6 百鬼夜行に行きませんか
人の世と妖の世、二つの世界を行き来しながらの、慌ただしく、しかし充実した日々が過ぎ、時ははや十月。妖の世への通行券を手に入れた桜子は、それこそ、近所にある友達の家に遊びに行く感覚で、妖の世へ渡ることが常となっていた。
その日も、特段重要な用事もなく、桜子は妖の世へ渡った。特別な用事などなくとも会って他愛のない話をするのが友達というものだ。
いつものように野牙里の郷の目抜き通り商店街に降り立った桜子は、その場所がいつもと少し様子が違うのに、すぐに気づいた。
六時を回っているため空は暗いが、無数の提灯が往来を照らしているため、あたりは昼間のように明るい。そのため、街の様子は鮮明に観察することができた。
人間の世界では、クリスマスが近くなると、通りにいっせいにイルミネーションが取りつけられ、夜になるたびにきらきらと幻想的な世界を作り出す。あるいは、なにかの催し事が近くなると、その宣伝周知のために街中に看板ポスター幟の類を設置する。目の前の光景は、それと似たようなものだった。
電気が一般的でない代わりにイルミネーションの役割を果たしているのは、もっぱら妖術で生み出された火の玉だった。店から店へとつなげられた糸に、赤やら青やらの小さな炎がぼんやりと光っていて、電球の光と遜色ない、むしろ人工的な光よりもずっと幻想的で温かみのある光景だ。建物の壁にはポスターや看板が設置されていて、墨痕鮮やかに何やら言葉が書かれている。達筆すぎて、残念ながら桜子には読めなかった。
だが、この雰囲気。近々ここで祭りの類のイベントが行われることは想像に難くなかった。
華やぎ浮足立つ商店街を通り抜けていって、桜子はクロの屋敷に赴いた。商店街から、そして他の民家から離れてぽつりと一軒建っているクロの屋敷のあたりまでは、市街の喧騒は届かなかった。そこだけは、いつもと変わらず静寂に包まれた、夜の世界が広がっていた。
「こんばんはー。クロ、いるー?」
そう声を掛けながらも、桜子は返事も待たずに靴を脱いで家に上り込む。鍵がかかっていないのだから在宅は承知、勝手知ったる他人の家。
なかなか図々しい行いのようにも見えるが、屋敷の主の方も、桜子がずかずか勝手に上り込んでくると思っているので、わざわざ出迎えてくれたりはしない。その夜も、クロはいつものように、何をするでもなく、座敷に寝転んで暇を持て余していた。
「あ、クロ。相変わらず暇そうね。暇なら話聞いてよ」
桜子はクロが聞くとも聞かないとも言わないうちに、勝手に話を始める。学校であったこと、主に腹立たしいことについて相手が口を挟む暇も与えず愚痴り倒すのが、桜子の日課である。その日は、二限の日本史教諭が煙草臭くて四限の音楽教諭が香水臭いことについて延々と文句を言った。つい先日の席替えで一番前、教卓に一番近い座席になってしまったのが運の尽きであるという、もう何度目か解らないほど繰り返している結論を述べたあたりで、クロが大儀そうに起き上がって呆れた調子で言う。
「疲れないか?」
「……疲れた」
一方的に喋りまくったので、喉がからっからである。
「お前は本当によく喋るな。そういう文句は、俺じゃなくて本人に言ってやったらどうだ」
「だめだめ。私はね、学校ではいい子ちゃんで通ってるの。教師に面と向かって文句なんて言えないわ。対人関係の基本はね、外面だけはよくしておくことなのよ」
「俺に対しては随分あけっぴろげじゃねえか」
「あなたはいいのよ、猫だから」
「ふうん」
言いながら随分な詭弁だな、と桜子は思う。勿論、クロに対して取り繕うことなく本音をぶちまけられるのは、猫だからとか妖怪だからとか、そういう理由ではない。
最初の出会いは最悪だった。最低な野郎だと思ったし、最低な野郎相手に自分をよく見せようといい子ぶる必要などないと思ったから、言いたいことは言ってやることにした。
今は違う。友達だから。気が置けない仲だと思っているから、取り繕った外面なんかは見せない。人の世界で桜子の本当の姿を知っているのは、数少ない。父と、それから学校でも、奈緒くらいだ。そして妖の世界では、おそらくクロくらいだろう。
