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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
2.5 猫と戯れる夏から秋
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2 俺様にゃんこの災難

 九月中旬、とある土曜日。夏はまだまだ延長戦に挑んでいるような陽気だ。

 水色のブラウスにオフホワイトのスカートと黒のトレンカ、頭には薄茶色のクロッシェを乗せる。日焼け止めをがっつり塗りたくり対策は万全。そして仕上げに、首からかけるのか薄桃色の貝がきらめくネックレス。ただのアクセサリーと思うなかれ、これは妖の世界への通行券だ。

「じゃあ、行ってきます」

 リビングで新聞を読んでいる父に声をかけ、桜子は靴を履く。だが、玄関の扉を開けることはない。そんなことをするまでもなく、入り口は開かれるのだ。

 貝にそっと指を触れ、呼吸を整える。目を閉じ、瞼の裏に思い浮かべるのは、妖たちの住まう場所。そこで出会った妖たち。

 さあ行こう、と心の中で念じながら、一歩を踏み出す。普通に歩き出せば、すぐに目の前の玄関戸にぶつかってしまう、だが、桜子の足は何にもぶつかることなく進み出た。

 頬を撫でる微かな風。耳に届く楽しげな声。そして目を開けて、そこがさっきまでとは全く別の景色にすり替わっていることを認める。

 この世界にやってくるのは、これで三度目だ。だが、前の二回は拉致されて強引に連れてこられた。自分の意思で、一人でやってくるのはこれが初めてだ。そう思うと、初めての場所というわけでもないのに感慨深く思えてくる。指先で小さな貝を弄って、これが夢ではないことを自覚する。

「あ、桜子!」

 いきなり声を掛けられて、桜子は驚いて振り返る。手を挙げて小走りにやってくるのは、狗耳少年の安曇だった。彼と会うのは、四月の騒動の時以来である。

「久しぶり、安曇」

「いつ来たの?」

「今」

「へぇ。また何か事件? クロは一緒じゃないの?」

「遊びに来ただけよ。クロにはこれから会いに行くところ。あのね、一人でも二つの世界を行き来出るようになったの」

「へえ、すごい! 世界を渡るなんて、野牙里にだって、できる妖は少ないのに。やっぱり桜子は、桜鬼の血を引いているんだね」

「うーん、別に私の力ってわけじゃないよ。これを持ってれば行き来できるんだって、クロがくれたの」

 桜子は胸元の首飾りを示して説明する。桜鬼の血を引いているとは言っても、桜子には妖力などからっきしだし、妖術なんて使えっこない。下手に誤解されておかしな武勇伝が広まったりでもしたら大変である。

「ということは、その首飾りに、源となる力が込められてるんだね」

「千年堂の丙に作らせたって、聞いたけど」

 言った瞬間、安曇は少し渋い顔をした。

「ああ……成程、丙ね。彼女ならやるね」

 そこで桜子は、たびたび話題に上っていた千年堂の丙なる妖が女性であることを初めて知った。それにしても、なんだか安曇の言い様は、あまり丙に好意的ではないように思えた。首を傾げると、安曇は苦笑する。

「丙は、知らない奴はいないってくらい有名な妖怪さ。千年堂に行けば、たいていのものは手に入るとまで言われている。お店に売ってないものでも、たいていの要望にはオーダーメイドで応えてくれる、天才職人さ。その代わりお金はそうとうふんだくられるし、善悪問わずたいていの仕事を請け負う節操なしでもある」

「善悪問わずっていうと……なんかヤバいものも作るってこと?」

 ふと思いついたのは、危険な武器やら毒薬やらである。

「ほんとにヤバいものは作らないけど、ある意味ヤバいものなら作る」

 安曇の遠回しな説明ではよく解らなかった。

「まあ、千年堂で買い物できるのはそれなりのセレブだけだし、ひねくれた相手だから客になれるのもひねくれた奴が多い。関わらないで済むならその方が健全な一生を送れるに違いないね。僕には縁のない相手だ」

 そんな締めくくりに、桜子は大いに納得してしまった。

 成程、丙とクロはひねくれ者同士なのだな、と。



 安曇と別れて賑やかな商店街を通り過ぎ、向かう先はクロの家だ。隣近所との土地境界問題とは無縁そうなところにぽっつり建っている平屋建ての家が、クロの住まいである。

 一人でこちらの世界に来れるようになったのはよいことだが、問題はアポイントが取れないことである。当然クロに会える気をしてここまで来たが、よくよく考えると彼が在宅とは限らないのだ。

 首尾よく会えるだろうか、という桜子の懸念は、しかし杞憂に終わった。家の前まで来た時、中から騒がしい物音がするのが聞こえたのだ。どうやら在宅ではあるらしい。しかし、何やら取り込み中の模様。

