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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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16 狐の思いは三者三様

 おそらく、目が見えなくなってから何年も経っているから、見えない状態で生活するのにはある程度慣れているのだろう。目が見えない者の足取りとは思えないほど、危なげなくしっかりとした調子で、天満は歩いてきた。

「潮満草を手に入れたのならば、さあ、私の目にかけられた呪いを解け」

「天満様……」

 天満は低い声で催促する。空湖が気遣わしげに天満の名を呼ぶが、一顧だにしない。傷ついた桜子を案じようとしないのは、まあいい。だが、空湖が一緒にいることは、そして瘴気のせいでダメージを負っていることは、見なくても声を聞けば解るだろうに、心配しようともしない。

 過去の天満とは、まるで別人だ。

「どうした? 早く解け」

「どうして、呪いを解こうとするの?」

「何?」

「桜鬼があなたの目を閉ざしたのは、その下に隠されている本当の呪いを封じるためだったんじゃないの? あなたはその呪いのせいで、一度は死ぬことまで考えた。けれど、桜鬼に目を封じてもらって、あなた自身がそう選んで決めて、生きることにしたはずよ。なのに、どうしてその目を開こうとするの? そんなことをすればどうなるのか、解っているでしょう?」

「お前は何を言っている?」

 天満は決してとぼけている風ではなく、本当に訳が分からないというような顔をしていた。そして、空湖もまた、怪訝そうな顔で桜子を見ていた。

「桜鬼が私の目を閉ざしたのは、奴の私怨によるものだ。私が奴の猫を傷つけた。それに対する復讐で、桜鬼は私の目を奪った」

「猫ってクロのこと? 確かに、クロは母にとって大事な友達だったわ。だけど、母は私怨や復讐で誰かを傷つけるような人じゃないわ。強くて、けれどその強さを決して間違ったことには使わない、優しい人……それが桜鬼だって、私は信じてる。あなたの言っていることはデタラメよ」

 桜鬼が罪を犯しただのなんだの、最初に聞いた時は、そういうこともあるかもしれないと思った。母は正しくあろうとしたけれど、その正しさが万人にとっての正しさであるはずはないのだから、誰かにとっては許しがたい罪となることもあるかもしれない、と。

 だが、今天満が語った言葉は間違いなく嘘だと言い切れる。ついさっき見た記憶の夢などを根拠にするつもりはない。ただ、母を信じている。母がもっとも強く、もっとも美しく、もっとも気高い鬼であったことを、信じているから。

「どうしてそんなデタラメを言うの? どうして呪いを解こうとしているの? それに……どうしてそんなに変わってしまったの。昔のあなたは、そんなふうじゃなかったはずなのに」

「何を言っている。私は変わってなどいない。私は……」

「いいえ、あなたは変わられました、天満様」

 天満の言葉を遮って、空湖が言う。決して大きな声ではない、だが、邪魔をすることのできない、悲痛な叫び声のように聞こえた。

「失った目のことはどうでもいいのだと、昔は仰っていました。私はそれを、どうしようもないから諦めていただけだと、そして今になって目を治そうとするのは、桜鬼が現れて諦めきれなくなったからだと、そう思っていました。ですが、違うのですね? 目を閉ざすことは、あなたがご自分で選んだことだったのですね? それならばなぜ、あなたはこんなことをなさるのです。罪もない者を傷つけ、郷の者を利用し、ご自分の執念のためだけに行動する……昔は、そうではなかったはずです」

「黙れ……」

「人も妖も、変わるものです。それを、いつまでも変わらないでほしいなどと言うのは、無茶なのかもしれません。ですが、それでも私は、あなたに、優しい長のままでいてほしかったのです。どうか、昔のあなたに戻ってください、天満様!」

「黙れ、私は……うぅぅ……!」

「天満様?」

 天満の様子がおかしい。突然苦しそうに呻き、頭を抱え蹲ってしまったのだ。空湖が慌てて駆け寄ろうとする。だが、天満がそれを手で制した。

「来るでない、空湖……早く、逃げるのだ」

「逃げる……? 何をおっしゃっているのです?」

「奴らはこの郷を、」

 天満が何事かを言いかけた時。

 天満の背後にさっと誰かが忍び寄った。その何者かは、素早く天満の体に何かを押しつけた。ばちんっ、と音がしたと思ったら、天満の体がぐらりと傾ぎ、地面に倒れてしまった。

 あっという間のことで、桜子は唖然としてしまう。いったい何がどうなっている?

