18 つりあいの取れた二人組
「待ってて、とかエラソーに言ったくせになんだこのザマは。ボロ雑巾か。無茶すんなって言ったのを聞いてなかったのか? 右から左へ聞き流してたのか? 三歩歩いたら忘れたのか? このアホ馬鹿ちんちくりんがッ!」
実に彼らしいセリフを聞きながら、しかし桜子は納得のいかない気分で憮然とする。
「なんでいきなり説教されなきゃいけないわけ? 元はと言えばあなたのせいなんだからね、自分の素行不良がそもそもの原因だって自覚してる?」
「都合が悪くなると最終的には俺のせいかよ。少しは自分の無謀さを反省してしおらしくしてりゃあいいものを、全っ然懲りねえのな!」
「反省してないとは言ってないでしょうが! してるわよ、ええ、してます。超反省してますっ!」
勢いで捲し立ててから、桜子は打って変わって憂鬱な面持ちで溜息をつく。
「解ってるわ……今回のことは私が悪かったの。私のせいであなたを巻き込んでしまったの。ここに来たってことは、そのへんのことは全部知ってるんでしょう?」
「だいたいはな」
「ごめん」
「お前が謝ることじゃねーだろ、馬鹿」
頭の上に手が載せられる。少々乱暴に髪をかき混ぜられる。桜子が、悪戯がばれた子どもみたいな顔でちらりと見上げると、クロは微苦笑を浮かべた。
「馬鹿正直でお人よしなお前が騙されるのも、他人のために無茶するのも、よくよく考えたらいつものことだ。お前らしいよ」
「……それ褒めてる? 貶してる?」
「ただの評価だ。毀誉褒貶は関係ない」
ぽん、と軽く桜子の頭を叩く。その仕草は、安心しろ、と言っているようだった。
「ちっとばかし無茶してもいいよ、お前の力で足りない分は、俺が支えてやるから。……お前は、まあ、馬鹿みたいに優しく能天気でお人よしで、それでいいんじゃないのか。俺がこんななんだから、それくらいでバランスが取れて丁度いいだろ」
もしかして、慰めてくれている? 励ましてくれている? 不器用なりに?
本人の前で口に出して認めることはないだろうが、クロの言葉は桜子にとって結構嬉しいものだった。
いや、こんなこと絶対本人には告げないのだが。
いかんせん桜子も、人のことが言えない程度にはプライドが高いのだ。
ゆえに、一言だけ言っておく。
「……ありがと」
荒っぽい足音が聞こえて、桜子ははっと顔を上げる。吹っ飛ばされた男が、戻ってきたところだった。蹴飛ばされた衝撃のせいか化けの皮が剥がれていて、そこにあるのは、狐耳と尻尾を生やした化け狐の姿だ。しかも、知らない顔ではない。人間で言うなら外見年齢十代前半くらい、生意気そうな少年狐の、彼の名は、確か。
「果林! あんただったのね? 空湖はどうしたのよ!」
「はっ……戦いを知らない、ぬるま湯に浸かってた能天気な狐に、ボクが後れを取るわけないだろ」
「おい、桜子。この見るからにクソ生意気そうなクソガキは何者だ」
「ええと、今回の事件の黒幕の部下っぽい化け狐。郷中の化け狐たちの様子がおかしいのよ。みんな操られてるみたいで正気じゃなくて……それをやってるのが、果林のバックにいる妖怪らしいんだけど」
「じゃあこいつ自体はたいしたことないわけ?」
桜子の説明を端的に、しかも容赦なく相手の神経を逆撫でする方向に要約したクロ。しかし、安い挑発に乗ることはなく、果林はにやりと笑う。
「確かに、ボクの力じゃないけどさ。でも、全員ボクのいうことを聞くんだよ?」
徐に右手を掲げた果林は、ぱちんと指を鳴らした。それに呼応するように、薄暗い森に、一つ二つと、鈍い光が浮かんでいく。
