2 意地っ張りのための作戦
誰もいないと思って油断していつもと違う顔をしているクロに行き会うのは、なんとなく盗み見しているようで、お互いあまり気分がよくない。ゆえに桜子は、最近では、不自然にならない程度に大きな声を掛けながらクロの家にあがるようにしていた。
「クロ? いる? いるよねー、いるでしょー?」
三和土で行儀よくローファーを揃えて廊下を進む。襖を開けて覗き込むと、クロはやはり居間でごろついていた。
有名な童謡に、「猫はこたつで丸くなる」というのがある。猫は寒がりらしい。そして、そのイメージに違わずクロも寒いのはあまり得意ではないらしく、部屋の真ん中にどんと鎮座するこたつの中に首から下がとっぷり覆われている。ヤドカリみたいなことになっている。しかし、クロの家は確か電気が通っていないから、このこたつは形だけのはずだ。スイッチの入っていないこたつほど寒いものはないと思うのだが。
「それ、あったかいの?」
桜子が問うと、クロはやたらと自慢げな顔をして言う。
「あったかい。スイッチ入れて最大火力で暖めてるからな。俺は寒いのは嫌いなんだ、冬だけは電気の浪費も厭わない」
「電気、使えるの?」
「こっちの世界でも電気が買えるんだよ。雷獣が自家発電してるのを売ってるんだ」
「ああ、そういう」
「千年堂の次にぼったくりのクソ商売だ」
クロは打って変わって苦々しい表情でぼやく。しかし、どれだけぼったくりと解っていても、寒いのは耐えられないらしく、背に腹は代えられないというわけだ。
「で? このクソ寒いのにわざわざどうした」
「一人寂しく引きこもっているであろうクロに、ツリーの差し入れです」
入手して来たばかりのツリーをこたつ板の上に置くと、クロはのそのそと布団から這い出して体を起こす。
「クリスマスは盛り上がった者勝ちだからね。どうせあなた、明日も明後日も予定なんかないでしょう」
「決めつけんなよ」
「ないでしょう」
「…………」
重ねて問うとクロは少し悔しそうにそっぽを向いた。本当に予定がないらしい。
「折角だからクリパしよう、クリパ。紅月と翠も呼んじゃう?」
「なんであいつら呼ばなきゃいけねえんだよ」
「賑やかな方が楽しいじゃん」
「やだね。折角の聖夜を狗っころなんぞと一緒に過ごせるか」
渋い顔で拒否するクロ。が、その意思をさらりと無視するかのように、玄関の方から声がした。
「――クロ様、いらっしゃいます? 明日のクリスマスなんですけど、ご一緒しましょう! 紅兄様は恥ずかしがって誘いに来ないので代わりに翠が参りましたよー!」
その声を聞いた瞬間のクロの何とも言えない表情。思わず吹き出したら盛大に睨まれてしまった。
プライドが高く少々ひねくれ気味の兄・紅月とは正反対、素直で純朴な少女である狗耳少女・翠。若干シスコン気味の紅月に大事に面倒を見られて育ったらしい翠は、不思議の国のアリスを彷彿とさせるようなエプロンドレスを纏い、太陽のように晴れやかに屈託なく微笑んでいる。紅月はクロに対しては基本的に憎まれ口を叩くが、翠に対してはそうもいかずたじたじしている場面に遭遇したことのある桜子は、それを微笑ましく思ってみていた。そして、翠を雑に邪険に扱うことができないのはクロも同じようである。訪ねてきたのが紅月だったら間違いなく門前払いしただろうが、クッキーの入ったバスケットを携えてにこにこやってきた翠を寒空の下追い返すことはしなかった。
天然気味の翠ではあるが、ドジっ娘ではないらしく、手作りだというクッキーはとても美味しそうだった。家にあげたはいいもののこたつに入ったまま動こうとしないクロの代わりに、桜子は勝手に台所を漁って紅茶を淹れた。それを見たクロが苦々しい顔をしたのを、桜子は見逃さなかった。なんとなく、高級そうな缶に入った紅茶だということには気づいていた。
「紅兄様ったら、一緒に聖夜を過ごす恋人がいらっしゃるなら話は別ですけれど、当然のようにそんな相手はいらっしゃいませんし、このまま放っておいたら去年と同じで、一人寂しく部屋に引きこもって安く買い叩いた売れ残りの鶏肉を齧って終わりになってしまいそうで。そんな兄様、あんまり惨めで見ていられないじゃありませんか」
おそらくは誰にも知られたくないであろうその惨めな姿を、天然妹の口から、よりによって一番弱みを握られたくないだろう相手のクロに漏らされてしまったわけだから、桜子は紅月が不憫でならなかった。このままではフェアでないので、桜子がフォローを入れる。
「奇遇ね、こっちの黒猫も放っておいたら一日中こたつから出ないでやけっぱち気味に売れ残りのホールケーキを一人で食べるしか能がないのよ」
