7 お祭りの楽しみ方
勢い任せで出てきてから、桜子は商店街を練り歩く。一人で行く、なんて言ってしまったが、折角のお祭りだ、一人でなんて寂しい話だ。誰か誘えないだろうかと、桜子は知り合いの姿を探していた。
店の周りを豪華に飾り立てている饅頭屋、茶屋、金物屋などを冷やかしながら歩いていくと、煎餅屋から出てくる狗耳の青年に気づいた。
「紅月!」
声を掛けながら近づいていくと、紅月も気づいて手を挙げた。ワイシャツにジーンズという、狗耳さえなければ人間の世界でも普通に歩ける常識的な格好をしていて、手には煎餅屋の袋をさげている。最初に会った時は、クロも一緒にいたせいか目つきも態度も悪くて第一印象が微妙だった狗耳青年だが、なんだかんだで優しいところがあるし、夏休みに起きた鬼の郷での悶着の際は手を貸してくれたし、今では表情もだいぶ柔らかい、普通にいい奴である。
「よう、嬢ちゃん。こっちに来てたのか」
初めて一人でこちらの世界に来たころは、安曇などには「事件なのか?」と聞かれることもあったが、何度も遊びに来ているうちに、そういう問いかけをされることはほとんどなくなってきた。桜子が来るイコール事件という考えが薄まって、桜子だってただ遊ぶために来るのが普通なのだという考えが浸透しつつある。
「あのさ、百鬼夜行のこと聞いたんだけど」
「ああ、もうすぐ祭りだぜ。嬢ちゃんも参加したいのか?」
「うん。それでさ、一人で行くのもあれだし、一緒にどうかなと思って。クロのこと誘ったら、にべもなく断られちゃって」
なんとなくそう愚痴ってしまったが、これではクロの代わりに紅月を仕方なく誘っているみたいに聞こえて失礼だったかもしれないと思う。だが、紅月は特に気を悪くする風もなく、それどころか、桜子が予想もしなかったことを言う。
「ああ、クロの奴は祭りに参加できないからな」
「……参加、できない? 興味がないから行かないんだって聞いたけれど……できないの?」
「ははぁ、あいつはほんとのこと言わなかったんだな。まあ、らしいっちゃらしいが」
紅月は一人納得した風に頷いているが、桜子にはいまいち事情が解らない。
郷中がお祭りムードで盛り上がっているのに、参加できない妖がいるというのは妙な話だ。だいたい祭りというのは誰でもオールウェルカムで楽しめるものだ、というのが桜子の持論である。神事やら祭事となるとそうもいかないだろうが、クロの話を聞くにそういった類のものではないらしい。となると、自分の意思で参加しないならともかく、できないというのは何か事情がありそうだ。
「百鬼夜行は野牙里だけじゃなくて他の郷とも一緒に祭りをやるって話は聞いてるか」
「ええ、それは聞いたわ」
「堅苦しいものではないにしても、他の郷との比較的公式な交流ってことになるわけだが、他の郷に行って問題を起こされたら、話は個人の間だけでは済まなくて、郷全体とか一族の責任問題になるわけだ。だから、百鬼夜行の参加は許可制なのさ。一族の長の許しがなければ祭りに出られない。百鬼夜行中は、店に入るのも他の郷に行くのも振る舞い酒を飲むのも、長が許した証を持ってないとできないから、クロは毎年家に引きこもってる」
「どうしてクロは許しを貰えないの? 素行不良だから?」
紅月は一瞬迷うような表情を見せたが、ここまで話したからには隠しておけないと思ったのか、包み隠さず話してくれた。
「長の許しの証っていうのは、石なんだ」
「石?」
「そう。長の妖力が込められた石だ。たとえば俺は、竜厳様から紅玉をいただいた」
紅玉――紅月の瞳の色と同じ宝石だ。
「普通、妖は生まれた時に一族の長から、誕生を祝福する贈り物として石を授けられるんだ。それが、長から一族の一員だと認められた証だ。一族に離反するようなことがあると長に没収される。クロの生まれの話は、前に教えたよな」
「うん……捨て猫だって」
「この郷に捨てられたクロは幼少期、虎央様に育てられたんだが、虎央様はついに、あいつに祝福の石を与えることはなかったんだと聞いてる」
誕生を祝福する石、一族の一員であると認める証――それを与えられなかった、一族の爪弾き者。
「ねえ、紅月」
「ああ」
「……私、もしかしてとんでもない地雷踏んだ?」
「…………」
紅月はそれには答えず、半ば強引に話題を変える。
「そうそう、嬢ちゃんが百鬼夜行に出たいなら、赤鬼家か青鬼家の長あたりに許可証を貰うといい。それと、悪いが俺は祭りの日、妹の面倒を見ることになっているから一緒には行けないんだ。じゃあな」
全部正直に話してくれた紅月だが、こうして話を打ち切ったということは、この件には深入りしない方がいいという忠告のつもりなのだろう。確かに、この問題は根が深い。
四月、狗と猫の争いを収めるのに桜子は力を貸したが、はっきりいってたいしたことはしていないし、あの件の立役者はクロだと思っている。クロにそのような意図がなかったにしても、一族のために十分な貢献をしたことには違いないはずだ。だがそれでも、猫の長・虎央は、未だにクロに許しを与えていない。
桜子が虎央に進言したところで、問題は解決しないだろう。仮に桜子が虎央に、クロに証を与えるように言って、万が一虎央がそれに従ったとしても、それは本物の許しではない。仮初であり、まがい物だ。虎央が望んで与えなければ、クロにとっては何の意味もない。
