伊達政宗
時代は天正13年(1585年)の戦国、日の本の国と呼ばれる島国で、奥州(現在の東北)の伊達家の筆頭政宗の父親輝宗が隣国の畠山義継と宮森城にて会談中に拉致された。
当時18歳であった政宗は、17歳で父輝宗から家督を相続し、伊達家の当主として厳しい判断を迫られることとなったのである。
政宗は、鷹狩中に父輝宗が拉致された報告を受け、家臣である片倉小十郎景綱を引き連れ、少数の家臣らと共に馬を走らせ向かった。
畠山の二本松領との境目にある阿武隈川河畔の高田原で追いついた政宗は、畠山義継に羽交い締めにされ、首に脇差をあてられた輝宗に向かって叫んだ。
「父上!!」
輝宗は政宗に決意した視線を向けて叫んだ。
「政宗よ、儂と共に撃て!
ここでお前の意志を挫くのは本望ではない。
儂の命が御主の壁となるなら、儂もろとも撃ち壊せ! 」
義継は、政宗を睨み付け叫んだ。
「輝宗、その意気は良かろう。
さぁ、政宗よ。どうする!?」
「政宗よ、撃て!!」
政宗は、輝宗を鋭い左の隻眼の視線で射ぬき叫んだ。
「父上!許されよ!
鉄砲隊構え!照準畠山義継!撃てっー!!」
ダンッ!ダンッ!ダダダンッ!
義継は両目を血走らせ、政宗を睨み付け叫んだ。
「くっ、伊達の小倅よ、ならばその望み叶えてやるわ!
その命散らしてくれよう、輝宗!」
ザッシュッ!
ドサッ
輝宗はた折れ込み、その後動くことはなかった。
「父上!許さんぞ、義継!
撃て!撃ち壊せ!!」
ダンッ!ダダダンッ!
畠山の周囲に煙が立ち込め、何も見えなくなった。
暫くして、政宗の視界が晴れると政宗達を除いて立っているものはいなかった。
政宗は、輝宗のもとに駆け寄り、暫くその亡骸を抱きしめた。
家臣の誰もが政宗に声をかけることもできず、ただ立ち尽くすのだった。
政宗は、輝宗を寝かせ立ち上がると、小十郎に力強い視線を向けて言った。
「小十郎、父上と共に我が城米沢に退くぞ、帰って準備を整えたら二本松城を落とす!」
小十郎は政宗のもとに片膝を着き力強く言った。
「承知しました!」
政宗は小十郎を見据え頷くと、他の家臣らに向け言った。
「米沢城に退くぞ!次は二本松を落とす!
父上の弔いだっ!!」
「オーッ!!」
家臣らの力強い返事を受け、政宗は決意を新たにして米沢城へ出発した。