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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
1 猫に出会う春
4/104

4 言いたいことは言いますから

「お断りよ、ばーか!」

 迷わずそう言いきって、桜子は茶を飲み干した。ごつん、と湯呑をテーブルに叩きつけるように置いて、ちゃぶ台の向かい側の男を睨む。

 絶えず不遜な笑みを浮かべていた化け猫が、ふっと無表情になった。

 即答できたまではよかったが、そういえば今自分の運命はこいつが握っているんだった、と思い出して、少し怯みそうになる。しかし、こんなに堂々と言いきったのに、今更前言撤回などできない。桜子は内心の不安を顔に出さないようにして、男が文句を言う前に続けた。

「あなた、その考え方は間違ってるわ。桜鬼の名前がすごいんじゃないでしょう? 正しいことを正しい、悪いことを悪いって言えて、強きを挫き弱きを助けて、他の妖のために力を貸してくれて……そういう、強くて優しい人だったから、桜鬼がすごいってなったんでしょう? 妖たちが敬うのは桜鬼っていう名前じゃなくて、その名前が尊敬されるに至った実績の方でしょ、なのに、桜鬼の名前だけ使っていい加減なことをしたら、あなたは桜鬼を汚すことになるのよ。そんなインチキに、私は加担しません」

 きっぱり。

 桜子としては正論を言ったつもりだった。しかし、言い終えた直後、男の右手が桜子の首を掴んだ。喉の奥で小さく悲鳴が漏れた。肌に尖った爪がちくちく当たっているのが解る。

 男は明らかに不機嫌そうな目をしていた。

「誰がそんな説教たれろって言った? お前は言われた通りにすればいいんだよ」

「わ、私は人形じゃないのよ。納得できないのに、言われるがままに協力なんてできないわ」

 男が手に力を込める。息苦しい。助けを求めて店を見回すが、どいつもこいつもさっと目を逸らして見て見ぬふり。か弱い乙女が窮地なのに情けないぞ、と内心では大憤慨の桜子だが、口にするだけの余裕はない。

「いちいちお前の了解を取ってやる義理はねえ。このままほっときゃ、猫と狗は互いに滅ぼしあうとこまで行っちまう。そんな妖怪大戦争、起こしたくねえだろうが」

「あ、あなたたちの争いを止めないとは言ってないわ」

 ぴくりと男の指が動く。ちょっとだけ息が楽になった。

「どうせ、それが解決しないと、私を帰してくれないんでしょう。そこは、腹を括るわ。けど、あなたたちに軍配を上げると決めたわけじゃない。私がやるのは、かつての桜鬼と同じこと……公平に、審判する。それでいいでしょう?」

 そうだ、ここまできたら腹を括るしかないのだ。

 けれど、妥協はしない。

 桜鬼――母・緋桜が作った秩序ある妖の世界に、桜子は少し、興味がわいたのだ。

 さあ、相手はどう出る?

 桜子は男をじっと見つめた。

 長い長い、沈黙。実際にはほんの数秒だが、体感時間で三十分はあった。

 男は、にやりと笑った。

「半分人間にしては、いい度胸だ。さすがは、桜鬼の末裔といったところか」

 そう言って、男は桜子の首から手を離した。桜子は乱れた襟を直して、男を睨みつけ狼藉を咎める。

「レディの扱いがなってないようね、化け猫君……いや、ばけ猫ってか、ばか猫ね、ばか猫と呼んでくれるわ」

「ばか猫はないだろ」

 男は肩を竦め苦笑する。

「――クロ」

「え?」

「『化け猫のクロ』で通ってる。俺のことはクロって呼びな。手を貸してもらうぜ、桜子」

 そういえば、名前を教えてもらっていなかった。やっと教えてもらえた。名前を教えたということは、名前を許したということは、それなりに認めてくれたということだろうか?

 そう思うと少し嬉しくなる。

「いいわ、協力しましょう。ただし、高くつくからね」

 そう言ってやると、すかさず憮然とした顔で「調子に乗るな」と返ってきた。


 茶屋を辞し、桜子とクロは賑やかな通りを歩いていた。椙浦モールなんかよりずっと賑わっている。ぱっと見渡す限りでは、煎餅屋に饅頭屋、呉服屋に金物屋など、普通の店が並んでいて、大鍋の中にカエルやらトカゲやらをぶちこんでぐつぐつ煮立てているような怪しい店はないようだった。

「基本的なことだけ一応教えておいてやるが……ここら一帯は野牙里やがりの郷っていって、狗だの猫だの狸だのの獣妖怪連中が多く住んでいる。郷の北側を流れてる川沿いに上流の方に行けば鬼連中の郷、下流の方に行けば付喪神連中の郷があるが、そっちに用はないから、詳しいことはまあいいだろう。で、この通りは、野牙里で一番でかい商店街だ。欲しいものは手に入る。人間が使ったって問題ないものばっかりだし、お前は半分妖怪なんだから、買い物したけりゃすればいい。問題が長引けばしばらくこっちにいることになるだろうから、必要なもんもあるだろ」

