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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
93/104

22 助っ人参上

 戦場にはおよそ不似合いな穏やかな表情をして、空湖がそこにいた。予想外の闖入者に、葵は呆然とする。

「化け狐の、空湖? どうして……」

「遅くなってしまったことをお詫びします、葵さん。桜子さんの窮状を聞いて野牙里の郷へ赴き、そこでみなさんがこの洞窟にいると、丙さんから聞きました」

「助けに来てくださったのですか」

「無論です」

 空湖は力強く答える。

「桜子さんにはご恩があります。それに、今回の敵は、私たち狐にとっても、決して無関係の相手とも言えないようですし」

 狐たちの隠れ里・久霧の郷は、宵音によって襲撃を受けた。郷の狐たちは操られ、仲間同士で戦うことを強いられて、郷は壊滅の危機に陥った。そのことを、空湖は当然、まだ赦してはいないのだ。

 突如乱入してきた相手が空湖だと解ると、雛魅は嘲笑を深くした。

「ふふ、誰かと思えば、久霧の郷の間抜けな狐さんではありませんか。話は聞いていますよ。果林如きに後れを取ったような狐が、私の相手をするとおっしゃるのかしら?」

「空湖、彼女の強さは本物ですわ」

「あなたが苦戦するくらいなのですから、そうなのでしょう。ですが、先程彼女が言っていた不死というのは、彼女の嘘だと思いますよ」

「ですが……実際彼女は、何度攻撃しても傷を再生して立ち上がってくるのです」

「治癒力が優れていることは確かでしょう。ですが、生きている限り不死などありえない話ですし、そのような強力な治癒術が無限に使えるなどという都合のいい話もまた、ありえません」

 空湖は断言する。だが、空湖は彼女の強さを目の当たりにしていないからそんなことが言えるのではないか、と葵は思う。

 そんな葵の弱気を見通すように、空湖は言う。

「どうか惑わされないでください。おそらくは、彼女は派手なパフォーマンスで不死という大言壮語をあなたに信じ込ませ、何をやっても無駄だと思わせ、あなたの心を折ろうとしているのですよ。心の弱みに付け込んで巧みに唆す……私の仲間も、その手に乗せられたのです」

 葵ははっとする。空湖が言った仲間というのは、朽葉たち一味に唆され利用された、果林のことだろう。そういう手段を敵が取るのだと知っているから、空湖は冷静に、雛魅の言葉をはったりだと言い切れるのだろう。

 そして、心の弱みに付け込むという手管は、葵も知らないわけではない。桜子が朽葉によって、まさしくそのような手で付け入られ、呪いをかけられたのだ。朽葉の仲間である雛魅もまた、朽葉と同じように、言葉で相手を惑わす手腕に長けているとしてもおかしくはない。

「私としたことが……つまらない嘘にのせられてしまったようですね」

「あなたの猛攻を受けてなんのダメージもないはずがありません。再生にはそれなりの力を使うでしょうし、痛みだってあるはずです。それを、平気なふりをして、あなたの体より先に心を折る、それが彼女のやり方なのでしょう」

 そうだ、実際には、不死などありえない。最初に葵が彼女の体に蹴りを入れた時、雛魅は確かに苦しがっていた。痛みがないわけではない。いくら圧倒的な治癒力を持っていたとしても、傷を負えば痛い。痛くて平気なわけがないのだ。

 そうと解ってしまえば、葵の心は、雛魅の言葉に凍えたりなどはしない。

 葵が余裕を取り戻していくのとは逆に、雛魅の表情からは余裕が消え、不機嫌さが募り始めていた。

「後からのこのこやってきた狐ごときが、したり顔で邪魔をしてくれるのははなはだ不愉快ですね。二人まとめて、氷漬けになっておしまいなさい!」

 激昂し、雛魅は強烈な吹雪を放つ。

「空湖。私に力を貸してください」

「言われるまでもありません」

 葵は己の左手を空湖の右手とつないで、前に突き出す。二人の妖力が合わさり、強力な炎が生み出されていく。赤の炎と青の炎がうねり、絡み合い、激しく燃え盛りながら膨れ上がる。

「『双炎乱舞』!」

 二人の声が重なって、二つの炎が放たれる。雛魅の冷気を容易く打消し、雛魅に襲いかかる。炎に呑みこまれながらも、雛魅は微笑もうとしていた。だが、やがてその表情が引き攣り、禍々しい熱に焼かれて悲鳴を上げる。

