表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
80/104

9 敵は手をすり抜けていく

 朽葉は小さく笑う。次第に笑い声は大きくなっていくが、傷に障ったのか顔を顰めると、大きく息をついて肩を竦めた。

「成程、騙してたつもりが、騙されてたのは俺の方だったわけか。いや、俺だけじゃない。彼女のことも、自分自身さえも騙して、そこまでして俺に刃を届かせたかったのかい、クロ?」

 相変わらずにやにやと笑みは絶やさないが、それでも表情には確かに苦痛が感じ取れる。押さえていた手を外すと、その下には右目を深く裂いた傷跡が痛々しい。傷口から溢れる赤は頬を伝い、まるで血の涙を流しているように見える。

「俺はようやくお前を手に入れたと思ったのに、がっかりだ。人の気持ちをさくっと利用して踏み躙ってくれるあたり、性格悪いなぁ、ほんと」

「誰よりも性悪なクソ猫が何を言ってやがる」

「まあ、確かにね。俺は誰より性悪で、姑息で卑怯でサイテーだ。そういうわけだから、悪いけど俺はとっととトンズラさせてもらうよ。万全のときだってこのメンツを相手にするのは骨が折れそうだってのに、この有様じゃ勝負にならないや。俺、実はこう見えて、正面切っての殴り合いとか専門外だしね」

「逃げられると思ってんのか」

「逃がしてくれるよ、だってほら、俺、こういうときは手段を選ばないし」

 朽葉はにこりと笑う。

 それが合図だったかのように、遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。

「! 何だ?」

 一つや二つではない、いくつもの悲鳴が折り重なって聞こえる。街の方で何か騒ぎが起きているらしいと気づくと、朽葉を囲む包囲網の間に動揺が走る。

 桜子は今更ながらに思い出す。朽葉には仲間がいるのだ。久霧の郷で、朽葉の隣には女の妖怪がいた。そして彼女は今ここにはいない。あの妖怪が、朽葉を逃がすために街を襲撃している可能性は十分に考えられる。

「ほらほら、早く行ってあげないと、また郷で大量虐殺が起きちゃうんじゃないのー?」

 軽い調子で言ってくれる朽葉を、クロは忌々しげに睨んでいた。朽葉は手負いだ、追い打ちをかけるなら今だ。だが、そうしている間に、郷で被害が広がる可能性がある。

 逡巡の間に、朽葉は当たり前のように「じゃあね」と手を振って、くるりと背を向けて藪の中を進んでいく。ゆったりとした足取りは「逃げる」という言葉がまるで相応しくないほど悠長だった。誰も自分を追いかけては来ないという確信があるのだろう。

 悔しい話だが、街の方の状況が不明の状態で、朽葉にかまけている暇がないのは確かだった。

 クロは舌打ち交じりに踵を返す。

「あのクソ野郎は後回しだ。戻るぞ」

 言うや否や駆け出すクロ。桜子たちは慌てて彼を追いかけた。



 足が速い上に戦闘でも頼りになる荒事担当な男たち三人組が先行し、丙と葵は桜子の速度に合わせて走ってくれた。四丁目の墓地前を通り過ぎ、商店街を目指す。

「街のみんな、無事だといいけれど……」

 いつも快活に笑っている丙が、今回ばかりは青白い顔で言う。

「大丈夫ですよ。みな、妖の端くれ、そう簡単に、危機的状況にはなりませんでしょう」

 葵が殊更大きな声で励ますが、丙の表情はなお暗い。

「私、怖いわ……また、昔みたいなことが起きるんじゃないかって」

「昔って……朽葉が起こしたっていう、『史上最悪の裏切り』?」

 朽葉が郷を裏切り、妖たちを殺戮したのだという話は幾度となく聞かされた。もしかしたら丙は、その惨状を目の当たりにしていたのかもしれない。そんな桜子の予想を証明するように、丙は憂鬱げな顔で語る。

「その事件はね、真夜中に起きていたんだよ。みんなが寝静まっていたときに、ひっそりと。私がそれを知ったのは、全部終わってから。朝、目を覚まして、外に出てみると妙に静かなの。どうしたのかしら、って思って通りを歩いていくと、たくさんの妖たちが倒れていて、一人だけぽつんと、あの男、朽葉が嗤いながら立っていたわ。大量の血を浴びて楽しそうに笑っている朽葉を見て、私は心底ぞっとしたわ。ああ、こいつがやったんだって、一目で解った。後から駆けつけてきた長老たちも、そう確信した。けどね」

 そこで丙は言葉を切って、少し躊躇うような間があった。やがて首を振って躊躇いを振り切るようにして、丙は続けた。

「けどね、私、思うの。もしかしてあれは、朽葉が殺したのだけれど、朽葉が殺したのではないのかもしれないって」

「え……?」

 唐突に聞かされたパラドキシカルな言葉の意味を測りかね、桜子は怪訝に首を傾げる。

「きっと、クロも気づいているんじゃないかしら。朽葉の、本当の怖さを」

「それって……」

「見えましたわ!」

「!」

 葵の言葉で、話は中断され、桜子は前方に視線をやる。

 その途端に、桜子はぶるりと震えた。十二月の風は肌を容赦なく突き刺す。だが、それだけではない。それ以上に、異常に、冷たい空気があたりを覆っていた。

「これって……、――わっ!?」

 唖然としたまま走って、足元への注意が疎かになっていたせいで、桜子は足を滑らせて危うく転びかけた。すんでのところで踏みとどまれたのは、体育の成績五で培ったバランス感覚のおかげだろう。

