21 鬼たちの戦い
スーツを着こなし、銀縁眼鏡をかける男は、真面目という言葉がよく似合う。間違っても戦闘要員には見えない風体だが、この場所にいるということは、敵には違いない。最近の悪の秘密結社は服装に厳しいのかもしれない、と忍は適当なことを考える。
「あんたが俺の相手をしてくれるのかい、優男」
「細波です。どうぞよろしく」
「悪いが、のんびりよろしくやってやるつもりはねえぜ。さっさと追いつかないと姫さんにどやされそうだからな」
「奇遇ですね。実は僕も急いでいます。九時から人魚アイドル真珠ちゃんの水上ナイトショーを見に行く予定なんです」
「まさかのドルオタ?」
「時間外手当も危険手当も出ないサービス残業など、早々に片付けるべきです」
「そんじゃまあ、お互い急いでることだし、とっとと始めるか」
忍は右手に妖刀・鬼薙丸を呼び出す。刀とは名ばかりで、実際は超重量級武器の金棒である。
人間は勿論のこと、生半可な妖怪では持ち上げることもできないほど重い得物を、しかし忍は持ち前の怪力で軽々と持ち上げ、そんな重い物を持っているとは思えないほど俊敏に駆ける。
気障ったらしく眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げると、細波はまっすぐに忍を指さす。細波の周りに水塊が浮かび上がり、初めは球体だったそれが鏃のように尖り出す。
「『水ノ矢』」
びゅん、と高速で放たれた矢は正確に忍の急所を狙う。だが、それは裏を返せば、急所さえ守れば事足りるということだ。正確過ぎる狙いが仇になっているようだと冷静に分析しながら、忍は金棒を盾代わりに前に出して水の術を防ぐ。そして足を止めることなく敵に肉薄すると、凶悪な得物を片手で振り下ろした。
床に激突した金棒が耳障りな轟音を響かせる。そこに忍の舌打ちが重なった。細波はその強烈な一撃に顔色一つ変えることなく、跳躍で攻撃を避けていた。そうして忍の頭上の位置を取った上で、上から撃ち下ろす水の矢。
頭部を狙う幾本もの矢を、忍は煩わしげに金棒を一振りしてすべて打ち払う。そして、巨大な錘を抱えているとは思えないくらい身軽に跳躍し、細波の眼前に迫る。
普段は片手で振り回す得物を両手でしっかりと持ち直す。片手よりも両手の方が力が出るのは言うまでもないことだ。忍は全力で妖刀・鬼薙丸を振り下ろした。
細波の体が弾き飛ばされ、床に激突する。その手ごたえを分析し、忍は再び忌々しげな舌打ちをしながら着地する。
攻撃は通った。だが、完全ではない。その証拠に、撃墜したはずの細波は涼しい顔で、ずれた眼鏡を直しながら立ち上がった。
「成程、なかなかの怪力ですね。ですが、そういう馬鹿力をいなすのは得意ですよ」
そう嘯く細波を、忍は不愉快そうに凝視する。割と本気の攻撃だったが、堪えたふうではない。その理由が解ったのだ。
細波の体を守ったのは、彼の前に円盤状に広がっている水の盾だ。忍の攻撃は水に阻まれ衝撃を吸収されてしまったようだ。一応、水の盾ごと細波を吹き飛ばすことはしたが、おそらくは床に激突する前に生み出した水の盾で自分の身を受け止めることで、その衝撃も殺されてしまったのだろう。
水の盾はなかなか厄介なようだ。
だが、もともと難しいことを考えるのはさして得意ではない忍だ。厄介だな、とは思いつつも、まあ力でゴリ押しすればなんとかなるだろう、と適当にしか考えなかったし、だいいち忍には力で押す以外の取柄がないのである。一応、妖術が使えないわけではないが、葵に比べればずっと劣る。葵に「怪力馬鹿」と揶揄される所以がここにある。
幸い、敵の防御は厄介そうだが、攻撃自体はたいしたことはない。充分に渡り合える相手だと判断する。
