24 猛犬注意
清々しすぎるほど躊躇いなく猛ダッシュで走り去って行く桜子の背中を見送って、紅月はがっくりと肩を落とす。それなりに格好つけて桜子を守る気でいたのに、あのお転婆姫は、やっぱり大人しく守られてなんてくれない。敵の安い挑発に乗って、明らかに罠っぽいのに、それでもかまわず行ってしまった。
たとえどんな罠、どんな悪意が待ち受けていようとも、それでも迷いなくクロの元へ駆けつけたい、そういうことだろう。敵わねえな、と紅月は苦笑交じりに頭を掻く。
「やっぱ、俺に王子サマの真似事なんかできねえな。かっこわりぃ」
自嘲的に独りごち、小さく嘆息する。ことこうなっては、ここから先は桜子に任せるしかない。
「しゃあねえ、俺は四天王の下っ端相手で、我慢してやるかね」
「おいおい、お前の目は節穴かよ。俺のどの辺が下っ端だって? 言っとくけど、俺は雛魅や細波や宵音よりずっと強いぜ。四天王最強はこの俺だ」
「そうかい、そりゃ悪かったな。だけど残念だな、四天王って時点でお前の負けは決まってる。四天王は倒されるためだけに存在していると言っても過言じゃないからな」
「いやそれは過言だろ! 全国の四天王に懺悔しながら死ね!」
怒りを露わに吠えながら、弦巻は右手を高々と掲げる。その手の中に禍々しい妖気が収束していく。強い妖力の塊が渦巻いている。おそらくは、妖刀。
相手が武器を喚び出すのを律儀に待ってやる義理はない。紅月は妖刀・犬噛憑の引き金を絞った。妖力によって生成された弾丸が弦巻を狙う。
だが、少し遅かった。弦巻が右手を、その手の中に握られた得物を、振り下ろす。きん、と小さく金属音が響き、弾丸は弾き飛ばされる。紅月の攻撃を防いだ弦巻の武器の正体は、まるで死神が持つかのような大鎌だった。緩く弧を描く刃には、敵の首を弾き飛ばし命を狩り取ろうという凶悪な意図が感じられる。
「妖刀『風切刃』! ズッタズタの八つ裂きにしてやるぜ!!」
弦巻が威勢よく大鎌を振り下ろすと、鋭い風が吹き荒れた。まるで巨大な爪で引っかかれたかのように、床に三筋、大きな傷跡が刻まれていく。風の刃が軌跡を描きながら紅月に襲いかかった。
「鎌鼬か!」
刃に匹敵する苛烈な風。紅月は横合いに跳んでその攻撃の軌道から避ける。風の刃は後ろの壁まで大きく斬りつけて行った。その威力を観察し、これは当たったら痛そうだなー、と紅月は冷や冷やする。
――まあ、当たらなけりゃいいんだが。
弦巻はやたらと高いテンションで熱狂しながら、やたらめったらに鎌を振り下ろす。計算も戦略もあったものではない。とにかく四方八方にカマイタチを放ち、近寄ろうものなら切り刻もうとしている。攻撃は最大の防御、とはよくいったものだ。無策に突っ込めばカマイタチの餌食になる。
だが、紅月は相手に攻撃を通すために、わざわざ近づく必要がない。弦巻の攻撃を避けながら、紅月は隙を狙って銃弾を撃ち込めないかと、銃口は常に弦巻に照準していた。
「このカマイタチの中で、銃弾なんかが通るかよ!」
立て続けに、途切れることなく放たれる攻撃のせいで、紅月はひとところに留まることを許されず、あちこちに動いて避け続けることを強いられている。ゆっくり狙いを定める余裕はない。しかも、相手の攻撃が風というのも困った話だ。おかげでそこらじゅうに変な風が吹きまくっていて、弾丸はまっすぐに飛んでいきそうにない。
「こんな嵐の中で、お前に攻撃のチャンスなんか来ねえぜ!」
弦巻は余裕たっぷりに喚く。
「さて、どうだろうな」
状況は決して有利とはいえない。だが、紅月は割かし呑気に構えながら呟いた。