忌み嫌われた金色の瞳を持つ黒猫。一族の仲間として認められていないのだという現実を、クロは百鬼夜行のたびに突きつけられているのだ。
他の妖たちとは一線引いた場所に置き去りにされた黒猫。
どうすれば、彼の孤独を癒せるのだろうか。
誰かを祭りに誘おうという最初の目的はすっかり吹っ飛んでしまい、桜子は浮かない顔で街を歩く。まさかそんな複雑な事情があるとは知らなかったから、能天気に祭りになど誘ってしまったし、無神経に食い下がってしまったし。完全に傷口に塩を塗りたくってしまった具合だ。
「何も知らないで呑気に祭に誘うなんて……あー、なんてことを……」
片手で顔を覆って唸る。せめて、クロに断られた時点で大人しく引き下がっていればまだ救いがあったかもしれないのに、怒って捨て台詞を吐いて飛び出してくるなんて、ひどいことをしてしまった。
思えば、四月も桜子は、クロと喧嘩をした、というか、桜子が一方的にキレて捨て台詞を残して飛び出したのだ。似たようなことを繰り返してしまうと、自分がさっぱり成長していないのだと思い知らされる。
早いところ、謝りに行かねばなるまい。だが、その先はどうしたものか。
桜子は百鬼夜行に行きたいと言ってしまった。だが、クロは行けない。事情を知っていながらクロを置いて一人で行くのは申し訳ないし、かといって行くのをやめたら、気を遣われたと思って逆にクロは面白くないかもしれない。
「どうしようかなぁ……」
一人だけ仲間外れにされてしまった寂しい黒猫のことを思い、桜子は思案した。
その、答えらしきものが見つかるまでには、少し時を必要とした。
百鬼夜行まで残すところあと十日となった、とある土曜日。週末だからとたんまり課された宿題は早々に片付けた。いつも出かける時はたいてい午前中には街に繰り出す桜子だが、その日は珍しく夕方に出かけた。
出かける、とはいっても、靴を履くところまではしても玄関戸は開けない。桜貝の首飾りにそっと触れながら一歩を踏み出して、妖の世界へと渡った。
オレンジ色の空の下、商店街はつい先日見た時よりもいっそう賑わっている。百鬼夜行に向けての準備は滞りないといった様子だ。だが、その日の桜子はそんな店々に立ち止まることはなく、わき目もふらずにクロの家へ向かった。
アポイントを取れないのが問題だと少し前までは思っていたのだが、そんなことをいちいち心配しなくても大丈夫なんだということは最近気づいた。出不精らしいクロはだいたいいつ行っても在宅なのだ。
案の定その日もクロは家にいた。勝手に上り込んで部屋に進入すると、クロが畳の上で何をするともなくごろごろしている。こいつは基本的にいつもごろごろしているところしか見ないのだが、これで体は意外と鍛えてあって腕っぷしは強くて痩せているというのは詐欺だな、と桜子はひっそりと思う。
桜子の突然の来訪にはもう慣れたものらしく、クロは驚きもしないで、面倒くさそうに眉を寄せながら体を起こす。
「お前な、少しは礼儀ってもんをだな」
文句を言おうとするクロだが、桜子はそれを遮って宣言する。
「出かけます」
「は?」
「今から出かけるので、二分で支度をしてちょうだい」
「いや待て」
「待てません。とりあえず行先は私の家ね。はい、立って」
「俺はお前の家に用なんかないぞ。いきなりやってきたと思ったら出かけるだと? 少しは俺の都合も聞いとけよ」
「あなたどうせ暇でしょ。日がな一日ごろ寝してるだけでしょ」
図星らしく、クロは不機嫌そうに頬をぴくりと動かした。桜子はにんまり笑ってクロの手を引く。
「さあ行くわよ。着替えなくてもそのまま行けるわよね。はいじゃあ私の家まで景気よく飛んでってちょうだい」
「横暴だ……」
そう呟くクロは半ば諦め顔で、桜子の手を振り払うことはしなかった。
慌ただしく靴をひっかけて外に出る。
「お前はいつもみたいに移動しろ。俺はそれに便乗してくから」
「りょーかい」
特に指示されたわけでもないのだが、桜子はなんとなく、クロの手をしっかり握りなおした。
跳ねるように一歩前に踏み出す。ふわりと柔らかい風が吹いて、一瞬、周りが淡いピンク色の光でいっぱいになった。右手の中には、クロの少し大きな手の温もりがしっかりと感じられている。二人一緒に、次元の扉を越えているのだ。
とん、と爪先が地面に降りると、そこは姫路家の玄関である。無事に戻ってこれたようだ。
「で、何の用なんだ?」
「じゃ、行くよ」
クロの問いかけをさらりと無視して、玄関先に用意しておいた帽子をクロの頭にかぶせて外に出る。大きめの帽子はクロの耳をすっぽり覆い隠すのにちょうどよい具合だった。
どこへ何の目的で向かっているのか知らされていないクロは不満げ、というか不審げな目を向けてくるが、桜子は気づかないふりをしてクロの手を引っ張っていく。
夕暮れのオレンジ色が去り、空がすっかり暗くなる頃に到着した目的地は、しかしそこかしこにたくさん光っている電球のおかげで明るかった。
辿り着いたのは神社だった。鳥居を潜ってから本殿へ至るまでの石畳を挟んで両脇にはずらりと夜店が並んでいて、店々の前を練り歩いていく人混みには浴衣姿もちらほらと見える。
「こいつは何の騒ぎだ?」
おそらくあまりに予想外の場所に連れて来られたせいだろう、クロはぽかんとして尋ねる。桜子は得意になって言ってやる。
「見て解らない? 秋祭りに決まってるでしょーが!」




