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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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14 行動するなら迅速に

 その時、留置場の入り口が開いて、獄吏が一人入ってきた。

「話は終わったか? これからそいつは尋問の時間だ。部外者にはそろそろお引き取り願おう」

「忍! あなたが益体もない話をしている間に時間切れではありませんか!」

 葵がひそめた声で、しかし思いっきり忍に文句をつけた。これは確かに、文句を言われても仕方のないレベルで、なんの成果もあげられなかった。本当に何をしに来たのだか解らない。

 しかし、一応仲間ではないという体でここに来たわけだから、獄吏の目の前でクロと作戦会議をするわけにもいかない。ここで食い下がって獄吏を追い帰すのも難しい。どうしようかと思ってクロをちらりと見ると、「邪魔だ帰れ」と言わんばかりに、しっしと手を振って追っ払う仕草をしている。

 獄吏がクロの牢の前までやってくる。狭い通路で獄吏とすれ違い、忍と葵は仕方なく出口に向かって歩き出す。

 瞬間、後ろを歩いていた葵が勢いよく振り返ったのに気配で気づいて、忍は立ち止まる。見ると、葵が獄吏の腕を掴んでいた。

「どうした、葵?」

 葵のただならぬ様子に、忍は眉を寄せる。

「――何を持ってらっしゃるの?」

 葵はか細い腕をしているが、曲がりなりにも鬼であり、赤鬼家当主、その力はかなり強い。獄吏は葵の手を振りほどけずにいた。

 葵に捕まれている手は、白い制服のズボンのポケットの中に差しこまれている。葵はそれを、力づくで抜き出させる。そうして、男が手にしていたものが露わになると、忍は目を瞠った。

 目盛りのついたシリンジと、キャップで保護された細い針。男が持っていたのは、細身の注射器だった。注射筒の中は透明な液体で満たされているが、ポケットの中に隠され、何食わぬ顔で持ち込まれたところを見ると、まともな薬品でないことは推し量れよう。

「それをどうするつもりだったのです」

 鋭い声で葵が問い詰める。すると、企みが露見したことで猫を被るのをやめたのだろうか。葵を振り返った男の顔は敵意に満ちた形相をしていて、まずは邪魔をする葵から片づけようとしているのがありありと窺えた。

 無論、忍がそんなことをさせるわけもない。男がアクションを起こす前に、忍は男の顔面に拳を叩きこんだ。男は鼻血をまき散らしながら吹っ飛び、通路の突き当りの壁に激突した。

 直後、ぽんっ、と弾ける音とともに男の体から煙が上がる。ややあって煙が晴れると、白旗組の制服姿だった男は消え去り、代わりに黄色い耳とふさふさの尻尾を持つ、袴姿の男が現れた。その妖の正体は、もはや一目瞭然だった。

「化け狐!? サツに化けてやがったのか!」

 つまり、この男は警察ではなく偽者。警察のふりをして白旗組に潜り込み、クロに手を出そうとしていたらしい。

「いったい何の目的で彼に近づいたのです。答えなさい。答えないのでしたら、あなたが使おうとしていた薬の効果を、あなたの体で試させてもらいますよ」

「や、やめろ、殺さないでくれ!」

 男はすっかり戦意を失ったらしく、みっともなく命乞いをする。それは同時に、今自分がしようとしたのはクロの暗殺だったと認めることであった。

「確かにこいつは方々で恨みを買ってそうだが、わざわざ監獄にまで乗り込んでまで命を狙うってことは、今回こいつが巻き込まれた陰謀と無関係ってわけじゃないはずだ。どういう理由で殺そうとしたんだ」

「ほ、保険だ!」

「保険? 保険金殺人?」

「違う! ……我々の計画は最終段階に入っている。だが、万が一にも計画を邪魔されたら困るから、万全を期して、邪魔をしそうな黒猫を排除しておくことにしたんだ」

「計画って、何だよ」

「……今更知ったところで手遅れだろう」

「つべこべ言わねーで吐きやがれ」

 忍がドスをきかせて追及すると、男はもったいぶるのをやめてあっさりと白状する。

「すべては桜鬼を誘き寄せるための罠だったということさ! だが、今頃気づいても遅い。桜鬼はすでに我々の手の中にある。我らが長、天満様の悲願のために、命を落とすことになるのだ!」