 いくら焦っていても、何もないところで滑って転ぶほど間抜けではない。桜子は転びかけた地面を見て呆然と呟く。

「……凍ってる?」

 雨上がりで水たまりができていた地面が、凍っていた。それだけなら、今日は寒いから、で済ませたかもしれない。だが、地面だけではない。

 いつも賑やかな商店街は、今や静かだ。氷の下に沈んでしまっているせいで。

 壁には白く霜が這い回り、軒からは氷柱が垂れ下がる。あちらこちらで店々が凍り付いているのだ。そのせいで、周りの空気がぐっと冷えている。季節柄、吐く息は元々白かったが、その白さがいっそう深くなったような気さえした。

「寒っ……どうなってんの、これ。郷のみんなは、大丈夫なの?」

 誰かいないのか。妖たちの姿を求めて桜子は周りを見回す。だが、静まりかえった街には自分たち以外の姿は見えない。まさか、建物の中で凍り付いている、などということはないだろうな。

 桜子が嫌な想像に戦慄していると、ばたばたと走ってくる足音。一足先に着いていたクロたちが街を見回って戻ってきたところだった。

「クロ! 他のみんなは?」

「このあたりにはもう誰も残ってない」

 その後を引き取って紅月が続ける。

「大丈夫だ、嬢ちゃん。たぶん、みんな避難している。竜厳様の屋敷には地下シェルターがあるから、そこにいるはずだ」

「シェルター?」

 そんなものがあったのか。

「逃げ足だけは早い連中だ、無事だろう」

「それより、こいつをやらかした奴がまだ近くにいるかもしれない。そっちを警戒した方がよさそうだ」

 紅月は銃を構えながらそう言う。

 言われた通りに神経を尖らせて周りを警戒しつつ、誰にともなく問う。

「いったい誰がこんなことを……?」

「間違いなく朽葉の仲間の仕業だろうが、久霧で見た女の妖術にしては、少し毛色が違う気がするな」

「氷を操る妖怪が、別にいるってこと?」

「たぶんな。そいつの土俵で戦うことになるのは気に入らないな。おい、馬鹿鬼、何とかしろ」

「それがものを頼む態度かよ」

 クロの投げやりな頼みに苦虫を潰したような顔になりながらも、忍は手を高々と掲げて唱える。

「散れ、鬼火!」

 瞬間、忍の周りには幾つもの青白い炎が浮かび、それがふわふわと浮遊して周りに散っていく。鬼火の放つ熱が少しずつあたりの氷を溶かしていった。それを見ていた葵が、「なにを鈍間なことをしているのです」とさらりと毒を吐きながら、忍の数倍の大きさの鬼火を、忍の数倍の数、涼しい顔で放ったあたりで、忍はかなり傷ついた顔で肩を落としていた。以前、妖術では葵の方が忍より勝ると言っていたのはやはり本当らしい。

 豹変した街を見た時には背筋が凍る思いだったが、徐々に氷が溶けていくのを見て、桜子は落ち着きを取り戻しつつあった。

 その時、聞こえた女の声。

「あら、折角の氷を溶かす無粋な輩は誰かしら?」

 どこからか聞こえた声に、全員が身を強張らせる。

「『槍氷雨ヤリヒサメ』」

 愉快げに唱える声の直後、上空に禍々しい気配を感じ、桜子は振り仰ぐ。そこには、無数の氷の槍が浮かんでいた。鋭く尖ったそれは、一直線に落下を始め、桜子たちに襲いかかった。

 咄嗟のことで呆然と立ちすくんでいた桜子を、クロが引っ掴んだ。驚いている桜子をさっと脇に抱え上げて後ろへ飛び退る。他の四人も素早く跳躍して槍の雨を回避すると、思った以上に凶悪な音を立てて槍が地面を抉っていた。

「ぼけっとすんな、桜子」

「う、うん」

 固い声で咎められ、慌てて気を引き締める桜子。

 と、氷の槍に引き続いて、上からもっと大きなものが降ってきた。それは、白い女だった。

 ぱしゃん、と水たまりと砕けた氷の粒をはねらかしながら着地したのは、白い髪、白いワンピースの女性だ。唇に引いた紅だけが妙に赤く際立っている以外は、ほとんど色のない、不思議な女だ。

「初めまして、皆々様。私は雛魅ひなみ。ご覧の通りの雪女」

 スカートの裾をつまみあげて優雅にお辞儀をする女は、顔を上げると同時ににっこり笑って、告げる。

「そして、さようなら」

 瞬間、雛魅の背後で、地面から氷の壁が立ち上った。

 分厚く、高く巨大な氷の壁は、それ一つでは収まらず、雛魅によって分断された向こうにいた紅月たち四人を取り囲むように四方から現れる。ものの数秒、彼らが反応するより早く高く聳え立った壁は最後に天井を氷で埋め尽くし、四人の姿をすっかり隔離した。

「みんな!」

 咄嗟に駆け寄ろうとする桜子を押しとどめ、刀を握りしめたクロが前に出る。

 雛魅は懐から懐中時計を取り出し、時間を確認し、呟く。

「さて、彼ら相手では、私の『氷牢』も、持って一分というところでしょう。時間が惜しいので、手早く始末させていただきますわ」

 五秒でそんな台詞を言い終えると、雛魅は氷で作り上げた即席の剣を右手に持ち、スカートの裾を翻し駆けた。

 素早く肉薄し、氷の剣を振り下ろす雛魅を、クロは妖刀・猫戯らしで迎え撃つ。刃同士がぶつかり、きぃんと甲高い音を奏でた。

「最初はあなたが相手をしてくれるんですのね」

「最初で、最後だよ!」

 咆哮と同時に、クロの猫戯らしは大きく横に薙がれ、雛魅の氷の剣を叩き折った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