第一話 あまりに長い一時間
初投稿です。
小説を書いたのはこれが人生で初めてです。右も左も分からないまま書いたので、至らない点も多いと思います。アドバイスなどをいただけると有難いです。
私はタイピングが遅いので執筆作業はかなり時間がかかりました。続編の展開は頭に浮かんでいますがいかんせん疲れたので、少し休んでからちまちま書いていこうと思います(笑)
車窓から見える景色は今日も変わらない。この景色は毎日見ているので、次に何が見えるのかは見当がつく。にもかかわらず、流れゆく景色は何故か新鮮味があって飽きることはない。名作と呼ばれる映画は、何度見ても飽きないのと同じだろう。
僕は車窓から眺める景色が好きだ。いや、車窓というと少し語弊があるかもしれない。厳密にいえば僕は電車のドアにあるガラスから景色を眺めている。まあ、これも窓と呼べないことはないので、車窓に変わりはないと思うが。車窓と聞くと、どうしても座席の窓を連想してしまう。僕も出来れば座席から景色を眺めたいが、そうもいかない。なぜなら僕は今、満員電車に揺られているのだから。別に立ちながら景色を眺めることは苦ではないが、もう少しゆとりのある空間で観賞したいものである。
そんなことを考えながら僕、咲良裕太は通学時間を過ごしていた。
僕は現在大学二年である。電車通学は高校生の時から経験しているが、満員電車だけはどうにも慣れない。唯一の救いは通学時間が短いことか。現在の通学時間は約四十分だが、途中で始発の急行電車に乗り換えるため、満員電車に揺られるのは実質十分程度である。そこさえ乗り切れば後は仮眠時間だ。
いい加減満員電車に嫌気がさしてきた頃、ようやく電車が速度を落とし始めた。現在乗っている人の多くが次の駅で降りるため、車内が若干慌ただしくなる。フルマラソンのスタート前はこのような感じなのだろうか。実際に走ったことはないのでよくわからないが。
電車が止まり体に慣性の力を感じた刹那、ドアが開く。よーいドン。
ドアの前にいた僕は一番早く電車から抜け出すことができた。改札は下の階にあるので、他の人同様エスカレーターで下っていく。次の電車まで余裕があるので、前の人に倣い左側を開ける。しかし誰も左側を利用しなかったので、要らぬ気遣いをしたようで少し損した気分になった。
急行電車に乗るには、この駅を出て別の駅に行く必要がある。改札を出て、看板の矢印に従い出口に到達すると、正面に歩道橋の階段が見える。この歩道橋が駅に続いているのだ。この時間は多くの人が駅に吸い込まれ、あるいは駅から吐き出されてくる。そしてこの人々は決して交わることはない。当たり前だ。それぞれが左側通行をしているのだから。
線引きすらされていないのに、よくもまあ棲み分けができるものだと今更ながら感心する。この集団心理を世界情勢の棲み分けにも応用できないものか。いや無理だな。急に突拍子もない発想に至った事に、思わず失笑しそうになる。
馬鹿げた発想に自尊心をくすぐられた僕は、なんとなく自分が境界線になったつもりで中央を歩いてみ た。歩道橋の上という小さい世界が自分を中心に回っているような感覚になり、誰に勝った訳でもないのに優越感が生まれた。だがそのなけなしの優越感も突然の怒声に吹き飛ばされた。
「どこを見て歩いているんだ」
僕が独り善がりの優越感に浸っていることを看破されたかと思い狼狽してしまったが、どうもそうではないらしい。周りを見ると僕の左前に声の主を見つけた。そこには男と女が向かい合っていた。
状況から察するに、どうやら二人は衝突したことで言い争っているらしい。違う。男が女を一方的に非難している。男は髪こそ染めていないが、派手な服装や言動から何となく察した。所謂DQNというやつだ。何がそんなに気に障ったのか、男はスマホを持った右手を女に向けながらまくし立てている。一方で女は後ろ姿しか見えないが、白いストローハットが印象的だった。顔は見えないが、男性の高圧的な態度に萎縮してしまっていることは解った。まるで何が起こっているのかわからないといった感じで、ごめんなさいを連呼している。
喧嘩両成敗だとしても男のそれは明らかに度を越えている。恋愛小説であればここで二枚目の主人公が仲裁に入り、女との恋物語が始まるというのがお約束だが、残念ながらこれは現実だ。そんな主人公が登場しそうな気配は微塵も感じられない。現に、男の喧騒に足を止めていた人々も再び人の波にのまれていった。やはり誰も面倒ごとには首を突っ込みたくないのだろう。僕だってそうだ。
