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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
4 猫を呼ぶ冬
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6 俺様にゃんこの選択

 千年堂を訪れると、ふだんは外に出て宣伝をして回っていることも多い丙が、しかしその時は丁度店にいて好都合だった。半妖にちょうどいいくらいの強すぎない薬を、と注文したところで、その薬が桜子のためのものであることはすぐにばれた。そして、桜子が高熱でダウンするに至った事情、すなわち朽葉との遭遇から今に至るまでのことも根掘り葉掘り訊かれ――口は動かしながらも薬を調合する手だけは止めなかったので文句も言えなかった――全部話し終えると丙は目を剥いた。

「そ、そんなことになってるなんて! どうしてもっと早く言わないの!」

「お前に言ってどうすんだよ」

「傷心の桜子ちゃんを慰めつつ愛を育む! まさに役得! 百花が羨ましいわ!」

「黙って手だけ動かせ」

 ぴしゃりと命じると丙はしくしく言いながら手を動かす。

「けど、いったい朽葉は何の目的で桜子ちゃんに呪いなんて……二人に接点はないはずでしょう?」

「ああ……」

 接点と言えば、二か月ほど前、久霧の郷で遠目に見たのが、桜子と朽葉のファーストコンタクトだ。もっとも、桜鬼の末裔の半妖として妖怪界デビューを果たした有名人の桜子を、朽葉がどこからかひっそりと見ていて一方的に知っていた可能性はある。

 史上最悪の裏切り者であり、妖怪の世界に混沌と災厄を振り撒いた朽葉は、妖怪の世界に平穏を齎した桜鬼とは相容れない存在だ。となると、桜鬼の娘である桜子もまた、朽葉とは相容れないと考えるのが普通だ。

 久霧の郷での朽葉の暗躍を考えるに、今まで長らく身を潜めていた朽葉が何やらまた動き出したらしいということは確かだ。これから何をするつもりにしても、ロクでもないことを考えているに違いない。となれば、桜鬼の末裔は遠からず自分の障害になると考え、排除しようとした、というのはありそうだ。

 しかし、そう考えると腑に落ちない点もある。もしも朽葉が桜子を邪魔に思ったのならば、呪いをかけるなどというまどろっこしいことをせず、命を狙えばいい。今更誰かを殺すことに躊躇をするような奴でないことは解りきっている。なぜ、そうしなかったのか。

 そこまで考えて、クロは舌打ちする。どういう理由かは解らないが、あの裏切りの黒猫と桜子が出会ってしまいながら、呪いを受けつつも桜子の命が無事だったのは、奇跡的な幸運だが、僥倖は二度も期待はできない。一歩間違えれば、彼女は朽葉の手にかかって死んでいたかもしれない。そう思うと、背筋が凍る思いだった。

 朽葉が何を考えているかは知らないが、二度と桜子に近づけてなるものか。

「――クロ? おーい、クロ」

 丙に名前を呼ばれ、クロははっと我に返る。

「どうしたの、怖い顔しちゃって。眉間に皺寄ってるわよ、ぎゅーって」

「ああ、悪い、ちょっと考え事を」

「薬、できたわよ。早く桜子ちゃんに持って行ってあげて。私は引き続き、ラボで作業するわ」

「作業? 何の」

 丙は腕まくりをして気合十分に答える。

「勿論、桜子ちゃんのためになりそうなものを制作するのよ! 護身用にロケットランチャーくらいあってもいいかなーって」

「好意はありがたいがその武器のチョイスはおかしい」

 小瓶に入った煎じ薬を受け取って、クロは千年堂を後にする。

 雨上がりの道はぬかるんでいて、走るたびに泥水がぴちゃりと跳ねてズボンの裾を汚したが、そんなことなど構わず、クロは百花の診療所へ急ぐ。いつも煩いくらいに元気な娘が、熱に浮かされて弱ったところを見てしまうと、心穏やかにはいられない。

 それに――

「……なんでお前が謝るんだよ」

 去り際に背中に掛けられた謝罪の言葉。その真意を知りたかった。

「謝るのは、むしろ俺の方だろ……」

 元々妖怪などとは無縁に平和に生きていた彼女をこちらの世界に引っ張り込んだのはクロだ。久霧の郷では朽葉が生きていることを知って、その時点でもう、桜子の身に危機が迫る可能性を想定しているべきだったのに、気を緩めて手をこまねいているうちに、みすみす桜子に朽葉を近寄らせてしまった。

