8 狙い撃ちのすゝめ
毎年十月に行われる秋祭り。小学生の頃までは近所の友達と来ていた桜子だが、中学に上がると、「ああいうお祭りは子どもとリア充のためのイベントなのよ」という謎の悟りを開いてしまったため、子どもからは卒業したい年頃であり、かつ確実にリア充ではない桜子は、最近では随分ご無沙汰してしまっていた。それを不意に思い出して、「子どもでもリア充でもなくても、友達となら万事オーケー」という新たな悟りを開いたわけだ。
「高校生になるとねえ、一周回ってこういうイベントが楽しくなるんだって」
「俺は高校生じゃないぞ」
「大丈夫、外見的にはそのへんの不良高校生だから!」
何が大丈夫なんだ、と言いたげなクロの表情に、桜子は思わず失笑した。
「じゃ、行きましょう!」
「……お前、今日はテンション高いな」
やや呆れ気味のクロを引っ張って、桜子は人混みをかき分けていった。
★★★
周りにいるのは、きらきらと目を輝かせる子どもだったり、仲睦まじそうに腕を組んでいるカップルだったりと、明るく楽しくるんるん気分の人々ばかりだ。そんな中、局地的に暗雲でも発生してるのかという具合に、一人だけどんより浮かない顔をしている男がいた。
椙浦第二高校二年五組、伊勢伸介である。彼は現在、思春期のお手本の如くに恋に悩んでいる。
「やっぱりあの男は姫路とイイ感じなのかなぁ。俺、告白する前に失恋した感じなのかなぁ」
「祭りに来てまで辛気臭い顔するのやめてくんない?」
慰めるどころか積極的に傷口に塩を塗りたくって行くスタイルのクラスメイト、反町奈緒は、わたあめをもふもふする片手間にそんなことを言う。
本当のところはどう考えても意中の相手、隣の席の姫路桜子を秋祭りに誘おうと思っていたはずの伊勢が、なぜ毒舌美少女な奈緒と一緒に夜店を練り歩いているかといえば、先日桜子が一緒にいた友達とやらの存在がショッキングで、祭りに誘う勇気が出なかったからである。桜子に声を掛けようとしてはやっぱり根性がなくて口を噤む、というのを何度も繰り返している伊勢があまりにも哀れだったので、祭りでの出費はすべて伊勢持ち、という条件で付き合ってやることにした――というのは、奈緒の主張である。
ようは、決定的なアクションを起こして、決定的に振られるのが怖いから、致命傷を負わないように積極的な行動を控えていたというヘタレ具合なのだが、そのくせ「俺振られたのかなぁ、失恋したのかなぁ」とぐちぐち言っているのはヘタレを通り越して卑怯な気もする。しかし、そうはいっても、自分より明らかに桜子と仲がよさそうな年上美青年を目の当たりにしてしまったら、いくら桜子自身がただの友達だと言い張っていようが、敗色濃厚すぎてモチベーションも上がるに上がらないというものだ。
「てか、いきなりコクるとかじゃなくて、普通に祭りに誘うとかでよかったじゃない。そうやってちょっとずつ距離を縮めてくもんでしょ。『カッコよく紳士的にエスコートして彼女のハートを狙い撃ち!』な感じでいいじゃん」
と、奈緒は応援してくれるようなことを言ってくれる。だが、表面的に優しい言葉に騙されてはいけない。
「そんなこといってさ、反町、俺に勝ち目があるなんて思ってないだろ。姫路とあいつがイイ感じだって思ってるだろ」
「そりゃあもう」
悪びれることもない。
「私は桜子に年上な友達ができた当初からいろいろと話を聞かせてもらってたし、いろいろとためになるアドバイスもしてあげていたから、確実にあんたより詳しいわ。いまだに『席が隣だからそれなりに世間話はするただのクラスメイト』から昇格する気配のないあんたに勝ち目がないのは先刻承知」
「容赦がない!」
「けど、そんな哀しい現実を突きつけるのは可哀相だから、『頑張ってみなさいよ!』と優しく励ますとみせかけて、あんたが自分で自分の負けに気づくよう誘導してあげてるの」
「全然みせかけてないよね、完全に現実突きつけてきてるよね。しかもそれ、要は『玉砕して来い』って言ってる?」
奈緒は基本的に面白がっているだけなので、アドバイスをまともに聞いてはいけないのである。
しかし、まあ、祭りに誘うくらいは、それくらいの権利はあったかもしれないな、と伊勢は思う。
「な、なあ、今から誘ってもセーフかな?」
「誘うだけ誘ってみれば? 暇なら来るんじゃん」
