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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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19 化け狐の秘策

 思えば果林は、足止めに残ったはずの空湖を突破してきた。ダメージを負っていたにしても、桜子だってそれなりに急いで走ったのに、それをあっさり先回りして、クロに化けるという手の込んだことまでしてくれた。いくら空湖が戦い慣れしていない狐だとしても、果林が桜子に追いついてくるのはあまりにも早かったと、認めざるを得ない。

 加えて、初めて、しかも偶然に使えた妖術に絶対の自信があるというわけではないものの、一応は化け狐たちを見事に卒倒させた強制スタン、それから逃れ立っているのだから、やはり一筋縄では行かない相手であることは、確かである。

 できることなら桜子もクロに加勢したかった。だが、桜子の体は地面にへたり込んだまま動かない。瘴気に蝕まれた両脚では、いよいよ立つことも厳しくなってきていた。その上、手の中にあった潮満草は、たった一回術を使っただけで花弁を散らしてしまった。強制スタンのコスパが悪かったのか、潮満草が元々一回きりしか使えない代物だったのかは知らないが、なんにせよ、桜子が奇跡的に妖術を使うことは、もうないわけだ。

 大丈夫だろうか、と心配する桜子。それを見透かしたように、クロがふっと笑う。

「すぐ終わらせる。ガキ狐なんざ、俺一人で充分だ」

「一人で充分だって? あんまり舐めないことだね!」

 耳聡く聞きとがめた果林は威勢よく叫ぶ。

 それに応じるように、果林の周りにどこからともなくナイフが現れ宙に浮かぶ。切っ先をクロへ向けたナイフが六本。角度と速度を変えて、時間差で放たれたナイフを、クロは右手に妖刀・猫戯らしを現し、刃を振るって弾き飛ばす。

 だが、奇妙なことに気づく。クロは飛びかかってくるナイフを狙い過たず叩き落していくが、そのすべてに手ごたえがあったわけではなかった。確かにナイフを捉えたはずなのに、まるでクロの刀をすり抜けてしまったかのようで、音もしなければ地面に落ちることもない。見えているのに、触れない。

 それは――幻覚だ。

 果林が放ったナイフのうち、いくつかは本物だが、いくつかは実体のない幻なのだ。だが、それを見分ける術がない以上、クロはすべての攻撃に本物のつもりで対処しなければならないわけだ。幻だと思って油断していると、鋭い刃が容赦なく抉ってくる、なんとも性格の悪い攻撃だ。

 この程度の数ならば、すばしこいクロのことだ、捌ききれぬということはない。だが、「めんどくせえな」と言わんばかりの不機嫌な顔をしているのが、桜子にはよく解った。クロが不機嫌になると、それに反比例するように果林は上機嫌そうに笑う。

「どう? どれが本物か偽物か、解らないだろう?」

「アホか。そんなの全部落とせばいいんだよ」

「そう上手くいくかな」

 嘲笑交じりに果林がぱちんと指を弾く。すると、再び宙にはナイフが浮かぶ。果林の周りに無数の刃が浮かび、今にもクロめがけて飛びかかろうとしている。そして、困ったことに、ついでとばかりに桜子にも照準が向けられている。

 桜子の脳裏には嫌な既視感が浮かんでいた。無力な自分のせいでクロの足を引っ張ってしまい、彼を傷つけることになった、八月の苦い記憶だ。奇しくも、あの時と状況は似ていた。桜子は動けない、それを知っていて、敵は桜子を狙う。

 また同じ轍を踏むのはごめんだ。だが、だからといって、どうする――?