「確かに、少々鬱陶しい風の攻撃だ……だが」
風の刃が部屋中に傷をつけていく。それを尻目に、紅月は弦巻を、冷めた目で見ていた。
速くて鋭い攻撃だ。だが――クロほどではない。
「あいつの方がもっと速くて鋭くて、腹黒くで厄介者だ」
大して速くないなら、立ち止まって銃口を定める余裕はある。それはほんの一瞬かもしれない。だが、一瞬あれば、紅月にとって、厄介な気流の隙間を縫って敵に銃弾をぶち込むくらいは、苦ではない。
「騒がしいクソガキに噛みつけ――犬噛憑」
神経を研ぎ澄ませる。風の流れを読み切って、相手の攻撃を読み切る。そして、引き金を引く。
鉛の弾丸が空気を螺旋に切り裂きながら突き進む。この風の猛攻の中で当たるはずがない――そう高をくくっている弦巻の肩口に、狙い過たず命中する。
「なッ……!!」
驚愕、そして鋭い痛みに顔を歪め、弦巻は大鎌を取り落す。カマイタチの猛攻が止んだ隙を逃さず、紅月は続けざまに三発の弾丸を撃ち込み、弦巻の残りの腕と両脚を潰す。
ぐらりとよろめく弦巻に、紅月は強い踏み込みで肉薄していく。懐に飛び込むや否や、狼狽する弦巻の顎を蹴り上げた。急所の一つである場所を容赦なく跳ね上げれば、弦巻は後ろに仰け反り、頭から倒れる。そのままぴくりとも動かなくなったところを見ると、脳震盪を起こして意識を失ったことは疑いようがなかった。
それを冷めた目で見下ろしていた紅月は、ふと思い出したように腕時計で時間を確認し、満足げに頷いた。
「ふむ、宣言通り三分で片づけたな。さすが、俺」
などと自画自賛。
「さーて、じゃ、とっとと猪突猛進驀進中のお転婆嬢を追いかけるかね」
そう独りごち、先へと足を踏み出しかける。だが、前方に人影を認めて踏みとどまった。
「……ちっ、次から次へと。まさか俺だけ二人目を相手しろってんじゃねえだろうな」
苛立たしげに呟くと、行く手を塞ぐように待ち構えていた女――宵音は不気味に唇を歪めて笑った。しかし目は笑っていない。左目には殺意が揺らめいているし、右目には眼帯である。その眼帯の下にあるらしい傷については、記憶を読み取ったという桜子から聞いていた。紅月は挑発のつもりで、厭味ったらしく言ってやる。
「その目はクロにやられたらしいな。死にぞこないみたいなアホ猫なんぞに反撃されるとは、とんだ間抜けもいたもんだ」
「彼にやられたわけではありません。原因は彼にありますが、抉ったのは自分自身です。よもや呪いを返されるとは思いませんでした」
「結局自分で蒔いた種って話だな。それでクロを恨むのはお門違いって奴だぜ?」
「別に恨んではいません。のた打ち回った挙句醜く死に晒せと思ってるだけです」
「それを恨んでるって言うんじゃねえか」
涼しい顔をして意外と過激なことを考えている宵音に、紅月はひっそりと嘆息する。
わざわざ姿を現したということは、宵音は戦う気満々ということなのだろう。紅月は内心で舌打ちする。宵音に対して、そしてついでに、この場にはいないクロに対して。
「クロの奴め、半端な仕事しやがって。どうせなら再起不能になるまで叩き潰しておけっての」
絶賛呪われ中の被害者に対して無茶な注文である。
「使い古された台詞ですが、一応言っておきましょう。ここを通りたければ、私を倒してから行ってください」
「得意の呪術で、俺も手駒にするつもりか? 俺はクロほど豆腐なメンタルはしてないから、大人しく操られてやるつもりはないぜ」
「ご期待に添えないようで申し訳ありませんが、あの忌まわしい猫のせいで、今の私に『憑蛇』を操る力はありません。ですが、呪術だけが取り柄ではありませんから、それなりにあなたを楽しませて差し上げます」
