21 決意を弾丸にのせて
動けない紅月に対して、出雲は駄目押しでもう一撃、雷を放った。短い呻き声と共に紅月の体が跳ねて床に沈む。恐ろしく容赦のない反撃に桜子は戦慄する。出雲は満足げな笑みを浮かべ、次いでクロに視線を向ける。
「次はお前だ、猫!」
「やれるもんならやってみなッ」
桜子が凍りついたままでいるのに対してクロの行動は迅速だった。紅月が倒れたことで呆然とすることも立ち止まることもせず、素早く出雲に肉薄した。クロの攻撃は近づかなければ通らない、対して出雲は離れた相手にも雷撃を放てるようだ。明らかに不利な状況だが、動きを止めれば負けしかない。リスクを承知でも敵に近づくしかない。
出雲の周りに浮かぶ光の球がどうやら残弾らしく、二発撃ったから、浮かんでいるのはあと六発。おそらく、こんな強力な術だ、自由に連発できるわけではないだろう。もしそうなら、出雲は最初から使っているはずだ。すなわち、あと六発を凌げば勝機はある。
出雲は素早く雷撃を放つ。クロはそれを素早い跳躍、見ている桜子の方がひやひやするような紙一重で躱していく。雷が放たれるその瞬間、本物の稲妻よろしく、細い先駆放電が現れる。おそらくクロはそれを見て出雲の狙いを判断しているのだろうが、それにしても攻撃を尽く躱していくクロの俊敏さは尋常ではない。
「どうした、老いぼれ! 随分ヘボいな、当たんねえよ!」
「忌々しい猫畜生が……!」
逃げ回るだけでなく、クロは笑いながら挑発する。出雲の表情は、強力な妖術を持っていながらも、依然厳しい。
続けざまに撃たれた三発を避け、クロは出雲の懐まで潜り込んだ。素早く横に薙がれる刃が出雲の腹を掻っ捌く。だが浅い。出雲は致命傷にならない程度に器用に避けているのだ。
そして、宙に浮かぶ光球から、ほぼ垂直に撃ち落とされる光の筋。本物の落雷に遜色なさそうなそれを、クロはバックステップで避ける。逃げるクロを追いかけるように、足元を狙う一撃。折角苦労して近づいたところを、すぐさま押し戻された具合だ。
だが、ここまでで出雲は装填していた光球七発を撃った。予想以上にちょこまかと逃げ回るクロに、出雲は無駄弾を撃たされた。残りは一発――クロは反撃の好機を予期して刀を握り直し、出雲は苛立たしげに歯噛みする。
しかし、その直後、出雲は何かに気づいたように僅かに目を見開き、やがて邪悪に微笑んだ。
「そこか、お前の急所は」
そう呟いて、出雲が狙いを定めるように指さしたのは、桜子だ。
「っ!」
桜子は身を強張らせる。逃げなければ、と頭では考えるが、薬で痺れた体の動きはぎこちなく、這って進むのがやっとの状態、とてもじゃないが避けきれない。
まずい、と思った瞬間、出雲が雷撃を放ち、同時にその射線上にクロが割って入った。
「クロ!!」
「ぁッ……!」
桜子の切羽詰まった金切り声に、クロの短い悲鳴が重なった。雷電を浴びて、クロはがくりと膝をつく。小刻みに震えながらも刀は手放さず、倒れまいとぎりぎりで耐えている。それを嘲弄するように、出雲がクロの鳩尾を蹴り上げる。
刀を取り落とし、衝撃で浮かび上がるクロの体を、出雲は裏拳で薙ぎ飛ばす。床を何度も跳ねながら転がっていく軌跡には血が飛び散っていた。
「身を挺して巫女を守る、その忠誠心は褒めてやろう」
出雲は悠然とした足取りでクロに近づく。
「儂を挑発することで、狙いを自分に集中させていたまではよかったが、その狙いに気づいてしまえば、こうも容易く落ちる。身を守る術も持たず、逃げることもできない巫女を標的にすれば、お前は巫女の盾になる以外に道はないからな」
そこで出雲は桜子を振り返って、嫌らしく笑った。
「足手まといを抱えると大変だな」
「……!」
桜子は悔しさに唇を噛む。自分のせいで、クロが窮地に陥ってしまった。だというのに、自分は何もできない、それが歯がゆくて仕方がなかった。
出雲は桜子に見せつけるように、クロの前髪を掴んで顔を上向かせる。そんなことをされても、クロの体は痙攣するばかりで、出雲の手を払い除けることができないでいる。
「久しぶりに術を使ったら腹が減ったな。鬼の前に、猫の心臓を前菜にするのもよいかもしれぬな」
「や、やめなさい! 猫の心臓なんかマズイに決まってるでしょ! 趣味悪いわよ!」
「食らってみなければ解らんさ」
出雲の手がクロの胸に伸びる――その光景が、やたらとスローモーションで見えた。
何とかしないと、このままでは――!
