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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
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12 割と切羽詰まった問題

 その瞬間のことは、はっきり言って即座に忘れたい。そして、全員の記憶から抹消したい。

 桜子がクロの名を叫び制止し、その時幸か不幸か、タイミングぴったりに、慌ただしい足音が廊下を駆けてきて、襖が乱暴に開け放たれた。事情はすっかり解っているという様子の紅月、忍、葵が駆け込んできて、切羽詰まった事態を見るや紅月が叫んだ。

「止まれ、クロ!」

 桜子と紅月の声が重なって、ほぼ同時に爪を振りかざしていたクロが、ぴくりと僅かに反応した。闇色の瞳がほんの一瞬桜子と目を合わせて、驚いたような表情を見せた。その一瞬だけ意識が戻り、自分のしようとしていることに気づいた、そんな顔だった。

 だが、放たれてしまった攻撃は止められない。刃は振り下ろされる。

 桜子の喉笛を抉らんとする一撃――だが、その直前に二人の声が届いた甲斐があってか、クロはおそらく、狙いを外そうとしてくれた。

 それは結果的に桜子の落命を免れることになったが、別の意味で面倒な事態を引き起こした。すなわち、狙いの逸れた刃は桜子の服を引き裂いたのである。

 冬だから厚着をしていたおかげで、体の方には届かなかった。が、上着は勿論下着まで真ん中で切り裂かれてしまったものだから、その下から綺麗な肌色が覗き、それを紅月と忍までがっちり目撃してしまったのに気づき、桜子は声を失った。

「――ッ!!」

 状況を理解すると同時に頬に朱が上り、次いで羞恥と怒りで我を忘れ、開いた胸元を掻きあわせるのも忘れて、桜子は叫ぶ。

「見・ん・なッ!」

 そう言うと同時に、目の前のクロに、目潰しの代わりとでもいうように盛大な頭突きをお見舞いしてやったのである。

 ぐらりとクロがよろめき、桜子から手を離した。その隙に距離を取った桜子は捲し立てる。

「見たでしょう? 今見たでしょう? そんで、解ってるんだからね、『やっぱり関東平野なちっぱいだな』って思ったでしょう、お見通しなんだからね!!」

 それから桜子は部屋の入口で固まっている紅月と忍をぎろりと睨みつける。すかさず二人は目を逸らし、葵に引っ叩かれていた。

 言いたいことを言ってしまってから、桜子ははたと我に返り、かつて久霧の郷でのクロとの会話を思い出す。

『嬉々として殴り返す』

『可哀相じゃないの。あなた、絶対容赦する気ないでしょう』

『正当防衛だ。容赦する理由が見当たらない』

『自分の意思で動いてるならまだしも、操られてるんだから彼らも被害者でしょう。それを助けるどころか嬉々として殴り返すって、ド鬼畜にもほどがあるでしょう』

 クロには偉そうなことを言ったのに、今ではそんなことすっかり忘れて頭突きを食らわれた自分はド鬼畜以外の何者でもないに違いない。なんてこったと桜子は頭を抱えた。

 いや、今は悔いている場合ではない。問題はまだ解決していないのだ。

 桜子の不意打ちでふらついたクロだが、倒れることなく踏みとどまって、昏い目で彼女を見ていた。それを緊張した面持ちで見返す桜子に、葵の警告が飛ぶ。

「気を付けて、桜子。彼は宵音の操る蛇に憑依されて、あなたを狙っているのです」

「私の貞操を?」

「普通に命を」

 その時、クロが徐に右手を持ち上げる。その刃のような爪を警戒して桜子は身を固くする。だが、予想に反してクロは桜子に近づこうとはせず、一歩後退った。

 ひょっとすると、やばいかも――桜子は不意に、夏の出来事を思い出す。ああやって手を持ち上げている、クロの後姿を思い出した。それと同時に紅月と忍も思い当たったようで、血相を変えてクロを止めにかかる。

「げっ、馬鹿、やめろ!」

 だが、二人の手がクロを止めるより先に、クロはぱちんと指を弾いた。その瞬間、視界が真っ白な閃光で焼き尽くされ、轟音が耳を劈いた。思わず目を閉じ、両手で耳を塞ぐ。それでも、強烈な光は瞼を貫いて目を刺し、音は鼓膜を震わせた。ここまで強力な光と音は、もはや凶器である。