 その問いに応えたのは、天満の後ろにいた妖。

「あーもう、あとちょっとだったのに、肝心なところで術が切れかかるなんて! 宵音の奴、エラソーなこといってたくせに、半端な術かけるなんてさ!」

 ぶつくさと言う声は、声変わり前の少年のものような高い声。天満の後ろから現れたのは、彼よりもずっと小さい体つきの少年。狐耳と尻尾を揺らした、化け狐だった。その右手には黒い小型の機械を持っている。おそらくはスタンガンだろう。妖怪のくせに人間用の護身武器を使っていやがる。

 小生意気な印象を抱かせる吊り目とにやにや笑いを湛えた唇。いったいこの子狐は何者なのか、桜子が問いただす前に、空湖が静かに怒りを燃やしていた。

「同族でありながら天満様に手をあげるとは、どういうつもりです」

「出たよ、同族。ボク、そういうの、うざいと思うんだよね」

「……」

「狐だからって理由で結束しなきゃならない、ってのもうざいし、狐だけでこんな狭い郷に隠れ住んでるのも馬鹿馬鹿しいって思うし。そりゃあさ、ボクたち狐は幻術くらいしか取柄がなくて、他の妖に比べたら力は弱い、だから襲われたりしないようにひっそり隠れてましょー、って、そういう理由で、今時珍しい閉鎖社会築いてるのは知ってるよ。だけどさ、郷に他の種族が攻めてくるかもなんて妄想もいいところだし、それに、結束して隠れ住んだところで、結局狐はよわっちくて、こんなふうにあっさり潰れちゃうわけ。馬鹿馬鹿しいったらないよ。だからもういっそ、こんな郷、潰れちゃえばいいのに、って思わない?」

 軽い調子でそんなことを言う。悪いことをしているという自覚など微塵も感じさせない表情。だが、無邪気というにはあまりにも邪気にまみれた表情だ。

「ちょっと、空湖、なんなの、あのクレイジーで小生意気なクソガキは」

「彼は果林かりん、化け狐の少年です」

「まさかあんたみたいなクソガキが、天満を裏で操ってた黒幕だとか、そういうことを言うつもりじゃないでしょうね?」

「そう言えたら格好いいんだけどね。この老いぼれが豹変したのはボクの力じゃないんだ、残念ながら。結局ボクは、ただの監視役しかさせてもらえなかったわけ。今回の計画が成功すれば、次はもっと大きな役目を与えてもらえるはずだったけれど、空湖、あんたのうざい説得のせいで台無しだ。半分は宵音が悪いにしても、もう半分は空湖のせいだ。落とし前は付けさせてもらうよ」

「勝手なこと言って勝手なことして勝手に人のせいにするとか、何から何までオコサマ思考回路ね!」

「無能な半妖は黙ってろって」

 性悪な子狐はけらけら笑う。いまいち詳しい事情は把握しきれない。だが、天満の様子がおかしくなってしまったのは果林のバックについてる「宵音」なる妖のせいであり、彼の目的は久霧の郷を潰すこと、そしてその計画が失敗したことで、空湖を逆恨みしていることだけは、なんとなく解った。

「桜子さん、お願いがあります」

 静かに立ち上がり、空湖は一歩前に出て果林と相対する。

「郷の者達に伝えてください。私たちは天満様のために動いているつもりでした、ですが、すべては何者かによる陰謀だったのだと。手負いのあなたにこんなことを頼むのは申し訳ないと思います、ですが……」

「あなたはどうするの」

「私は、彼の相手を」

「あいつを引き留めておくってこと? でも、空湖だって、瘴気のせいで……」

「どうか私のことは心配なさらずに」

 お願いします、と重ねて頼まれれば、断ることはできなかった。

 ふだんだって、荒事となればたいして役に立たない桜子だ。まして今は、体は瘴気に蝕まれていて、ロクな働きは期待できない。空湖に加勢するのは無理だろう。だったら、這いつくばってでもここから離れ、郷の狐たちに事情を説明して協力を仰ぐ方がいいに決まっている。

「解った、引き受けたわ。気を付けてね、空湖」

「ええ、あなたも」

 まだ本調子ではない体だが、なんとか動ける。桜子は重い体で立ち上がり、走り出した。

 思えば、果林が桜子を止める素振りすら見せず素通りさせた時点で、気づいてもよかったのかもしれない。

 この先に、酷い景色が待っていることに。


★★★


 ようやく霧の結界を抜け出せたときには、桜子とはぐれてしまってから悠に二時間ほどは経過していた。彼女の用心棒としてついてきたというのに、敵の術であっさり分断された上に森で足止めを食らうなど、情けなくて仕方がない。紅月は自分で自分を罵った。

