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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
3 猫を助ける秋
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1 猫も杓子も高揚する

 ついこの間まで夏が延長戦に挑んでいたと思ったら、十月も残り半分となる今では秋らしくほんのり肌寒くなってきた。去年のことを思い出してみると、いつまでも夏みたいに暑かったと思ったらいきなり冬みたいな寒さが襲ってきたものだ。その時は、いつから日本は秋をハブるようになったんだと憤懣としていた桜子だが、今年はとりあえず忘れずに秋らしい気候を齎しているようだなと感心している。気候に対して上から目線な感想を抱くあたり、他の誰かが聞いたら失笑しそうなものだが、幸いこんなコメントは心の中だけにとどめている。

 朝、あと十分ほどで授業が始まるという時間の教室は、しかしその割には空いている席が目立つ。毎朝ギリギリにならなければ登校してこないクラスメイトもいるにはいるが、それを考慮に入れても空席が多い。遅刻すれすれ常習犯でないのならば、今の時間でいない生徒はおそらく欠席だろう。夏休み前まではそんなことはなかったのだが、最近では欠席者がちらほらといる。今日はあっちの席の子が欠席で、次の日その生徒が登校したと思ったら今度はそっちの席の子が欠席、というふうに、代わりばんこに休んでいるような具合。ここ数日、全員が元気に出席しているという光景はほとんどみていない。

 要は、肌寒くなってきたこの時期、風邪をひく生徒が増えているということだ。

 授業開始五分前になったところで、奈緒がようやく登校してきた。夏休みを挟んでせっかく少し伸びてきた髪を、しかし今月の頭に惜しげもなく切って元のボーイッシュなショートヘアに戻してしまった奈緒は、首のあたりが涼しそうだ。

 ギリギリの登校にすっかり慣れている奈緒はちっとも慌てるそぶりを見せずに席に着く。先日行われた席替えで、奈緒は窓際最後尾の席になり、桜子はその右隣の席である。

「相変わらずのギリだね」

「どうせ一限の小牧センセは三分遅れでしか来ないじゃん」

 古文担当の小牧女史が毎回遅れてやってきて授業を始めてはその分授業を延長して休み時間に食い込むことは、高校二年目の桜子たちにとってはすでに常識と化していた。

「そーいや、風邪、治ったんだね」

「お陰様で」

 クラスに風邪っぴきが増えているという件については、桜子も決して他人事ではなかった。実のところ、桜子もつい昨日の火曜日まで、少々風邪気味だった。しかし、寝込んでいなければならないほどの症状ではなく、その程度で欠席するのは出席日数的にまずかった。これまで、妖の世界を訪れる(拉致られる)という不測の事態、その事件に伴う後始末など、諸々の事情で何度か学校を休んでいる。そういうことがこれからも起こらないとは言い切れないから、出席日数は稼げるときに稼いでおかねばならない。そう考えた桜子は、クラスメイトには申し訳ないとは思いつつも、マスクで完全ガードして鼻水をズルズルいわせながら月曜・火曜を乗り切ったのである。

 風邪を引いたのは日曜日であり、少々長かった気もするが、四日目にして完全回復した桜子は、もうマスクも必要なくなっている。マスクが取れたことで、奈緒には桜子の復調が一目で解ったわけだ。

「昼間は暖かいかなー、なんて思っても、夜は冷えるんだから油断しちゃ駄目だよ」

「今回の件で学習したわ」

 そもそも、体力には自信があり、「馬鹿は風邪ひかないって言うのになんで風邪ひいたんだ?」とクラスメイトにからかわれると迷わず「馬鹿じゃないからよッ!」と鉄拳をお見舞いしてやるような元気娘である桜子がなぜ鼻水をずびずびいわせる羽目になったかといえば、土曜日の夜に調子に乗って薄着で出かけたせいである。

 家を出たのは夕方だから、その時点で外はそれなりに肌寒かったはずなのだが、高揚した気分に惑わされ、桜子は少々薄着のまま出かけてしまった。そう、クロと一緒に出掛けた祭りの日のことである。

 祭りではしゃいでいるうちはまだ誤魔化しがきいていたが、全部終わって帰る段になると、思い出したように冷たい風が襲ってきた。その日は一応なんともなく家に帰りついたわけだが、そのツケが日曜日になって出てきたわけだ。

「でも、今のうちに治ってよかったじゃん。明日からは問題なく行けるわけでしょ」

「オフコース! ま、仮に治らなかったとしても、この程度の体調不良で折角の旅行をふいにするつもりなんてなかったけどね」

 なにせ、ずっと楽しみにしていたイベントだ。おそらく高校生にとっては、一、二を争うくらいの、ベストオブイベントではなかろうか。

 すなわち、修学旅行である。

 椙浦第二高校に在籍する二年生、総勢三百名は、広島へ二泊三日の修学旅行に出かける。そして出発はもう明日に迫っていた。

 広島へ行くことは前々から決まっていて、夏休み明けからグループごとに少しずつ計画を立てていた。現地では班ごとに自由に行動できる時間が多く取られている。学業が本分である身として歴史探訪するか、はたまた羽目を外して遊び倒すか。どういう旅程を組むかは班ごとに特色が出る。