「番号教えて」
「番号すら知らんかったんかい」
ダメダメすぎるだろう、という奈緒の明らかに呆れている視線を感じながら、伊勢はようやく桜子の携帯電話の電話番号をゲットし、さっそくコールする。
声が聞こえやすいように喧騒から少し離れたところに移動しながら相手が出るのを待つ。すると、スリーコールで繋がった。
「あ、ひ、姫路? 俺だけど」
『詐欺?』
あからさまに訝る声が返ってきた。テンパりすぎてオレオレ詐欺みたいなことになってしまったのに気づき、慌てて名乗る。
「いや、俺、伊勢だけど」
『ああ、伊勢君』
「反町から番号聞いてさ……今夜空いてる?」
『ごめん、今日は予定があって。何か急用だった?』
「えっ、あっ、いや、そういうわけじゃ、ないけど」
『そう?』
「うん、その、忙しいのにごめん。じゃあ、また来週」
ぷつん。
電話を切った瞬間、奈緒に頭をすぱこーんと軽快に叩かれた。
「テンパりすぎ。しかも諦めるの早すぎ」
「だ、だって、予定があるっていうんじゃ仕方ないじゃん」
「予定ねぇ。……あ」
奈緒が何かに気づいたようで、遠くに視線をやっている。驚いた表情が、すぐさまにやにや笑いに変わる。面白いものを見つけたらしい。ちょんちょんと肩を叩いて、奈緒は伊勢に注意を促した。
「ほら、あれ見てごらんよ」
奈緒が指し示す方を見る。祭りの喧騒、人混みの中、見知った人物を見つけて、
「ああッ!!」
伊勢は思わず叫ぶ。子どもやらリア充やらに交じって夜店を物色しているのは、姫路桜子その人であった。
「予定って……そうか、もう祭りに来てたのか」
「よかったね、伊勢」
「ああ、よかっ……」
た、と言い切る前に、伊勢は桜子の隣にいる人物に気づく。奈緒は最初からそれに気づいていたようで、他人事だと思って完全に面白がる調子で言う。
「お待ちかねの修羅場だよ。当たって砕けて来い」
桜子と一緒にいたのは、いつか校門で見かけた、「ちょっと不良っぽい年上の友達」に相違なかった。
★★★
祭りに来たら、わたあめと射的だけは外せない、というのが桜子の持論である。二人でわたあめをもふもふした後で、桜子はクロを射的屋まで引きずってきた。
「ところで、近接バカのクロは、射撃はできるの?」
「近接バカ言うな。余裕で撃てるし、紅月より上手いし」
「後半の強がりは聞かなかったことにするね」
「……」
階段状になった棚には、キャラメルの箱やら玩具の箱やらが並んでいる。その中で桜子が視線を止めたのはぬいぐるみである。
「ねえねえ、あのぬいぐるみ、可愛くない?」
クロは隠すこともなく眉を寄せて否定した。
「『可愛い』の定義を疑うな。ものすっごく目つき悪いじゃねえか」
「あの性格の悪そうな顔、どっかの誰かにそっくりで可愛いじゃない!」
はしゃいだ調子で指さすのは、猫のぬいぐるみである。黒い毛並みで、目つきは微妙に悪い。うっかり幼稚園児にプレゼントしたら泣かれそうな顔をした、あまりいい性格ではなさそうな顔をしたにゃんこである。
「決めた。あの子、『クロ二号』と名づけて飼う」
「そのネーミングセンスの悪さは何なんだ? というか、取ってもいないうちに名前付けてどうする」
「捕らぬ狸の皮算用って奴ね、猫なのに。いいわ、解ったわ、そこまで言うなら勝負よ、クロ。あなたが先に落としたら、潔く二号はクロに譲る」
「いらねーよ。なんで勝負する話になってんだ」
「――その勝負、待ってもらおうか!」
突然背後から割り込んできた声に、桜子とクロは同時に振り返った。
そこにいたのは意外な人物。どこかおどおどした様子のクラスメイト・伊勢伸介と、にやにや悪戯っぽく笑う反町奈緒であった。
「奈緒じゃない。それに、伊勢君」
「奇遇だね、桜子。そっちの彼とは初めまして」
「二人でお祭りに来てたの?」
「深ーい事情があってね。そしたら偶然あんたがいるのが見えたから。私は二人を邪魔するのはアレだと思ったんだけど、伊勢がどーしても宣戦布告したいって言うから」
「えっ!? 反町、いい加減なことを言うなよ! だいたいさっきの台詞だって反町が勝手に人の声色を使って……」
伊勢は戸惑い気味に奈緒に詰め寄るが、奈緒は涼しい顔で鼻歌など歌い始めて相手にする気がなさそうである。やがて、奈緒に食って掛かるのを諦めた伊勢が、観念したように向き直り、なぜかびしりとクロを指さして、