 何より、一番大事なことを、黙っていた。

 久霧の郷での一件以来、桜子は朽葉について触れようとはしなかった。本当は訊きたいこともあっただろうに、何も言わなかった。忌々しいくらい自分とそっくりな顔の男、奴を見て、桜子が何も気づかないはずがない。だが桜子はクロを問い詰めはしなかった。

 自分の口から言うべきだったのに、結局まだ、何も言えていない。

 そのことも全部合わせて、謝らなくては、と思う。

 そう思っていたら、思わず口から本心が零れて、しかし、自分のいる場所が往来だったことを思い出して、自分の迂闊さに舌打ちする。誰かに聞かれてやしないかと周りを見回し、はたと気づく。

 いつも賑やかな商店街、雨が降った後とはいえ、静かすぎやしないか。誰もかれもが店の奥に引っ込んでしまっているらしく、誰も外を歩いていない。

 妙だ、と思う。

 ――この感じ。妖払いの結界?

 よく注意してみなければ気づかないほどの、ほんの小さな違和感。あたりに漂う奇妙な気配に、クロは立ち止まり、神経を尖らせる。

 その警戒をするりと平然と掻い潜って、すぐ背後から呑気な声が聞こえた。

「よーぅ、クロ。元気か?」

 忘れもしないその声の主の正体に気づいた瞬間、クロは躊躇いなくその右手に妖刀・猫戯らしを現し、振り返りざまに背後の男に斬りかかった。

 しかし、クロの行動を読んでいたらしく、男は素早く跳躍して太刀を避けた。距離を取った男は困ったような笑みを浮かべる。

「ほらね、やっぱり容赦ない。油断してたら八つ裂きだよ」

 クロが殺気を剥き出しにするのに対して、殺気を向けられているとは思えないくらい、能天気な調子で、神出鬼没の黒猫・朽葉は言った。

 神経を逆撫でする薄ら笑いの朽葉を睨みつけ、クロは低い声で威かす。

「この状況で出てくるってことは、俺にぶった斬られる覚悟はあるんだろうな」

「おー怖い怖い。どうして家族団欒に来た父親に対してそういうことするかな」

「お前を父親だと思ったことなんか一度もない」

「なんだよ、反抗期か? 俺はクロのこと、可愛いバカ息子だと思ってるんだけどなぁ」

「そのクソくだらない戯言が遺言でいいんだな?」

「まあ待てよ。何をそんなに怒ってるんだ。桜子ちゃんにちょっかい出したのがそんなに気に食わなかったのかい?」

「黙れ」

 この男の口から彼女の名前を出されるだけでどうしようもなく苛立った。おそらくそれを見越した上で朽葉はあえて挑発してきているのだろうが。

 いつになく自分が熱くなっているという自覚はあった。それは相手が忌まわしい因縁の相手・朽葉であるからなのか、桜子が関わっているからなのか、それともその両方なのか。さまざまな要素が絡み合って、とても平静ではいられなかった。

 対する朽葉の方は、正反対に呑気すぎる調子で告げる。

「けれど、よく考えてごらんよ。お前があの子のために必死になる必要なんてどこにある? だって彼女は、結局お前を拒絶したじゃないか」

「拒、絶……?」

 思わず声が上擦ってしまった。朽葉の言葉に、思いがけず、冷水をぶっかけられたみたいな衝撃を受けて、熱く高ぶっていた感情が急速に凍り付いていくような気さえした。

 ふと思い返す。隠し事などないと頑なに言い張り、意図の不明な謝罪の言葉を漏らした桜子。

 あれは、拒絶だったのか?

