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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
91/104

20 後は任せた

 丙から授かった腕輪には「かえんほーしゃ」という物騒な単語が躍っていた。それが意味するものを理解した瞬間、これはまさしく雛魅を相手取ることを想定した武器に違いないと葵は悟った。

「『氷嵐』」

 氷の礫の混じった荒ぶる冷気の風が吹き付ける。たちまち凍えてしまいそうな強烈な冷気だが、相手が操るのが冷気だけだと解っているなら、こちらはひたすら熱で対抗するのみだ。心の中で念じると、腕輪は光へと変わり、光は葵の右手の甲に宿った。手には判読不能な紋章のようなものが刻印される。妖術の術式が装填されているのだ。複雑な術、高度な術を使うには、呪文を唱えたり陣を書いたりと忙しいものだが、丙の道具はそれら一切合財を省略して妖術を使用可能にする術式の刻印を与えるもののようだ。プリペイドの感覚に近い。

 普通なら、何度か術が使えてくれた方がありがたいのだが、丙のことだから、どうせ一撃必殺の強烈な奴が一回こっきりしか使えない、不親切な単発使い捨て設計に違いない、と思いながら、葵は術を放つ。

「業火に焼き尽くされなさい……!」

 容赦する気ゼロの言葉を吐きながら、葵が突き出した右手から巨大な炎が膨れ上がった。

 噴き出した炎が床を舐めながら雛魅を追い詰める。圧倒的な火力で氷の嵐を消し潰して、雛魅を呑みこんで燃え上がる。

 丙が仕込んだ妖術で火炎を吐くだけ吐き出してから、そういえば地下で火なんか燃やして酸素は大丈夫かしら、と今更な心配をした。そしてその懸念も、「まあ、密閉空間というわけではないから死にはしないだろう」というかなりざっくりとした考えで一瞬にして忘れ去った。清楚で繊細そうな外見をもつ葵だが、実のところ性格はかなりざっくばらんであるということは、本人と忍くらいしか知らないことである。

 やがて術の効果が切れて火勢が弱まり始めると、それを待っていたかのように吹雪が吹き荒れた。床はそれなりに焦げ付いているのだが、雛魅の周りだけ切り取られたように綺麗なままだ。荒れ狂う炎を鎮火して、傷一つ、火傷一つ負わずに涼しい顔をして、雛魅は業火の跡地で何事もなかったふうに笑っている。

「無駄ですわ。どんな炎も、私を焼くことはできないのです」

「そうですか」

 雛魅の強気な発言をさらりと聞き流し、葵は今度は己の力で火の術を放つ。

「馨しくかがよう火焔の神よ、彼の者に苛虐なる禍殃かおうを課せ」

 龍の如く、竜巻の如くに炎が渦を巻き、雛魅に襲いかかる。

 それを迎え撃たんと、雛魅もまた呪文を唱える。

「冷酷にして冷厳にして冷徹なる白銀の神よ、隷従と零落を約する鉄槌を下せ」

 葵の術に張り合うかのように、雛魅が放ったのは、氷雪の龍。荒ぶる吹雪を纏った氷の龍が、炎の龍と衝突する。

 氷に食い千切られた火が揺らめき、火に焼かれた氷が砕ける。互角の力を持ち、しかしまったく正反対の力を持つ二匹の龍が、メンチを切り合ったまま膠着する。

 術だけで押し切ることはできない。ならば、と葵は睨みあう炎と氷を横目に走りだし、雛魅へと肉薄する。血腥い殴り合いやら斬り合いやらとは無縁そうなか細いなりの葵を見て、彼女を遠距離からの妖術専門だろうと判断していたのだろう雛魅は、躊躇いなく近づいてくる葵を見て少々面食らったようだった。

 驚いて目を見開いている雛魅に突っ込んでいきながら、葵は軽々跳躍する。緋袴から伸びる脚が、雛魅の鳩尾を蹴り飛ばす。

「ぐっ……!」

 雛魅がよろめいた隙を葵は逃さない。着地するや、くるりと体を旋回させて、脇腹への蹴撃。確実に何本か骨がイカれた音がしたが、葵は顔色一つ変えずにさらに追い打ちをかけようとする。雛魅は少し慌てた様子で後退し、葵の猛攻の間合いから抜け出した。