無論、そんなことは気恥ずかしいので、面と向かって本人に告げることはしない。クロの意地の悪い指摘に対して、動揺を見せることなく即座に「猫だから」と返せたのは、我ながらファインプレイだったと桜子は自画自賛する。ただ、そんな無駄なことをしたところで、人の機微には聡い黒猫には、全部お見通しのような気もするのだが。
「ところで、来る途中に見たけれど、商店街の方は随分賑やかというか。近々、何かあるの?」
「ああ……そういや、そろそろ百鬼夜行の時期だな」
「百鬼夜行?」
百鬼夜行というと、夜の街を妖怪たちの集団が徘徊するというあれだろうか。桜子は、角が生えたり首が伸びたりする妖怪たちがぞろぞろと行進するような、いかにもというような情景を思い浮かべる。
「ま、気取った名前をしちゃいるが、要は妖怪連中の祭りさ。妖の世界にはいくつか郷があるが、その郷同士が公式に交流するのは、一年を通してこの祭りの時期くらいだろうさ」
「じゃあ、ここの野牙里の郷じゃなくて、鬼津那の郷とか、他の郷も含めた、結構大きなお祭りなのね」
「ああ。参加するのは、ここと鬼の郷、それから神末と不知龍の四つだな。昔っから妖どもは他種族に対して好意的じゃなかったし、郷は鬼津那なんかに限らず基本的に閉鎖的な色が強いもんだったが、百鬼夜行の時だけは種族入り乱れて妖怪連中はお祭り騒ぎをしてた」
「へぇ、意外」
「年中自分の郷だけに引きこもってたら世情に疎くなるからな、昔は主に情報交換とかの場だったらしい。桜鬼が現れて、種族同士の対立が沈静化してからは、ただの酒盛りの場になったようだ。あとは、祭りの時だけの特別な市が立ったり、花火が上がったり。毎年十月の下旬ごろ、一週間くらいは百鬼夜行が開催される。普段はむさくるしい獣連中しかいない野牙里に水妖やら鬼やらが流れ込んでくるし、逆もまた然り。神の居ぬ間に妖怪が好き勝手やるって意味も込めて開催は神無月だってのに、百鬼夜行には神まで参加してるんだからお笑いだ」
「神様もいるの?」
「神っていっても付喪神だがな」
そういえば、うろ覚えだが付喪神の郷が存在するようなことを、四月に聞いた気がする。
「川を上流に行けば鬼の郷なら、下流に行けば付喪神の郷・神末だ。そっからさらに東へ行くと水妖の郷の不知龍ってな具合」
たくさんの妖たちが、種族を忘れて入り乱れ、酒を飲みながらお祭り騒ぎ。聞いているだけで楽しそうな話だ。
「ねえねえ、そのお祭りって、私も参加できるかな?」
桜子が尋ねると、クロはぱちくりと瞬きする。
「そりゃあ……お前は一応半妖だからな、できるとは思うが。興味あるのか?」
「だって、楽しそうじゃない。お祭りって聞いたら無条件で遊び倒したくなるのが人情ってものよ。ね、クロ、一緒に行きましょうよ。案内してよ」
期待を込めた目でクロを見つめる。が、
「断る」
期待に反してクロはすっぱり即答した。どうして、と理由を聞こうとしたのを先読みして、
「興味がない」
とすぐさま続けた。
「行くなら一人で行ってこい。祭りなんか騒がしいだけで面倒くさい。俺は静かに寝るのが好きなんだ」
「そんなこと言わないでよ。いいじゃない、お祭り」
「だから、一人で行けって。もうこっちの世界には慣れたもんだろ、一人で祭りくらい行けるだろ。それが嫌なら、紅月でも忍でも葵でも、他の誰とでも行けばいいさ」
桜子はむっとする。そりゃあ、行こうと思えば一人だって行けるし、他にも妖の友達はいる。そんなことは解っている。だが、そこをあえてクロを誘っているのだ。
みなまで言わなければ解らないのか、と抗議の意を込めてクロを睨んでやるが、クロはふいっと目を逸らしてしまう。この頭のいい黒猫が、解っていないはずがない。解っていながら拒絶しているのだ。
無理強いしたいわけではない。だが、それでももう少し言い様というものがあるだろう。それに、郷中がお祭りムードで盛り上がっている中、自分だけは一人寂しく静かにしていたいだなんて、協調性がないにもほどがある。
「ねえ、クロ」
なおも食い下がろうとした桜子だが、クロに無言で一睨みされていよいよ押し黙る。
「……じゃあいいわよ。一人で行きます、ええ、一人で行ってやります。あとからやっぱり行きたいとか言っても知らないからね!」
もうこちらを見ていないとは解りながらも、べっと舌を出して捨て台詞を吐き、桜子は肩を怒らせながら家を出て行った。




