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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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4 鬼の居ぬ間に大事件

 翠は天然で素直で、企みやら謀やらとは無縁そうな少女だ。笑顔で饒舌に語っていた今までの言葉に嘘があったとは思えない。桜子やクロに対して好意的であるのは間違いないだろう。だとすれば、彼女や紅月の隠し事は、決して桜子を陥れようとする類のものではないはずだ。

 では、何か。

 先ほどまで屈託なく笑っていた翠は、今や悪戯が見つかった子どものような不安そうな顔をしている。何を隠されているのかは気になるが、こんな状態の彼女を問い詰めるのは気が引ける。

 だからと言って紅月なら遠慮なく問い詰められる、というわけでもないのだが、丁度その時、お誂え向きに紅月が帰ってきた。

「翠、嬢ちゃん、待たせて悪かった――どうした?」

 部屋に入ってきた紅月は、一瞬で異様な雰囲気に気づいた。そして、一拍おいてはっとした表情。何があったか、彼はうすうす察したらしい。

「翠……」

「ごめんなさい、紅兄様。私がつい口を滑らせてしまったのです。ですが、ご安心ください! クロ様のことはまだ言ってませんから!」

「…………」

 その瞬間、紅月が処置なしといったふうに肩を落として手で顔を覆った。紅月を安心させたかったらしい翠は、今まさに自分が自殺点を入れたことに気づいていない。

「翠、お前はちょっと席を外していなさい」

「はい……」

 今度はあっさりと引き下がり、翠はとぼとぼと沈んだ様子で部屋を出て行った。

 翠の代わりに紅月が向かい合って立つ。

「悪気はないんだが、どうにもあいつはおっちょこちょいで……」

「クロのことで、何か隠しているのね」

「ああ」

 もうどうしようもないと悟ったらしく、紅月は隠し事をしていること自体は、否定しなかった。

 クロは今、家にいない。どうにも不自然な状況で、クロの屋敷は空だった。それについて、紅月は、クロはただ仕事で郷を出ているだけだと言った。心配するなと言った。だが、紅月は何かを隠している。これらを総合的に考えるとすれば。

「クロが仕事でいないっていうのは、嘘ね」

「……」

 紅月は、嘘をついて、心配するなと告げた。裏を返せば、本当のことを言えば桜子が心配するような事態が起こっているということだ。

「本当は、クロに何があったの」

「悪いな、嬢ちゃん。そいつは言えない。そういう約束だ」

「男と男の約束ってわけ?」

「そういうことだ」

「悪いけれど、そんなんじゃ納得できないわ。こんな中途半端な情報だけじゃ、余計に心配じゃない。もう手遅れなんだから、全部教えてちょうだい」

「駄目だ。嬢ちゃんは巻き込めない」

「紅月っ」

 予想以上に強固な意志を持つ紅月に焦れる。桜子は勢いよく立ちあがって紅月に詰め寄る。だが、どんなに食い下がろうと答える気はないと言わんばかりに、紅月は背を向ける。

「今日はもう遅い。そろそろ帰りな、嬢ちゃん」

「そういうわけには……!」

 逃がすまいと、桜子は紅月の腕を掴み取る。

 その瞬間、視界が暗転する。

「えっ……?」

 突然目の前に広がる真っ暗闇に、桜子は動揺する。だが、この正体不明の闇は初めてではない。少し前にも、似たようなことがあった。世界が黒く染まったと思ったら、その闇の中に子どもの姿をしたクロが浮かび上がったのだ。

 いったい何が起きているのだろうか――それを理解するより先に、闇の中に唐突に浮かび上がるシーン。スライドショーみたいに、いくつかの場面が目まぐるしく移り変わっていく。

 背景にあるのは、何度も見たことのあるクロの家。

 そこから出てくる、険しい顔の二人組の男――制服らしい白いそろいのジャケットを着た男たちだ。

 二人に引きずられるように連れ出されるクロの姿。

 男たちを睨みつけていた金色の瞳が、一瞬、何かに気づいたように、まっすぐにこちらを見る。

 何かを語っているような瞳。そのメッセージを受け取ったのは、誰だ?

 そして、世界は再び暗転し、元通りの風景が蘇ってくる。

「嬢ちゃん? どうしたんだ?」

 紅月が心配そうに声を掛けながら桜子の顔を覗き込んでくる。時間にしてほんの十数秒のことだが、桜子は紅月の手を掴んだまま固まっていたようだ。

 まるで白昼夢でも見ていたかのようだ。しかし、浮かび上がってきた光景はただの夢や幻だと言い切るにはリアルすぎた。

「クロが……」

「嬢ちゃん?」

「白い服を着た男たちに連れてかれた……彼らは誰? クロはどこへ行ったの?」

 紅月がはっと息を呑むのが解った。

「嬢ちゃん、どうしてそれを?」

「やっぱり、今のは本当にあったことなのね? 夢じゃないのね……一瞬、目の前が暗くなって、そんなシーンが浮かんできて……どうしてこんなものが見えるのか、私にも解らないけど……」