そんな考えを見透かすように、細波がうっすらと笑う。
「たいしたことのない相手だと思っていますか?」
「よく解ったな。自覚があるからか」
「敵の力量を正確に測れないことは、弱者にはよくあることですからいちいち目くじらは立てませんが。その見込みの甘さは、己の死を以て償っていただきましょう」
細波は懐から小さな機械を取り出す。掌サイズの箱型のそれには赤いスイッチがついている。細波がかちりとスイッチを押し込むと、部屋の天井近くの壁のあたりで、何やら低く這うような音が鳴り始めた。
その部分はスイッチで開閉する扉のようになっていたらしく、機械仕掛けでゆっくりと扉が開くと、その奥から怒涛の勢いで水が流れ出してきた。
瀑布の如く流れ落ちる大量の水は、封鎖された部屋の中に溜まっていく。出入口を閉ざされた堅牢な密室で、現れた敵が水の妖術を使う妖怪だと解った時点で、薄々予想をしていたことではあったが――
「……まさか本当に水責め食らうとは思わなかったぜ。このまま溺死させようって腹か?」
「さあ、どうでしょうね」
部屋が完全に水で満たされてしまえば、そうなってしまうだろう。妖怪だって、人間と同じように息をしなければ死ぬのだから。だが、細波自身もこの密室にいる以上、彼まで巻き添えで溺死するようなことにはならないはずだ。ということは、少なくともこの部屋が水でいっぱいになるということはないだろう。
しかし、息ができればそれでいい、というわけでもない。部屋に溜まり始めた水はぐんぐんと水位を上げて、今や忍の膝までを浸している。動きが鈍らせられることは言うまでもない。
「水のある場所では、あなたも今までのように素早く走ることはできないでしょう」
「それはそっちも同じじゃないのか」
「確かにそうですね」
細波はあっさりと認める。だが、それがすなわち、忍と同様に動きが制限される、という意味ではないだろう。水を操る妖怪であるからには、水で満ちた空間は、おそらく彼にとって断然有利なフィールドということになるはずだ。
「水の中で上手く動けないのはお互い同じ。ですが、僕の場合は動く必要などありません。ここにある水全てが僕の武器なのですからね」
すっと手を挙げると、それに呼応するように、水の柱が高々と上がる。激しく渦を巻く柱はやがて鎌首をもたげ、龍の如くに忍に突っ込んできた。
咄嗟に金棒を横向きに構え、突撃してくる水龍の頭を受け止める。だが、水の圧倒的な質量、圧力が暴力となって襲いかかり、忍の体をじりじりと押す。なんとか踏みとどまろうとするものの、抵抗はあっさりと崩されて押し飛ばされる。
龍に食らいつかれた体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。そこに追い打ちをかけるように水の奔流が攻め寄せ、忍を押し潰そうとする。
水が弾けて、部屋を浸す水と一体になると、水面が激しく波立った。小さく咽ながら、ずぶ濡れになった忍は、顔に張り付いた前髪をかきあげる。その様を見て、細波は少々不機嫌そうに眉を寄せた。この一撃で決めたかったのかもしれない。だが、生憎忍は、鬼ゆえに無駄にタフだ。
「圧死させるつもりなら水が足りねえんじゃねえか?」
「……成程、鬼の肉体は思った以上に強靭なようですね」
「そういうこった」
「では、手加減は抜きで行きましょう」
細波の周りには水の龍が現れ、さらに水の矢が無数に浮かび上がる。武器はいくらでも、尽きることなく存在するというわけだ。
「いつまで虚勢を張っていられるか、見ものですね」
真面目くさった顔の中に、ほんの少し、勝ち誇ったような笑みを混ぜて、細波は攻撃を放った。
★★★
呼吸が乱れていることを相手に悟らせてはいけない。葵はつとめて平静を保とうとする。