その光は――目だ。
「っ!」
どこから湧いて出てきたのか、いつの間にか周りは大勢の化け狐たちに取り囲まれている。一様に虚ろな目で、桜子たちを見据えている。
「ボクが一言命じれば、お前たちを袋叩きにさせるのなんて簡単さ。まあ、この通り鈍い連中だから反撃しようと思えばできるけれど……操られているだけのカワイソーな狐たちを攻撃できるかな?」
「そ、それは……!」
「できる。嬉々として殴り返す」
面白いくらい動揺して敵の思う壺な桜子と、平然と鬼畜な返事をするクロ。見解の不一致である。
まあクロならそう言うだろうな、と半ば予想していた桜子だが、一応苦言を呈す。
「可哀相じゃないの。あなた、絶対容赦する気ないでしょう」
「正当防衛だ。容赦する理由が見当たらない」
「自分の意思で動いてるならまだしも、操られてるんだから彼らも被害者でしょう。それを助けるどころか嬉々として殴り返すって、ド鬼畜にもほどがあるでしょう。もうちょっとさ、呪いを解いて目を覚まさせる方向で努力する気はないの?」
「つっても、俺が近接戦闘専門なのは知ってるだろうが。傷つけないように、なんて専門外だ」
「この短絡的単細胞!」
「だいじょーぶだって、出来る限り一発で気絶させて終わりにしてやるから」
「全然大丈夫じゃないっ」
クロに任せておいたら怪我人がうなぎ上りに増えていくだけな気がしてきて、桜子は頭を抱えた。するとクロが面倒くさそうな顔をして言う。
「じゃ、お前が何とかしろよ」
「は? そ、そんなこと言われたって」
「丁度、お誂え向きのものも持ってるみたいだし」
そう言ってクロが指すのは、握りしめたままの桜子の左手。すっかり忘れかけていたが、その手の中には潮満草がある。思いっきり握ってたせいで、そろそろ萎れかけである。
「それだけ妖力があれば、まあ、なんかできるだろ。じゃ、頑張れ」
「頑張れって! そんなテキトーな! 手取り足取り教えろとまでは言わないけど、もうちょっと役に立つアドバイスはないわけ!? 具体的にどうすればいいのよっ!」
「知らねーよ。専門外だって言ってるだろうが」
作戦方針を巡ってごちゃごちゃやっている間に、果林の方はいい加減痺れを切らしたらしい。ぱちん、ともう一度指を鳴らすと、止まっていた化け狐たちが一斉に動き出す。鋤鍬持った連中が包囲網を狭めてくるのに、桜子は泡を食う。
「ヤバいヤバいヤバい! どうしようこれ!」
「別にどうもしなくてもいいぞ。全員伸すから」
「ああああ! 味方が頼もしすぎて逆に困る!」
こればっかりはクロに任せるわけにはいかない。狐たちを傷つけたくないというのもあるし、いくらクロとはいっても、この大人数を相手に無傷と言うわけにもいかないだろう、できるならクロのことだって傷つけたくないのだ。頼りになるのは手の中の潮満草と、自分の中に眠っているかもしれない妖術の才。緋桜だったらこういう時、きっと無用な被害者を出すことなく、スマートに事態を収拾できるだろう。偉大なる母の血を、ほんの少しでも引いているというのなら、今こそ役に立ってくれなければ。
近づいてくる狐たち。爪を光らせるクロ。敵も味方も助けたいなんて、贅沢なことかもしれない。だが、馬鹿がつくほどのお人よしでもいいと、クロは言ってくれた。ならば桜子は、それを体現するまでだ。
どうすればいいのか、なんて、理屈は全然解っていなかった。ただ、自分がどうしたいか、その望みをはっきりと心に抱いて、桜子は叫んだ。
「全員止まれええぇぇぇぇぇ!!!」