「――そんな二番煎じに、誰が引っ掛かるかって」

 悶々とした思考をぶった切ったのは、不敵に微笑むクロの言葉だった。

 桜子の傍らに立ち、果林をまっすぐ睨み据えている彼は、決して強がりを言っているだけのようではなく、確かな自信に満ちた横顔をしている。

「結局ただのナイフだ。全部叩き落せばいい」

「この数を捌ききれると思ってるの?」

「俺に速さで勝負を挑むのがそもそもの間違いだってことを教えてやる」

 そう呟いて、クロは妖刀を握りなおす。

 桜子は驚いて目を見開く。特別な秘策とか小細工とか、そういうものはきっと何もない。クロは本当に、本気で、本物も幻も切り裂くつもりなのだ。

「ずたずたにしてやる!」

 果林が喚く。同時に、無数のナイフが注いだ。

 せめて頭を庇うぐらいのことはして、身を屈めておくくらいするのが、正しかったのかもしれない。だが、桜子はそうすることを忘れて、思わずクロの姿に見入っていた。

 超高速で振るわれる妖刀が残像を描く。とてもじゃないが、その動きを正確に目で追うことは、桜子にはできなかった。右へ薙がれた刃が、気づいた時には返す刀で左へ振るわれる。頭を狙った攻撃も、足元を狙う攻撃も、本物も幻も、ひとつ残らず、等しく斬り裂く。果林の攻撃は、クロ自身を傷つけることは勿論、桜子に届くこともあり得なかった。最初は余裕のあった果林の表情が、残弾が着実に減っていくにつれて青ざめていく。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、などというが、クロに限っていうなら、下手な鉄砲はどれだけ数を積んでも掠りもしないのだろう。

 まさしく猫というべくしなやかさで刀を振るうクロは、優雅に踊っているようにすら見える。間違っても敵の攻撃に押されている様子ではない。この程度の数も、速さも、敵ではないと言いたげだ。

 果林の生み出した幻覚はクロの妖刀の前に斬り裂かれ、霧消した。それを隠れ蓑にクロに迫っていたナイフは、刃に弾かれ地面に落ちた。もはや果林の周りには、ナイフは存在しない。全て撃ち尽くしてしまったようで、果林はぜえぜえと息を切らして、目を剥いて立ち尽くす。対するクロはうっすらと笑みを浮かべていて、息一つ乱していない。

「どうした、もう終わりか? 思ったよりあっけなかったな」

 悠に百は超えていたはずのナイフだが、結局のところその中に交じっていた本物は十にも満たなかった。地に落ちたそれを、クロはご丁寧に拾い上げ、お返しと言わんばかりに擲った。攻撃を全て防がれたショックから覚めていなかった果林は若干反応が遅れる。返ってきたナイフを避け損ね、何本かが脇腹を掠めていった。

「ば、馬鹿な……こんな馬鹿なことが!」

 とても信じられないという表情で、果林はよろよろと後退りする。

「こんなの、認めない……ボクがこんな猫なんかに負けるなんて、認めないぞ……!」

 悔しそうに唇を噛みながら、じりじりと後退する。今にも身を翻して逃げ出しそうな果林を、追い詰めるようにクロが進み出る。

「そういう寝言じみた台詞は、大人しく気絶してから吐いてろって」

「く、来るな、化け猫め!」

 狼狽と恐怖で引きつった顔で果林が喚く。クロは妖刀をしっかり握りしめたまま、構わず果林に迫った。

 その直後、引きつった果林の表情が、僅かに微笑むのを、桜子は見逃さなかった。

 無論、クロも気づいたようで、不審そうに足を止める。だが、もう遅かったのだろう。

 突如、果林の足元から白い光が広がった。目を刺すような強く眩しい光が果林を中心に同心円に広がって、クロを、そして桜子を呑みこんでいく。

「何……?」

 眩しさのあまり、目を瞑る。それでも瞼の向こうが酷く眩しく明るい。

 謎の発光は、十数秒ほどで終わりを告げた。瞼の向こうが落ち着いてくるのを感じて、桜子は目を開ける。そして、周りの景色が変わっていることに気づいて瞠目する。

 薄暗い森の中にいたはずの桜子は、いつの間にか明るい草原に座り込んでいる。鬱蒼とした木々も、倒れた化け狐の群れもそこにはない。ただ、穏やかな陽光が注ぐだだっぴろい草原がどこまでも広がっていて、空は高く澄んでいて雲一つないのだ。

 果ての見えない景色の中に、桜子と、少し離れたところにクロがいる。そして、クロの目の前に佇んでいる者の姿を認めて、桜子は息を呑む。

 薄紅の着物に黒い袴、黒いブーツ。一昔前の女学生みたいな格好をした女性が立っている。長い黒髪を赤いリボンが彩っていて、薄化粧をした綺麗な顔が薄く微笑みを湛えている。

 その女性のことは、桜子は写真の中にいる姿でしか知らない。だが、確かに写真の彼女と同じ姿をしている。そして、どことなく自分と似ている。

 それが誰なのかという、桜子の口に出すことのない問いに応えることになったのは、クロの呆然とした呟きだった。

「……緋、桜?」

 

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