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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
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8 心に刻みつけろ

 四丁目の墓地近く、竹藪に囲まれた、道とも呼べないような小径を、クロは歩いていた。

 空は暗雲に覆われていて薄暗い。そして、彼の金色の瞳もまた昏い。

 ふと目線を上げると、行く先に朽葉が立っている。待ちわびたというふうな朽葉は、にこやかに笑う。

「憂鬱そうな顔だな。桜子ちゃんとの、愉しい愉しい惜別タイムは済んだのかな?」

 すべてを拒絶し、置き去りにしてきたことを解っている、とでも言いたげな、心底愉快そうな顔でそんなことを言う。おそらくそれが、朽葉が初めから描いていた予定だということなのだろう。

 人の心を、行動を、すべて計算し、掌の上で踊らせる手腕。巧みな言葉と確かな読み。どこかで聞いたことのあるやり口だと思ったら、なんということはない、自分のやり方にそっくりなのだ。

 自分の中に流れる忌まわしい血を確かに感じ、クロはひっそりと溜息をつく。

 こんな自分では、愛想を尽かされてもおかしくない、と思う。

「さあ、クロ、行こうぜ。この時をどれだけ待ったことか! 記念すべき親子和解の日だ、景気づけに何をしてやろうか。なあ、クロ?」

「ああ、そうだな……」

 言いながら、クロは朽葉の横に並ぶ。

 にこにこと嬉しそうに微笑む横顔。

 自分に心を許し、受け入れてくれている、無防備な微笑みだ。

 異端として妖たちから忌み嫌われ疎まれてきた自分を、この男は無条件で求めてくれるのだろう。それを改めて理解して、クロはくすりと小さく笑う。

 嬉しい、とは違う。可笑しいのだ。

 こんなにも求められ、傍にいたいと囁かれ、手を差し伸べられている、その事実が。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 妖刀を抜き放つのは一瞬のことだった。無警戒に晒された横顔を、猫戯らしは斬り上げる。

「……ッ!?」

 朽葉が驚愕に目を剥いた。だが、それも、片目だけだ。

 なぜなら、片方の目、自分と同じ色をした右目は、たった今斬り裂いてしまったから。

「何をするかって? そんなの、言うまでもない」

 刃を振るって、血を散らす。朽葉の瞳に狼狽が浮かぶのとは対照的に、クロの瞳は獰猛にぎらついている。

「お前をぶちのめす……ただそれだけだ」

「……!!」

 朽葉の表情から余裕の笑みはすっかり消え去っていた。

 ぼたっ、と血の流れる右目を片手で押さえ、朽葉は後退る。計画の成功を確信して油断しきっていたところに、予想外の攻撃。朽葉は珍しく動揺していた。その隙を逃さず、クロは追い縋り、妖刀を横に薙ぎ、朽葉の体を斬り裂いた。

「ぐっ……! クロ……!?」

 すんでのところで致命傷を避けた朽葉は、ようやく現状に対する理解が追いついたようで、クロの放つ攻撃に対する防衛に出る。クロがさらに追い打ちをかけようとするのに、空いた左手を突き出す。その掌から目に見えぬ妖気の奔流を感じ取り、クロが咄嗟に身を躱すと同時に、衝撃波のようなものが放たれ、クロの脇を通過したそれは地面を浅く穿った。

 朽葉は焦った調子でクロと距離を取る。警戒を引き上げたのは明らかだ。もう、そうやすやすと間合いに入れさせてはくれないだろう。だが、最初の不意打ち二発で、視界の半分を奪い、腹を掻っ捌いてやった。悪くない結果だ。

「クロ……こいつは何のつもりだ? じゃれ合いにしては、オイタが過ぎるんじゃないのか?」

「なに甘ったれたこと言ってやがる。まだまだ序の口だぜ?」

 そう言うクロの口調には、いつもの飄々とした不敵さが戻ってきている。その瞳には一点の曇りもない。今まで鳴りを潜めていた笑みを唇に湛え、クロはいつものように挑発をする。