しかし、僕は再び足を進めることができなかった。その場を離れることにとてつもない罪悪感を覚えたからだ。理由は分かっている。状況を見れば男に非があるのは明らかだ。だが頭ではわかっているのに行動に移せない。
果たして僕はこの男を説得してこの場を治めることができるのだろうか。
無理だ。元々僕は自分の考えを語ることが苦手だ。それなのに、よりにもよって怒り狂う男の説得なんて…僕には無理だ。
そもそも僕には関係のないことじゃないか。そもそも僕がこの場を離れたところで、誰も僕を責めることなんて出来ない。僕には関係ない。関係のないことなんだ…
「あ、あの」
自分でも驚くほど小さい声で話しかけていた。だが血が上っている男の耳には入っていなかった。仲裁に入ったのにそれが当の本人に聞こえていないというのは割と恥ずかしい。しかしいくら一人で恥ずかしがっていても埒が明かないので、覚悟を決めもう一度呼びかける。
「あの」
今度は伝わった。
「なんだおまえ」
男の攻撃的な口調に怯みながらも、できる限り気丈にふるまう。
「も、もういんじゃないですか」
「なんだ、お前には関係ないだろ。邪魔するんじゃねえよ」
出来る限り下手にでて、事を穏便に済ませようとする僕の戦略は男に通用しなかった。まあ、ある程度予想はしていたが。最早、平和的解決は不可能に近い。こうなればやることはただ一つ。男を論破して強引に退けるしかない。正直あまり気は進まない。怒り狂う相手に正論を言う行為は、火に油を注ぐ事になりかねないからだ。しかし、他にこの場を治める手段がない以上やるしかない。虎穴に入らずんば虎子を得ずとはよく言ったものだ。
「あの、貴方は彼女と衝突したから怒っているんですよね」
「俺が歩いているところに、この女がぶつかってきやがったんだ」
「それは違うんじゃないですか」
「なんだ、お前偉そうに」
男の威嚇に屈せず、半ば自棄になりながら続ける。
「だって貴方、スマホを見ながら歩いていたでしょう」
「な、なにを言ってるんだ?おまえ」
男は虚を突かれたように動揺した。図星だ。自分の推理が正しいことを確信した僕は、少し声が大きくなる。
「貴方は怒声が聞こえた時からずっと、右手にスマホを持っています。つまり貴方はぶつかった瞬間、スマホを持っていたことになります。まさかスマホを取り出した後に怒鳴ったわけじゃないでしょう」
「なっ」
男に反論の機会を与えずに続ける。本当は怒声が聞こえた時、男の手まで注視していたわけではないのだが、そのことは伏せておこう。
「更に僕から見て貴方は今、中央より左側にいます。怒声が聞こえた時、貴方は僕と向かい合う様な位置にいました。恐らくあの駅から出てきたのでしょう。それならば貴方は、僕からみて右側を歩かなければならない。左側通行、知ってますよね」
自分の考えを一通り述べた後、結論に入る。男はもう反論する気概も無さそうだ。
「つまり、貴方はスマホを見ていたため前方不注意だったんです。彼女を糾弾する前に、自分の言動を見つめ直した方がいいんじゃないですか」
「くそっ」
男はバツが悪そうにスマホをしまった後、悪態をつきながらその場を去っていった。
「終わった」
不意に言葉が漏れた。
実はこの時、場を治めることができた安堵感よりも、自分が厄介事に首を突っ込んだことに対する驚きの方が強かった。今まで誰かを助けようと考えたことなどなかった。そしてこれからも無縁な事だと思っていた。それが初対面の赤の他人のために、よりにもよって悪漢から救うという形で。今回は運よく穏便に済んだが、相手が相手なら暴力沙汰になってもおかしくなかった。そんな危険に身を投じた事がいまだに信じられなかった。
「あ、あの」
暫く思考の海をさまよっていたが、彼女の呼びかけによって現実に引き戻された。そういえば男とのやり取りに苦心していたせいか、彼女の存在をすっかり忘れていた。
「あの、どうなったのでしょうか」
「ああ、男は去りました。もう大丈夫ですよ」
その言葉を伝えた時、僕は初めて彼女をしっかり見る機会を得た。彼女の服は白で統一されていた。白が好きなのだろうか。白いロングスカートからは、彼女の雰囲気とも相まって清楚さが感じられる。ストローハットを深く被っているため顔は見えないが、ストレートヘアとは相性がいい。決して派手な服装ではないが、まるで美術品でも見ているかのような不思議な魅力があった。しかし白で統一されたものの中に、一つだけ彼女に似つかわしくない物があった。彼女は右手に白い杖を持っていたのだ。
