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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
2.5 猫と戯れる夏から秋
48/104

9 二人だけの特等席

「ほら、やるよ」

 ぶっきらぼうに言いながら、クロは黒にゃんこのぬいぐるみを桜子に寄越した。

「くれるの?」

「元々欲しがってたのはお前だろ」

「そうだけど。あんなに苦労したのに?」

「最初の四回は忘れろ」

 渋い顔をするクロに、桜子は思わず苦笑した。

 伊勢は奈緒に「よしよし頑張った」と棒読みで言われながら膝を抱えて蹲っていた。

「くそ……完敗だ……何から何までイケメンすぎて、俺の立つ瀬がない」

「あんた顔は悪くないのにいろいろ残念だよね、残念なイケメンだよね」

 肩をぽんぽん叩いてあげてる割に、奈緒の台詞には労りの欠片も存在しなかった。

「悔しいけど、負けは負けだ……潔く諦めよう」

「伊勢君、そんなににゃんこが欲しかったの?」

 沈痛な面持ちで告げる伊勢に、桜子は能天気にそんなことを訊く。奈緒が他人事だと思って腹を抱えて笑っている理由も、桜子は解っていなかった。

 がっくり肩を落として疲れたような笑みを浮かべた伊勢を、「はいはいもう邪魔するのやめようねー」などと言いながら奈緒が引きずって行った。残された二人は目を見合わせて首を傾げた。



 両手で黒猫を抱え、傍らに黒猫を伴って、桜子は祭りの会場を歩き出す。ふと隣を歩くクロを見遣る。

「楽しい?」

 クロはちらりと桜子を見て、それからすぐに前に向き直る。

「まあ」

 短すぎる答え。だが、金色の瞳が物珍しそうにきょろきょろと動いたり、興味深そうに見開かれたりするのを、桜子はしっかり見ていた。相変わらず素直な答えはくれないし、桜子も最初から彼のそんな可愛げのある態度など期待はしていなかったが、少し照れたような表情を隠しながら素っ気なくでも答えてくれただけで、誘ってみてよかったと思える。

 どん、と腹に重く響く音が聞こえたのはそんなときだった。ここ数か月で物騒な事件に巻き込まれるようになった桜子は、その音を聞いてまっさきに銃撃か爆撃という物騒な想像をしてびくりとする。一番最初に思いつくのが銃撃か爆撃という時点で女子高生として何かが終わっている気がするが、それはともかくとして、桜子はすぐに、自分の想像が的外れであると知る。

 真っ暗な空には、明るく鮮やかな花火が打ち上がっていた。

「わぁ、花火! ねえねえ、花火花火」

「見りゃ解るよ」

 はしゃぐ桜子に、クロは少し呆れたように言う。だが、その視線はきっちり夜空に釘付けになっている。

 周りの人々も、花火が始まったことに気づいて視線を上げる。少しでもよく見える位置へ、とぞろぞろと人混みが動き、桜子のすぐ目の前にもぎっちりと人が押し寄せてきた。そこまで背が低いというわけでもないが、女子として特別高いわけでもない桜子は、すぐ傍に背の高い大人になど並ばれてしまうと、視界が急激に狭められてしまう。

 体をずらしてみたり背伸びしたりといろいろと試してみるが、なかなか空が見える位置に頭を出せない。見えたのは最初の一発だけで、そこから先は音だけしか聞こえないという、なんとも味気ないことになってしまった。祭りがあるのは知っていたが、花火があるとまでは知らなかった。知っていたら、それなりに場所取りをしておいたというのに。

 桜子が四苦八苦していると、隣で黙っていたクロが小さく吹き出して、

「ったく、なにやってんだって」

「むぅ」

 桜子が頬を膨らませると、クロは桜子の腕を引いて歩き出す。すっかり混雑してしまった道を、しかしクロが先導すると驚くくらいすいすいと通り抜けられた。狭いところも得意なのは、いかにも猫らしいな、という感想を抱きながら、桜子は訳も分からず引っ張られていく。

 人だかりからはずんずん遠ざかって、祭りの喧騒から離れていく。どこへ行くのだろうと思っていると、クロは人目につかない物陰に桜子を連れ込んだ。そして、何か悪戯を思いついた子どもみたいな顔で、桜子をひょいと抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこという奴である。

