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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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17 たとえ姿が同じでも

「な、なんじゃこりゃ……」

 集落の方へ這う這うの体で戻ってきた桜子は、思わず立ち止まって、唖然として呟いた。目の前に広がっている光景が、俄には信じがたかった。

 同族だけでひっそりと郷に隠れ住み、結束固く暮らしている化け狐。それが、どうだろう、今はあちらこちらで争っている。家の前で、店の前で、畑を踏み荒らして、池に半ば沈みながら。ある者は激しく口論し、ある者は手も出して、ある者は武器さえも持って。老若男女を問わず、目についた奴とはとにかく喧嘩をしなければ気が済まないかというように、互いに互いを傷つけあっている。

 しかも、人間同士の喧嘩なら、百歩譲っても、まあたいしたことにはならないかもしれない。だが、ことは妖怪の殴り合い。人間よりも優れた力を持つ妖怪同士が、手加減なしで喧嘩を始めたら、当然ながら怪我人続出である。既にリタイアして地面に横たわっている者も見受けられる。

『こんな郷潰れちゃえばいいのに』

 果林の言葉が蘇り、桜子は身震いする。まさか本当に、この郷を潰す気なのか。郷の狐たちに争いをさせて、共倒れさせる気なのか。

 だが、あり得ない話じゃない。実際、長老・天満は様子がおかしかった。最後の一瞬だけは彼自身の言葉を紡いでいたかもしれないが、それまでは明らかに正気でなかった。おそらく誰かに、果林が言っていた「宵音」という奴に、操られていたのだろう。

 そして、今目の前で争っている狐たちは、どいつもこいつも一様に、目が虚ろだ。きっと、自分が何をしているか理解していないだろう。

 宵音とかいう黒幕がどういうつもりでこんなことをしているかは解らない。だが、自分の手で誰かを傷つけるならともかく――いや、それも当然褒められた話ではないのだが――狐たちを操って仲間同士で争わせて、自分は高みの見物をしているなんて、最低だ。

 もしかしたら、そのへんに黒幕は潜んでいるのかもしれない。そいつをぶっ飛ばせば万事解決する可能性もあるが、顔も知らない奴を探すのは至難の業だし、妖怪をぶっ飛ばすというのも桜子にはあまり現実的な方策ではない。

 となると、取れる作戦はそう多くない。先刻、天満は空湖の呼びかけに応じ、正気を取り戻しかけていた。つまり、言葉が届く可能性はあるということだ。

 近くにいる数人の狐たちに向かって桜子は叫ぶ。

「みんな、聞いて! あなたたちは誰かに操られているの。仲間同士で傷つけあうのはやめて! 喧嘩ストップ! あなたたちの長老様もピンチなの! 目を覚まして、天満を助けに行ってあげて!」

 その瞬間――ぎょろりと、数多の瞳が一斉に桜子を見た。虚ろな目に注目されるのは、一瞬息を呑むほどには不気味だった。

 何も見えていないような暗い瞳、しかしそれが確かに、桜子を敵としてロックオンしたように、見えた。

「排除」

「邪魔者は、排除」

「消せ」

 異口同音に桜子への敵意を呟き、ゾンビ系ホラーよろしくのろのろとした足取りで一斉に近づいてくる。正気を取り戻させるどころか逆効果、これでは飛んで火にいるなんとやらだ。

 ――説得中止。

 思えば彼らの仲間である空湖ならまだしも、初対面の桜子が声をかけたところで、ロクな効果は期待できない。こんなところで化け狐たちに取り囲まれてリンチにされるのはごめんである。

 向こうの動きが緩慢なのをいいことに、桜子は狐たちの手をするすると躱して突破し、郷の出口の方へ走る。霧の結界で足止めを食らっているらしい紅月と、まずは合流しよう、と考えてのことだった。

 しかし、瘴気を受けた桜子の体は、思った以上に重かった。少し走っただけで息が切れるし、脚がかすかに痺れてきている。その上、行く先々で狐たちが乱闘騒ぎを起こしていて、桜子が通りかかると示し合わせたように桜子を標的にし始める始末だ。

