6 借りを返す番が来た
「証拠はいろいろ出ているが、クロが犯人じゃないとすると、あいつは真犯人に嵌められたってことになる」
紅月は前提となる条件をはっきりと示す。
「けれど、感情論だけで警察を説得するのは無理ね。白旗組だって立場がある、そんなのに振り回されず、証拠だけで話を進めるのは、間違ってないわ」
「だが、俺としては、クロを信じたいっていう感情論を抜きにしても、今回の件をクロがやったとするにはおかしなことが、ないでもない。クロは竜厳様の屋敷に警報システムや防犯カメラがあることを知ってたはずなんだ。前に俺が話したのを、忘れたはずがない」
侵入すればサイレンが鳴る、カメラに姿が記録される、それをクロは知っていたということだ。
「成程ね……白旗組は、百鬼夜行参加のために承認の石を盗んだっていうふうに考えてる。つまり、その説で行くと、石は竜胆のものである必要はなく、誰のものでもよかったってことになる。誰のものでもいいはずなのに、わざわざ危険だと解っている竜厳様の屋敷に忍び込むっていうのは、確かにおかしいわ」
「ああ。それに、もし何か他の事情もあって竜厳様の屋敷に侵入することにしたなら、せめて顔を隠すなりするはずだ。それが、ばっちり顔が解るような映像が残っているなんて作為的だ」
「やっぱり、誰かがクロに罪を着せるために、あえて物証が残る竜厳様の屋敷に忍び込んだと考えられるわね」
「そういうことだ。だが、これだけで白旗組の捜査方針をひっくり返すのは難しい。屋敷のシステムのことを、俺がクロに教えたはずだって証言しても、庇っているだけと取られるか、あるいはクロが忘れただけだと言われたらどうしようもない」
「真犯人を見つけるしか、手はないようね。……ここまで手の込んだことをしてるくらいだから、真犯人はクロに恨みを持っているはずよ」
「そうはいっても、あいつに恨みがある奴なんて星の数ほどいるだろう」
酷い言われ様だが、桜子もそれについては否定しない。
「けれど、罪を着せて陥れようっていうなら、生半可な恨みじゃないでしょう。それほど大きな恨みなら、クロに真犯人の心当たりがあるかもしれない」
彼に話が聞ければ、事件は一気に解決に進むはずだ。
「私、クロに話を聞きに行くわ。面会くらいできるでしょ?」
「……いや、嬢ちゃんはもう帰るんだ」
「え?」
紅月の唐突な言葉に、桜子は目を瞠る。
「なによ、藪から棒に」
「今日はもう遅い。そろそろ帰らないと、家族が心配するぜ」
そう言われて、時計を確認すると、確かにもう午後六時半を回るころだ。学校から直接妖怪の世界に来て、家に連絡も入れずに長々と話し込んでいたことを思い出して、桜子はしまったというような顔をする。
「こんな時間じゃ、面会だってさせてもらえないさ」
「……確かにそうね。解った、じゃ、また明日出直してくる」
「嬢ちゃん、明日から旅行だろう」
「あ」
忘れてた。
なんというタイミングの悪さだろう。そもそも今日は、旅行前に挨拶して、土産の希望を聞きに来たはずだったのだ。それが、予定外にクロが不在で、しかもとっ捕まってるなどという話を聞かされた。その衝撃で当初の目的などすっかり吹っ飛んでいた。
「嬢ちゃんには、人間の世界でやるべきことがあるだろ。クロのことを心配してくれるのはいいけど、あんまり深入りするもんでもない。こっちのことは俺に任せておいてくれないか」
「そんなこといったって、こんな大変な話聞かされて、呑気に修学旅行なんて行ってる場合じゃないでしょ」
桜子としては当然の反論をすると、紅月は困惑気味に眉を寄せる。「だから内緒にしてたのに」とでも言いたげだ。
