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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
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13 とてつもなく衝撃的

 葵の複雑な表情の理由が解った。

 キスって魚の名前かしら、などと内心でつまらないボケをかましていたのは一瞬のことで、桜子は意味を理解するやがなり立てた。

「いやああああああああああッ! 絶対言うと思った! そろそろ来ると思ったわよ、そういうベタな展開! いやいやいやいや、ないから、マジ絶対ないから! なんでよりによって超絶性悪でデリカシー皆無で人の胸を関東平野なちっぱい呼ばわりする俺様にゃんことキスせにゃならんのよ!」

「いや、関東平野なちっぱいは嬢ちゃんが勝手に言ったんだけど」

「しゃらっぷ!」

 びしりと人差し指を突きつけて紅月を黙らせると、桜子は掴みかからんばかりの勢いで忍を問い詰める。

「何か他にないの? あるでしょ? だってあんただってまさか出雲のジジイとべろちゅーしたわけじゃないんでしょ?」

「なんでべろちゅーに限定するんだよ」

 律儀にツッコミを入れてから忍は解説する。

「俺の場合は紫鬼家当主に仕えるって契約書を自分の血で書いた。そういう方法もある。けど、今の状態のクロが呑気に血で契約書なんか書いてくれるわけないだろ? だから一番手っ取り早く確実な方法がキスなんだって。俺は別に、面白そうだからと思って言ってるわけじゃないんだぜ?」

「でも面白がってるでしょう?」

「否定はしない」

「してよ」

 野次馬根性丸出しじゃねえか、と桜子は内心毒づいた。

「けど、悪くない作戦だと俺は思うぞ。嬢ちゃんだって、クロを助けたいだろ?」

「うぅ」

 援護射撃のように紅月にそう言われてしまうと、桜子もぐだぐだと文句も言えなくなってしまう。桜子が反論できないのをよく解っている。ひょっとして確信犯か、今にも笑い出しそうなのを必死にこらえているように見えるのは気のせいか否か、と桜子は男二人をちろりと睨む。あからさまに目を逸らされた。

 すると、葵が困ったような表情で言う。

「そう簡単に割り切れることではないと思いますし、完全に面白がっているふうな殿方たちには業腹ですが……でも、本気で嫌なわけでは、ないでしょう?」

「そ、それは……」

 ストレートに聞かれてしまって、桜子は答えに詰まる。

 なぜか、心優しい友人である奈緒の、いつぞやの言葉が不意に蘇った。

『愛しの彼にまた会いたい、と』

 夏休みの、打ち明け話の時のことだ。あの時桜子は、違うと即答した。ムキになっているわけではなく、本気で、冷静に、そう否定した。今同じことを訊かれたとしたら――そう考えると、同じように即答できる自信がないことに気づいた。

 クロは友達だ。大事な友達だ。友達は大事だけど、大事だからといってキスはしない。キスをするのは、好きは好きでも、友達としてではなく、別の「好き」である相手だ。だから、クロと、なんて考えられない。

 けれど本当にそうだろうか。そこに欺瞞はないのだろうか。

『危ないところを二度も助けられて、その上イケメンじゃん? 少女漫画なら絶対オチるシチュエーションじゃないの。コロッといくじゃん、ちょろインじゃん』

 奈緒はふざけてそんなことを言っていたが、さすがにそれだけで簡単に動くような軽い感情ではない。だが、桜子とクロの間に起きた出来事は、それだけではない。

 目を閉じれば、鮮やかに蘇る。

 初めて出会った時のときめきと、その直後の落胆の気持ち。

 笑って、怒って、泣いて、また笑って、そして別れて、寂しさを覚えたときのこと。

 手探りでお互いの大切さを確かめ合ったときのこと。

 おぶったりおぶられたり、手をつないだり、一緒に花火を見たりしたこと。

 事故みたいに抱きしめられたり、寂寞の中で抱きしめたり、めまぐるしい日々のこと。

 泣きながら、行かないでほしいと懇願したときのこと。

 どこから自分の気持ちが変化していたのか、桜子は自分でもよく解らない。たぶん、いつから、と簡単に区切れるものでもないのだろう。少しずつ、グラデーションのように変化していった。最初と最後のシーンを比べてみてようやく、こんなに変わっていたのかと気づかされる、そんな感じだ。

 改めて、冷静になって考えてみれば、はっきり解る。

 人間の世界にいる奈緒や、妖怪の紅月、忍、葵は友達だ。だが、その誰に対しても、クロに対してしてきたほどには、深く関わったりはしていない。クロだけが、他とは違う。

 それは、彼が特別だから?