 ようやく天満のツリーハウスまで戻ってくる。そこがだいたい集落の中心地だから、行程はあと半分ほど。小屋の乗っかった樹の幹に手をついて息を整える。額にじっとり滲んだ汗を袖で拭う。

「急がないと……」

 休んでいる暇はない、そう思って再び走り出そうとする。だが、意に反してくらりと眩暈がして、思わず膝をついた――結果的にはそれが、奇跡的な幸運だった。

 へたりこんだ桜子の頭上すれすれを、ひゅんっ、と風切り音を立てて何かが通り過ぎた。直後、がつん、と何かが樹に突き刺さる音。恐る恐る視線を上げると、樹に突き刺さっているのは斧である。

「――ッ!」

 桜子は声もなく悲鳴を上げる。あのまま立っていたら、間違いなく首を飛ばされていたところだ。斧の柄をしっかり握りしめて桜子を見下ろしているのは化け狐の中年男。何の感情も浮かんでいない、人形のような表情をしているのに、やっていることは殺意に満ちているのが、酷くアンバランスだった。

 男が刺さった斧を引き抜こうとしているのを尻目に、桜子は慌てて逃げ走る。屋根の低い住居が疎らに建つだけの集落は、追っ手を撒くには見通しが良すぎる。集落を突っ切るコースは放棄し、まっすぐ出口方面へ向かっていたのを方向転換し、桜子は木々が密集する樹林に飛び込んだ。出口までは少し遠回りになるが、視界の悪い森の中を迂回していった方が安全のはずだ。

 身を屈め、半ば匍匐前進するように、草木で身を隠しながら進む。動くたびに草がさらさらと鳴るのが、狐たちに聞こえないかとひやひやした。

 薄暗い森林地をじりじりと進む。できるだけ、ひそやかに。しかし、そんな桜子をあっさりと見つけ出したかのように、ざざっ、と足音がした。草をかき分け、足早に近づいてくる音。抜け殻の人形みたいになっていた郷の狐たちの足音とは、違う種類のものだ。

 まさか、果林が追いついてきた? あるいは、宵音という黒幕が出てきたのか?

 桜子はそっと立ち膝になり、足音の主がその姿を現し襲いかかって来た時には俊敏に避けられるよう、態勢を整える。

 やがて、姿を現したのは――

「――桜子!」

「!」

 それは、聞き覚えのある声だ。ここにいるはずのない、彼の声。

 黒い猫耳と金色の瞳が目の前に現れる。走って来たのか、僅かに息を切らした青年が、桜子の姿を認めると、緊張した面持ちを僅かに緩める。

「無事か、桜子?」

「……クロ?」

 そこにいるのは、どこからどう見てもクロだ。だが、彼がここにいるはずがないのに。桜子は呆然としながら尋ねる。

「ど、どうしてここに?」

「お前が久霧の郷に行っちまったって聞いて、心配で追いかけてきたんだろうが」

「よくここまで来れたわね。霧の結界は?」

「事情は解らないが、今、結界は解かれてる」

 そういえば、森に満ちていた深い霧が、今はまったく見えないことに、桜子は今更ながら気が付いた。おそらく郷の中が混乱状態で、術者も結界を張っていられなくなったのだろう。