 刃の如き閃光と轟音に貫かれ、視覚と聴覚が奪われる。今何が起きているのか、解らなかった。

 何も見えない、聞こえない、その間に、突如、びゅうっと冷たい風が吹き付けてきて、桜子はぶるりと身震いした。上着が破れて肌が露出しているせいで、なおさら寒い。部屋の中なのに、風が吹いたということは、誰かが部屋の窓を開けたのだ、ということは解った。

 やがて、閃光と轟音が止み、数十秒の時をかけて視覚と聴覚が戻ってくる。おそるおそる目を開けてみる。まだ目がちかちかしている気がするが、なんとか周りの状況は見えた。

 目が覚めたらそこは更地になっていた、というとんでもない展開も視野に入れていたが、幸いそんなことにはなっておらず、ただ、閉まっていたはずの障子が開け放たれ、その奥の吐き出し窓も全開になっている。風はそこから吹き込んでいるのだ。

「あの馬鹿、逃げやがったな……」

 目を眇めてそう呟いたのは紅月である。

「全員爆発で吹っ飛ぶかと思ったけど、無事、ね」

「音と光の目くらまし、つまり『ちゃんとした猫騙し』ってわけだ。ぶっ飛ばすだけが能じゃなかったのか」

 夏に見せてくれた大爆発は、ちゃんとしてない猫騙しらしい。ちゃんとした方を使ってくれて命拾いしたわけだ。

「クロは、どこに行ったの?」

「さぁな。だが、ただの目くらましだけで逃げたってことは、まだ完全に蛇に支配されちゃいないらしい。本気で嬢ちゃんを殺す気なら、全員まとめて爆殺してるはずだし」

「怖いことさらっと言わないでよ」

「ここにいたら嬢ちゃんを危険に晒すと思って、逃げたんだろうさ。ったく、大人しく俺たちにふん縛られてくれたほうが話は早かったんだがな」

「しかし、面倒なことになったな」

 忍が頭を掻きながらぼやく。

「よりによって一番面倒くさい奴が敵に回ったぞ。今はなんとか持ちこたえてるが、あの様子じゃ蛇に支配されるのも時間の問題だ」

「あいつはなぁ、ただの殴り合いなら基本的に負けないが、こと精神攻撃だの憑依だのの搦め手になると途端に弱くなるんだ、いかんせん豆腐メンタルだから」

「もし俺が相手することになって日頃の恨みを晴らすために本気出してぶっ飛ばしちまっても文句言わねえでくれよな」

「勢い余ってやりすぎないことだけ気を付ければ基本的に問題はないが、加減するの面倒だな、やっぱり本気で殺っとくか」

「……」

 基本的にあまりクロを心配していない調子の口ぶりに、桜子は頭を抱えた。葵がそそと桜子の隣にやってきて耳打ちする。

「桜子。殿方は基本的に殴れば解決すると思ってる野蛮人なのです。私たちがもう少し建設的な意見を出さないと何も解決しない気がします」

「う、うん。――おいこら、野蛮ボーイたち、ちょっと落ち着こう!」

 桜子の呼びかけで、野蛮な方向に先走りかける男たち二人は頭を冷やしてくれた。



「やはり問題は、クロに憑依した蛇をどうするか、ということですね」

 作戦会議は葵の一言から始まった。主の不在の部屋で車座になって、四人は今後の方針を話し合う。

「いくら彼を殴り飛ばしても、憑依状態から解放されなければ根本的な解決にはなりません。いつまでも桜子を狙うことになります」

「どうすればいいのか、考えましょ。『いっそ息の根を止める』というのはナシの方向で考えてね」

 念のためと思って桜子がそう告げた瞬間、紅月と忍がかなり渋い顔になったのは、ただの冗談だと思うことにする。

「ねえ、私はあんまり呪いには詳しくないけど、基本的に解呪ができるのは、かけた奴かかけられた奴なのよね? だったらやっぱり、呪いをかけた張本人の宵音をぶっ飛ばすのが一番手っ取り早かったりしない?」

「ええ、基本的には桜子の言うとおりです」

 肯定してくれた葵だが、「けれど」と申し訳なさそうに続けた。

「今回の場合、呪いと言っても、その本質は『憑依』です。蛇は宵音の命令を受けているでしょうけれど、自律的に動いている可能性が高いと思います」

「自律的っていうと……」

「一度動き出してしまった以上、術者である宵音がどうなろうと、蛇には関係ないのではないか、ということです。この場合、宵音を倒してもやはり解決にはなりません」

「術者の死後も続く強力な呪いってのも存在することだし、朽葉の手下ってことは間違いなく術者としては強いだろうさ。宵音をどうにかして、っていうのは、期待できないだろうな」