 突然予想もしなかった体勢にさせられ、桜子は目を剥いて泡を食う。クロはそんなこと知ったことかと言わんばかりにしれっとした顔をしている。

「ちょ、クロ」

「黙ってろ、舌噛むぞ」

 それだけ言って、クロはひらりと身軽に跳び上がった。妖怪である彼の跳躍は人間のそれとは比べ物にならないくらい、飛翔と言っても差し支えがないくらいに高度を上げていった。一瞬襲う浮遊感に思わず目を閉じてしまうと、すぐさまクロが笑いながら言う。

「馬鹿、目閉じんなよ」

 促されて、桜子はそっと目を開ける。

 どういうバランス感覚をしているのか、クロは桜子を抱えたまま、細い電柱の上に平然と立っていた。足元にはイルミネーションに飾られた夜店や祭り客の頭が小さく見える。祭りの喧騒を上から俯瞰するのは、すっかり別世界に来てしまったような気分にさせられた。もっとも、比喩ではなくしょっちゅう別世界に行っている身ではあるのだが。

 視界を遮るものは何もなくなっていた。眼前に広がる夜空、そして幾つもの花火。

 立て続けに打ち上げられる花火を、桜子は一番の場所で目にしていた。

「わ……すごい……」

「悪くない特等席だろ?」

「うん……」

 美しい光景に見惚れながら思わず素直な感想を漏らしてしまってから、桜子ははたと気づく。

 おかしい、こんなはずじゃなかったのに、と。

 いちいち許しを貰わなきゃ参加させてもらえないような堅っ苦しい祭りなんか知ったこっちゃない、もっと気軽に楽しめるところに行こう――そういうつもりで、桜子はクロを祭りに誘ったのだ。ほんの束の間でも彼が自分の複雑な境遇を忘れて楽しんで笑顔を見せてくれればと、そんなことを考えていた。

 だというのに、なんだかさっきから、楽しんでいるのは自分ばかりだし、クロばかり格好いいところを見せつけてくれる。ほんとは逆になるはずだったのに、これでは計算違いである。

 困った話だと思いながら、桜子は窺うように上目づかいでクロを見る。クロの金色の瞳は花火を見ている。

「ねえ、楽しい?」

 もう一度、さっきと同じ問いを繰り返した。クロは視線を前に向けたまま、ぽつりと漏らす。

「……ありがと」

「……」

 楽しいか、という質問の答えとしては適切とは言えない言葉だった。だが、彼の意図するところが解って、桜子は安堵した。

 ――楽しいなら、いいの。

 黒猫をしっかりと抱きしめながら、桜子は花火を眺めていた。



 妖の世界ではもうすぐ百鬼夜行が始まる。

 だが、それは桜子にはもう、関係のない話である。


★★★


 外見的には人間でいうと二十歳前後くらいだが、妖怪であるゆえに既にいい歳である。なのに、実のところ今まで花火を見たことがなかった、というのは、桜子には内緒である。言ったら桜子は驚くに違いない。そしてその後はたと気づいて、気を遣って申し訳なさそうな顔をするだろう。そこまで手に取るように解るからだ。彼女の行動は、ひねた自分とは違って、素直すぎて解りやすい。

 夜空を華やかに染め上げる大輪を目の当たりにして、初めて見るその美しさに一方ならず感動していたわけだが、ポーカーフェイスだけは得意だから、そんな無防備な表情を晒すことはしなかった。とはいっても、桜子は意外と人の表情の変化に敏感だ。微かに漏れてしまった本心が、ばれている可能性は高い。

 音を聞くことだけは毎年あった。というのも、百鬼夜行では毎年派手に花火を打ち上げているからだ。だが、毎年家に引きこもるのが恒例となってしまったから、音を聞くだけで目にすることはないという、なんとも味気なく虚しい時間を過ごしていた。

 花火の音は好きではなかった。なにせ、音だけなのだから、好きになれるはずもない。また自分だけ置いてけぼりになって、周りだけ勝手に盛り上がってる――そんなふうにひねくれたことを考えながら、ぼうっと聞き流すだけだった。

 これからはたぶん違うだろう。

 妖の世界ではもうすぐ百鬼夜行が始まる。またあの音が聞こえるだろう。

 花火の音を聞くたびにきっと思い出す。

 記憶に焼き付いた、鮮やかな花火と、腕に抱いた少女の温もりを。

 この記憶を抱いていられる限り、百鬼夜行の喧騒など耳に入らない。

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