「てめぇ、そいつはどういうことだ!」

 クロがどうなろうと知ったことではない。が、桜子に危機が迫っているというなら黙ってはおれない。忍は男の胸ぐらを掴み上げてさらに追及しようとするが、男はこれ以上話すことはないというように黙りこくった。ここまでぺらぺら喋っておきながら今更黙るということは、これ以上この男は重要な情報を持っていないのだろう。

「どうやら、まずいことになってるらしいぜ、葵」

 葵は小さく頷く。

「そのようです。我々の手の中に、というからには、おそらく桜子は化け狐の郷に誘き寄せられたのでしょう」

「クロを嵌めた犯人を探しに行ったら、そいつは桜鬼をとっ捕まえる罠だったってオチか。冗談じゃねえ、手の込んだ真似しやがって、クソ狐共め」

 桜子は強い少女だ。だが、それでも、彼女が普通の妖たちより膂力の面で劣ることは否定しようがない。化け狐どもが郷全体で結託しているとなれば、桜子一人の手には余る事態だ。妖どもが暴力を振るえば、桜子に打つ手はない。

 助けに行かなければならない。危機に陥っているのは自分でも、郷の鬼でも、まして自分にとって一番大事な恋人でもない。だが、あの強くて脆い少女を放っておくことはできない。

「狐の隠れ里か……辿り着くだけでも苦労しそうだが、じっとしてても埒があかない」

「ええ、とにかく参りましょう」

「よし。――おい、聞いたかクロ! ことこうなっちゃ、お前もじっとしてるわけには…………って、あれ?」

 忍が振り返ると、先程までクロがいたはずの牢屋の中はもぬけの殻であった。鍵がかかっていたはずの檻の扉は開いていて、中に壊れた手錠が転がっている。

「あいつ、どこ行きやがった?」

 戸惑い気味に呟くと、葵が何をいまさらと言うような顔で、

「彼ならとっくに脱獄していきましたけど」

「早ぇよ!」


★★★


 入り口は開きっぱなしで、別に出口を閉ざされてしまったわけではない。だが、数歩進んだだけで、視界は闇に染まってしまい、数メートル先が見えないほどだった。外からの光が、ほとんど届かない。洞窟の内部で道がカーブしてしまうと、もう救いようがないくらい真っ暗闇だ。

 桜子はショルダーバッグの中から、手探りで目当てのものを探し出した。

「じゃじゃーん、女子高生の必須アイテムその一、懐中電灯! 暗いところを照らすだけでなく、目くらましにも使える大光量、これで夜道も安心!」

 テレビショッピングよろしく一人芝居をして、ライトのスイッチを入れる。出かける前に確認して来たから、電池切れの心配もない。こんなこともあろうかと、ショルダーバッグの中に使えそうなアイテムをあれこれ詰め込んできたのが正解だった。そのせいでバッグがボウリング玉並みに重くて、肩ひもが食い込んで肩が痛いが、背に腹は代えられない。

 光の輪が道の先を照らし出す。ごつごつでこぼこの道を慎重に歩いていく。少し行ったところで、ぶるりと身震いをした。何か危険を察知して、というようなことではなく、純粋に外気温が下がっているせいらしい。秋口に相応しい格好をしてきて、実際洞窟の外までは快適な服装だったのだが、洞窟の中はやたらと冷気が漂っているらしく、肌寒かった。

 いや、ただの冷気では、ないかもしれない。肌を突き刺し、じわじわと染み込んで蝕もうとしている嫌な冷気、これこそが、瘴気なのかもしれない。そう思ったら、もう一度、ぶるりと体が震えた。

 洞窟がどれだけの長さ続いているのかは、解らない。だが、瘴気に満ちた洞窟に行って戻ってくることが妖ですら困難であることを考えると、それなりの距離があるだろうことは予測できる。慎重に、しかしできるだけ洞窟の中にいる時間が短くて済むよう早足で、桜子は先へ進んでいく。

 洞窟というと、足元にネズミとか、天井にコウモリとか、そういうものがいてもおかしくないイメージがある。しかし、洞窟の中は驚くほど静かで、自分の足音がこつこつと反響するばかりで、他に生き物が動く音も気配も感じられない。ネズミやらコウモリやらが闇の中で蠢くのも不気味だろうが、何の音もしないというのは、それもそれで不気味だった。