「全部捨ててきたくせに、俺にまで刃を向けるとはいい度胸だ。俺がいなけりゃ、お前は正真正銘の独りだってのにさ」

「さあ、どうだろうな」

「!」

 朽葉はその時、ようやく気付いたようだった。隠していた殺気を露わにし、朽葉を標的と見定めているのはクロだけではない。今や、朽葉の周りを、四人の妖が取り囲んでいた。

 愛用の拳銃の銃口を向けた紅月、重そうな金棒を軽々担いでいる忍、解読不能な文字の書かれた呪符を構える葵、いつぞやの宣言通りロケットランチャーを装備している丙。敵に回すと面倒な妖怪四人衆である。

 野牙里に住まう紅月と丙はともかく、鬼の郷の当主である忍と葵までもがなぜこんなところにいるのかといえば、桜子の窮状を知って見舞いに来ていたところを幸か不幸かクロにとっ捕まったという経緯である。

「ったく、なんで平和的に見舞いに来ただけのはずなのに、持ってたはずのメロンがいつの間にか金棒に取って代わってんだか」

 苦々しげにそうぼやくのは忍である。それを、葵は朽葉から視線を外すことなく窘める。

「桜子を陥れる卑劣な輩です、放ってはおけませんわ」

「そのとーり! 盛大に吹っ飛ばすから覚悟することよん!」

 ノリノリで同意するのは一番派手な武装の丙だ。

「野牙里の郷で好き勝手やってくれた落とし前、つけさせてもらうぜ」

 引き金に指をかけて、いつでも撃てると意思表示しながら紅月が言う。

 四人を見回し、最後にクロに視線を戻し、朽葉は笑う。

「成程、こいつらと慣れ合うことにしたわけか。打算的な付き合いしかしない奴と、かつての仕打ちを忘れて掌を返した調子の良い奴、それがお前の選んだ仲間か?」

「お前には濁った眼にはそう見えるかもしれないな。だが、俺にとっては違う。昔のことなんか、いちいち引きずったりしない。今はちゃんと、あいつが結んでくれた縁で繋がってる。そういう集まりだ」

「何?」

 きっと朽葉には理解できないだろうな、と思いながら、クロは体をずらす。後ろから歩いてきて、クロの隣に並んだ彼女を見て、朽葉が目を見開いた。それから、冷や汗交じりに悔し紛れの笑みを浮かべ、負け惜しみのように言う。

「どういうことかなぁ。君のことは立ち直れない程度にズタズタにしてやったつもりなんだけどね、桜子ちゃん?」

「――お陰様で、超絶最悪の気分を経験できたわ。きっちりお礼をしてあげるから、大人しくそこに這いつくばってちょうだい」

 クロの隣で仁王立ちする桜子は、まっすぐに朽葉を睨み強気に言い放った。


★★★


 時は遡り、所は百花の診療所の病室。

 届かない懺悔を繰り返して嗚咽を漏らし蹲る桜子がいた。溢れる涙を乱暴に拭ったせいで、目元は赤く腫れている。その顔を「ブサイク」だと笑ってくれる黒猫は、傍にはいない――そう思うと、折角拭いた涙もまた流れ出してしまう。