白い杖か。何か意味があったような気がするが失念してしまった。何だったかな。
再び現実から乖離しそうになったが、ふと彼女の言動を思い出しある推論に辿り着いた。
「もしかして、貴方目が見えないんですか」
「はい」
小さい声で呟くように答えた。
彼女は男から非難されていた時も、男が去った後も何が起こっているか解っていないようだった。僕はてっきり不測の事態に動揺していると思っていた。しかし、よく考えれば男がいなくなったことくらいは見ればわかる。彼女はそれができないのだ。現に、彼女は一度も僕に目を合わせていない。
因みに、白い杖の意味は全盲という単語が浮かんだ時に思い出した。たしか小学生の時、視覚障害者は歩行の際に白杖を使うことを習っていたはずだ。
「あの、ありがとうございました。それで、急行電車に乗りたいのですが」
電車…しまった、すっかり忘れていた。慌てて腕時計を見る。電車が来るまでもう五分もない。この電車に乗り遅れると、一限目の講義に間に合わなくなる。
「もう時間がありません。僕が誘導します」
「は、はい」
彼女の左手をつかみ走り出す。本当はトップギアで走りたいが、彼女の事を考慮しギアを下げて走る。大丈夫、まだ間に合うはずだ。もう歩道橋の境界線などどうでもよくなっていた。
ホームに着いた時には、既に電車が止まっていた。一息つく暇も無く電車に乗り込むと、まるで見計らったようにドアが閉まり電車が動き出した。始発とはいえ、既に座席は埋まっていた。とはいえ乗車率はさほど高くなさそうで、車内で立っているのは僕たちだけだった。もう少しくホームに着けば座席を確保できたのだが、それを言ったところで仕方がない。
「あの、今日は本当にありがとうございました」
「い、いえ。災難でしたね」
ここに来て、ようやくまともに会話ができた。
「私、篠田琴音といいます」
「シノダコトネさん、ですか」
篠田さんから自己紹介をされたため、僕も反射的に自分の名前を言う。
「あ、僕は咲良裕太です」
「咲良さんですね」
「あ、出来れば名前で呼んでもらえると嬉しいです」
僕は自分の苗字があまり好きではない。さくらという言葉からは、どうしても女性を連想されてしまうからだ。
「そうですか。では裕太さん。改めてありがとうございました」
いえいえ、と言いそうになったところで先ほど同じやり取りをしたことに気づき、慌てて話題を振る。
「それにしても、一人で電車に乗るのは大変じゃないですか」
「そうですね。あまり外出はしないのですが、やはり一人だと大変ですね」
彼女、もとい篠田さんは少しきまりが悪そうに笑った。そういえば彼女の顔を始めてみた気がする。まるで、目が見えていないと思えないほど整った顔立ちだった。ストローハットの所為で顔があまり見えないことが、少し残念に思えた。
「今日は出かけなければいけない用事があって。普段出かけるときは母がついてくれるのですが、今日は母にも予定があったので」
他愛もない会話をするうちに、先程までの緊張は次第に緩んでいった。会話がひと段落したところで到着のアナウンスが聞こえた。
「あの」
篠田さんが再び襟を正して話しかけてきた。どうやら次の駅で降りるみたいだ。
「裕太さん、今日は本当にありがとうございました。改めてお礼をしたいのですが、宜しければ電話番号を交換しませんか」
そう来たか。僕は今まで女性と電話番号を交換したことがなかったので、この王道的展開が唐突にやって来た気がして少し驚いた。まあ、特に断る理由もないので二つ返事で引き受けた。メールで電話番号を送ろうとも考えたが、考えてみれば彼女はメールを見ることができないので口頭で伝えた。
篠田さんの電話番号を登録した時、丁度駅に到着した。篠田さんを電車から降ろすと、彼女はこちらを向き、深くお辞儀をした。それを確認したかのように、電車は再び動き出した。
先の駅で降りた人の空座を素早く確保した。流石にこれから二十分立ちっぱなしは辛すぎる。
「疲れた」
腰を下ろした瞬間、そんな溜息にも似た言葉が漏れていた。今日は朝から様々な事がありすぎた。一時間がこんなに長く感じられたことは初めてだ。いったい誰が、今日僕が朝起きてから一時間ちょっとで女性の電話番号を入手できたことを予想できただろうか。僕自身ですら予想できなかったというのに。
一時限目の講義まで束の間の休息を得たが、とても仮眠を取る気は起きなかった。