 その上、結界を抜けられたのは、別に紅月の功績でもなんでもないというのが、さらに腹立たしいことだった。どちらへ進んでも同じような景色が延々と続いていくだけで、前に進めているのか後ろへ戻っているのか、はたまた同じ場所でくるくる回っているだけなのか、それすらも解らないでいたところ、唐突に、あたりを覆っていた濃い霧が晴れていったのだ。

「どうなってやがる、ちくしょう……」

 紅月は忌々しげに吐き捨てる。どういう理屈か知らないが、とにかく霧は晴れた。この機を逃すまいと、紅月は空を見上げ、太陽の位置で方向を確かめ、久霧の郷があるという方向へ向かって走り出す。

「嬢ちゃん、無事でいてくれよ……!」

 こんなところまで彼女を連れてきておきながら、みすみす敵の手に渡してしまった。これで彼女の身に何かあったら間違いなくクロに殺されるな、と紅月は思う。

 かつて桜子に、クロの味方になってほしいと頼んだのは紅月だ。そう頼んだとき、紅月はまだ桜子のことをよくは知らなかった。ゆえにあの頼みは、偏見に満ちた他の妖とは違う、清廉で公正な桜鬼として、クロの味方になってほしいと思ってのことだった。

 確かに桜子はクロの味方になった、だがそれは、紅月の予想をはるかに超えていた。公正でありながら、しかし公正な傍観者、審判者というだけではなく、近しい友人として、桜子はクロの傍にいることを選んだ。すれ違って仲違いしても、突き放されても、それでも桜子はクロの元へ戻ってきた。

 桜子は緋桜とは違う。だが、間違いなく彼女はクロにとって特別だ。もしかしたら、緋桜よりも。

 桜子は知らないだろうが、クロは彼女に出会ってから、随分と変わった。実を言えば彼は、緋桜と出会ったことを切欠に一度変わったのだ。周りすべてを敵のように見ていたのが、少々ひねくれて皮肉屋だが優しい黒猫に。だが、緋桜と別れて、折角変わった彼は過去に逆戻りした。

 見ているだけで危なっかしかった。毎日毎日、どこかへ姿を消しては、夜には疲れ果てて死んだように眠る。それは、別れた緋桜を探してのことだったのだと、紅月が知ることになるのはずっと後だ。そんな狂ったような生活が十七年。緋桜の死を知った彼は抜け殻みたいになって、自棄を起こして、桜子を見出して――そして、今の彼になる。

 もしも桜子を失うようなことになったら、クロはまた、昔の彼に戻ってしまう。強いくせに、触れれば壊れそうな、脆い黒猫に。

 そうはさせないでくれ。どうか、無事でいてくれ。

 そう祈りながら、紅月は森を駆ける。


 突然、悲鳴が聞こえた。もしもそれが女の悲鳴だったなら、紅月は冷や汗の一つもかいたかもしれない。幸か不幸か、聞こえたのは野太い男の悲鳴だった。

 もう一度悲鳴、そして同時に、森の中に何かが吹き飛ばされてきた。

「何だっ?」

 殴られたか蹴られたか、とにかく吹っ飛んできたのは狐耳の若い男で、太い樹の幹に体を激突させて止まった。見ると、服はぼろぼろで、今の衝撃のせいか、気を失っているようだ。その有様は、明らかに誰かと争っていたような格好だ。

 桜子の仕業ではないだろう。ときには荒っぽいことも辞さない桜子だが、妖怪をここまでぼろくそに伸してしまえるほどの膂力は、彼女にはない。とすると、他に誰が? この郷には化け狐しかいないはずだ。結束の強い狐たちが、まさかここまでマジになって殴り合いをしているとは思えないのだが。

 ざりっ、と草を踏む足音が近づいてきて、紅月は顔を上げる。タイミングからして、狐男の喧嘩相手だろうか。接近してくる者の正体を見極めようと、紅月はじっと目を光らせる。

 やがて、木立ちの間から姿を見せたのは、不思議なことに、あるいは不思議でもなんでもないのかもしれないが、ともかくも化け狐の男だった。右手には太い棍棒を持っていて、その得物には血がついている。

「お前がこれをやったのか? 狐同士で殴り合いとは、穏やかじゃねえな」

 紅月の言葉に、しかし男は答えない。どこか危なげな足取りでやってくる男の目は、先程吹き飛んできた男のことも、紅月のことも見ていない。視線は虚空を彷徨い、どこか虚ろだ。

「おい、聞いてんのか」

「……排除」

「何?」

「敵は、すべて、排除する」

 壊れた人形のようにとぎれとぎれに呟き、男は持っていた棍棒を振り上げる。

「……ったく、人が急いでる時に、なんでこう厄介なことになってるのかね!」

 心底から苛立ちながら、紅月は己の「妖刀」である拳銃を握りしめた。

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