 どうしようもなく苦しい。絶望的な暗闇の中で凍り付いたまま、桜子は動けなかった。

 そんな彼女に一筋の光を齎したのは、小さく漏れた誰かの吐息だった。

「……?」

 誰もいないはずの部屋に、自分以外の誰かが、すぐ近くにいる。それに気づいて、桜子は顔を上げる。見えない、だが、今までは感じなかったはずの気配が傍にある。

 誰だろう、と考える前に、その誰かが漏らす吐息が、次第にくつくつと小さく笑う声に変わる。

 やがて耐えられなくなったというように吹き出して、そいつは決定的に笑い出した。

「――ふっ、あははは! 駄目だ、もう無理、限界、我慢できないッ。腹痛い、お前は俺を笑い死にさせる気かって!」

 そんなことを言う、愉快そうな声。

 人が号泣しているにもかかわらずシリアスな雰囲気をぶち壊して笑い上戸を起こす空気の読めない馬鹿は、一人しかいない。

 そんなまさかと思って、桜子は呆然として、意味もなく瞬きする。

「あいつに何を吹き込まれたかと思えば、そんな二秒でデタラメだと解るようなしょーもない嘘にひっかかりやがって。お前はいつからそんな可愛い性格になったんだよ」

「……クロ?」

「おう」

「……なんで? そこに、いるの? 夢じゃない? 幻聴じゃない?」

「当たり前だろうが」

 あっさりと請け合う言葉に、桜子は訳が分からず頭に疑問符を浮かべる。

 見えないが、おそらくドヤ顔をしているに違いないと解るような声でクロが言う。

「お前がいつまでも強情張ってるから、ちっとばかし荒療治をさせてもらったぜ」

「荒、療、治」

 噛みしめるように反芻して、桜子はようやく理解する。桜子が隠していることを打ち明けさせるために、クロは一芝居打ったらしい。視力を奪われ情報の半分以上が制限されていたこともあって、桜子はクロの迫真の演技にすっかり騙されたのだ。

 クロは嘘の拒絶をして、朽葉のところに行くふりをして、気配を消して桜子の声が聞こえるところに潜んでいたのだ。桜子が届かないと思って漏らした諸々の言葉も全部聞いて、涙でぐちゃぐちゃにした顔も全部見ていたということらしい。

「じゃあ、朽葉のところに、行ったりしない?」

「誰があんな超絶性悪のクソ猫と組むかよ」

 本気で嫌そうにそう言ってから、クロは笑い声をひっこめて真面目な声を漏らす。

「俺はたぶん、もう昔みたいに独りじゃ生きられないんだと思う。けど、だからってさ、傍にいるのが誰でもいいわけじゃない。俺は、俺にとって大事な奴と一緒にいたい。それは朽葉じゃない。お前だよ、桜子」

「でも、私は……」

 クロが愛した主人・緋桜とは全然違う。何の力もないちっぽけな半妖だ。それなのに、クロとつり合うのだろうか? クロが桜子を守るのは、緋桜の忘れ形見だからなのではないか?

 もう隠しても無駄だと知って、桜子は自身が抱える不安を全てぶちまけてしまった。

 クロは、それを、今度は笑い飛ばすことなく聞いて、それから呟く。

「最初のきっかけは、確かにそうだった。けど、たとえばお前が、朽葉みたいなクソ野郎だったら、いくら緋桜の娘だからって、一緒にいたいとは思わなかったろうさ。お前はお前だから……弱くても、まっすぐで、馬鹿みたいに優しい奴だから、俺はお前の友達でいたいと望んだんだ。だから、朽葉の言葉なんかに惑わされなくていい。俺がこう言ってんだから、それを信じて、ちっとは自分に自信を持てばいい。俺は確かに友達作りの下手くそな馬鹿かもしれないけど、友情と忠誠を間違えるほどの大馬鹿じゃない」

「クロ……」

「俺はさ、自分で言うのもなんだけど、性格はよくないし、知ってのとおりクソ猫の血を引いてる。こんな俺じゃ、いつ愛想つかされたっておかしくないと思う。けど……春、出会い方は酷かったし、喧嘩もした。なのにお前は俺を受け入れて、傍にいてくれようとして……俺がそれにどれだけ救われていたか、解るか? だから俺は、もうお前を諦められない。すれ違って、お前が俺から目を逸らしたとしても、強引にでもお前とを俺に向きあわせてやる……そう決めたんだ」