「おい、勝手に人の聖夜を捏造するな」
「今年は狗と猫のわだかまりがなくなった記念すべき年ですから、ぜひとも聖夜はみんなでパーティーを開きたいと考えておりますの。紅兄様も内心ではクロ様のことを気にかけていらっしゃるんですよ、けれど意地っ張りで、決して自分からお誘いにはならないに決まっています。まったく世話が焼ける兄様ですわ」
「本当に、クロとそっくりね。クロだってどうせ自分から誰かを誘うなんてできっこないのよ、私が甲斐甲斐しく世話してあげないと、って思っていたの。翠が来てくれて本当によかったわ。クリスマスはぜひ、四人でパーティーしましょう。クロの家は私が責任もってクリスマス仕様に改造しておくわ」
「では私はケーキを焼いていきますわ」
「なんでお前らは当人を放置して勝手に話を進めるんだ?」
不本意そうにクロが口を挟む。翠がきょとんと目を丸くする。
「クロ様、ご都合が悪いんですの?」
「大丈夫よ、翠。クロに予定なんかないから」
「お前はいつから俺のマネージャーになったんだ」
勝手に予定を代弁する桜子に、クロが苦言を呈す。
「だいたい、さっきっから人を寂しい奴みたいに言うがな、桜子、そういうお前だってどうなんだ。人間の世界にだって友達がいるだろうに、わざわざこんなところまで来て妖怪にかまってるってことは、どうせお前も一人寂しく過ごすコースが確定してたんだろ」
「うっ」
確かに奈緒は最近できた恋人と聖夜を過ごすというし、他の友人たちも予定がすでに入っているという。父は仕事で、このままいけば家で一人寂しく部屋に引きこもるコースになってしまうというのは、実は桜子の方も同じだった。
桜子が言葉に詰まったのを見ると、クロは鼻白む。
「自分が寂しいだけのくせに、恩着せがましくあれこれ口出しするなよ」
「な、なによぅ……いいじゃないの、こうなったら開き直って言っちゃうけど、非リア同士寂しい奴同士で傷をなめ合う会を開催するのよ、それでいいじゃない」
「俺はお前と違って一人の時間を愛する派なんだよ。馬鹿騒ぎはかなわない」
「なにかっこつけてんのよ、猫のくせに一匹狼気取りなわけ?」
「群れたい奴は勝手に群れればいい。だが、俺を巻き込むな」
ぴしゃりとシャットアウトするように言われてしまえば、桜子はぐうの音も出ない。
面白くなさそうな顔のクロを睨み、桜子はむくれてみせる。
「ああ、そう。ふん、あなたがそういうつもりなら、別にいいわよ、無理しなくったって。私は翠と紅月と、三人で楽しくやるから。あなたはせいぜいヤドカリの真似でもしながら寂寞の涙でこたつ布団を濡らしているがいいわ! じゃあねっ!」
どうしようかと困っている翠の腕を強引に引っ張って、桜子はクロの家を出て行った。
肩を怒らせて、怒ってますアピールをしながらすたすたと歩いていく。しばらく行ったところで、翠が気がかりそうに立ち止まり、今来た道を振り返る。戻るべきかどうか逡巡しているらしい。
「桜子様……あの、あんまり怒らないでくださいな。クロ様は気難しい方で、意地を張ってらっしゃるだけですよ。本当は人一倍寂しがり屋に決まってますわ」
「……解ってるわ、大丈夫」
心配そうに声をかける翠に、桜子は怒りの表情をさらりと忘れてにこりと微笑む。
「ふふん、あいつが素直に参加表明出すなんて期待してないもんね、ここまでは予想通りよ! 相変わらず反応が解りやすすぎてちょろいわ!」
「さ、桜子様?」
「あの大馬鹿にゃんこは生粋のかまってちゃん気質なんだから。クリスマスなんていう一大イベント時に放っておいてもらえると思ったら大間違いよ。こたつ布団に引きこもってるところに、みんなで押しかけてサプライズパーティー決行、これ一択でしょ!」
なんだかんだでクロとの付き合いも長くなってきた。意地っ張りで面倒くさい黒猫の扱い方はそれなりに心得ている桜子である。喧嘩して怒ってみせたのも作戦のうち。明後日、猫のくせに豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をするクロを思い浮かべると、我ながら人の悪い笑みがこみあげてくる。
「さあ、そうと決まればクラッカーを大量入荷せねば! 翠は予定通り、ケーキを焼いてもらっていい?」
「は、はい! 八号サイズのデコレーションを作りますわ!」
桜子の考えを理解した翠がはりきった笑顔で宣言する。
四人のパーティーに直径二十四センチのケーキはいくらなんでも大きすぎるんじゃないかと思ったが、まあいいか、でさらりと流してしまった桜子は、やはりクリスマス前でいくらか浮かれていたのだろう。




