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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
69/104

21 忌まわしき黒幕の名前は

 どれだけの間、そうしていただろう。実際には、ほんの数分のことだったかもしれないが、ずいぶんと長い間、クロに抱きしめられていたような気がする。

 いつの間にか震えは止んでいる。耳元で聞こえる呼吸は穏やかだ。

 眠ってしまったのだろうかと思うほどクロは静かだった。

 不意に桜子を抱きしめる腕が緩む。クロが深い溜息を漏らすのが聞こえた。

 もう大丈夫なのだろうか。心配する桜子の耳元で、クロがぼそりと呟いた。

「……固い」

「…………」

 その言葉の意味を理解した瞬間、それまでの心配など綺麗さっぱり吹っ飛んで、平手打ちが炸裂した。


 その盛大な平手打ちの音が聞こえたわけではあるまいが、ちょうどタイミングよく、声が聞こえてきた。

「おーい、そこにいるのかー!」

 聞き覚えのある声は、紅月のものだと解る。近づいてくる足音、それから紅月以外の話し声も聞こえる。「あなたがちんたらしているから出遅れたではありませんか」「無理言うなって」などと言い争っているのは忍と葵だ。紅月はともかく、なぜ忍たちまで久霧の郷に来ているのか桜子には解らなかったが、クロはなにか事情を知っているのかもしれない。声が近づいてくると、今までの無防備な姿などどこへ行ったのやら、すっと立ち上がると、こちらへやってくる紅月たちに向かって不機嫌な声をあげた。

「――今更のこのこと、どの面下げて出てきやがった鈍間共!!」


★★★


 仰向けに地面に倒れたまま、空湖は大きく溜息をつく。

 果林の足止めを引き受けたはいいが、あっさり倒され突破され、このざまである。つくづく自分は戦いに向いていないらしい。情けない話だ。

 果林はどうしただろう。桜子はどうしただろう。気にはなっているものの、様子を見に行く気力がない。桜子に郷の者達への伝言を頼んだが、仲間がこちらへ駆けつける様子もない。目の見えない天満が自邸にいないのに、それを不思議に思って探しに来る者さえいない。天満が何者かに操られていたように、郷の者達も無事ではないのかもしれない。だとしたら、そんな狐たちの元に桜子を一人行かせたのは間違いだったかもしれないと思うが、後の祭りだ。

「――心配せずともよい」

 ぼそりと小さな、しかし小さくてもそこに込められた優しい色が解る声で、天満が呟いた。体の傷のことなど忘れて、空湖は飛び起きる。倒れている天満の元へ這い寄る。目を閉じたままの天満は、しかし今は目を覚ましていて、空湖のよく知る穏やかな声で語りかける。

「どうやらすべて終わったようだ」

「解るのですか」

「果林の幻術が破られたらしい、ということはな。果林は未熟で幼いところもあるが、幻術の腕は確かだ。妖力の強さ、というよりも、心の隙間を埋める甘い毒のような幻想を生み出すことに長けている。使い方さえ誤らなければ優れた幻術だ。だが、それを使いこなすには果林は未熟すぎた。心の隙間に付け込まれ、何者かに唆されたのは果林の方のようだ」

 天満は首を巡らせて空湖の方を向く。

「お前は優しい子だ、空湖。過ちを犯し、道を踏み外し敵となった果林を、それでも傷つけることを厭い、結局本気で戦いはしなかったな」

「……優しいのではありません、これはただの、甘さです。私の甘さのせいで果林が桜子さんを傷つけるようなことになれば、私もまた果林と同じように罪深い」

「生きている限り、誰でも過ちは犯そう。間違えたのなら、償えばいい。お前も、果林も。妖の命は長い、その長い命の間に、本当にやり直せないことは、多くはないだろう。私もまた、やり直す。敵の甘言に唆され、我を失くし、郷の者達を欺いた罪は、必ず償おう」

 天満が体を起こそうとするのを、空湖は慌てて支えた。天満は徐に手を挙げると、傷ついて閉ざされたままの瞼にそっと触れた。

「お前には話しておくことにするが……この目を、桜鬼が閉ざしたのは本当だ。だがそれは、私のためだった」

「どういうことです?」

「かつて私の両目には呪いがかけられていた。誰がやった、ということではない。ただ、強い邪気に侵されたせいで、目に映る者に災厄をまき散らしてしまう、そういう呪いを受けていた。ゆえに私は、洞窟の中へ一人赴き、誰にも知られぬまま朽ち果てようとしていた」

「自害、なさろうとしたのですか」

「それが郷の者のためだと思っていた。それを、桜鬼が止めてくれた。そして、災厄の呪いを封じるために、その上に呪術を重ねた。そうして私は目を閉ざし生きることになった。桜鬼を恨むなどとんでもない、私は彼女に感謝しているよ」

「そんなことが、あったのですね」

「思えば最初から、お前に話しておけばよかった。そうすれば、私の記憶を捻じ曲げ、私を操って利用しようとする輩など、現れなかっただろう」

「何者なのです、その輩は」

 天満を操り、果林を唆し仲間に引き入れ、久霧の郷を潰そうとした、何者か。

「果林は、宵音という名前を漏らしていましたが」

「ああ、私を操っていたのは宵音という妖怪だ。だが、真に恐るべきは、その後ろにいる妖怪だ」

 その黒幕の名を、口にするのも悍ましいというような調子で、天満はひそやかに告げる。

「奴は――」


★★★


 桜子はクロの背に負われて森の中を進んでいた。その周りには、紅月、忍、葵がぞろぞろと連れ立っている。彼らがここまでやってきた経緯を、歩きながら一通り聞かせてもらった。