「熱い……! いえ、こんな、こんな程度で、私は……ううっ……!」

 悲痛な叫びを上げながら、雛魅は必死で冷気を放ち、炎が止むまで耐えようとする。

 やがて、炎はその勢いを緩め鎮まって行く。

 黒焦げになった部屋の真ん中で、雛魅は息を切らし、ふらつきながら、しかし倒れまいと踏みとどまっていた。肌が焼け焦げ、服はぼろぼろになっている。だが、決して負けを認めまいと、その瞳には闘志を燃やし続けている。

「無駄です……こんな程度の火傷、すぐに治ります。私の体は氷……何度でも再生を……」

 雛魅は歪んだ笑みを浮かべている。だが、その姿を見れば、空湖の言葉が正しかったことが解る。不死も、無限の再生もありえないのだ。雛魅がさっきまで饒舌に己の強さを誇示しようとしていたのは、己の限界を悟らせまいとしてのことだったのだろう。実際は、もうこんなにもぼろぼろで、容易に傷の再生ができなくなっている。

 こうなれば、あとは炎で押し切れる。もう彼女に後れを取りはしない。

「随分と、余裕な顔をしてらっしゃいますわね……? 助っ人が来て安心しているのですか? まだ戦いは終わっていないのですよ……!」

「その体でまだ戦うというのですか? これ以上は無意味です」

「甘いことを言わないでください! どちらかが死ぬまで戦い続ける、それが本当の戦いというものでしょう!」

 雛魅は血走った目で葵を睨みつけながら、右手に氷の刃を現す。

「……虫の息の相手を甚振る趣味はないのですが、そちらがその気ならば、致し方ありませんね」

 微かに苦いものを感じながらも、葵は未だ戦意を失わない雛魅を迎え撃たんと構える。それを、空湖がそっと制した。

「空湖……?」

「敵に情けをかけるつもりはありませんが、お互い限界のようですし、これ以上泥臭い戦いを続けても仕方がないでしょう。彼女は、私が大人しくさせます」

 どうやって、と葵が問うより先に、突然、雛魅が金切り声を上げた。

 見ると、驚愕に目を見開き、雛魅が暴れている。

「いや! なに、これは何なの、離れなさい、近づかないでッ!」

 叫びながら、雛魅は両手を振り回し、何かを追い払おうとしているようだった。しかし、彼女の周りには何もない。彼女だけに、正体不明の敵が見えているようだ。葵には見えない何かと、雛魅は必死で戦っていた。

 彼女の顔は恐怖で引きつっている。それほどまでに恐ろしいものが、彼女の目には映っている。

「いやぁ、痛い、痛いです、朽葉様、助けてっ……あああっ!」

 やがて掠れた悲鳴を上げた雛魅が、不意に動きを止める。やがて糸が切れたように倒れ、ぷつりと意識を失ってしまった。

 相手が沈黙したのを見届けると、葵はぺたりと床に跪く。

「……今のは、何だったのです?」

 間違いなく何かをやったのだろう空湖に問いかけるが、彼は穏やかな顔で空とぼける。

「さあ。疲弊したせいで錯乱して、ありもしない幻でも見たのかもしれませんね」

 さすが化け狐、綺麗な顔をしてその実随分なキツネだな、と葵は肩を竦めた。

 そのありもしない幻とやらは、空湖が見せたものに違いない。彼は雛魅を化かしたのだ。大方、雛魅は何か恐ろしい異形の者に食い殺される幻覚でも見たのだろう。もしかしたら、精巧な幻は痛みさえも感じさせたのかもしれない。

 久霧の郷での一件で、果林と戦ったという彼だが、その時は爪を隠していたらしい。本気を出した彼は、空恐ろしい。

「まったく……彼女くらい、一人で倒そうと思いましたのに、結局助けられてしまうなんて、忍に偉そうなことは言えませんわ」

「よいではありませんか。誰も、一人で戦う必要などないのですから」

「そう……そう、なのでしょうね」

 葵は桜子のことを思う。

 一人で戦う必要などない。彼女の周りには、彼女を支えたいと願う仲間がいるのだ。

 そしてそれは、桜子に限った話ではなかったらしい、と葵は噛みしめる。

 それにしても、予想外に消耗してしまったようだ。がくがくと膝が笑う。

「困りましたわ……冗談のつもりでしたのに、本当に、少し休まないと立てそうにありません」

 本当なら、今すぐ先に行って、桜子たちの手助けをしたいのに。

 歯がゆさに溜息をつくと、空湖は「大丈夫ですよ」と微笑んだ。

「あなたもご存じの通り、桜子さんを助けたいと思っている妖は多いですから。この先のことは、任せておいて、あなたは体を休めてください」

 にっこりとそう言われてしまうと、本当に大丈夫だという気がする。

 もしかして、他にも誰かが?