耳鳴りがするほどのハウリングに、一番傍にいたクロが目を剥いて慌てて耳を塞いだ。果林も忌々しげな顔で両手で耳を押さえる。
そして緩慢な動きで迫ってきていた化け狐たちは、桜子の命令にぴたりと立ち止まる。そして一拍置いて、彼らは糸が切れたようにばたりばたりとその場に倒れていった。
大絶叫に喉を嗄らして桜子が咳き込む頃には、取り囲んでいた狐たちが全員、綺麗に卒倒していた。予想外すぎる光景に、桜子は頭に疑問符を浮かべる。すると、すぱーんとクロに頭を引っ叩かれた。
「このっ、馬鹿! そーいうことするなら、先に言っとけ!」
「え? 何? 何が起きたわけ?」
「自覚ナシか! 最悪だなッ!」
耳元で煩かったとか、そういう話かと思ったら、そういうわけではないらしいということが、彼の説明で解る。
「緋桜の十八番、強制スタン! 声を聞いた奴に干渉して卒倒させる妖術だ。雑魚はだいたいこれで一掃できる。見境がないって点では俺の猫騙しとどっこいだぞ。危うく俺まで巻き添え食うところだっての!」
「わぉ、そんな苛烈なことやってたの、お母さんったら」
もしかしたらクロの猫騙しという超極端で凶悪な妖術は、母の悪影響なのでは、と桜子はひっそりと思う。
「ったく、血は争えないってか……末恐ろしい女」
「な、なによ、いいじゃない結果オーライだもの。ほら、残りは一人じゃない。贅沢言うならあいつもついでに倒れてくれればよかったのにって思わなくもないけど」
残念ながらそれなりに骨のあるらしい果林は、不愉快そうな顔はしているが、踏みとどまっている。雑魚とひとくくりにすることはできないらしい。
「くそっ……どうなってるんだ! 宵音の奴、やっぱり術が中途半端なんじゃないか。こんなにあっさり駒がやられるなんて、聞いてないぞ!」
果林は不機嫌そうに、子どもみたいに――というか実際子どもなのかもしれないが――駄々をこね、文句を言っている。ここにはいない相手の不手際を罵ったところで、状況が好転するわけでもないというのに、文句を言わずにはおれないといったふうだ。
そして性格がひねくれているクロは、冷静さを欠きつつある相手を、ここぞとばかりに煽っていく。
「操る手駒がいなくなって万策尽きたか? 想定外の事態にいちいちキレてたら、命がいくらあっても足りないぜ。戦いを知らない、ぬるま湯に浸かった能天気な狐はこれだから困る」
先ほど果林が言っていた言葉をそのままお返ししてやると、果林は面白いくらい顔を真っ赤にする。もっとも、それを面白がっていたのはクロだけだろうが。
クロを調子に乗せておくのが嫌なのか、果林は強がるように吐き捨てる。
「はっ、こんな雑魚連中、いたっていなくたって同じさ。構わないさ、お前たちは、ボクがぶっ潰してやるからさ!」
「威勢よく叫ぶだけなら桜子でもできるんだからな」
「ちょっとなんでそこで私を引き合いに出すの!? なんで私をディスるの!?」
「確かに野蛮な野良猫と違って、狐は戦闘向きの種族じゃない。だけど、狐には狐の戦い方がある。見せてやるよ、ボクがそこの半妖と違って、口だけじゃないってところをね!」
だから人を引き合いに出すな、と文句を言おうとした。だが、桜子は結局口を噤む。
苦し紛れに負け惜しみを言っているだけだ――最初はそう思っていた。だが、激昂する果林が、ただ冷静さを欠いて怒鳴り散らしているだけではない、何かまだ策を隠しているのではないか、と直感したのだ。
果林の瞳に浮かぶのは、まだ余裕を失っていない、邪悪な色だ。
彼はまだ何か、奥の手を隠している。




