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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
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18 黒猫救出ミッション開始

 地下であるがゆえに、音はよく反響する。薄暗い地下室に、かりかりかり、とネズミでもいるのかと思うような音が響いていた。神経質そうな音を絶えず立てているのは、部屋の片隅で膝を抱えて座っている宵音だ。自分の親指の爪を歯でかりかりと噛んでいるのだ。「美味しいのか?」などと冗談で訊こうものなら、ぎざぎざに荒れ尖った爪でひっかかれそうだ。

 左目は苛立たしげに血走り見開かれて、対する右目は血に塗れて潰れている。自分の手で抉り取った右目は見るからに痛々しい。

「まじさぁ、それ見てるこっちが気持ち悪くなるから隠してくれない?」

 あけすけに言ってのけたのは、弦巻という名の男だ。つんつんとハリネズミみたいに尖った髪をした若い男で、皮ジャンと廃れたジーンズという格好をしている。どことなく不良っぽいオーラを漂わせる弦巻は、なんとなく不良っぽい口調で文句を言う。

「そういうの、見る方が不快になるって、ちょっと考えれば解るよね。空気読んでくれる?」

「――空気を読んだ結果がこれです」

 売り言葉に買い言葉で応じることはなく、宵音は静かな調子で言い返す。

「朽葉が眼帯をしている以上、私が同じ格好をするのはよくありません。私、知っています。『キャラかぶり』というのでしょう?」

「もしかして俺に全責任をなすりつけるつもりか?」

 呆れた調子で朽葉は言った。

「そんな超絶どーでもいいこと気にしてないで、大人しく眼帯キャラになってろ馬鹿」

「もとはといえば、あなたが油断などして、あっさり目をやられたりするから……」

「はいはい」

 ぶちぶちと責め立てる宵音を、朽葉はさらりと流した。ハンカチがあったらぎっちり噛みしめて悔しがりそうな調子の宵音を、隣に腰を下ろした雛魅が慰め出す。こうしてみると、雛魅の方がずっと大人に見える。

「それにしても、ここで宵音が戦線を離脱するとは、予定外の痛手ですね」

 至って真面目な調子で、真面目に今後の方針について話をしようとしているらしく、現状分析らしきことを言いだしたのは、眼鏡をかけた青年、細波である。かっちりとしたスーツを着こなした細波は、そのまま就職説明会に放り出しても問題なさそうに見える。

「作戦に支障はないのですか」

「大丈夫だろ、ガキと老いぼれと雑魚しかいない、野牙里の郷を落とすくらい、五人いれば充分だろ。当初の予定から一人しか減ってない」

 朽葉は簡単に言ってしまうが、細波は俄には納得しがたい様子で肩を竦める。

「五人、ですか。彼は頭数に入れていいんですか。宵音が抜けた代わりが彼と言うのでは、いかにも心もとないですが」

「宵音の呪術、それに俺の呪術を信用してないのか?」

「宵音のあの姿と、あなたのちゃらんぽらんぶりを見ては、信頼など四割減ですね」

 さらりと手厳しいことを言う細波に、朽葉は苦笑する。

「じゃ、自分の目で確かめてみろよ」

 そう言って、朽葉は細波を奥の部屋へ誘う。木造のちゃちな扉を開けて奥へ進むと、二十畳ほどの広さの空間が広がっている。壁、床、天井は冷たい石でできていて、壁に等間隔に備え付けられた燭台の上の蝋燭が部屋を照らしている。

 部屋の中央で、クロがぐったりとへたり込んでいる。床には幾何学な模様が描かれ、それが黒い光を放っている。両手には妖力でできた糸が食い込み、頭上で宙に縫い止めている。閉じた瞼は時々思い出したようにぴくりと震え、薄く開いた唇からは苦悶の声が漏れている。

「彼は使い物になるのですか?」

「たぶん」

「たぶん?」

 説明が面倒くさくてざっくり省略しようと適当な受け答えをしたら、細波がじろりと不審の目を向けるものだから、朽葉は諦めて一から話してやることにした。

「宵音の蛇が取り憑いちゃいたが、なかなか支配しきれなくてな。プライドの高い馬鹿は意志が無駄に強いから操りにくいんだって、宵音が言い訳してたよ。ま、確かにクロはガードが固いからな。だから俺の暗示で、それを緩めてやってるところだ。心を覆い尽くす鋼の鎧を、ゆっくり剥がしてやるのさ」

 そうして剥き出しになった無防備な心に、蛇が絡みつき、支配する。今まで蛇を押さえつけていた理性も、朽葉の暗示であらかた溶けてしまっている。自我を失うのは時間の問題だ。

