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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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2 いつもと違うお宅訪問

 熱気のある商店街から離れると、肌寒いのが思い出されて、桜子はほんの少しだけ、ぶるりと体を震わせた。黒タイツ越しに脚を擦り、セーラー服の上に羽織ったクリーム色のカーディガンのポケットに両手をつっこむ。

 早足でクロの家に向かう。無数の灯りが浮かぶ大通りから離れていくと、少しずつ灯りが減っていって、静かになっていく。賑やかさよりも静寂さが勝り始め、やがてぽつりと建った一軒家に辿り着く。いつもと同じ道を通ってやってきた、クロの家。しかし、玄関前に立った桜子は、いつもとは違うことに気づいて、不審さを覚えた。

 十月中旬、午後四時半ごろの空は、ものすごく暗いとまでは言わないが、それなりに薄暗くはなっている。家の中で、たとえば本を読んだり食事をしたり、何かしらの作業をしようと思ったら、そろそろ灯りをつけた方がいい時間だ。いつもだったら、窓ガラスと障子越しに、部屋の灯りがうっすらと漏れてきて、クロの在宅が解るところだ。だが、今日に限ってはどの部屋からも灯りは漏れていない。

 無論、クロが特段何もしておらず、灯りもつけずに寝ているだけという可能性はある。クロに会いに来るとだいたい七割近い確率で何もせずにごろごろ怠けているから、それはおかしなことではない。だが、それにしても、どうも今日は、家からちっとも人の気配を感じないのだ。まあクロは人じゃなくて猫なんだけど、などとセルフ揚げ足取りをする気にもなれない。

 これだけの情報なら、今日はクロは留守なのだな、と推測するのが自然なところだろう。そして、そういうことなら、何も不審なことはない。

 だが、桜子の目は、留守にしては明らかにおかしい点を見つけ出していた。

 すなわち、玄関の引き戸が薄く開いているのだ。

「いくらなんでも、玄関開けたまま出かけるなんて、そんな不用心なこと、あるわけないわよね……?」

 どうにも様子がおかしい。桜子は意を決して扉に手をかける。戸が開いているのは、やはり桜子の見間違いということもなく、施錠されていなかった引き戸はからからと音を立てて開いた。

 中に足を踏み入れてみても、やはり誰の気配もない。完全に留守のように感じるが、一応念のために声をかけてみる。

「こんばんはー。クロ、いる? クロー?」

 しばらく待ってみたが返事はない。

 いつも返事がなくても勝手に家に上り込むのを得意としている桜子は、後ろ手に戸を閉めると勝手に進入する。だが、いつもと違って、今日の桜子の足取りは慎重だ。なんとなく足音を立ててはいけない気がして、抜き足差し足忍び足。家主がちゃんといて、わざと黙っているだけなのだと解っている状態で入って行くのと、ほぼ間違いなく留守に違いない家に入って行くのとでは、やはり心持ちが違うものだ。

 静かすぎる、そして薄暗い家は、桜子を無性に不安にさせた。廊下をひたひたと進んでゆき、襖を一つ一つ開けて部屋を確認する。だが、やはりどこにもクロの姿はなかった。

 いったい、鍵もかけずにどこへ出かけてしまったのだろう。

 桜子は、いつもクロが寝転んでいる居間の真ん中に仁王立ちして思案する。これはどういう状況なのだろうかと冷静に考えてみる。

「家には間違いなく誰もいない。でも、鍵はかかってなかった。……鍵を掛け忘れて出かけたって考えるのがシンプルだけど……クロに限ってそんなことって、あるのかしら」

 何かと敵の多いクロだ。つい先日も、丙の策略で弱体化したクロの元へは、クロにリベンジを誓う三人組が襲撃してきたくらいだ。留守中、敵に家に忍び込まれて嫌がらせされたり物を盗まれたり罠を仕掛けられたり、そういったことをクロが警戒していないはずがない。施錠をし忘れるなんて、そんなうっかりをクロがするとも思えない。

 だとしたら、他に考えられる可能性は何だろう。

「……はっ!」

 少し考えていると、思いついてしまった。とてつもなく嫌な考えが浮かんでしまい、桜子はみるみるうちに顔色を悪くする。一度ネガティブスイッチが入ると悪い方へと想像が膨らんでしまうのは桜子の悪い癖である。

「まさか……病気にでもなったんじゃ……!?」

 土曜日の薄着外出のせいで桜子は風邪を引いた。その日はクロも一緒に出掛けたわけだが、クロのことはロクに支度をする時間も与えないまま強引に連れだしたのだ。思えばクロも少々薄着だった気がする。

 そのせいでクロも風邪をひいてしまい、しかし桜子と違って看病してくれる親切な人もおらず、そうこうしているうちに風邪をこじらせてぶっ倒れて病院に担ぎ込まれてしまった――などというストーリーは、それほど荒唐無稽ではないはず。風邪は万病の元というくらいだ、なめてかかることはできない。そう考えれば、留守宅なのに施錠されていないのは理解できる。家主はぶっ倒れて鍵を掛けるどころじゃなかったのだ。