 クロの窮状を知った忍と葵は、野牙里の郷でクロと会い、クロを暗殺しにやってきた化け狐をとっちめたことで桜子の危機を知って、いち早く久霧の郷へ向かったクロを慌てて追いかけた。クロに追いつくことは叶わなかったが、代わりに紅月と合流できたという。

 紅月は、霧の結界で足止めを食って彷徨っていたが、その結界が途切れたことでようやく久霧の郷への突入を果たした。そのタイミングでクロも久霧の郷へやってきたらしいが、先に来ていた紅月をあっさり抜き去って桜子の元へやってきたというのだから、一応用心棒としてついてきていた紅月は立つ瀬がなくて、先程からしょぼくれている。

 話しているうちに薄暗い森林地帯を抜け、郷の中心地、集落部まで出た。そこに広がっていた景色を見て、桜子は唖然とする。

 いたるところに化け狐が倒れている。森で桜子が気絶させたのはほんの一握りであり、残りの多くの狐はこのあたりで争っていたようで、体中傷だらけになって気を失っている。

「仲間同士で、倒れるまで傷つけあうなんて……」

 あまりの惨状に目を伏せる。すると忍が、

「安心しな、姫さん。あいつらは仲間同士で力尽きるまで戦ったりなんかしてない」

「忍……?」

「だいたいほとんどは俺たちが伸したから」

「は?」

 あっけらかんとした調子で何を言い出すかと思えば。

 聞けば、紅月たち三人が桜子を探して集落部へ突入すると、郷の狐たちがなぜか喧嘩をしている。どうも正気でないようで、紅月たちに気づくと矛先を変えて襲いかかってくる。これは放っておいたらまずいというので、紅月と忍が手分けして、全員もれなく殴り飛ばして大人しくさせたということらしい。

「殴り飛ばしたの? 結局力ずくで黙らせたの? 酷い、もうちょっと他にやり方ないの? みんな被害者なのに! てか、私の苦労は何だったの!?」

 狐たちを傷つけたくない一心で、正当防衛で強行突破を主張するクロを黙らせて桜子が一肌脱いだというのに、その頃紅月と忍は構わず武力行使していたなんて。桜子が唖然としていると、クロがそれみたことかと溜息をつく。

「ほらな、これが正しい解決法なんだって。お前のやり方はまどろっこしいんだよ」

「うぅ、なんで私が間違ってるみたいな話になってんの……」

「気にすることありませんわ、桜子。殿方は野蛮なのです、私たちとは理解しあえませんわ」

 葵が同情気味に言う。どうやら葵も、忍の強引な方法に異議を唱えたらしい。だが、その意見はあっさり無視されたようだ。とりあえず同意見の味方が一人いたことで、桜子は安堵しておく。

 そんな具合で、すっかり全部終わったみたいなふうで話をしていた時。

 不意に葵が立ち止まり、小さく悲鳴を漏らした。

「なんです、あれは……!」

 そう言って前方を指さすので、桜子は葵が示す方を見遣る。

 そこらじゅうに倒れている狐たち。その体から、黒い光が立ち上る。ゆらゆらと揺れ、にゅるりと抜け出していったそれは、傍目には蛇のように見えた。不気味な蛇のようなものが、狐たちから例外なく抜け出していく。それが揺れながら上空へ舞い上がり、次第に集まって、やがて一つの場所を目指して吸い集められていった。

 漆黒の蛇が向かう先を、桜子は凝視する。一度空高く上がった蛇は、やがて緩やかな弧を描いて地面近くまで降下する。その先に、何者かが立っていた。集落部の端のあたり、森との境界あたりに佇んでいる。距離があるせいで、ほんの小さくしか見えないが、確かにそこにいるのは解った。

 見知らぬ人影が二つ。一人は真っ黒なローブを纏い、フードまでかぶっていて顔は見えない。男か女かも解らない、謎だらけの者。そしてもう一人は、その隣で片手を高く掲げている、髪の長い女だ。掲げた右の掌に、集まった蛇が吸い込まれていった。

 彼らが何者かは解らない、だが、操られていた狐たちから出て行った蛇を、女が集めているところを見ると、今回の騒ぎの黒幕側の妖だということは明らかだった。

 それさえ解れば充分というように、紅月が動くのは早かった。桜子を背負っていて動くのが遅れたクロの代わりに、紅月は右手に妖刀、という名の拳銃を喚び出す。

 ぱん、ぱん、と乾いた銃声が続けざまに二発。妖力で生み出された銃弾が二人を狙う。女はそれを避けた。ローブ姿の輩の方も紙一重で躱そうとするが、ゆったりとしたローブのフードに銃弾が掠った。その勢いで、フードが後ろに脱げて、その中から頭が覗いた。

 桜子の下でクロの体が強張るのが解った。桜子もまた、ひどく緊張していた。

 フードの下から現れた顔は、知らないはずなのに、知っている顔だ。

 黒い猫耳、金色の瞳、どことなく、クロと似た顔。

 その名を、クロが呟く。

「生きて、いたのか、朽葉くちば――『裏切りの猫』」


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