 苦しそうに微笑みながら、雛魅は忌々しげに呪詛を吐き出す。

「見かけによらずお転婆なんですのねぇ」

「鬼の当主たる者、これくらいできて当然です。忍のようなひ弱な鬼と一緒だと思われては心外です」

 ひ弱呼ばわりされた忍の方が心外だろうが、本人がいないのをいいことに言いたい放題である。

「けれど、油断したようですね……雪女に触れるなんて、自殺行為ですよ」

「!」

 はっとして、雛魅を蹴り飛ばしたばかりの脚を見遣る。いつの間にか、脚に氷が張りついている。氷は徐々に侵蝕するように範囲を広げて、上へ上へと這い上り、葵の体を氷漬けにしようとしていた。

「成程、私が迂闊でした。ですが、この程度で凍死などしませんわ」

 驚いたのは一瞬だった。葵はすぐさま冷静になり、新たな呪文を紡ぎだす。

「煙焔天に漲りて、我が身に宿りて、まつろうて、纏われる者、其は軻遇突智カグツチなり」

 葵の紅蓮の髪から火の粉が飛ぶ。ゆらりと揺らめく炎が葵を包むように立ち上る。炎さえも美しく着こなす姿は、神々しいと呼ぶほかない。己の身を焼くことはなく、しかし敵は確実に屠る鬼の炎を、葵は悠然と纏い立っていた。葵の体を侵蝕していた氷など、あっけなく溶かされる。

「炎と打撃、二つ合わせれば、それなりに堪えるのではありませんか」

「成程、考えましたね。ですが、その質問には、ノーと答えておきましょう。実のところ、炎も打撃も、私には意味のないことです」

 雛魅はそう言って笑う。根拠のない強がり、というわけではなさそうだ。はたと葵は気づく。少し前までは、葵が入れた二発の蹴撃のせいで、雛魅は苦しそうに顔を歪めていた。骨を折っているのだ、苦しくないはずがない。だが、いつの間にか彼女は平然として、ゆったりと微笑んでいる。ただのやせ我慢とも思えない。では、どうして彼女はこうも普通でいられるのか。

 葵の疑問を見透かしたように、雛魅は種明かしをする。

「不思議に思っているのでしょう? 教えて差し上げます。雪女たる私の体は氷でできているのです。ゆえに、折れようが砕けようが、容易く再生が可能ということです。お馬鹿なあなたにも解るように言えば、不死ということです」

「……」

「嘘だと思っています? 今の私の言葉がはったりかどうかは……今に解りますわ」

 ぎらりと目に殺意を漲らせ、両手には氷柱で作った刃を携える。

「五分くらいは頑張ってくださいね。あんまりすぐ終わると、私も退屈ですから」

 安い挑発を仕掛けながら、雛魅は氷の刃を擲った。


★★★


 細い階段を下り、地下空間はさらに下層へ下って行く。いったいどこまで降りるのだろう、と不安になるころ、ようやく階段は終わりをつげ、平坦な通路に出た。どれくらい下の方まで来たのか、桜子にはよく解らなかった。ちゃんと地上に戻れるのだろうか、ということが不安になるが、まあ、いざという時は千年堂印のロケットランチャーで天井をぶち抜けばいいか、と大雑把なことを考えた。

 通路の先に、頑丈そうな扉が見えた。鉄でできているのか、重厚で硬質そうな扉は、手で触れると凍りそうなほど冷たかった。

「差し詰め、四天王の二人目が待ってるとか、そんな感じかな」

「あ、確かにそんな感じだな」

 軽い調子で忍と紅月が言う。それを聞き流すことなく、桜子は目を剥いた。

「ちょっと、四天王の二人目って、まだこの先にあと三人も残ってる計算なの!?」

「大丈夫だって、四天王ってのはな、だいたい三人目くらいまでは戦力としてノーカンで、本気出すのは最後の一人だけだから」

「そうそう、三人目まではあっさり負けて『だが俺は四天王の中でも最弱』って言うことが仕事みたいなもんだから。最弱争いするのが使命だから」

「全国の四天王に謝れ」

 呑気なことを言いながら、二人がかりで鋼鉄の扉を押し開ける。中に入ると、そこはまた、調度も何もない、ただ先程の部屋よりはやや広いくらいの空間だった。

 桜子は呆れた調子でぼやく。

「いったいここのアジトはどうしてこうも殺風景なのかしら。アジトってこう、武器とかスパコンとか置いてあるんじゃないの? なんなの、わざわざ敵を招き入れて戦うためのバトルフィールド整備しておくだけが仕事なの?」

