1 聖夜は等しく訪れる
街を歩けば、そこかしこにイルミネーションが飾られてぴかぴかと煌いて、目につく限りの店先にはツリーが鎮座し、色とりどりのオーナメントが揺れる。街頭を流れるクリスマスソングを聞けば、自然とうきうきした気分になってくる。
十二月、季節は冬。十二月と言えば、言わずもがなのクリスマス。街全体がクリスマスに向かって足並みそろえて一直線。クリスマスは誰にでもやってくる。特にキリストを信じているわけではなくただお祭り騒ぎが好きなだけの女子高生にも、クリスマスを一緒に過ごす恋人が存在しない非リアの女子高生にも、試験の成績が微妙に芳しくなくて冬休みの宿題を特別に二割増しにされてしまった女子高生にも、等しくやってくる。
とまあ、その女子高生はすべてもれなく姫路桜子のことであるのだが。
学校の大掃除を終えて、「冬休みだからといって羽目を外さないように」という旨を遠回しに長々くどくどと校長がのたまうだけの集会を終え、午前中いっぱいで放課になった。クリスマスイブ前日のことである。
厚めの黒タイツを履いて、セーラー服の上にはキャメル色のダッフルコートを着て、首元には薄ピンクのマフラーをまいて完全防備の桜子は、クラスメイトの反町奈緒と共に椙浦駅の駅ビルに立ち寄った。いつものように、高校生のお財布に優しいファミレスに入ってランチ。いつもなら、お安いメインディッシュとドリンクバーで二時間は粘るところだが、その日は早々に昼食を切り上げ、四階にある雑貨店に足を運んだ。
さすがクリスマスイブ目前ということで、雑貨屋の一番目立つ通路沿いの棚にはクリスマス関係の雑貨がずらりと陳列されている。大小様々のクリスマスツリーに、それに飾るオーナメント、ギフトにもってこいのクリスマス限定雑貨の類。
奈緒が、サンタクロースの顔がどでかく描かれたマグカップを手に取って、悪戯っぽく笑う。
「これ、いいよね。よし、これに決めた」
「そういうのって、クリスマス感はあっていいけど、クリスマスにしか使えないから実用的じゃないよね」
「クリスマスに実用性を求めたら終わりだよ。それに、プレゼントは面白くてなんぼさ」
聞けばそれは、恋人へのプレゼントだという。うっかり「へぇ、そうなんだー」とさらりと聞き流しそうになって、それから慌てて食いついた。
「恋人? なに、奈緒って彼氏いたの? リア充なの? 初耳なんだけど」
「そりゃ、初めて言ったもん」
「だって、奈緒ってばいつも帰りはだいたい私と一緒で、休みの日だって電話するといつも暇そうに家でゴロゴロしてる感じで、彼氏がいるような女子高生っぽさは欠片も出してなかったのに!」
「いやあ、付き合い始めたのは最近さ。私の友達に恋してた奴なんだけど、残念ながら失恋しちゃって、それを慰めてるうちに意気投合してさ」
「へえー、知らなかったわぁ」
そう言った瞬間、奈緒がどことなく呆れたような表情になった気がしたが、桜子には意味がよく解らなかった。
「ま、とにかく、このマグはそいつにやるんだ。つーわけで、明日と明後日は彼氏とクリパだから、残念ながら桜子と一緒に『世の中のリア充たちを眺めながら傷をなめ合う会』を開催することはないからそのつもりで」
「そんなの開催するつもりなんか元々なかったわよ!」
なんだ、その寂しすぎる会は。
「いいわよ、彼氏と楽しくやんなよ。私は向こうの友達と会ってくるから」
言いながら、桜子はここ最近、店の前を通るたびに気になって目を付けていた、小さなツリーを手に取る。卓上用のお手頃サイズだ。桜子は、とある友達の殺風景な部屋を思い出す。あの部屋に、どでかいツリーの華々しさはしっくりこない。これくらいのサイズがちょうど似合う。そして桜子のお財布事情にもマッチする。
「向こうにも、クリスマスとかあるの?」
奈緒には「向こう」すなわち妖の世界のことを話してあるので、普通に妖たちの話ができる。
「あるある、やっぱり向こうもこっちと似たかよったかよ。普段は無宗教なのに、クリスマスだけはお祝いする。要するにお祭り騒ぎが大好きなわけよ」