「まあ、確かに大変な事態ではあるが、そもそもあちこちから恨みを買ってるクロの自業自得って一面もある。あいつが妖の世界で少々複雑な立場にあることを酌量しても、だ。だから、クロを心配するのはいいが、何から何まで嬢ちゃんが責任みたいなものを感じる必要はないと思うぜ。それに、白旗組もクロの身柄を押さえちゃいるが、今すぐどうこうしようとしてるわけじゃない。さして切羽詰まってるわけじゃないってことで、嬢ちゃんも少しは安心しといてほしい」
「でも……」
「嬢ちゃんがあんまり思い詰めると、クロが気に病むだろ。嬢ちゃんに心配や迷惑を掛けたくないから、嬢ちゃんに黙ってろって言ったわけだし。なのに嬢ちゃんを結局巻き込んじまって、おまけに折角の旅行もふいにさせたとなりゃ、俺がどやされるぜ」
なるべく桜子に責任を感じさせないようにと、紅月が気を遣ってわざと冗談めかした風に言ってくれるのが解った。
紅月の言い分は解る。解る、のだが。
「……別に、責任とか、そういうんじゃないのよ。ただ心配なだけ。ま、こんなこと言ったらさ、私に心配されるほど落ちぶれちゃいないとか、言いそうだけど」
「ああ、確かに、言いそうだ」
くすりと笑って紅月は続ける。
「嬢ちゃんのことは俺からクロに言っておくよ。嬢ちゃんはちゃんと信じてくれてるから、不貞腐れるな、ってさ。だから、こっちのことは気にしないで、人間の世界に帰りな」
その言葉に完全に納得したわけではないのだが、それ以上食い下がることもできず、桜子はひとまず家に帰ることにした。
父に事情を話すと、父もクロを心配する言葉をひとしきり行ってくれた後に、「でも」と続ける。
「修学旅行は行っておいた方がいいよ。妖怪たちと仲がいいのはいいけどね、学校の友達だって桜子にとって大事な友達なんだから」
それは勿論そうだ。クラスメイト達と一緒に旅行に行けるのはずっと前から楽しみにしていたし、修学旅行と言えば高校生活の中でも一大イベントだ。それをすっぽかすなんて、普通はあり得ない。
人間の友達と妖怪の友達、どちらの方が大事かなんて天秤に掛けられるはずもない。一緒に過ごした時間は、そりゃあ人間の方が長いけれど、単純な時間だけで測れるものでもない。
――こんなふうにクロのこと考えながら、私はちゃんと奈緒たちと楽しんで来れるのかしら?
そう自問してみると――答えは、解りきっているのだけれど。
思えばクロは、八月、桜子が鬼の郷に拉致られた時、桜子の危機を知るや駆けつけてくれた。四月だって、危うく狼に食われかけたところを助けてもらった。そろそろ借りを返しておいてもいい頃だ。
父を気合で説き伏せて、桜子は前代未聞の修学旅行ドタキャンを決行。学校には父からテキトーな言い訳をでっち上げておいてもらい、妖の世界へ飛び込んだ。
百鬼夜行を目前に控えて盛り上がっている目抜き通りを、なんの感慨もなく走り抜ける。本当なら、紅月と合流するのが一番いいのだろうが、彼の忠告を聞かずにこちらへ来てしまったことがばれると話がややこしくなるかもしれないと思い、桜子は単身でクロに会いに行くことにした。
クロは現在、白旗組によって勾留中。とはいっても、別に敵の組織に捕まってるわけでもあるまいし、取り調べの段階ということなら、面会くらいさせてもらえるんじゃないか、と桜子は楽観視していた。さくっと面会を取りつけて、話を聞いて容疑者の目星をつけて、真犯人探しをしよう。大雑把な計画を立て、自分で立てた計画に自分で満足する。高校生活最大のイベントをふいにした割に足取りは重くない。
たぶん、ちょっとだけ嬉しいのだ。