「どうしよう、私のせいで病気に……!? びょ、病院は、病院はいずこ!? あああ、こうしちゃいられない、クロを探さないと! ああでも、家を空けたら不用心だし、ここは代わりに留守番をしておくべき? ああああどうしよう」

 今まで数々の問題に直面し修羅場を潜り抜けてきた桜子ではあるが、一周回って振り切れて肝が据わるまでは、ごく普通にテンパってしまう。慌てて家を飛び出そうとしたり、思いとどまって部屋に戻ってきたりと、右往左往。

 最終的に桜子が辿りついた結論は、鍵を掛けてクロを探しに出かけるということだった。無論、そのためには、この家のどこかに仕舞われている鍵を見つけ出すことが必要であり、桜子は家探しすることになった。泥棒が入るといけないから、という理由で鍵を掛けようとしている桜子の方が、完全に泥棒みたいな行動をしている。誰かに見られたら言い訳できない有様であるが、幸い誰にも見られることなく、居間の箪笥の引き出しの中に無造作に放り込まれていた鍵を見つけ出して、施錠に成功したのであった。

 クロがいる公算が高いのはおそらく病院だろう、とあたりをつけた桜子は、街へと飛び出した。しかし、飛び出したはいいが、こちらの世界で医者にかかったことなどないので、病院がどこにあるのか、そもそも妖の世界に病院などという便利な施設が存在しているのかどうかすら知らなかった。仕方がないので、商店街でその辺にいる妖をとっ捕まえて道を訊くことにした。

 すると、ちょうどお誂え向きに、今までも何度も世話になっている化け狗の青年、紅月を発見した。

「あっ! 紅月、丁度いいところに!!」

「嬢ちゃん? って、うおおっ!」

 勢い余って鼻息も荒く飛びついて、品の良いジャケットを皺くちゃにするくらいに握りしめると、紅月はさすがにちょっと引いた。

「ねえ、病院ってどこ!?」

「病院? 町医者なら三番街にいるが、嬢ちゃん、どっか具合が悪いのか?」

「そうじゃなくてね」

 桜子はここまでの経緯を手早く語る。クロの家を訪ねたら様子がおかしいので、もしやクロは急病で病院に担ぎ込まれているのではと考えて、心配で飛び出してきたのだということを掻い摘んで説明する。

 すると、紅月は少し安心したような顔を見せた。乱れた服を直しながら紅月は語る。

「なんだ、そういうことか。いきなり病院だなんて言うからびっくりしたぜ。だが、そういうことなら心配はいらないぜ」

「え?」

「クロの奴なら今、仕事で郷を出てるんだよ」


 立ち話もなんだから、と桜子は紅月の家に招かれた。以前一度だけ訪れたことのある狗の長老・竜厳の屋敷、そのほど近いところに建っていた。竜厳の屋敷が洋風建築だったから、紅月の家もそうなのかと思ったら、実際は平屋建ての昭和風の住宅だった。

 引き戸を開けて紅月が声をかけた瞬間、中からぱたぱたと足音。顔を出したのは狗耳をひょこひょこ揺らした少女だった。

べに兄様、おかえりなさいっ」

 向日葵みたいな笑顔、というのが桜子が真っ先に抱いた感想だった。紅月は見かけによらず優しい青年なのだが、クロと似たようなものであまり素直じゃないところがある。それに引き換えてみると、少女は素直を地でいっていることが明らかなくらい屈託なく笑う。

 少女は紅月を見てにこにこと笑ったが、紅月の方はぎょっとした。

すい!? お前、今日は野菊のお嬢と遊びにいって、泊まってくるんじゃなかったのか」

 紅月は少女が家にいるとは思っていなかったらしく、その上、少女がいるのがあまり好ましくないらしい。それに気づいたらしい少女は頬を膨らませつつ説明する。

「野菊様は今日体調を崩されたというので、お泊りは急遽中止になったのです」

 いったい何をそんなに嫌そうな顔をするのです、とでも言いたげな不審な目を向けていた少女だが、紅月の後ろにくっついてきてる桜子に気づくと驚いて瞬きした。そしてなぜだか一人で勝手に得心したように頷く。

「まあ、紅兄様……お赤飯がいるなら最初からそう言ってください」

「お前は何を勘違いしてるんだ!」

 紅月はすかさずツッコミを入れる。どうやらこの少女、少々天然らしい。千年堂の丙並みにぶっ飛んだ思考回路をしているらしいぞ、と桜子は眉根を揉んだ。

 ばつの悪そうな顔で紅月は少女を紹介してくれる。

「あー、妹の翠だ。俺とは違って母親似のせいで超絶天然だから、発言の七割は聞き流していい。翠、赤飯はどーでもいいから、茶をくれ」

「はい、お茶を三人分ですね」

「……二人分でいいんだが?」

「あら、紅兄様はお飲みになりませんの?」

「なんでそこで当然のように自分を頭数に入れて俺を省くんだ?」

 結局紅月が折れて、お茶は三人分用意されることになった。

 クロ相手には鋭い言葉をぶつける、いかにも「悪友」っぽい紅月ではあるが、妹相手にはそうもいかないらしい。初めて見る意外な彼の一面に、桜子はひっそりと微笑んだ。

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