 それだけ言うと、クロは少し恥ずかしそうに視線を外す。

 胸を締め付けていた苦しみが、消え去って行く。

 クロの言葉でこんなにも安心できる。最初から、こうしていればよかったのだ。

 ちゃんと信じていればよかった、それだけなのだ。

 なぜならクロは、はっきりと言っていたではないか。

『――俺は、緋桜の代わりとしてじゃなくて、お前をお前として見るようになった――』

 確かめ合ったはずのそれを、どうして忘れてしまったのだろう。どうして信じきれなかったのだろう。朽葉の言葉などに惑わされて、勝手に悩んで――全部、杞憂だったのに。

 ――もう、忘れない。

 クロの告げた言葉の全部を忘れないで胸の中に持っていよう。そうすればもう、迷うことなどないのだから。

 そう決めた瞬間、闇がさっと晴れて行った。

 久しぶりに――といっても、たったの数時間ぶりではあるのだが、絶望に浸された闇の時間は永遠のようにさえ思われていたのだ――感じた眩しい光に、思わず目を眇める。

 次第に光に慣れてくると、ぼんやりとしていた景色がはっきりとしてくる。

 白い病室、そこにいる自分と、目の前で微笑んでいる黒猫の姿をしっかりと認め、桜子は笑う。

「クロ……やっと、見つけた」

 クロは特に驚きもせず、なにもかも予定通りというような顔をしている。

「やっと呪いが解けたのか。ずいぶんちんたらしてたな」

「私が自分で解呪できたの?」

「朽葉のやり口は解ってる。人の弱みに付け込んで、言葉巧みに心を弱らせて、自分の思うとおりに相手を動かす。呪いもそうだ。言葉に耳を貸さなければ呪いにはかからないし、気を強く持てば解呪できる。……ま、言うほど簡単じゃないけど、お前、気は無駄に強いから、まあ大丈夫だろうとは思ってたよ」

「クロ……!」

 桜子は突き動かされるように、目の前のクロにしがみついた。どこへも行かせないとでも言うように、しっかりと抱きしめる。腕の中の温もりがとても愛おしかった。

「よかった……ちゃんと、クロがいる。行かないでくれて、ありがとう」

「ああ」

「クロ、一つだけ、お願い聞いてくれる?」

「何だ?」

 桜子は泣き笑いを浮かべながら言う。

「一発殴らせて」

「絶対言うと思った」

 呆れた顔で大人しく頬を差し出す殊勝な黒猫を、桜子は平手で張り飛ばした。



「信じらんない!! 人がガチ泣きしてるのに気配消してかぶりつきで鑑賞した挙句大爆笑ってどういうこと!? 人が真剣に悩んでたことをしょーもないの一言で一刀両断ってなんなわけ!? 元はと言えば私が悪いのは認めるけれどそれを差し引いても酷すぎる!」

「解ってるよ……だから大人しく殴られてやっただろうが」

 ぶつぶつぼやくクロは憮然としている。

 クロの荒療治は成功し、そのおかげで呪いは解かれ、誤解も全部解けて一件落着。だが、それとこれとは別問題、と都合のいいことを言いながら、桜子はクロのやり方の乱暴さをあげつらった。

 桜子がひとしきり叫びつくして気が済んだのを見ると、クロは引っ叩かれた頬を擦りながら、

「そろそろ本題に入るがな。俺はこれから朽葉のところに行く。というか、たぶんあいつは俺を待ち構えてるだろ。油断しきったアホ面に奇襲しかけてぶっ潰してくる」

「まさか、一人で行く気じゃないでしょうね」

「まさかとは思うがお前も行くのか」

「あったりまえでしょ」

 桜子は憤然として言う。

「散々人のこと弄り倒してくれたんだから、お礼参りは常識でしょ」

「――お、なんか面白そうな話してるな。俺たちも混ぜろよ」

 狙っていたようなタイミングでそう言いながら、ぞろぞろと部屋に入ってきたのが、翠と、桜子を心配してやってきた、敵に回したくない妖怪四人衆だったわけである。

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