助けられてばかりだったのが、今度は助ける側に回る。友達のために何かできるのが嬉しいのだ。桜子が尽力したのだと知れば、クロは喜ぶだろうか、それとも責任を感じるだろうか? いやまあ、あの俺様にゃんこに限って後者はあるまいな、と桜子は思う。
いつだって不敵で不遜、生意気に笑っているのが似合う黒猫だ。
大人しく捕まっているとか、しおらしくしてるなんてちっともらしくない。とっとと真犯人をあげて、不自由な場所から解放してやれたら、どんなに素晴らしいことか。
「よしっ、やるぞ!」
気合十分、桜子は白旗組へと走った。
「勾留中の容疑者との面会はできない。帰れ」
「…………」
野牙里の郷は南西部、霊鬼山の社へ続く階段ほどではないにせよそこそこ長い石段を上がった先の高台にある、ぐるりと高い塀に囲まれた場所が、白旗組の屯所である。とっ捕まえた妖を放り込んである留置場もここにあると聞いて、桜子ははるばる馳せ参じだわけだが、正門を固めるガタイのいい男にきっぱりと要望を拒否されて、計画は早くも頓挫しかけていた。
「ちょっと会うくらいいいじゃない。勾留中ったって、接見くらいできるのが常識でしょう」
「外部の者に証拠隠滅を依頼する可能性がある。接触させるわけにはいかない」
「やましい話をする気はないわ。なんなら警察が立ち会えばいい」
「駄目だ」
あんまりにもにべもない答えに、桜子は少しむっとして言い返す。
「相手がクロだからって差別してるの? 正当な権利も認めてもらえないわけ?」
「桜鬼殿は人間の世界での生活が長いようだから、こちらの常識には不慣れなようだ」
門番は厭味ったらしく言う。
「聞けば、人間の世界では、容疑者にはいろいろと権利があるようだが、こちらでは違う。きっちり整った制度など存在しないことは、先の、猫と狗の争いを見たなら解るだろう。ああいう、当事者同士の喧嘩の延長のようなことには、基本的に警察は立ち入らない。誰かが一方的に害を被るような重大な犯罪、今回の強盗のような事件が起きた時に警察は動く。そして、犯人を捕まえたら、裁判などという面倒なことはしないで牢屋にぶち込む」
「そんなのって強引だわ。だいたいクロは強盗なんて認めてないでしょ? 容疑者が否認してるのに、ロクな取り調べもしないで牢屋に入れるなんて」
「犯人は嘘をつく。まともな話などできない。だが、やっていないと言っていた者も、じきにやったと言うようになる、多少痛い目を見ればな」
桜子は唖然とする。なんだ、その一昔前の日本警察みたいな強引な捜査は。
要するに、クロがいくら否認していても、それは嘘で、正しいのは自分たちの考えだと完全に信じ切っていて、無理やりにでも罪を認めさせようとしているということだ。そのためなら、乱暴な尋問でも平気でやってのけそうな顔をしている。
「正義は正しい。それはかつての桜鬼が示した道だ。違うか?」
小馬鹿にしたような口調で門番はとどめを刺す。
桜鬼が行っていた勧善懲悪の行為、解りやすく言えば水戸黄門みたいな行為なわけだが、その過程には勿論、裁判だのなんだのという手順は存在しない。悪を見つけて、とっ捕まえて、断罪する。弁明の機会はたぶんない。現代日本でそれをやったら完全に時代錯誤だが、妖の世界ではそれが常識なのだ。
緋桜はきっと正しかった。白旗組はその行いをなぞっているだけだ。だが、白旗組は緋桜ほど校正で公平かというと、それを判断するには桜子には情報不足だ。
だが、一つだけ言えるのは、クロは無実だということだ。今回ばかりは、白旗組は正しくない。
ただ、それは桜子の単なる感情論であって、彼らには通用しない戯言だ。
緋桜の行動を盾に取られては、桜子はぐうの音も出ない。出鼻を挫かれ、しょぼしょぼと引き返す以外になかった。