「全国のアジトに謝れよ」

 紅月に突っ込みを入れられつつ部屋を進んでいく。奥の壁には入り口と同じような扉が設置してあり、こちらは不用心に開きっぱなしになったまま奥の通路を晒している。そして、この部屋には雛魅のように誰かが待ち構えているということはなかった。

「誰もいないわね……素通りしていいの? 四天王の二人目はサボタージュなの?」

「残酷な使命に嫌気が差したのかもしれないな」

 本気なのか冗談なのか、紅月が真顔でそんなことを言う。

 まあ、別に何が何でも四天王と勝負したいわけではないので、素通りさせてもらえるならそれに越したことはない。といっても、誰もいないと見せかけて陰から奇襲をかけてくる奴がいないとも限らないので、警戒は怠らずに部屋を突っ切って行く。

 その時、ぎぃぃ、と後ろで軋むような音。振り返ると、今入ってきた扉がひとりでに閉まろうとしているところだった。そして、その扉の前にはいつの間にか誰かが立っている。どうやら後ろから来たらしい。そして、退路を断つつもりのようだ。

 元より逃げる気はなかったから、逃げ道を塞がれるのは、まあいい。だが直後、前からも扉の閉まろうとする軋む音が聞こえて桜子はぎょっとする。再び視線を前にやると、案の定前方の扉も自動で閉まりかけていた。

「走れ!」

 忍の怒号。弾かれたように桜子は走り出す。

 こんなところで閉じ込められて足止めだなんて冗談ではない。桜子はとにかく全力疾走する。だが、扉まで遠い。もう半分閉まっている。間に合わないか――?

 しゅん、と横を疾風が駆け抜けた。

 桜子を追いぬいて走り去って行ったのは紅月だ。当然ながら、妖怪の紅月の方が足は速いに決まっている。一足先に外に出た紅月は、閉まろうとする扉を外から押し戻そうと踏ん張ってくれた。

「嬢ちゃん、急げ!」

 紅月のおかげで扉の閉まるスピードは僅かに緩む。この隙に、と思って速度を上げる。

 走る、閉まる、走る、閉まる。今飛び込めばギリギリ間に合うかどうか。

 どうか間に合えと願う。だが、頭の隅で思う。そんな気合とかじゃどうにもならないレベルで、間に合わなそう。

 その時、

「ほら、とろとろすんな!」

 そんな声と共に、桜子の脚が床から離れ、ひょいと持ち上げられる。何かと思えば、忍に担ぎ上げられていたのだ。

「後は任せた」

 そう一言だけ言って、忍はあろうことか――途中からなんとなく予想はできていたが――桜子の体を放り投げた。半妖の桜子がただ走るよりも明らかに早い剛速球である。桜子は閉じかけた扉の隙間からぎりぎりで滑り込み、というか投げ込みで、扉を通り抜けた。扉を押さえていた紅月は避ける間もなく桜子を受け止める羽目になり、しかししっかり受け止めるには準備も何もなさ過ぎたし、勢いがつきすぎていた。紅月は桜子に押し倒されるように扉から離れて後ろによろめいた。

 そして、その後ろで、扉が無情に閉まる音。

 はっとして、慌てて体を起こして振り返る。忍がまだ出てきていない。

「忍!」

 扉越しに中へ叫ぶ。すると、ごん、と中から扉を叩く音が返ってきた。

「ま、そういうこった。こんなとこで間抜けに足止めされるのは一人で充分だろ。お二人さんは先に行ってくれ」

「一人で大丈夫? 後からちゃんと追いついてくる?」

「いや、この扉からして現実的に追いつくのは無理だろ」

「ねえどうして揃いも揃って素直に追いつくって言ってくれないの?」

 先に行く者を安心させる気が皆無である。

「俺なんかのことはどーでもいいから、アホな黒猫の心配でもしてやれ」

 そう言って、忍が扉から離れる気配。中にいる敵と、いよいよ向かい合うのだろう。

 扉が閉まった以上、こうして外でぐだぐだとしていても仕方がない。後ろ髪をひかれながらも、紅月に腕を引かれ、桜子はさらに先へ進む決意をした。

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