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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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3 天然少女のしくじり

 発言は天然っぽい狗耳少女・翠ではあるが、給仕については特にドジっ娘属性を発揮することはなく、淹れてもらった茶は普通に美味しい。ほどよく苦いお茶を啜りながら、紅月は非常に苦々しげな顔をしていて翠の方は絶えずにこにこ微笑んでいるのが対照的で可笑しかった。

「あー、えーと、それで、クロの話だっけな」

 こほんと咳払いして、紅月は言う。

「あいつは今仕事中だ。定職についてない引きこもり予備軍だが、一応あいつも食うに困らない程度の仕事はしてる」

「何の仕事してるの?」

「普通じゃないコト」

「?」

「基本的にあいつは頼まれればたいていのことはやってくれる、便利屋みたいな奴だ。が、なにせ嫌われてるからな、普通の奴はあいつに頼みごとなんざしない。専ら、普通じゃない奴が普通じゃない依頼をする。つっても、別に後ろ暗い話じゃない。ストーカー気味に復縁を迫ってくる元カレを追い払うとか、旦那の浮気の証拠を掴むために情事の現場に乗り込むとか、そんな感じ」

 桜子はなんとも言えない表情になる。やっていることはおそらく探偵の真似事のようなものなのだろうが、にやにやと笑いながら嬉々として弱みを握ったり脅迫したりするクロの姿が目に浮かんでしまい、それがものすごく似合っているような気がして困ってしまったのだ。

「少々汚れ仕事が多いが、道理に外れることをする奴じゃない」

「まあ、その点については特に心配していないけれど……それで、今日もその、ストーカー撃退だの浮気調査だのに出かけてるわけ?」

「らしいな。詳しくは知らないが、珍しく外の郷からの仕事だってんで、しばらく家を空けてるんだ」

「その割に不用心ね、鍵を掛け忘れるなんて」

「急な仕事で慌ただしくしてたからだろうな」

「ふうん。私はてっきり具合を悪くしたものだとばかり……じゃあ、とりあえずクロは元気なのね」

「ああ」

 紅月がそう請け合ってくれたので、ひとまず胸を撫で下ろす。

「帰りはいつになるかしら」

「さあ、そこまでは知らねえな。クロに急用か?」

「そういうわけじゃないけれど。私、明日から旅行でしばらくこっちに来れないから顔を出しておこうと思っただけなの」

「旅行ですか、楽しそうですね!」

 やにわに翠が目を輝かせる。途端に紅月は疲れた表情で溜息をつく。

「翠、いきなり口を挟んでくるな」

「だって、紅兄様、旅行ですよ、楽しそうじゃありませんか。羨ましいです。実は私、この郷から出たことがないんですよ。出かけるところといったらせいぜい商店街どまり」

 翠は頬を膨らませて、紅月を少々恨みがましげに見遣る。

「なんてったって紅兄様が過保護なものですから。やれ川の近くは危ないだの、やれ向こうは賊が出るから危ないだの。私だって狗の一族の端くれなのですから、そこまで心配されなくても大丈夫ですのに」

「へぇ、意外。紅月ってシスコン?」

「シスコンはやめてくれよ嬢ちゃん」

「あら、シスコンとは何のことですの? 茄子紺のお仲間かしら」

「お前は黙ってろ」

 桜子がからかい、翠が天然を発揮すると、紅月一人ではツッコミが大変そうである。

 その時、

「紅月殿、いらっしゃいますか!」

 外から紅月を呼ぶ声がした。来客だろうか。

「あら、なつめ様の声ではないかしら」

「ああ、そのようだな……」

 呟きながら紅月が腰を浮かす。桜子の疑問を察したらしく、翠が教えてくれる。

「棗様は竜厳様の侍従ですよ」

 つまりは、狗の長老の側近の妖らしい。

 紅月に来客では、そろそろお暇した方がよさそうだな、と桜子は思ったのだが、それを先取りするように翠が言う。

「紅兄様は、どうぞ行ってくださいまし。桜子様のお相手は私が」

「は? いや、待て待て、それはまずい。……ええと、お前みたいなド天然と二人きりにしておいたら嬢ちゃんの心臓が持たない」

 言葉を慎重に選んでいるのかもしれないが、紅月の発言はあまりオブラートには包めていなかった。しかし翠はまったく気にすることなく、自信満々な笑みを浮かべて、とんと自分の胸を叩く。

「ちゃんとしたおもてなしもせずにお帰りいただいてしまったら、末代までの恥ですよ。ご安心ください、紅兄様の代わりに私が誠心誠意お相手させていただきます」

「あの、ご迷惑だろうから、私はそろそろ……」

 言いかけた桜子だが、翠はそれを強引に遮って、

「迷惑なんてとんでもない! もうこんな時間ですから、ぜひお夕食を! それに私、もっと桜子様とお話ししたいですもの。さあ、紅兄様はどうぞお行きください。ここからは女の子同士水入らずで話をするのです」

 翠は意外と意志が強かった。断固として譲る気のなさそうな妹に、紅月は頭痛を堪えているような顔になった。そして、どうやら紅月は妹にだけは甘いらしく、結局彼が折れることになった。