「長引かせるつもりはないし。だいたい、私、ここのお金を持ってないわ」

 協力してくれるからには、クロが面倒を見てくれるかもしれないが、あまり借りを作りたくない。

「金は人間の世界と同じさ。心配すんな」

 それは便利なことだ。が、こんな状況でのんびりショッピングできるわけもない。

「で、どこへ行くの」

 そういえば目的地を聞いていないことを思い出して尋ねる。

「この先の集落だ。猫が住んでる地区と狗が住んでる地区は隣りあわせになっている」

「はぁ、ご近所トラブルなわけね」

 田舎では隣人とのトラブルが絶えないものだな、と桜子は思う。しかし、よくよく考えると自分の家があるあたりも、都会か田舎かでいえば田舎だが、隣人とは友好的な関係を築いているので、田舎でトラブルが起きやすいというのは偏見だと思い至る。

「隣りあわせなものだから、昔は揉め事が絶えなかった」

「土地の境界線問題とか?」

「騒音とか、下水とか」

「やってることは人と変わらないわね」

「犬猿の仲だったんだ、狗と猫なのに」

 もしかしたらそれはとびきりのジョークだったのかもしれないが、桜子は笑わなかった。

「人はそういうとき、どうやって解決する?」

「そりゃあ、話し合いよ。間違っても暴力に訴えはしないわ。場合によっては、弁護士を立てたりとか……」

 公平な第三者を交えて厳正な話し合いを設けるわけだ。しかし、その弁護士というのは、自分か相手が呼んだ者であり、厳密に第三者と言えるかは謎である。弁護士だってお金をもらうわけだから、自分を雇った方を贔屓したくなるかもしれないし。

「桜鬼が現れてからは、話し合いで解決するようになったのよね」

「ああ。だが、彼女がいなくなってからは……妖怪ってのは基本的に身内贔屓だし、他の種族は面倒がって首を突っ込もうとしないから、冷静な奴が誰一人いない。そうすると、話し合いなんて言っても、いつまでたっても平行線の水掛け論に終始しちまう。最終的に行き着くのは力の勝負だ」

「ねえ、今回、あなたたちは何を争っているの?」

「一族にはそれぞれ長老がいる。つい三日前、猫の一族の長老が襲われた。その件で、狗の一族を追及してる。あわよくば、今まで対等だったところを、こいつを口実に優位に立とうしてる」

「対等のままでいいじゃないの。優位に立とうとなんてするから、話がややこしくなるんでしょう」

「他の一族の長老を襲うような奴らと対等なんて、納得いかない連中が多いんだよ」

「あなた自身はどう考えているの」

 クロは立ち止まった。ほんの少し逡巡した後、彼は呟く。

「どっちが上に立とうが、どうでもいい」

「……」

「俺はもともと、一族の中では爪弾き者だからな。長老がどうなろうが、一族がどうなろうが、知ったこっちゃない」

「でも、一族のために、なんとかしたくて、私を呼んだんじゃないの」

「勘違いすんな。俺がこの件に首突っ込んだのは、自分のためだ」

 クロはまだ何か言いたげだったが、結局口を噤んで、再び歩き出す。桜子はその背中を追いかけながら、考える。

 爪弾き者だというクロ。なぜ彼がそんな境遇なのか、理由は解らない。ただ、そんなクロが一族の争いを解決しようとし、それが自分のためだと言うのは、もしかすると一族に自分を認めてほしいからなのではないだろうかと推測する。

「ねえ、クロ。詳しいことはよく解らないけどさ、私は、できることなら猫と狗を、ちゃんと和解させて解決したいと思う」

 クロが振り返る。

「過ちを犯した妖がいるなら、その罪を償ってもらって、あとはもう後腐れなく、仲直りさせたいの。だってさ、たった一度の争いのせいで、この先ずっとずっと、反目しあうのって、気分悪いじゃない? これから生まれてくる子なんて悲劇よ、親の世代の争いのせいで窮屈になるんだから。だから、ちゃんと和解させたい。お母さんがそうしたみたいに。どう?」

「理想論を並べるのはいいがな、まずは状況を把握してからにしろ。そう簡単には行かない話だ。長老ってのは一族の象徴だ、そいつを傷つけられた怨みはでかい」

「……解ってるわ」

「さあ、喋ってないでとっとと行くぞ」

 桜子は慌ててクロを追いかける。

 クロは簡単に肯定はしてくれなかった。だが、否定もされなかった。

 今はそれで十分なはずだ。

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