 声をかけるのをためらっていると、いきなり玄関戸が中から勢いよく開かれ、見知らぬ女性が飛び出してきた。

 危うくぶつかりそうになってお互い驚く。女性は、外見は二十歳くらいに見えるが、例によって妖であるため実年齢不詳。ズボンにTシャツ、パーカーというなりで、栗色の髪はサイドでシニョンになっている。

「あら、お客さん。素敵なタイミングね。足止めは頼んだわ」

「は?」

 女性はいきなり謎の発言。それから、家の中に向かって声をかける。

「お金は後で持ってくるから、頑張って生きててちょうだい! バイバイっ」

 そう別れを告げるや、女性は逃げるように去って行った。

 嵐のような女性の背中を見送ってから、桜子は首を傾げながら家に上り込む。客が帰ったということは、当然中には家主がいるはずだ。

 それにしても、今のおかしな発言は何だったのだろうと訝しく思いながら、桜子は廊下を歩いていく。そして、開きっぱなしになっていた襖から部屋を覗き込んで、唖然とした。

 部屋の真ん中で蹲っているのは、クロである。いつもと変わらない、特徴的な黒い猫耳と金色の瞳がすぐに目に入った。ただし、前回見た時よりも、なんだか妙に()()()()()

 クロは桜子に気づくと、いかにもげんなりといった顔をした。

「よぉ、最悪なタイミングだな」

 去って行った女性とはまるきり正反対のことを言うクロは、どう見ても小学生くらいのサイズになっていた。



 念のため言っておくと、ふだんのクロは桜子よりもずっと背が高い。おそらく、百八十センチくらいはあるはず。それが今はどうだろう、身長百六十五センチの桜子の、胸のあたりまであるかないかといったところだ。不機嫌そうな面構えではあるものの、顔はどこかあどけなさを残していて、一見するとただの可愛げのない生意気ながきんちょである。声も心なしかいつもより高音である。

「で、何があってそんなショタになってるわけ」

 緑茶を啜りながら桜子は尋ねる。ちなみにこの茶は、桜子が自分でいれた。今のクロでは満足に湯も沸かせなかったのである。

 ぶかぶかのワイシャツを羽織った黒猫は、実に忌々しげに経緯を語る。

「さっき陽気な女と玄関先で鉢合わせたろ。あいつは丙だ」

「丙って、噂の千年堂の?」

 桜子の首飾りの製作者でもある妖怪だ。そうと知っていれば礼の一つも言ったのに。しかし、目の前のクロは礼どころか罵倒の言葉を投げつけてやりたい気分だろう。

「奴は依頼を受ければ、だいたいなんでも作る。たまに趣味でロクでもないものも作る。だが、いかにも怪しげな商品をそのまま売り出すわけにもいかないからっていって実験をする」

「実験台にされてるの?」

「奴は治験のバイトだなんて言っちゃいるが、完全に胡散臭いし体よく遊ばれるだけだって解ってるから俺は断ってる。が、俺が頑丈なのをいいことに奴は勝手に実験台にしてくるから始末に負えない」

「事後承諾で、後でお金を置いていくわけね」

 安曇が丙のことを語る時に、いやに渋い顔をしていた理由が解ってきた。確かに、お近づきにならなくて済むならそれが一番な相手だ。

「思えば、家にあげたのが間違いだった。『前に作った首飾りに欠陥が見つかった』って言われて、うっかり引っかかって……ああ、自己嫌悪で死にそう」

 クロはかなり滅入ってるようでそんな風に言うのだが、残念ながら今の格好でそんな台詞を吐かれても、国語のテストで赤点取った小学二年生が大げさに嘆いているだけにしか見えない。

「まあ、そんなに深刻にならなくても。そのうち戻るんでしょう?」

「効果が切れるのは明日だ」

「じゃあ、明日まで大人しくしてれば万事解決じゃない」

「いや、話はそう簡単にはいかない」

 クロがそう言うのをどこかで聞いていたみたいに、その瞬間、ばたばたと騒がしい足音が聞こえた。確実に複数の足音。素人の桜子でも解るレベルに解りやすい殺気を感じ、不穏な予感を覚えた。その予感を裏付けるように、クロは疲れ切った顔で頭を抱える。

「あいつは面白おかしく生きることを信条にしている迷惑極まりない女だ。どうせ、俺が弱ってることを吹聴しまくって、敵襲を差し向けてるに違いないんだから」

 そう言い終わるのと同時に、玄関戸が荒々しく開かれる音。桜子は眉根を揉んで、クロは肩を落とした。

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