7 最終兵器、発動
今、桜子が妖の世界の常識をすっぱりひっくり返すのは不可能だ。桜子にとってのスタンダードである、現代日本の常識や法制度を押しつけることはできない。
ならば、郷に入っては郷に従えだ。
「ちっくしょう、あの門番カンジ悪っ! 今に見てろ、鼻明かしてやるからな!!」
年頃の女子とは思えない罵倒を吐きながら、桜子は方針変更。向こうの捜査手法が強引なら、こっちも多少の強引はやむを得ない。塀を乗り越えて忍び込んででもクロに会いに行ってやる。なに、真犯人さえ見つけてしまえば、それくらいの不法行為はチャラだろう。
しかし、少し冷静になってみると、塀を乗り越えるというのはあまり現実的ではないようだ。高台に位置する屯所の敷地をぐるりと取り囲む塀の外は、断崖絶壁とまでは言わないが、安定した足場があるわけではない。さらに、塀は桜子の身長より頭二つ分くらい高いし、ご丁寧に忍び返しまでついているのだ。それに、もしかしたらそれだけではないかもしれない。ほぼ人間の桜子ではそれだけでも十分難攻不落だが、妖なら軽々跳躍できてしまうかもしれない。ということは、塀の上にセンサーがついていて、飛び越えるとすぐにばれるくらいのことはありそうだ。
つまり、飛び越えるのはほぼ不可能だし、よしんばできたとしてもすぐに門番に見つかるということだ。やはり、中に入るには大人しく正面突破、門を抜けていくしかなさそうだ。だが、門は絶えず門番が見張っている。多少強引な手を使うことは厭わないが、だからといって門番を殴り倒して行く気にはならないし、第一実力的にいってもそれは土台不可能な話だ。
いきなり八方塞だ。
溜息交じりに、一度白旗組屯所を後にし、折角上ってきた石段を下る。ここは大人しく紅月に協力を求めた方がいいかもしれない、と思いながら、商店街の方へ足を向ける。
少し歩いていくと、前から誰かが大きく手を振ってやってくるのが見えた。最初は遠くて誰か解らなかったが、足早に近づいてくるのをじっと見ていると、やがてそれが知った妖怪であると気づく。
ジーンズにパーカーの格好で、栗色の髪を左右でシニョンにしている女性、千年堂の丙である。
「丙!」
「桜子ちゃん、お久しぶり!」
にっこりと屈託なく笑う丙。決して営業用というだけではなさそうなスマイルである。浮かない顔だった桜子もつられて笑顔を返す。
「こっちに来てたのね、桜子ちゃん」
「いろいろあってね。丙は仕事?」
「宣伝して回ってるのよ、千年堂をよろしくーって。まあ、宣伝しながらウィンドウショッピング楽しんでるんだけど。自営業は気ままよ、うふふ」
陽気に微笑む丙。それを見ていて、桜子は唐突に閃いた。
肩にかけてきた鞄を漁って、何かの時のためにと入れておいたそれを取り出す。
「あの、丙、頼みがあるのだけれど」
そう言って、桜子は千年堂のサービスチケットを差し出す。たいていのアイテムは何でもオーダーメイドで作ってくれるという千年堂、その一回無料券、いわばリーサルウェポンである。
「まあ、毎度ありがとう~。それで、頼みって?」
桜子は現在陥っている状況を掻い摘んで説明する。相槌をうちながら聞いていた丙は、話が終わると力強く頷いてくれる。
「要は、真犯人を探し当てる道具を作ればいいのね」
「できる? できちゃう? 推理も捜査もすぱっとかっ飛ばすチートアイテムできちゃうの?」
「もっちろん」
「どれくらいかかる?」
「大丈夫よ、ちょっと難しい注文だけど、二週間もあれば」
長い。
丙には申し訳ないが、今は一分一秒も惜しい。白旗組が強引にクロを犯人に仕立て上げかねないと解った今、二週間も悠長に手をこまねいている暇はないのだ。
「ごめんなさい、二週間はちょっと……」
「あら……そう、残念ね」
「犯人はやっぱり、自分でなんとか探すことにするわ。だから、クロとなんとか上手く会えるようにしてもらえないかしら」
「留置場にいるクロに、門番の目をかいくぐって会いに行きたいのね?」
改めての注文に、丙は少し考えてから、大きく頷く。
「それなら、もうできている手持ちの道具を使えばなんとかなりそうね。店に戻ればすぐにでもお渡しできるわ」
「ほんと?」
「ええ。さあ、お店に行きましょう!」
桜子は丙に手を引かれ、小走りで千年堂に向かった。
だいたいなんでも注文を聞いてくれる代わりにそのお値段はちょっと手を出しがたく、どちらかといえばセレブ向けらしい千年堂は、しかしその外観はあんまりセレブっぽくなかった。だいたい店主の丙の格好がフォーマルでもオフィスカジュアルでもなくジーンズという時点でお察しなのだが、まるで駄菓子屋みたいな、ちょっとボロッちい、平屋の小さな木造建築だった。掲げてある看板には「千年堂」と右から左へ横書きされていて、そのあたりは、なんとなく老舗のような風格が漂っている気がしないでもないが。
桜子を待たせて店に飛び込んだ丙は、ものの数十秒ほどで戻ってきた。「じゃーん!」と満面の笑みを浮かべながら掲げてみせたのは、腕輪のようだった。細身の銀色のリングに青い宝石のような石が一つ嵌め込まれている。
「これぞ私の最新の発明、名づけて『どこでも幽霊リング』よん」
「幽霊リング?」
「説明しましょう! これを付けると、幽霊みたいに、誰からも見えない、声も聞こえない、触れない、透明人間になれるのですっ。勿論、体は透明になるけど服はならない、なんて間抜けなことにはならないわ。使用者が身に着けているものもちゃんと透明になるの。しかも、壁も通り抜けられる超優れもの、気分は幽霊!」
