2.おせんべえ
2.おせんべえ
ピンポーン。
私の住むマンション。
私の住む階の一つ上の階。
ドアのチャイムを押す。少したって、翔ちゃんのおばちゃんの声がした。
『はい』
「奈緒ですけど」
『あらあ、いらっしゃい。ちょっと待ってね』
プツリとインターホンの音声が途切れる。
がちゃりとドアが開くと、そこには翔ちゃんが立っていた。
「よお」
「あ、よお。て、おばちゃんは?」
「なんか俺が出ろって」
これはおばちゃんなりに気を利かせたつもりなのだろう。
「あのね、親戚のおばちゃんが沢山おせんべえ送ってくれたから、おすそわけ。はい」
ずい、と手に持っていた大きな袋を差し出す。中には色々な種類のおせんべえ。
「あー、さんきゅ」
「うん、じゃ、これだけだから」
またね、と言おうとしたとき、中から「あがってもらいなさあい」っていうおばちゃんの声が聞こえた。
その声に、翔ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あー、もし良かったら上がってけよ。散らかってるけど」
「え、いいの?」
こくりと頷く翔ちゃん。
「じゃ、遠慮なく」
そのあとおばちゃんもエプロンで手を拭きながらやってきて、私を中に迎え入れてくれた。
廊下の突き当たりの部屋に通される。
かなり久しぶりに入る翔ちゃんの部屋。以前とあまり変わっていなくて、少しだけ嬉しかった。
「適当に座って」
「あ、うん」
本当に適当に、ベッドの上に座った。ぼふっと少しだけ情けない音がした。
「久しぶりだね、翔ちゃんの部屋入るの」
「そうか?」
「うん。中学生のとき以来だよ。二年ぶりくらい」
部屋の中を何気なく見回していると、おばちゃんがジュースとクッキーを持ってきてくれた。
夕飯も食べていかないかと聞かれたけれど、それはさすがに図々しいので断った。
少し残念そうに、おばちゃんはゆっくりしていってね、といって再びリビングの方へと戻っていった。
「ゲームでもするか?」
「どんなのがあんの?」
「アクションがほとんどだな。あ、でもぷよぷよならお前もできるだろ」
「あ、今ちょっと馬鹿にしたでしょ」
「わかった?」
「ひっどおい。ぷよぷよでいい。絶対勝つんだから」
確かにゲームは苦手だけど。結構得意なんだぞ、ぷよぷよ。
機械を出してきて、線をつなぐ。
さあ始めようとコントローラーを手にしたとき、翔ちゃんの携帯が鳴った。
翔ちゃんは断ってから電話に出る。
そういうちょっとしたところも、素敵だなあとか思ってしまう。
少し話してから、翔ちゃんは携帯を閉じた。
「わりい、ちょっと行かなきゃ駄目んなった」
「そっか。女の子?」
「ん、まあな。」
「モテる男もたいへんだねえ。じゃ、私帰るわ」
「ごめんな」
「全然いいって。気にしないでよ」
二人揃って部屋を出る。
おばちゃんに挨拶をしてから、靴を履き、マンションの廊下へ出た。
外は少しだけ冷えていた。もう、五月だというのに。
一つ階段を下りたところで翔ちゃんと別れる。
軽く手を振ってから再び下へと降りていく翔ちゃんの背中を、見えなくなってもしばらく見ていた。
翔ちゃんが今向かってるのは、誰のところなのだろう。
翔ちゃんが行かなきゃいけないって言ったとき、ほんとはすっごく寂しかった。
でも翔ちゃんはひつこい女は嫌いだから。引き止めることなんて、私はしない。
ちゃんと笑って。でも本当は泣いてしまうくらい辛かったり。
だからほら、今は近くの明かりさえ涙でぼやけちゃう。
もう。こんなんじゃ家に帰れないじゃん。
翔ちゃんの、ばか。