宵音は徐に、己の長い髪を一房手に取る。そして、懐から取り出したナイフで髪を切り取った。あまりにも無造作に、迷いなく思い切り、短く切った髪をばさりと宙に放り出す。
ばらばらと散っていく髪が、うぞうぞと蠢き出す。細い毛の一本一本が体積を増し、表面をぬらぬらと艶めかせ始める。そして、ぼとりと音を立てて質量のあるそれが地面に落ちると、体をくねらせながら一斉に前進を始める。
「うげっ……!」
それは蛇の大群だった。宵音の髪がもれなく蛇に化けたのだ。途端に床に溢れかえる無数の蛇、その光景は、さすがの紅月でもぞっとする。蛇を見ただけで悲鳴を上げる婦女子のような可愛らしい神経はしていないものの、床を埋め尽くす勢いの蛇の大群を目の当たりにしては、顔も引き攣る。身の毛もよだつとはこのことだ。
「さあ、私の可愛い子たち、お行きなさい!」
這い寄る蛇に、紅月は舌打ち交じりに銃口を向ける。銃口をとにかく引きまくる。外しはしない。撃てば必ず急所を貫き沈黙させる。だが、いかんせん数が多すぎる。いくら早撃ちしたところで、一丁の銃で捌ききれる数でないことは一目瞭然だった。
トリガーを引き続けながら、紅月は後退る。片端から撃ちまくるが、十匹撃って黙らせている間に一匹が確実に距離を詰めてきている。
「この……くそったれ共がッ!」
苛立たしげに吠え、紅月は妖刀を仕舞う。その代わりに右手を突き出し、それを左手で支える。右手の甲に、紅色の文様が浮かび上がり光を放つ。
「遍く敵を屠る走狗は、その左手を引鉄と為し、その右手を砲台と為す!」
右手に妖気が渦巻き、一つの巨大な弾丸の如くに収縮する。
「消し飛べ!」
その言葉が合図となり、妖力の塊は砲撃となって放たれる。床に鬱陶しく蠢く蛇共に向かって、消し炭一つ残すまいと掃射される。
耳を刺す轟音と、荒ぶる爆風。妖刀である拳銃が可愛らしく見えてくるほどの、文字通り体を張った砲撃。見境のなさではどこぞの黒猫の必殺技と似たかよったかの、一撃必殺の破壊光線と言える。
突き出した腕が微かに痺れて、紅月は眉を寄せる。いつだったか、共闘したときにクロが、ちまちまと拳銃を使って攻撃する紅月に対して「豆鉄砲でチクチクやってないで気合入れて撃てよ」などと言っていたが、紅月からしてみれば「勝手なこと言うな」というものだ。そう簡単にほいほい撃てるようなら苦労はない。
一発撃っただけでこのざまだ――紅月は自嘲気味に呟く。妖力は有り余っていても、紅月の体はそれに耐えられるほど頑丈ではない。耐えられる程度に出力を押さえるのが一番なのだが、そういった器用な真似ができないからこそ、紅月は銃という妖刀を使うのだ。
砲撃の妖術は諸刃の剣――だが、それを使うだけの甲斐はあったはずだ。気味の悪い蛇どもは、綺麗さっぱり消し飛ばしてやった。
しかし、それだけでは終わらなかった。
砲撃の煽りで荒ぶる風を飛び越え、スカートの裾を翻し、宵音が跳躍してきた。
宵音は紅月の頭上を取る。紅月の砲撃をかわした上で、大技の隙をついて飛び出してきた宵音の行動は迅速だった。
だが、上を取られた程度では焦らない。紅月は冷静に、再びその手に拳銃を喚び出し、照準する。滞空中では避けようもあるまいと、しっかりと狙いを定める。
宵音は銃口を向けられても、焦るどころか笑みを深くした。そして、右手のナイフを握りなおす。そこからナイフを投擲するのか、と警戒する。だが、宵音は予想に反して、ナイフをしっかり握ったまま振り上げ。
――己の腕を切り裂いた。