「そうまでして、あなたが彼を手に入れたい理由を、訊いてもいいですか」

「自分の血を引く子供を手に入れるのに、理由が必要か?」

「ですが、あなたは彼を捨てたのでは?」

「可愛い子には旅をさせろって言うだろ?」

「……あなたの子育ては間違いなく大失敗ですね」

 心底から呆れたというように溜息をついて、細波は踵を返した。

 扉の向こうで足音が完全に聞こえなくなるのを待ってから、朽葉はクロの傍らに膝をつき、言い聞かせるように耳元でそっと囁く。

「なあ、知ってるかい、クロ? 俺はね、実のところお前に嫉妬しているんだよ。大人げないと思うか? けど、こればっかりはしょうがないね」

 くすっと自嘲的に笑い、朽葉は謳う。

「俺は誰からも愛されなかった。大切な奴なんか誰もいなかった。なのにお前は、なんだかんだでいろんな奴から愛されてる。まあ、とはいっても、俺は今更誰かに愛されたいわけじゃないんだけどな。ただ、なんとなく腹が立つ。だから全部ぶち壊してやりたくなっちまった」

 するりと後ろから腕を回して、クロの細い体を抱き竦める。細身ではあるものの頼りがいのあるしっかりとした体だったはずが、今ではすぐにも折れそうに感じる。

「クロ……俺のために、彼女を殺してくれよ。そうすりゃ、俺の気も少しは晴れる。ついでに、十数年前に俺がつけ損ねた桜鬼との戦いも、綺麗さっぱりケリがつくことになる」

 そんなことを言いながら、しかし頭のどこかでは解っている。

 何をやっても結局気は晴れないし、桜鬼の娘を殺したところで、朽葉が桜鬼に負けたままであることは変わりない。だが、それでももう止まれない。歯車はとっくに狂ってしまっている。今更止められるものか。

「……ん?」

 ふと気づくと、部屋の外が俄に騒がしいような気がする。宵音が癇癪を起したか、あるいは弦巻が退屈のあまり騒ぎ出したのか、と適当に考えていると、爆発のような音が聞こえた。ちょっと騒いだくらいで爆発など起きない。

「あぁ……もしかして、来たのかな?」

 クロを取り戻しに来たのだろう桜子たちの姿を思い浮かべ、朽葉はにやりと笑った。


★★★


 空がオレンジ色に染まるころ。

 目抜き通りからまっすぐに進んで、野牙里の郷の北部を流れる川に差し掛かったところ、そこに架かる橋が尾長橋というのだということを、桜子は葵に教えられて初めて知った。何度か通りかかったことはあるその場所に、桜子は急いで駆け付けた。

 橋の前では紅月と忍が待っていた。

「クロが見つかったのね?」

 前置きもなしに尋ねると、忍は自信ありげな表情で頷いてみせた。

「信頼できる目撃情報だ。話してくれたのは、蓬郷って妖怪なんだが」

「蓬郷!? 蓬郷って、あの蓬郷?」

「どの蓬郷か知らないが、蓬郷だ」

 蓬郷といったら、人間の世界に繰り出しては若い乙女の精気を吸って肌の美しさを取り戻そうとしている老婦人ではないか。なんだかんだでキーパーソンらしい。

「なんでも、人間の世界での精気蒐集が思うようにいかず、肌の皺がまた一段と深くなったことを嘆いて、傷心のあまり一人花見自棄酒をしようと永久桜の丘に行ったらしいんだが」

「折角の永久桜の下で自棄酒なの?」

「そしたらそこには先客がいた。その先客っていうのが、どうもクロと朽葉だったらしい。明らかに険悪っぽい雰囲気だったから、蓬郷はひっそりと身を隠し、だが野次馬根性で一部始終を目撃し、かつ面倒くさそうな事態だったから見なかったことにしていた」

 蓬郷が目の当たりにしていたというのは、桜子が割れた鏡から読み取った記憶の通り、クロと朽葉、宵音との対決の現場だったようだ。気を失ったクロを朽葉が担いでいくのを、蓬郷は「なんかやばそう」だと思って見ていた。「面倒くさそうな事態だから関わりたくない。だいたいクロのことなんかどうでもいいし」という感情と、「これ知らないふりするのやばそうだよなぁ。絶対ただごとじゃないよなぁ」という感情を天秤にかけてゆらゆら揺らしていた結果、最終的に後者の方に傾いた。そして、朽葉たちに気づかれないよう一定の距離を置きつつ、彼らがどこに行くのかしっかり尾行してきたという。

 超危険妖怪の朽葉を相手に尾行を成功させるとは、なかなかどうして蓬郷も侮れない。蓬郷が目撃したところによると、朽葉たちは、永久桜の丘から西方向へ進み、森の中へと入って行った。丁度、永久桜の丘と、狐の隠れ里・久霧の郷に挟まれるくらいの位置にある森の中、茂みで隠れたところに地下へと続く穴が掘られているのだという。