「あのさ、葵」

「はい」

 桜子は頬を真っ赤にして、消え入りそうな声で、尋ねる。

「もしかして、私って、クロが好きなのかな」

 そんなこと訊くなよ、と言われても仕方がない質問だったが、葵はそうは言わず、優しく微笑んで、答えてくれた。

「ごめんなさい、割と前から知ってました」

「…………」

 見ると、紅月と忍も呆れたような顔をしている。

 自分の気持ちは自分でもよく解らない――とは言うものの、他の全員が知っていたのに自分だけ気づいていなかったとは、間抜けにもほどがある。

 それから紅月が、フォローのつもりなのか、

「あ、安心しろよ。たぶんクロは気づいてないぞ。人の機微には聡いけど、恋愛方面ではアホだから」

「ああ、そう」

 なんだかとても疲れた。そして恥ずかしい。面と向かって告白するよりも恥ずかしい思いをした気がする。ことこうなっては、これ以上恥ずかしいことなんかないように思える。そう思うと、もう何でもできるような気もした。

「……解ったわ。クロと契約を結ぶ……それで、クロが助けられるんなら、キスでもなんでもしてやるってもんよ」

「おお、さすが姫さん、男らしいぜ!」

「褒めてないよね? 私女なんだけどそれ絶対褒めてないよね?」

 忍のさりげない暴言に軽くキレておく。

「じゃ、方針が決まったところで、具体的にどういうふうに進めていくのか、契約の詳しい話を教えてくれる?」

「ああ、ざっくりいうと、嬢ちゃんが契約の言葉を言って、それから……」

「あッ!!」

 忍の説明の途中で、いきなり紅月が叫んで遮った。何事かと思っていると、紅月がみるみるうちに難しい顔になる。

「どうしたの?」

「いや……悪い、嬢ちゃん。肝心なことを忘れてた。盛り上がってるところ悪いんだが、やっぱり契約は無理だ」

「はぁ!? この期に及んで今更なにアホなこと言ってんの! 今完全にそういう方向だったでしょうよ。やっぱり無理? 返せ私の葛藤を!」

「いや、ほんとすまない。だけど、できないんだ」

 紅月はどこか悔しそうな顔で、できない、と繰り返す。そして、やがてその決定的な理由を口にする。

「誰も、()()()()()()()()()()


★★★


 とりあえず遠くへ逃げよう、というざっくりした考えで飛び出してきた。というより、それくらいしか、鈍った思考では考えられなかったのだ。だが、気づけばいつのまにか、吸い寄せられるように、そこに辿り着いていた。

 はらはらと舞い散る花弁。雪のようにも見えるし、実際、季節を考えれば雪だと思うのが自然だ。だが、それは雪ではなく、淡いピンクの花弁。桜の花びらだ。

 シャワーのように舞い続ける桜の花びら。だが、決して枝から桜の花が消えることはない。舞い散ると同時に芽吹き、花を咲かせ続けている。通称・永久桜とわざくら。絶えることなく、永遠に、季節を問わず咲き誇り続ける妖木だ。

 美しい桜の大樹の幹に凭れて、クロは溜息をつく。

 冬の夜の風は肌を冷たく凍えさせる。だが、体の中では黒い熱の塊が暴れまわっていた。絶えず襲いかかる激痛が、体を明け渡してしまえと迫る。飛びかける意識をかろうじてつなぎとめるために、唇を噛みしめた。

 意識が酷く朦朧としていた。しかし、今気を失ってしまえば、目を覚ました時にはもう自分が自分でなくなっているような気がしていた。ゆえに、意識を手放したくなかった。とはいっても、この抵抗がそういつまでもは持たないだろうということも感じていた。

 どうにか術を解く方法を考えなければならない。だが、混濁した思考ではそれもままならない。

 次第に意識が深い暗闇に沈んでいく。

 苦痛から逃れようとする意識が、深い眠りに誘われる。

 舞い散る桜の花びらが、いつしか見えなくなって、完全に瞼が落ちてしまっているのを知る。それを再び開けるだけの力は、もう残っていなかった。



 眠りに落ちる寸前に、かつてこの場所で語られた言葉が蘇った。

 ――美しい目をしていますね。

 ――名前はなんと仰るの。

 

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