「その顔、どうしたんだ?」

 そう尋ねられて、そういえば瘴気のせいで酷い顔になっているんだっけ、と思い出す。

「瘴気にやられて……たぶん大丈夫だとは、思うけれど」

「さっさと浄めた方がいい。行こう、立てるか?」

 手を差し出され、桜子はそれに縋ろうと手を伸ばす。

 手を握ろうとして――しかし、すんでのところで手を止めた。

「……、」

 何が桜子の手を止めたのか、彼女自身にもよく解らなかった。ただそれは、直感や本能の類だっただろう。その理由を頭で理解したのは、それより数秒遅れてのことだった。

「桜子?」

 怪訝そうに名前を呼びながら、桜子の手を掴もうとする、その白い手を、桜子は思わず弾いた。

 思ったよりも大きな音が出て、桜子自身も、そして相手の方も驚いた。

 それから、考えるより先に言葉が流れた。

「あなた、誰?」

「……? 何言ってるんだよ、俺は、」

「クロじゃない、あなたは」

 そうだ――目の前にいる、クロの姿をして、クロの声をしているこいつは、しかし、クロではない。それが桜子には直感で知ることができ、やがて理解することができた。だから、偽物の手を弾き飛ばしたのだ。

 「クロ」が理解できないというような顔で桜子を見下ろしている。呆然として、ショックを受けているような表情、だが、それに騙されたりはしない。桜子は毅然と睨み返して言う。

「無事か、ですって? 心配して? 馬鹿じゃないの! あのクソ生意気で性悪でプライドの高い俺様にゃんこが、そんな素直で可愛い台詞を吐くわけないでしょうが」

「……」

「あいつはね、人がピンチに陥ってて本気でヤバいって時でも、『うろちょろするな』だの、『なに這いつくばってんだ』だの、人の神経逆撫でする言葉が真っ先に出るのよ。開口一番に安否を心配してくれるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないわ。姿を真似したまではいいけれど、あいつのこと全然解ってないのね。どんなに外見をそっくりに変えたって、そんな超三流演技で誰が騙されるかよばーか!」

「――言いたいことはそれだけか」

 「クロ」がふっと笑う。クロが見せたことのない邪悪な微笑みだった。温度の急降下した声は、やはりクロのものでありながら、決してクロの発することのない冷酷な色を帯びている。

 ここにきて桜子は、敵を目の前にして窮地に陥った恐怖や焦りよりも、怒りの方が勝り始めていた。目の前の偽者が、どうしようもなく不快だったのだ。

 薄汚い偽者に腹が立っていた――クロを騙るな、と。

「その姿をやめて。不愉快だわ」

「正体がばれてしまったのは、少し想定外だったな。信じていた仲間に傷つけられて絶望する顔を見るのを期待していたんだけれど」

「悪趣味」

 そう吐き捨ててやると、これ以上話すことはないと言うように、「クロ」は懐からナイフを抜いた。クロが使う妖刀と比べたら可愛らしいくらいのナイフだが、一般的なそれよりはやや大振りの刃は、半妖の容易く心臓を抉り出せるだろう程度には凶悪な代物だった。

「本物の黒猫とは地獄で再会するといい。奴は一足先に待っていてくれてるだろうさ」

「いい加減なことを」

「檻の中で身動きの取れない奴を、俺の仲間が殺す手筈だったのさ。もう死んでいる頃だ」

「嘘よ」

 桜子は自分でも驚くほど冷静に、そう言い切った。動揺の欠片すら見せない桜子に、「クロ」は多少苛立ったようだった。桜子は相手を嘲りながら、冷ややかに告げる。

「あなたみたいな三流底辺野郎の仲間なんかに、あの強かな黒猫が殺されるわけないでしょう。嘘はもっと上手につくものよ」

「だったら、嘘かどうかは、死後の世界で自分で確かめることだ」

 冷酷に告げ、男はナイフを振りかぶる。

 話を引き延ばして時間稼ぎをしたが、それも限界だ。

 ここまでか、と桜子が歯噛みした、瞬間。

 偽者の横っ面に踵がめり込んだ。

 凶悪な後ろ回し蹴りで男が吹き飛び、木立ちの向こうに消える。思わず敵に同情したくなるくらい強烈な一撃に唖然としていると、華麗に着地を決めながらの、こんな一言。

「人の顔勝手に使ってんじゃねえ。著作権違反で訴えるぞ、くそったれ」

 心底不愉快そうな顔で、クロが、「ああ、これは間違いなく本物だわ」と確信できる彼らしいセリフを吐き捨てていた。

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