「下に行けるようにちゃんと階段状に整備されてて、そこが朽葉の隠れ家なんじゃないかって話だ」

「クロはそこに連れて行かれたわけね」

「下手に一人でうろちょろしてるから、まんまと敵に捕まっちまったわけだ。面倒ばっかり増やしやがって」

「それなんだけど、どうも、クロは宵音に一矢報いたようなの」

 桜子は読み取った記憶の話をする。すると、紅月が思わずと言った風に吹き出した。

「さすが、転んでもただじゃ起きない野郎だ。敵は一人減ったわけか」

「残るは、朽葉と、雪女の雛魅って奴ね」

「けれど、油断はできませんわ。他にも仲間がいるかもしれません」

 桜子の楽観的な考えには葵が慎重に釘を刺す。

「ま、宵音を相手にしなくていいだけでも随分気が楽だ。明らかに面倒くさそうな呪術使いだったからな」

「呪術だのなんだの、そういうのはとにかく面倒だからなぁ」

 紅月と忍、単純な殴り合いだけは得意な単細胞な二人組はしきりに頷いていた。

 パーティーのうちの半分がこの調子で、四分の一が半妖で、残る一人だけがまともって、結構やばいんじゃないか。桜子がそんな懸念を抱いて頭痛を感じていると、街の方から手をぶんぶん振りながら走ってくる者があった。

「みんな、お待たせー!」

 そう叫び近づいてくるのは丙だった。

「超絶少人数の弱小パーティーで死地に向かうみんなへ千年堂から餞別よん」

 茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる丙は、脇に風呂敷包みを抱えていた。それを無造作に地面に放り出して広げると、四人それぞれに謎の腕輪らしきものを押しつけた。

「きっと何かの役に立つと思うの。あ、安心して、お代はクロちゃんにツケとくから!」

 鬼畜だ。

「丙ちゃん渾身の傑作よ! 千年堂印、持ち運び楽ちんのブレスレット型アーム! 使いたいときに念じるだけで武器に早変わり、普段はアクセサリーにしか見えないから、ストーカーや痴漢を撃退するための武器を隠し持ちたい方にお勧めです。ちなみに中身は火炎放射器とか手榴弾とか、そういう可愛らしい傾向のものばかりだから初めての人でも安心してご使用いただける設計です」

「それどのへんが可愛らしいの? 痴漢とかストーカーを爆殺するの?」

 ツッコミどころ満載の商品説明に桜子は眉根を揉んだ。

 ちなみに自分はどんな危険物を持たされたのだろう、とピンク色の可愛らしい腕輪をよく観察してみると、可愛らしい文字で「ばずぅか」とちっとも可愛らしくない武器の名前が書いてあった。丙は痴漢やストーカーにどれだけきつい灸を据えることを想定しているのだろうか。

「さ、装備もばっちりキメたことだし、早速れっつごーよ!」

 そう言って丙は先陣切って出発する。が、三歩ほど進んだところでばったり倒れてしまった。突然の卒倒に桜子は目を剥いて慌てて丙を抱き起す。

「ひ、丙! 大丈夫なの?」

「あはは……ちょっと、張り切りすぎちゃったわ」

 どうやら危険物を作っているうちに力を使い果たしたらしい。

「こんなときにごめんね……みんな、私の屍を越えて行ってちょうだい……ばたり」

 自分の口で言うのと同時に丙は本当にばたりと気を失ってしまった。そんな丙を見下ろして、紅月が呆れた声を落としてきた。

「でたな、丙の悪癖・燃え尽き症候群。天啓のようにひらめいた用途不明な危険物を作るのに熱中するあまり計画性もなく妖力を使い果たして製作終了と同時にガス欠でぶっ倒れるという。いつものことだからそのへんにほっといていいぞ」

「……」

 ぶっ倒れた割には、どこか「やりきったぜ感」を漂わせ比較的幸せそうな顔をしている丙の介抱は近くの家の妖怪に頼んでおくことにした。

「敵さんも一人減ってラッキーとか思ってたら、こっちまで戦闘開始前に一人脱落者が出ちまったじゃねえか」

 そう独りごちる忍は、呆れた調子を滲ませてはいるが、戦力が減ったことを嘆いているような悲壮感はない。

「ま、それくらいの穴は、俺が二人分くらい働きゃいいんだけどな」

「あら、忍、いつになく頼もしいことを言うではありませんか。クロのためにあなたがそこまで張り切るなんて」

 葵がからかうように言うと、忍は小さく舌打ちして目を逸らす。どこか照れくさそうに、唇を尖らせて忍はぼそぼそと、

「まぁ、一応あいつにはでかい借りがあるからな。ここらで清算しとこうって気になっただけで他意はない」

「そういうことにしておいてさしあげます」

「じゃ、そろそろ行きますか。少数精鋭四人組で行く、黒猫救出の旅」

 紅月がそう言って、四人で頷き合う。

 胸にかけた金色の鎖の首飾りに触れながら、桜子は心の中でそっと念じた。

 ――今、助けに行くから。



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