 不可解な現象に戸惑い、そしてクロが何者かに連れて行かれたという予想もしていなかった不穏な事態が、紅月の呟きから現実に起こっているのだと理解し、桜子は狼狽する。

 桜子が知りえないはずのことを知ってしまったことに、紅月は驚いていたが、桜子よりはいくらか先に冷静さを取り戻し分析する。

「そういえば、聞いたことがある……桜鬼、緋桜は、他人の記憶を読み取ることができたって」

「記憶を?」

「ああ。嬢ちゃんも半分とはいえ、桜鬼の血を引いている。人間の世界で人間として生きてきた時間が長かったせいで今までは発現しなかったが、妖怪の世界に来るようになって、嬢ちゃんの中の鬼の血が触発されて、力の一部が目覚めているのかもしれない。おそらくだが、今嬢ちゃんは、無意識のうちに俺の記憶を読んだんだ」

 桜子は自分の手を見つめる。紅月に触れた瞬間、紅月の記憶が流れ込んできたとでもいうのか。

「ごめんなさい、覗き見みたいなことして……」

「まだ上手く制御できないんだろう。気にしなくていい……けど」

 紅月は前髪をかきあげ、ふうと溜息をつく。

「せっかく隠してたってのに、あっさり見抜かれちまった。とんだ茶番だったな。ああ、クロの奴にどやされそうだ」

「クロに、本当は何があったの?」

 記憶を読んでしまうという厄介極まりない力についてはおいおい考えることにして、桜子は紅月に改めて問いかける。紅月は、もはや隠そうとはしなかった。

「嬢ちゃんが『視た』とおり、クロは白服連中に連れて行かれて、今はとっ捕まってる」

「捕まってる!? 監禁されてるの!?」

 思わず声を荒げてしまう。そんな非常事態になっているとは露とも知らなかった。

 少々ひねくれ気味で不器用な奴ではあるが、なんだかんだで腕っぷしだけは確か。桜子も何度も助けてもらった。そんなクロが囚われの身になっているとは、俄には信じがたいことであった。

「どこに捕まってるかは解ってるの? 早く助けに行かないと……」

「いや、話はそう簡単にはいかない」

 せっつくように問う桜子に対して、紅月は渋い顔だ。とはいっても、現状を憂いてはいるものの、さほど差し迫った危機を感じているとは思えない表情だ。今にも飛び出していきそうな心持ちの桜子としては、悪く言えばその呑気そうな紅月の態度に、僅かな苛立ちを感じないでもない。あのクロに限って、そう簡単に絶体絶命の窮地に陥るようなことはないだろうが、それでも心配せずにはいられない。

「いったいなんでそんなことに……確かに方々から恨みは買ってる奴だけど、あいつがそうそう簡単に捕まるなんて。相手は相当の手練れなのかしら」

「いや、嬢ちゃん、そういうわけじゃない」

 勝手に先走った想像をする桜子に、紅月は溜息交じりに告げた。

「クロを連れてったのは警察だ。クロは今、強盗の容疑で勾留中」

「…………はぁ!?」



 紅月がその現場を目撃したのは偶然だったという。

 妹の翠を連れて、紅月はクロの家を訪ねるところだった。少し前に翠がクロに世話になって――具体的には、不良に絡まれていた翠を偶然通りかかったクロが武力行使で助けた――紅月としては少々癪に障るものの、礼の一つもしないわけにはいくまいと思いながら、土産を持参して屋敷へ向かった。

 家の前まで来てみると、どうにも中が騒がしい。ばたばたと足音がするし、言い争っているような声も聞こえる。なにかと恨みを買うことの多いクロのことだ、またぞろゴロツキ共にでも押しかけられたのだろうかと思っていたら、出てきたのは白服の男と、彼らに引きずられるクロ。

 白服連中の正体は、紅月にとっては自明だった。彼らはこの野牙里の郷の治安維持のために結成された「白旗組」という、やる気があるのかないのかよく解らない名前の自警組織の妖怪だ。

 いったい何事かと思って呆然としていると、クロが紅月に気づいて顔を上げた。金色の瞳は紅月をじっと見つめていた。付き合いだけは無駄に長い相手だ、言いたいことはだいたい解った。近いうちに自分を訪ねてくるかもしれない少女には、黙っていろというわけだ。

 心配をかけたくない――一丁前にクロがそんな気遣いができることに驚いているうちに、彼らは紅月たちの前から去って行った。

 ひとまず紅月は、一緒に現場を目撃した翠に口止めをした。しかし、そうしつつも、この天然ですっ呆けた妹にばれている時点で、この箝口令も長くは続かないだろうな、と予感はしていたらしい。

 そして翌日、内緒話はあっという間に桜子の知るところとなってしまったわけである。

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