「す、すごい! じゃあ、これで門番に見つからずに屯所に侵入できるわけね? 鍵のかかった部屋だろうが牢屋だろうが、自由に出入りできるのね?」
「そのとーり! 門番は絶対にあなたに気づかないわ」
それが本当ならものすごい大発明だ。伊達に「何でも作ります」と明言はしていない。妖術って何でもアリだな、と少し呆れつつもあるが、今回ばかりはとても頼もしい。
「今回は出血大サービス、予備にもう一本つけて、お代はいらないわ。さあ、早くクロのところへ行ってあげて」
「ありがとう、丙。恩に着るわ」
桜子は腕輪を受け取り、早速白旗組へと引き返した。
石段の下で身を潜め、階段の上の門番を見遣る。先刻と変わりなく、ガタイのいい男ががっちりと門を固めている。
桜子は誰にも見られていないことを確認してから、腕輪を左手首に嵌める。その瞬間、リングに嵌った青い石が煌き、淡い光が桜子を包んだ。光はすぐにやんで、桜子は自分の体を見回してみるが、特段の変化は見られない。透明人間になれる、とはいうが、自分で自分の姿はきっちり認識できている。ちゃんと透明になれているのか自分では判断のしようがないが、ここは丙を信じて、思い切って正面突破に踏み切る。
石段を歩きはじめてすぐに解ったことだが、歩いているときの足音がまったくしない。最初に上ったときは、ざらついた石段の表面を靴底が擦る音が聞こえたから、腕輪の効果は確かに表れているようだ。
桜子が一番上まで辿り着いて門番の目の前に立っても、門番は表情一つ変えない。透明人間が目の前にいて様子を窺っているなど、夢にも思っていないだろう。
拍子抜けするほどあっさりと強面の門番をスルーし、桜子は白旗組屯所の敷地内に侵入した。敷地内に建っている建物は瓦葺の木造建築で、何棟かある建物を渡り廊下がつないでいるようだ。
正面に見える二階建てが主な建物として、おそらくそこに白旗組のメンバーが待機しているのではないか、と推測できる。その右手側にある平屋建ての方からは、何やら掛け声やどたどたという足音が聞こえるから、もしかしたらそこは道場かなにかで、警官たちが剣術稽古でもしているのだろう。
とすると、留置場があるとすれば、残る左側の建物だろうか、とあたりをつける。
足音もなく渡り廊下を駆け抜けると、その先の建物は重厚な鉄の扉で閉ざされていた。侵入や脱出を拒む鉄の壁、やはり予想通り、ここが留置場なのだろう。
今の桜子にとっては、鉄の扉など意味を持たない。そっと手を伸ばすと、指先は冷たい鉄に触れることなく、その奥へとすり抜けた。思い切って体ごと中へ飛び込んだ。
細い廊下は、床も天井も無機質な灰色。そして廊下の左側には鉄格子で封じられた堅牢な檻が連なっていた。力のある妖ならこの程度の檻、破れないこともなさそうだが、そうはならず大人しく収監されているということは、なんらかの術が施されていて、簡単には脱出できないようになっているのだろう。鬼の郷で、忍が葵を閉じ込めていた際も、妖力を封じる結界のようなものを施していたと聞いた気がする。おそらく、それと似たような状態なのだろう。
ここにクロがいるのだろうか。桜子はゆっくりと廊下を進み、牢の中を一つ一つ覗き込んでいく。四畳半ほどの狭い牢には窓すらなく、息が詰まりそうだった。寝台すら置いていないし、与えられているのは薄っぺらい敷布団と薄っぺらい毛布だけらしい。これから肌寒くなってくるというのに、それだけではいかにも心もとなさそうだが、牢にぶち込まれるような者に対しては気遣いもされないのかもしれない。
歩いていくと、ぼそぼそと話し声が聞こえるところがあった。覗き込んでみると、思いがけず知った顔がそこにあった。なんと、四月にとっ捕まえた狼兄弟、千草と千歳だったのである。隣同士の牢に入れられた二人は、壁越しに会話をしているらしい。長かった髪も爪も短く刈られたままで、「出所したら俺、実家に戻って農家を継ごうと思うんだ」「ああ、それがいいな、母上ももう歳だから」などと言い合っている。「力こそがすべてだ」みたいに物騒極まりない思想を持っていた狼と同一人物とは思えないほどの変貌ぶりだ。よほどここの更生プログラムはしっかりしているらしい。
しかし、ここは刑が決定するまでの間に勾留しておくための留置場かと思ったら、狼兄弟がいるということは、妖の世界では留置所と拘置所の区別はないらしい。部屋が別々とはいえ、かつてぶっ飛ばした相手と同じところにぶち込まれてるとあっては、クロも心穏やかではないだろうな、と桜子は思う。
意外な相手との一方的な再会を三十秒で済ませ、桜子は更に奥へと進む。外から見た感じではそんなに広くなさそうに思えたが、いざ入ってみると意外と牢は多い。いったい何人いるのかと身構えたが、牢は多いもののすべてが埋まっているわけではなく空室もある。犯罪者が大勢いるというより、犯罪者が大勢出ることを想定して作られたということだろう。クロと会わせてもらえなかったことを少々根に持っている桜子は、「そりゃあクロみたいな冤罪出してたら檻がいくつあっても足りないわ」と内心で当てこすりを言う。
噂をすれば、ということではないだろうが、丁度クロのことを考えながら次の檻を覗き込んだとき、桜子ははっと息を呑む。
薄暗い牢の中、隅っこの方で片膝を抱えて俯いているクロを見つけたのだ。