「あの黒いにゃんこをかけて、俺と勝負しないか!」
などと言い出した。
「黒いにゃんこを先に落とした方が勝ちだ。勝った方がにゃんこを好きにしていいことにする」
「いや、俺別にあんな可愛げのない猫なんかいらない……」
「姫路! 俺の方が絶対射的が上手いってところを見せるぜ。そんで、あのにゃんこを姫路にプレゼントしてみせる!」
「え? あ、うん……うん?」
「まさか逃げるつもりじゃないだろうな」
と、明らかな挑発を口にしたのは、実は伊勢の背後に隠れて声色を使う奈緒だったのだが、基本的にプライドの高いクロのことであるから、あからさまな安い挑発にも積極的に煽られていくスタイルである。
「いい度胸だなクソガキ。俺がただの近接バカじゃないってことを教えてやる」
バチバチと火花を散らし始めるクロと伊勢の二人を交互に見遣り、首を傾げながら桜子は奈緒に耳打ちする。
「なんでこんなことになっちゃったのかな」
「……あんたが鈍いからじゃない?」
「?」
突如始まった二人の戦いは、驚いたことにほぼ互角であった。
というか、二人ともド下手くそで商品に掠りもしないのである。
小銃から放たれるコルクの弾丸は、お目当ての黒にゃんこを見事に避けていく。ここまで綺麗に外されると、逆に狙っているのではないかと思える。
プライドの高いクロと、格好いいところを見せるはずが格好悪いところを披露する羽目になってしまった伊勢は、揃って「ぐぬぬ」という表情をしている。少しくらい惜しい一発を撃ってくれればギャラリーも盛り上がるのだが、ちっとも掠らず、商品は棚の上で一ミリたりとも動かないものだから、桜子はそろそろ退屈してきた。
「その百円玉、何枚目?」
桜子が溜息交じりに問うと、店主の掌に小銭を落としながら、クロが悔しそうに「五枚目」と答えた。一回百円で五発は撃てるから、ここまで二十発、全弾外していることになる。
「一芸に秀でる奴は多芸に通じるって思ってたけど……そんなことないのね」
「るっせえ、今から本気出すんだよ」
解りやすい負け惜しみを言いながら、クロは五度目の正直に挑む。その隣では伊勢が半ば涙目になりながら銃を構える。
コルク弾がひゅんひゅん飛んでいく。黒いにゃんこは小憎たらしい顔のままびくともしない。射的屋の店主は「いいカモだぜ」とでも言いたげなニヤケ面で二人のカモを見ていた。
伊勢が五発のコルクを見事に外してから、クロも最後の一発に取りかかる。と、コルク弾を銃に込めようとしたのをふと思いとどまって、クロが少し考える素振りを見せる。
「……この弾で、黒いにゃんこを落とせばいいんだよな?」
店主は怪訝そうな顔をしながらも頷く。何を今更当たり前のことを、と言うように、周りの全員が首を傾げる。直後、桜子ははたと気づく。まさか、と思って窺うと、クロはにやりと笑っていた。
そして、弾丸を銃には込めずに掌の上にのせ、そのまま指で弾き飛ばした。
そうして放たれた弾丸は、銃で撃たれた時より明らかに速く力強く、狙い過たず黒いにゃんこぬいぐるみに命中した。
おそらくそのぬいぐるみは、他の商品に比べて重さがあるし座りもいいから、仮に撃った弾が命中したとしても、そう上手くは棚から落とせないことになっている商品だっただろう。人気そうな商品というのはえてして、無駄弾を撃たせて客から金を搾り取ろうというトラップであるものだ。
そんなぬいぐるみを、クロは銃を使わず、指で弾いたコルクで落としてしまった。妖怪だけあって、ただ指で弾くのも、人間よりずっと力が強いようだ。店主が唖然としている。
「っしゃあ、にゃんこゲット! 見たか、桜子、一芸に秀でる奴は多芸に通じるんだよ!」
「いや、射的で銃使わないとか前代未聞なんだけど」
「別にいいだろ、ちゃんと銃弾で落としたんだから。銃を使わなきゃいけないなんて決まりはない」
「わざわざそんな決まりを作る必要がないくらいに銃を使うのが当たり前なんだけど」
「銃なんてのはな、素手じゃ戦えない人間のための武器であって、俺には必要のないものだった」
「解せぬ」
しかし一応正論らしきことを言っているクロを言いくるめることはできず、店主は悔しそうに歯ぎしりしながらも、黒いにゃんこを進呈した。
隣では伊勢が項垂れ、奈緒が背中を叩きながら慰めていた。