「すまない、嬢ちゃん。よければもう少し、妹の相手をしてやってくれ」

「解ったわ」

「いいか、翠、嬢ちゃんを困らせるなよ? おかしなことを言うなよ?」

「お任せください!」

 大船に乗ったつもりでと言わんばかりの翠の笑顔に、紅月は完全に泥船に乗ったかのような顔をしていたが、もうどうしようもないと悟ったらしく、足早に部屋を出て行った。玄関で紅月と棗の話し声が微かに聞こえていたが、やがて二人そろってどこかへ出かけてしまった。

「桜子様。実を言うと私、ずっと桜子様とお話ししたいと思っていたんです」

「私と?」

「狗と猫を仲直りさせてくださった方ですから、ぜひお会いしたいと思っていました。思った通り、素敵な方ですわ」

 翠がどんな風に聞いているのか知らないが、どうも翠の中で桜子がものすごく過大評価されているようだ。

「四月のことは、ほんと、私はたいしたことしてないの。私なんかより、クロがずっと頑張ってくれたのよ」

「ええ、勿論、クロ様のことも伺っております。桜子様とクロ様、お二人の力で私たちは和解できたのです。お二人に同じくらい感謝しているのですよ」

 桜子は少し意外な思いだった。四月の件に関する立役者は間違いなくクロであると桜子は思っているのだが、郷の妖怪でクロに対する感謝をはっきりと示す者はいなかったように思う。一族の爪弾き者であるクロの功績を見ないふりをしているような歪な現状が、野牙里の郷には確かに存在するように思われる。だが、少なくとも翠は、そんな空気とは一線を画しているようだ。

「クロのことをそういうふうに言ってくれる人ってなかなかいなかったから……自分のことじゃないのに、なんだか嬉しいかも」

「クロ様は……とても難しい立場の方です。クロ様が猫の一族の長老に認められていないことは、郷中では知れ渡っています。長が認めない方を、下々の妖怪が認めることは、長に対して顔向けできない行為であるような、そういう認識があるのだと思います。加えて、長く生きている妖怪ほど血のつながりを重視しますから、金色の瞳のことを懸念する向きが強いのです」

 クロは虎央に、未だ認められていない。虎央はおそらく、金色の瞳を持つ裏切りの猫とクロの間に血のつながりがあることを懸念している。血がつながっているかもしれないという、確実ではないただの可能性の話で差別するなんて、桜子にとってはナンセンスなことだ。だが、一族や郷を守る立場にある虎央としては、そう簡単に割り切れる話でもないはずだ。

 かつて起きた、金色の瞳による虐殺。それを二度と繰り返させないために、虎央は慎重にならざるを得ないのだろう。

「猫の一族がクロ様を認めるのは難しいでしょう。ですが、他の種族の妖は、虎央様の考えに、猫たちほど厳格に縛られているわけではありませんから、かつての虐殺の猫とは関係ないのだと割り切って考える者もいます。少数派ではありますけれど」

 それから翠は悪戯っぽく笑って、内緒話でもするふうに言う。

「紅兄様は、クロ様と友達なんかじゃないなんて、口では憎まれ口を言うかもしれませんけれど、その実クロ様のことをかなり気にかけているんですのよ。昔のことで負い目があったようですけれど、最近になって和解できたらしくて、ええ、その日は、決して素直には言わないのですけれど、とても嬉しそうにしていたんですよ」

 クロと紅月が、なんだかんだ言いつつも仲良くやっているのを、桜子も何度か見ている。夏休み、鬼の郷での一件の時も、クロの呼び出しに、ぶちぶち言いつつも素直に応じて手を貸してくれたし、その後の戦いでも、言い争っていながらも息はぴったり合っていたのだ。

「殿方同士の友情というのは、とても羨ましいものですわ。桜子様も、そうは思いません?」

「ええ、なんとなく解る気がするわ。一緒になると平気ですごいことができちゃう……きっと安心して背中を預けられるのね。いつもは生意気なこと言い合ってても、肝心なところではちゃんと通じ合ってる。阿吽の呼吸というか、以心伝心というか」

「そうです! ふだんは素直じゃないくせに、いざっていうときは、言葉を交わさなくても、目を合わせただけで言いたいことが伝わるんですよ、あの二人。昨日も――」

 そう言いかけた翠が、はっと何かに気づいたように息を呑み片手で口を覆う。そしらぬ顔をしていればよいものを、そこまで器用な真似はできないらしい翠は、明らかに何か余計な口を滑らせたといった素振りを見せたのだ。

「昨日も?」

「いえ、ええと……」

 それまで饒舌だった翠は、急にしどろもどろになる。彼女はどうやら腹芸のできないタイプのようだ。申し訳ないと思いつつも、桜子は翠が見せた隙に突っ込む。

「……何か隠してる?」

「……」

 途端に翠の目が泳ぐ。

 紅月が桜子と翠を二人きりにするのを渋ったのは、おそらくこのあたりに理由があるのだろうな、と桜子は悟る。すなわち、翠だけでなく紅月も桜子に何かを隠しているのだ。

 いったい、何を隠しているのだろうか――?

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