「結局、お前の味方は俺しかいないんだよ。誰もかれも、お前が忌まわしい罪人の血を引いていると知れば、手のひらを返して冷たくあたる。桜子ちゃんも同じさ。お前がいつまでたっても自分からじゃ言えないようだから、俺が教えてやったのさ。お前が俺と血のつながった実の子だってさ。なあ、解るかい? あの子が今までお前に優しかったのはさ、お前が謂れのない理由で迫害されてる可哀相な子だと思って同情したからなんだよ。あとはついでに、母親の友達への義理? けど、迫害の理由が謂れのないものではなかった……お前が正真正銘の裏切りの血統だと知って、怖くなっちゃったのさ。友情ごっこは幻想だったってわけ」

 不意に、胸が締め付けられるような息苦しさを感じた。言葉という毒を浴びせられて、心臓がきりきりと軋み、悲鳴を上げている。その苦しさを誤魔化すように、クロは詰めた息をそっと吐き出し、朽葉を睨み据える。

「そんなつまらない嘘で、俺を動揺させる魂胆か?」

「嘘だと思うかい? けど、嘘をついてるのは彼女の方じゃないのかい? どうして彼女は、俺と何を話したのか言おうとしないんだろう? 後ろめたいからじゃないのかい?」

 桜子がクロに何も話してくれない――そんなことまで、なぜ朽葉は知っているのだろうか、という当然の疑問は、しかしクロの頭には浮かばなかった。それ以上に、嫌な考えが頭を支配していた。

 拒絶、という言葉に、なぜこうも心乱されるのか。

「どんなに綺麗ごとを並べてたって、化けの皮が剥がれればこのザマさ。なぁ、悪いことは言わない、あの子のことはもう忘れちまえよ。そんで、俺と一緒に行こう、クロ?」

 憎い相手の言葉に、どうしてこんなに動揺してしまうのか。

 ――こんなに簡単に乱れるほど、俺は弱かったか?

 そう自問して、クロは気づく。

 かつては独りでいることが当たり前だった。だが、緋桜と出会い、独りでないことを知った。そして緋桜と別れたことで、孤独であることがどうしようもなく苦痛になってしまった。

 桜子と出会うことで、その孤独はようやく癒されてきた。だというのに、再び主人を失うようなことになれば――二度目は、耐えられる気がしない。だから、こんなに不安で、苦しいのだ。

 再び手に入れた主人は、しかし、自身の願望とは裏腹に自分を拒絶するのだろうかと、クロは桜子の泣きそうな顔を何度も頭の中で再生する。

 解っている、悪いのは隠し事をしていた自分だ。よりによって、朽葉の口から聞かされてしまうようなことになるまで放置していたのが悪い。

「クロ、何を迷っているのか知らないけど、もう全部手遅れだぜ? 知ってしまったからには、知らないふりはできない。彼女はもう、お前の主人じゃないんだよ」

 笑いながら傷口を広げようとする朽葉を、クロは静かに睨みつける。

 朽葉はそっと右手を差し伸べ、この手を掴めと金色の瞳で語る。

「けど、安心しろよ。お前は独りじゃない。嫌われ者は嫌われ者同士、仲良くやろうじゃないか。あの子の代わりには、俺がなろう」

 朽葉が吐く言葉は、いつの間にか毒から蜜へと変わり、甘く誘惑する。迷う心に絡みついて離れない。

 あの手を掴むか否か。

「……」

 目を閉じて、クロは逡巡する。桜子と、朽葉――いくつもの言葉と表情が脳裏を駆け廻っていく。

 朽葉は血のつながった父親で。

 桜子は大切な友達だ。

 心の中でそう呟いた瞬間、ちくりと何かが胸を刺した。その言葉の中に密やかに、欺瞞が隠れているような気がしたのだ。

 クロの金色の瞳は差し出された朽葉の手をじっと見つめる。呆れるほど、自分とよく似た形の手だと思った。

 吸い寄せられるように、クロの脚が一歩前に出る。朽葉が笑みを深くしたのが解った。

 ――あの手を掴んだら、後戻りはできない。

 それでもかまわない、とクロは思う。

 それがどれほど、彼女を傷つけることになるかは理解できている。だが、それでも、もう止まれない。

 迷いを捨てるまでに、それほど時間はかからなかった。

 ふと、自分がなにげなく口にした言葉を思い出す。

『俺はお前と違って一人の時間を愛する派なんだよ』

 嘘つき、とクロは自嘲気味に笑う。

 ――飼い猫が飼い猫で在るためには、主人が必要だ。

「……桜子……お前が俺から目を逸らすなら、俺が取るべき道は、決まってる」

 心の隙間を埋める、「主人」を取り戻す――それがクロの望みだった。

 金色の瞳に冷たい光が宿る。

 クロは差し出された手を、握り返した。

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