現代日本とは打って変わって、舗装されていない道や古い木造建築が並び、電気も通っているところの方が少ないような、昔ながらみたいな風景を描き出している妖の世界だが、クリスマスが近づくにつれて、その情景にはいかにも不釣り合いな電飾がぴかぴか煌き出すようになった。電飾、とはいっても、正確にはそのエネルギー源は電気ではなく妖怪たちの妖術なわけなのだが。
数日前に野牙里の郷に顔を出したとき、目抜き通り商店街の店々が例外なく店先にクリスマスツリーを飾って、しかもどこのツリーが一番かを投票で決めるようなイベントを開催していた時にはさすがに苦笑した。相変わらず賑やかなものだ。
つい二月前には、妖の世界全体を巻き込んでのイベント「百鬼夜行」を開催していたと思ったら、その興奮も冷めやらぬうちに、今度は異国どころか異世界のお祭・クリスマスに向けて準備に余念がない。
まあ、楽しければいいか、と桜子はざっくりと考えて、妖の世界でもクリスマス気分を満喫してやろうじゃないかと思うことにした。その第一段階として、桜子は狙っていた小さなツリーを入手した。
おそらく街がクリスマスムードになっているにもかかわらず、相変わらず殺風景なままであろう家を、明日、明後日くらいはせいぜい賑やかに飾り立ててやろうと、ひっそりと画策しているのである。
実のところ、十月に少々厄介な事件があってからこっち、クロの様子が少しおかしいことに、桜子は気づいていた。そんなにあからさまに挙動不審になっているわけではない。だいたいの時は、相変わらずに、にやにやと不敵な微笑みを浮かべて、ことあるごとに桜子をからかって、たまに紅月やらと行き会うと憎まれ口をきいて、という具合だ。誰かと一緒にいる時に、クロが無防備に内心をさらすことなんてほとんどないのだ。クロは結構、ガードが固い。
だが時折、そのガードが緩むことが多い。それはまあ、桜子が突然、当たり前のように彼の家に上り込むせいで、そういう場面に行き当たることが多いというのもあるだろう。誰もいないと思ってクロが油断しているときに、桜子は居合わせることが、よくあった。
居間の壁に背を預けて座り込んで、どこを見るでもなく虚空に視線を彷徨わせている。何を考えているのか解らない、感情の浮かんでいない昏い金色の瞳。桜子が来たことに気づいていないとき、彼はそんな目をしている。桜子が声をかけると、それまでのことなどすっかり忘れたような顔で、にやっと笑って「相変わらず暇なんだな」なんて言い出す。見なかったことにしてほしいのだろうな、と思うから、桜子も何事もなかったかのように会話に応じるが。
クロの様子がおかしい理由には、思い当たっている。十月の事件の折、思いがけず出会うことになった、金色の瞳の黒猫、朽葉の存在が、クロの心に影を落としているのだろうことは、すぐに解る。おそらくはクロと血のつながりがあり、クロもそのことを知っている。そしてクロが朽葉に悪感情を持っていることも察している。因縁の相手なのだろう、というようなことは、赤鬼家当主である葵も言っていた。
桜子やクロを巻き込み、化け狐の隠れ里・久霧を襲った大事件、その裏には間違いなく朽葉がいた。かつて大虐殺を引き起こしたという化け猫が、今も事件の裏で怪しい動きを見せている。彼が何を企んでいるのか、これからも何かするつもりなのか、考えないわけにはいかない。
だが、今桜子にできることはない。朽葉という妖怪のことを桜子はよく知らないし、とっ捕まえて洗いざらい白状させようにもどこにいるのか解らない。クロも紅月も、そして彼らから朽葉のことを聞いただろう野牙里の郷のどの妖たちも、朽葉のことからはあえて目を逸らして話をしないようにしているようだ。
いずれ朽葉と再びまみえることはあるだろう。だが、今はその時ではない。ならば、今は、今だけは、せめて平和に、穏やかな日々を送っていても、罰は当たらないだろう。
少々様子のおかしいクロ。その憂いをすべて取り除くことは不可能でも、せめて気分転換をさせてあげるくらいのことはできる。そのためには、クリスマスというイベントはうってつけのように思われた。
そういう事情から、桜子は買ったばかりのツリーをひっさげて、クロに会うべく、妖の世界へと向かったのである。