 葵の無言の問いに、空湖は優しく笑った。


★★★


 ばしゃばしゃと派手に飛沫を上げながら走り回る。立ち止まればすぐさま攻撃がやってくる、止まってはならない。だが、走り続けても、水のせいで機動力の落ちた忍では、すべての攻撃をかわすのは困難だった。

 水の矢が切れ目なく降り注ぐ。逃げる忍を追いかけて放たれる水の矢は、思った以上に凶悪で、ほんのわずかに掠るだけでも傷を負わされる。紙一重で矢を避け続けていた忍だが、水を吸って重くなった服が絡みつき、脚を動かすたびに水がまとわりつき、一歩一歩が酷く遅くなる。やがて避けきれなくなったところで立ち止まり、舌打ち交じりに金棒を振るって矢を叩き落す。

 そうして忍が動きを止めるのを狙い澄まして、水中に潜む敵が動き出す。

 上から流れ落ちる水はもう止まってはいるが、部屋に貯まった水は既に忍の腰まで到達している。この中を歩くのは至難だ。それは敵も同じはずだ。

 だが、水を操る細波は、自身が動かずともそこらじゅうにある水を使って攻撃を仕掛けてくることができる。妖術が使えるとはいってもほとんど近接戦闘専門で、敵に近づかなければどうしようもない忍はこの時点でかなり不利と言える。

 加えて敵は、歩くことすら困難なこのフィールドを、自由自在に泳ぎ回っているのだ。

 水を操ることから察するに、相手の正体は水妖の類だ。ならば、泳ぎが得意でも不思議ではない。

 細波は水の矢を放ち絶えず攻撃を仕掛けながら、自分は深い水の中に身を隠してしまっている。すぐ足元くらいなら水底まで見通すことができなくもないが、部屋はプールほども広い。距離を取られて水の中に潜られてしまえば、どこにいるのか姿を見つけることは難しい。

 そうして忍が細波を見失ってしまう頃、細波の方は忍にしっかりと狙いを定めている。

 立ち止まり、あたりを警戒し奇襲に備える忍。それを嘲笑するように、彼の死角から細波は水上に飛び出した。直前までは息を殺して潜みながら、突然飛び出してきては水面すれすれを猛スピードで滑空する、その様は水妖というよりトビウオのようだ。

 細波は右手に水の剣を手にしていた。高圧の水流は鋼鉄すらも容易く切り裂くという。それを振りかざす細波が後ろから飛び出してきたのに間一髪で気づいた忍は、反射的に身を捻って躱そうとする。だが、やはり動きが鈍い。避け損ねた忍の肩口を、水の剣が抉って行った。

「ぐっ……この!」

 忍は金棒を振り下ろす。だが、それが直撃する前に、細波はすぐさま水に潜って身を隠してしまう。鋼鉄の塊は虚しく水面を叩いて飛沫を飛び散らせるだけだった。

「クソ水妖が……よくもまあ、真冬に寒中水泳なんざやってられるな!」

 悪態をつきつつ、忍は次なる襲撃にそなえて意識を研ぎ澄ませる。だが、ずきずきと断続的に襲ってくる傷の痛み、水のせいで冷え切った体では、集中しようにもできないというものだ。

 だいたい忍は、基本的に真っ向からやってきてくれるような馬鹿正直で素直な敵を力づくで押し潰すことを得意とする、超短絡的な戦法を好むのだ。普通だったら、そんな作戦もへったくれもないアバウトな方法で上手くいくはずもないのだが、圧倒的なパワーとタフさで、大雑把な戦法を強引に可能にしているわけだ。

 そういうわけだから、こそこそ隠れて隙を窺うとか、死角からの奇襲とかは、するのもされるのも苦手なのである。こんなことなら、葵に大人しく妖術と戦術くらいはきっちり教わっておけばよかったと、後悔しないでもない。

「ちくしょう、いちいち隠れやがって、まだるっこしい奴だな」

 正面からやり合えば、あんなひょろっちい優男に負けはしないのに、と歯噛みする。

『――この超絶単細胞な野蛮人め。健全にスポーツ大会やってるわけじゃないんだから、敵が正面からやってこないのは当たり前だろうが』

 突然、そんな声が聞こえて忍は目を剥いた。

 水で満ちた密室には、水中に潜む細波と自分自身しかいないはずだ。だが、今確かに、自分でも細波でもない誰かの声が聞こえた。

 いったいどこから、と視線を巡らせる。するとまたしても、

『どこを見てるんだ、節穴野郎。ここだ』

 と、やけに口の悪い女の声がした。

 よくよく見てみると、目の前にそれはいた。

 宙に浮かぶ――眼球である。

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