 忍も葵と同意見のようだった。

「で、残るかけられた本人、クロが自力でなんとかするっていうのも、あんま期待できそうにないな。今はかろうじて自我を保っていたが、ほとんど蛇に侵蝕されてる状態だ。あの状態から巻き返すのは無理だろう」

 と、紅月は冷静に、現在のかなり厳しい状況を分析する。

「そうなったら、あとはどうするの。あとは例外パターンの、呪祓いしか残ってないけど、それができる妖怪はそうそういないんでしょう?」

 桜子が問うと、紅月はまっすぐに桜子を見返して言った。

「俺は、もしかしたら嬢ちゃんになら呪祓いができるんじゃないかと睨んでる」

「……私が?」

「桜鬼には浄めの力があった。嬢ちゃんはたぶんそれを受け継いでいると思う。桜鬼に匹敵するとまでは言わないが、他の誰よりも呪祓いの才能を持っているのは嬢ちゃんだろう」

 桜子はそっと自分の胸に手を当ててみる。自分に、浄めの力が――クロを救う力があるのか?

 もしもその可能性が少しでもあるなら、それに懸けたい、縋りたいと思った。今まで何もできなくて、クロに守られてばかりだったのが、悔しくて仕方がなかっのだ。

 今、自分の力でクロを救うことができるなら――

「どうすれば、いいの?」

「とりあえず、今のままじゃ妖力不足だろうから、それを何とかする方法を考えよう」

 妖力を増強させるといえば、久霧の郷で一度使った、「潮満草」が真っ先に思いついた。少々危険を伴う行程だが、もう一度あの場所へ行くことに、桜子は躊躇いはなかった。

 だが、桜子がその考えを告げる前に、忍が言った。

「いい方法があるぜ」

 六つの瞳が一斉に忍を注視する。

「紅月の提案も悪くはないが、宵音の強力な蛇の術に対抗できるレベルまで鍛えるってのは、なかなか大変だろ。呑気に修行パートに突入する余裕もないことだし、ここは裏ワザを使おうって話だ」

「裏ワザ?」

「姫さんとクロが、主従契約を結んじまえばいい」

「?」

 桜子にはよく意味が解らなかったが、紅月と葵は同時にはっとして、目を輝かせた。

「そうか、その手があったか!」

「忍、たまにはいいことを言いますね!」

「どういうこと?」

 唯一話についていけない桜子が説明を求めると、忍が得意顔で語り始めた。

「いいか、姫さんも知ってのとおり、主従契約を結べば、従者は主人に絶対服従だ。姫さんが主として契約を結べば、クロは姫さんを傷つけることはできなくなる。憑依されて操られてようが、契約は絶対だ。つまり、()()()()()()()()()()()()()わけだ」

「お、おお、なんかすごいこと言ってる気がする」

 本当はよく解っていないような気がするが、解ったつもりで驚いておく。だが、呪いを解かずに別の命令で上書きする、という横紙破りな強引な手法は聞き覚えがある。そう、確か緋桜が、久霧の郷の長老・天満に掛けられた呪いを無効化するために、別の呪いを上書きしたのだ。忍が言う方法も、それに通じるもののように思われた。

「しかも、契約を結ぶことが切欠になって、姫さんの妖術も強化される可能性が高いと思う。このへんが裏ワザだな、悠長な修行よりはよっぽどいいはず。姫さんは確かに桜鬼の血を半分引いてて、力の一部を受け継いでいる。なのに今までてんで妖術が使えなかったのは、人間として生きてきて妖術を使ってなかったせいで、力が錆びついちまってるんだと思う。今まで使ってなくて錆びついちまってた回路に電気を流して使えるようにする、くらいに考えてくれればいい」

「つまり、蛇の支配を抑え込んでクロの凶行を防いで、嬢ちゃんの呪祓いの力も目覚めさせて、一石二鳥の方法ってわけか」

「まさしくウルトラCってわけだ。どうだ?」

「すごいじゃない! そんなすごい方法があるならもっと早く言ってよ」

 どうやら希望が見えてきたらしい。盛り上がる男二人と一緒に桜子も盛り上がる。なぜか葵だけ、最初は喜んでいたはずなのにいつのまにか複雑そうな表情をしているのが気になったが、それはひとまずおいといて、桜子は忍に問う。

「で、その契約ってどうすればできるの」

 忍はとびきりの笑顔で――あとから思えば胡散臭い笑顔で――ぐっと親指を立てて、教えてくれた。

「姫さんがクロにキスすんの」

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