だが、やはり焦燥してしまうのはなかなか押しとどめられるものでもない。
雛魅は彼女自身がそう宣言した通り、焼こうが炙ろうが、殴ろうが蹴ろうが、平然と立ち上がってくる。明らかに骨が折れた音がして、確かに手ごたえがあったのに、数秒の後には何事もなかったかのように悠然と微笑んでくる。
氷でできた、不死の肉体。本当にそんなことがありえるのか。最初はただのはったりだと思っていた。だが、雛魅は実際、葵に言葉通りの姿を見せつけてくる。もしも本当だとしたら――
何度も再生する雛魅とは違って、葵の傷はそう簡単には癒えないし、体に纏った炎の衣を生み出す源の妖力も無限ではない。持久戦になるほど葵は不利になる。
「どうしました? もうおしまいですか?」
くすくすと笑いながら雛魅は問う。厭味ったらしい台詞に苛立ちながら、葵は呪文を紡ぐ。
「眼下の大地を焼き払え、ものみなすべて灰燼に帰せ、地獄の業火よ、我に従え」
赤黒く燃え盛る灼熱の炎の塊が葵の手の中で膨らんだ。巨大に膨れ上がり、今にも弾け飛びそうなそれを、叩きつけるように放つ。雛魅はもはや、それを避けようともしない。甘んじて受け止めてみせる。
ぶつかると同時に炎は炸裂し、雛魅だけではなく、周りにも大きく広がっていく。その有様はまさしく地獄の業火だ。だが、雛魅は地獄の中でも微笑みを絶やさない。
「炎で炙られる地獄など生温いですわ。真の地獄とは、嘆きに塗れて氷漬けになることだとは思いませんか?」
ぴきぴきと凍り付いていく音に、葵は目を瞠る。足元にいつの間にか忍び寄っていた氷。炎を纏った葵を、しかし炎ごと氷漬けにしようとしていた。妖術を使いすぎて弱まってきた葵を、ここで力づくで押し込めようとしているのだ。
葵はすぐさま、纏う炎の火力を上げる。それで一時的に冷気を押しのけることができたが、しかし、相変わらず葵の周りの床は凍り付いていて、油断しようものならすぐにでも葵を氷の底に閉じ込めようと、虎視眈々と隙を狙っているのが解った。
雛魅の「不死」を破る術は見つかっていない。このまま徒に妖術を使えば、こちらが一方的に消耗するだけだ。だが、そうと解ってはいても、一瞬でも炎を緩めればたちまち雛魅の冷気の襲撃がくる。
ぎりっと歯噛みする。葵が悔しげに表情を歪めるほど、雛魅は優越感に満ちた笑みを返してくる。
「うふふ、どうやら万策尽きたようですね。では、そろそろ終わりにするとしましょう」
氷の礫が浮遊し、葵に狙いを定め、飛びかかる。ともかくこれを防がなければと、葵は炎の盾を生み出す。だが、消耗した葵の炎では、雛魅の氷の弾丸を溶かしきることができなかった。
「しまっ……」
鋭く研ぎ澄まされた氷が炎の壁を突破して葵に襲いかかる。
その時、葵を庇うように、新たな炎の壁が立ち上がった。
「!」
それは葵の炎ではない。赤々と煌く赤鬼の火炎ではない。静かに燃え上がり、冷え冷えとした怜悧な殺意を秘めつつも、触れればたちまち身を焼く熾烈な、青い炎だ。
静寂と苛烈を併せ持つ不思議な炎熱に、葵は目を瞠った。
「まだ奥の手を隠し持っていたようですね。ですが、何をしようと、不死である私には、意味のないことですよ」
雛魅は冷笑交じりに言う。それに応えたのは、葵ではなかった。
「不死、とは、なかなか面白い大言壮語ですが、所詮は儚い夢物語、触れれば崩れる幻でしかありません」
静かに告げるその声に覚えがあり、葵ははっと振り返る。
「どうして、あなたが……?」
驚愕に満ちた問いかけに、彼は薄く微笑んだ。
「桜子さんが戦いに赴いたと聞きまして。遅くなりましたが、助太刀に参りました」
すらりとした長身に、長い髪と中性的な顔立ち。一度見たら忘れない顔だ。
久霧の郷に住まう化け狐、空湖が立っていた。




