫のような耳が立っているので、結構なご立腹だ。


「どうした。辰砂」

「……どうしたじゃないです。何度も呼んだんですから」


 はぁぁと深い溜息交じりで告げる言葉はずいぶんと疲労を帯びている。

 確かに、結構な時間、声をかけていたのだろう。そういうときの疲れ方をしている。

 うんざりというか、飽きたというか。

 まったく気付いていなかったので、どれだけ呼んでいたのかは、わからないが。


「没頭するのは今更だろう。諦めろ」

「自分で言うなって感じです」


 じとりと藍玉のような瞳を向けられた。いつもなら星彩効果でもあるのかと思うほどに輝いているというのに、今はそれも見られない。

 いや、これも仕方のないことか。


「それで、今回はどうした?」

「ご飯です」

「もうそんな時間か」


 言われてみれば、お腹が空いた。

 手にしていた薔薇石英を机に置き、立ち上がる。何度見ても、自分の髪の色と似ている石である。今回のものは、特に。

 振り返ると名前の由来とした辰砂と同じような赤色をした後頭部と細く長い尻尾がドアの向こうに消えるところだった。

 慌てて追いかけ、向かう先はリビング。

 机に並べられた料理が呼んでいる。

 けれどそれを横目に見つつ、向かうのは隅に置かれた机だ。正確にはその上に置いた、天気管。手のひらほどの透明なビンの中に満たされた液体にはちらちらと結晶が揺れている。


「……明日はあまり天気がよくないみたいだな」

「えぇー買出しに行こうと思ってたのに」


 不満そうに口を尖らせる辰砂に何故かつい、笑ってしまう。

 見た目は立派な成人男性だというのに、中身は未だに子供っぽい。あっという間に背を追い越したのに、頭の中身はそうはいかなかったのだろう。

 外見的には獣人の血よりも人間の要素のほうが濃いというのに、人間の賢しさはあまり表には出てきていない。

 見た目はほぼ獣人だというのに人間以上の知力を持つ友人とは正反対である。

 もちろん、それは個性とも言えるのだが。


「天気管はあくまで目安だ。雨の反応が出ても、曇りの時も少なくはない。

 そこまで気にすることもないだろう」

「そりゃ知ってますけど。何回も騙されてますけど!

 でもやっぱり天気がよくないとか言われるとやだなーとか思うじゃないですか」

「そういうものか」

「そういうものです」


 なるほど。少なくとも、辰砂はそう思うわけか。

 わかったところでどうにかなるわけでもないが。

 さすがに天気を操作するのは、不可能だ。


「ほら先生、ごはんが冷めてしまいます」

「あぁ、そうだったな」


 言われるがままに席に着く。

 中央に置かれたメインの皿では、蒸し焼きにされた魚が美味しそうに置かれていた。

 ミックスされたハーブの香りに頬を緩ませていると、手馴れた様子で切り分けられた身が手元の皿に置かれる。もちろん、一緒に蒸し焼きにされていた野菜も置かれる。

 ラディッシュにんじんじゃがいもカリフラワー。順番に並べたところで満足したらしい。いそいそと自分のところにも盛り付け始めた。

 わざわざ辰砂がやってくれなくても、自分でやるというのに。

 前にそう言ったが、自分の仕事だからと押し切られた。

 あの頃の辰砂は、まだ幼かった。

 十年も前なのだから当たり前か。

 辺境の地フォーリーモーリー。そのさらに人里から離れた家に転がり込んだ記憶喪失の少年は、いまや立派な青年として、料理の腕を上げている。

 感慨深く眺めていると、ふと、目が合った。


「……先生?」


 きょとんとした顔をして瞬きを二回。

 その表情は、昔とあまり変わっていないかもしれない。


「どうかしました?」

「いや。なんでもない」


 緩く頭を振ってフォークを握る。

 綺麗に盛り付けられた皿は繊細だ。どうにも、この大柄な青年が盛り付けたとは思えないほどに。

 あの大きな手は驚くほどにしなやかで、器用である。

 そして、料理の腕は恐ろしいほどに、成長した。

 ほろりとほぐれる魚を頬張るのを嬉しそうに見ているこの状況さえなければ、とても優秀な料理人と言えるだろう。

 やたらと反応を気にされるのは少々居心地が悪いが、幼い頃からなので今更だ。

 美味しい、と言う必要はない。

 どうやら乏しいと自覚している表情の変化を、辰砂はしっかりと読み取っているようである。

 下手すれば本人よりも理解しているかもしれない。なんとも器用なことだ。

 そんな辰砂は、どうやら観察も落ち着いたらしく自分の食事に入ったようで。

 大きな一口を放り込み、咀嚼し、飲み込んだところで、うん、と一つ頷いた。


「今度はさっぱりとしたソースでも用意しましょうか。レモンとトマト、どっちがいいですか?」

「どちらでも構わない。お前が作るのなら、どちらも美味しいだろう」


 これはこれで十分に美味しいと思うのだが。

 研究熱心だなぁなどと思いながら暢気に答えると、ぽかんとしか辰砂の表情。

 そしてそっと目を伏せ、掠れた声で呻いた。

 最近、こういう表情を見ることが増えた気がする。

 昔から褒められることに慣れていない傾向にあったが、顕著になった、気がする。

 ほんのり赤らんだ顔に少年の頃の姿が一瞬よぎった。

 あまり変わっていないものだなぁと微笑ましい。


「と、とりあえず今度考えてみます」

「ああ。楽しみにしている」


 はにかんだようにも見える表情に頷き、食事を再開する。

 そうして今日も、つつがなく日常は進んでいくのだ。

 果たしてそれがどれだけ幸福なことなのか。

 辰砂に教えてやるつもりは、今のところまったくない。

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