 ちなみに、桜子は奈緒と同じグループだが、班長である奈緒の意見が色濃く反映された二年五組第三班の旅行計画は、いかに広島らしい美味しい物を食べ尽くせるか、というところに重点が置かれている。桜子は今回の旅行で三キロは太ることを覚悟している。

 まもなくチャイムが鳴り、案の定チャイム後三分遅れでやってきた小牧女史によって授業が進められる。だが、授業を受ける生徒たちはやはりどこか浮き浮きして落ち着かない様子だ。明日に控えた修学旅行に思いを馳せていて、子守歌のような古文の解説など聞いていられないという本音が顔にありありと浮かんでいる。

 かくいう桜子も、やはり授業はそっちのけで旅行のことを考える。

 明日は朝早くに空港集合だ。荷物の最終確認をして、目覚ましを三つはセットして、早めに布団に入って、などと放課後のことをシミュレートする。

 だが、桜子には、放課後になったら何より先にしようと思っていることがあった。

 土曜日に一緒に祭りに行ったクロに、四日ぶりに会いに行くことである。昨日までは、風邪をうつしたら悪いと思って、妖の世界を訪ねるのを控えていたが、今日はきっちり全快しているし、明日からはもう旅行で土曜日まで帰ってこないし、土曜の夜やら日曜やらは疲れ果てているだろうから、今日を逃すとしばらくは会えないことになるのだ。

 旅行に行く前に一言連絡くらいはしておきたいし、土産に何が欲しいかくらいも聞いておきたいのだ。

 広島のお土産といったらなんだろう、クロは何を貰ったら嬉しいだろうか。他にもたくさんお世話になった妖たちがいる、仲のいい妖たちにも何か買ってこよう。

 桜子は妖怪たちの顔を順々に思い浮かべながらそんなことを考えていた。完全に授業など上の空だったため、運悪く小牧女史に指名された時には当然何を答えていいのか解らず、「旅行前だからといって浮かれるな」とがっつり釘を刺されてしまったのであった。



 手早く清掃を終えると、桜子は鞄を引っ掴んで転がるように階段を駆け下り(※廊下を走ってはいけません)、昇降口を飛び出した。そして、駅の方へ向かってぞろぞろと下校していく生徒の波からは少し外れ、人目につかない細い道までやってくる。

 セーラー服の下には、こっそりと首飾りをかけてある。もっとも、校則が比較的緩い高校だから、見つかったところで没収されるということはないだろうから、殊更に隠す必要性はない。ただ、桜子はなんとなくこの贈り物を、何も知らない級友たちに見せびらかす気にはなれないのだ。

 誰にも見られていないことを念入りに確認してから、金色の鎖に繋がれた桜貝に触れる。

 いち、にの、さんで足を踏み出せば、そこに広がるのは通い慣れた妖の世界だ。

 桜子は明日に修学旅行という一大イベントを控えているが、妖の世界でも、ビッグイベント・百鬼夜行まで、すでに一週間を切っていた。来たるべき祭りに向けて、商店街は前に訪れた時よりもいっそう華々しく装飾を施されているし、往来を歩く妖怪たちの顔にも祭りを心待ちにする気持ちが如実に表れている。

 百鬼夜行は、それほど心躍る祭りなのだろう。桜子も、初めて百鬼夜行のことを聞いた時には、楽しそうだと思ったし、自分も行きたいと思った。だが、今ではそうは思っていない。

 桜子は百鬼夜行を楽しみにしている妖怪たちと違って、一足先に祭りを充分満喫してあるからである。

 浴衣姿のカップルやら子供連れの家族やらを横目に、友達と一緒に行ったお祭り。片っ端から露店を物色して、会場の端から端まで跳ね回って、夜空に浮かぶ大輪の花火を特等席からかぶりつきで眺めた。

 妖怪たちが待ち遠しく思っている百鬼夜行は、それはそれで素晴らしいのだろうけれど、今でも数秒前のことのように思い出せる色鮮やかな夜のことを思えば、百鬼夜行などお呼びでないのだ。

 百鬼夜行に出ることを許されない彼の方も、そう思ってくれればよいのだけれど、と桜子は思う。

 他の皆が出かけていく祭りなど霞むくらいに、仲間外れにされているなんてこと忘れてしまえるくらいに、土曜日のことを覚えていてくれればよいのだけれど。

 そんなふうに思いながら、桜子はクロの家へと小走りに向かった。

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