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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
2 猫とすれ違う夏
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23 約束をしよう

 その後の後始末。

 紫鬼家お取り潰しの一件は鬼の郷を震撼させたが、事件後一週間も経つ頃には、郷は落ち着きを見せていた。二大名家の当主二人が率先して後始末に当たったおかげで、混乱は少なかったという。

 事件後判明したことだが、元々人数の少なかった紫鬼家は、出雲と葛葉以外には両手で数えるほどしか存在しておらず、その数少ない鬼たちも、出雲たちと一緒に処罰を受けることになるという。恐ろしい儀式が行われることはもう二度とないだろう。

 事件の日、葵が待つ屋敷に戻ってくるなり、今回の功労者であるクロはバタンキューで、葵のお礼の言葉もほとんど耳に入っていないような様子だったが、今ではそこそこ元気になっている。そうはいっても、さすがに本調子とは行かないようで、言葉には棘が少ないし、まだ大事を取って寝込んでいる。幸い、葵はいつまででも滞在して休んでいいと言ってくれている。クロは「こんなとこいられるかとっとと帰る」というようなことを言っていたが、自分で歩いて帰る気力はないらしく、つまらない意地を張るのは三秒で諦めた。ちなみに、紅月は二日後にクロを置き去りにして先に帰還した。

 桜子はといえば、クロが元気になるまで傍にいてやろうと決めて、一週間鬼の郷に居座っている。

「……ところで、お前、そろそろ向こうに戻らなくていいのか」

 クロがそんなことを尋ねてきたのは、桜子がこちらの世界に連れてこられてから十日も経っての日のことだった。クロは与えられた客間に布団を敷いて寝転がっていて、桜子はその傍らで、勉強をしていた。座敷牢から逃げ出した際に手離してしまった鞄だが、捨てられてはおらず忍が保管していた。今では破れた制服ともども桜子の手に戻ってきていて、ここ数日の桜子は鞄に入っていたテキストで勉強を進めることで、一日を過ごしていた。

 クロが尋ねたことは実に今更な話であり、桜子は苦笑しながら答える。

「出雲をぶっ飛ばした後ね、忍と一緒に一旦戻って、お父さんには知らせてきたわ。忍には菓子折り持って謝らせた」

「何で戻ってきたんだ」

「そんな状態のあなたを置いてけぼりにするのは心苦しいもの。まだギリギリ夏休みだし、課外授業なんて、まあいいでしょ」

 あっけらかんと言ってやると、クロは苦笑交じりに溜息を返した。

「そうはいっても……たぶん、しばらくは調子が戻りそうにないぞ」

「経験則?」

「経験則」

 自信を持って断言するのに、桜子は小さく吹き出した。

「……あんまり父親に心配かけてもよくないし、出席日数も余裕があるわけじゃないんだろ。無理して俺に付き合わなくていい。俺は送ってやれないが、忍に頼んで帰してもらいな」

「でも……」

「……元気になったら会いに行くからさ」

「!」

 この猫は、意外と人の機微に聡い。桜子が求めている言葉をさらりと言ってくれる。

 本当に憎らしい奴だ、と桜子は思う。

「約束だよ?」

「ああ」

「嘘ついたら槍千本ね」

「針にしとけよ」

 会いに来ると約束してくれた。それが、桜子をこの上なく安心させた。

 別れる前に、桜子にはやっておかなければならないことがある。元々、そのためにクロを探していたのだ。だいぶ遠回りになってしまったが、やっと果たせる。

 桜子は鞄の中から日記帳を取り出して、クロに差し出す。クロは怪訝そうに体を起こした。

「あの、先に謝っておく。ごめん。私、ズルいから、自分じゃ決められなかった。だから、クロが決めて」

「……?」

「これ、お母さんの日記帳。十七年前の」

「!」

 クロは僅かに目を見開いて、桜子の手の中の日記帳を凝視した。

「最初は、これを見せなくちゃって思ってクロを探してた。でも、時間が経つにつれて気持ちが揺らいじゃって、こんなことして本当にクロのためになるのかって考えたら、どうしていいか解らなくなっちゃった。いろいろ考えたけれど、結局自分じゃ決められなかった。だから、クロが選んで、これを読むか、読まないか」

「…………」

「もしも、あなたが前に進むために後ろを振り返ることが必要なら、十七年前の夏の日、お母さんが何を思っていたのか、教えてあげる」

 クロは驚いていた。桜子と日記帳を交互に見遣って、迷うような素振りを見せた。

 金色の瞳が、微かに不安の色を帯びていた。怖いのかもしれない、緋桜の本音を知るのが。

 そこに書かれているのが祝福なのか呪詛なのか、クロは知らない。

 だが、たとえ呪詛であろうとも受け止める覚悟ができたのか、クロはそっと日記帳を手に取った。


 夏の日のことを記したそのページを読んだとき、クロがどんな顔をしていたのか、桜子は一生忘れないだろう。

「なあ……これ、俺が持っていてもいいか?」

 泣きそうな笑顔で、けど決して涙は見せない決意を湛えて、クロは尋ねる。

「勿論よ」

 桜子は優しく頷いた。

 母の言葉が、どうかこの不器用な黒猫を支えてくれますようにと小さく祈る。




 春に出会った鬼と黒猫は、すれ違いの夏を経て別れた。

 今度は「またね」と手を振って。

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