 ライトで腕時計の文字盤を照らし出して時間を確認する。洞窟に入ってから、十分ほどが経っていた。歩き通しのせいか、少し疲れた気がして、桜子は一度立ち止まり、大きく息をついた。

 それから、おかしいな、と思う。

 妖に比べたら力がないにしても、人間として、女子高生としては、それなりに体力には自信がある。鬼の郷で鬼相手に鬼ごっこをすることもあった。あのときのほうがよほどハードなことをしていた。窮地で火事場の馬鹿力を発揮したおかげであったにしても、あのときはそこまで疲れはしなかった。

 それが、今はどうだろう。ほんの十分、少々早足で歩いただけで、もう疲れている。ふだんの桜子からしたら考えられない話だった。

 体がおかしいかもしれない――そう意識した瞬間、待ち構えていたかのように、ぐらりと眩暈がした。思わず壁に手をついて体を支える。

 あたりは冷気に満ちていて肌寒い。そのはずなのに、体の中の方は徐々に熱を持ってくるようだった。寒いのか暑いのかよく解らない。風邪をひいて熱を出しているときの感覚に、近いかもしれない。

 頭がくらくらする。油断すると、このまま壁に凭れてずるずる滑り落ちてしまいそうだ。

 だが、そんなことをしている時間はない。一刻も早く、目的を果たしてここから出なければ。

 桜子はふう、と溜息をついて、止まった足を再び動かす。

 と、それと同時にまた強烈な眩暈。なんとか踏みとどまったが、その拍子に懐中電灯が手から滑り落ち、地面を転がった。

 くるくると光の輪が回転し、あらぬ方向を照らしながら転がって行く。それを、のろのろとした足取りで追いかけて、拾おうと身を屈める。

 その時、はたと気づいて手を止める。落ちた懐中電灯が偶然照らし出した場所、そこに闇以外の何かがある。

 赤い色。決して宝石のように輝く赤ではなく、むしろ毒々しく、近寄りがたい感じの赤。一瞬、血かと見間違えた。しかし、よくよく見るとその赤色は花弁の形に広がっている。小さく、しかし強烈な赤い花。

「これが……潮満草?」

 名前から、なんとなく小さくて白い可憐な花を想像していた。だが、目の前にある赤い花こそ、潮満草なのではないか、と桜子は直感する。

 そもそも、どういう外見の植物なのかくらい、聞いておくべきだったな、ということは、洞窟に入って少しした時点で思ってはいたことだ。だが、今赤い花を目の前にしてみると、そんな必要はなかったのだと思い知らされる。

 半妖の桜子でも、解る。その花から強い妖気が漂い出していることが。間違いなくそれが、大きな力を秘めるという、潮満草だ。そう解ると、桜子の表情にも余裕が出てきた。

「なぁんだ、案外近くにあったじゃない。天満の奴、散々脅し付けるから、ちょっと身構えてたけど……」

 少々体の調子は悪いが、入り口からここまで大した距離ではない。同じ距離を戻るくらいならできそうだと思った。

 ほっと安堵しながら、桜子は懐中電灯を拾い上げ、光で照らしだした赤い花に手を伸ばす。

 手のひらに収まりそうなほど小さな花。日の光も届かないこんな場所でどうしてこんな植物が育つのか、こんな小さな花にどうやって大きな妖力が秘められているのか、そんなことをふと不思議に思いながら、桜子は潮満草を根元から摘んだ。

 その瞬間。

 赤い花から感じられていた妖気――それを大きく上回る、禍々しい気配が、ぶわっと噴出した。

 あたりを満たしていたそれよりも、強くて濃い瘴気。力を求めてやってきた欲深い者を罠にかけるかのように、潮満草を引き抜いた跡から飛び出してきたそれは、桜子の体にまとわりつき、絡みつき、あまつさえ体内に忍び込もうとする。

 これくらいならいけるかも、なんて根拠のない自信を抱いていた。まさしくそれは、根拠のない思い込みだったらしい。

 懐中電灯のスイッチを切った覚えはない。だが、桜子の目にはもうその光が映っていなかった。

 自分の考えの甘さを呪いながら――桜子は意識を失った。

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