自分が食われそうになった時よりもずっと、桜子は焦燥していた。しかし、それでいて思考はフルスロットルで回転していた。
目が、耳が、周りの情報を拾い上げる。露ほども漏らさず、この状況を打開する方法を求める。
武器は? 策は? 勝機は? 自分に何ができる? 無数の自問自答を繰り返していく。
その時、視界の端に掠めた――倒れた紅月の傍に落ちている、紅月の拳銃。
届く、と思った瞬間、桜子の手は黒い得物に伸びていた。まだ上手く動かない体は、手を伸ばした瞬間にバランスを崩して倒れるが、床についた手で体を引きずるようにして前に進み、ぎりぎりで手が届いた。
迷わずそれを拾い上げて体を起こし、出雲の脳天に向けて照準した。
「クロから離れなさい!!」
出雲の手が止まり、ゆっくりと桜子を振り返る。自分を狙う銃口を見た出雲は、少し驚いた顔をしたが、やがて恐れるどころか、面白そうに笑った。
「手を離して、下がりなさい。脳天に風穴を開けられたくなかったらね!」
「ほう、勇ましいな」
その口調は称賛ではなく、明らかな揶揄だ。出雲はクロの首に腕を回して締め上げながら、クロが抵抗できないのをいいことに盾にする。人質、というか猫質のつもりらしい。
「使い古された台詞だが、こう言っておこうか……撃てるものなら撃ってみろ、と」
撃てるはずがないと決めつけた嘲笑を浮かべて出雲は桜子に迫る。
「さあ、撃ってみろ。なんなら撃ち方を教えてやろうか?」
「撃ち方くらい知ってるわ。調子に乗りやがって! 撃ってやる、撃ってやるわ!」
指を引き金にかけて、すっと目を眇めて狙いを定める。
「よく狙えよ。間違えたら、この猫の頭に風穴が開くのだからな」
その言葉が呪いのように響いて――手が震えた。
出雲を狙っている、狙っているはずなのに、銃口が小刻みに動いて定まらない。震えを抑えようとすると余計に手がガタガタと震えた。
クロの体が出雲に重なっている、確実に出雲を狙わなければクロに当たる。
銃なんて撃ったことがないのに、そんなに上手くいくのか? 失敗は許されない、それでも引き金が引けるのか?
撃たなければ、クロが危ない。だが、撃ったところで助けられるか怪しい。寧ろ、桜子がクロを傷つける結果になるかもしれない。
恐怖と、不安と、焦燥と、全部がぐちゃぐちゃに混じって、桜子の手を戒める。
ほんの少し、指先を動かすだけで運命が決まる。
「撃たないのか? 早く撃たねば、儂が先に此奴の首を絞め落とすぞ? まあ、それでも構わんがな……」
これ見よがしに出雲が腕に力を入れると、クロが苦しげに呻いた。
早く撃たないと、早く、早く――そう考えるほどに、体はどうしようもなく震える。
視界が歪む。
――泣いてる場合じゃない、やれ、私!
溢れかける涙を強引に拭い去り、銃を握り直す。
その瞬間、クロと目が合った。
金色の瞳が、桜子を励ますようにゆっくりと瞬きした。
「撃て、桜子……」
掠れた声でクロが告げる。
強がるように、にやりと笑う。
「……こいつが地獄に落ちるか、俺たちが仲良く二人で地獄に落ちるか、ギャンブルと行こうぜ」
酷く分の悪い賭けだ。
それでも、クロが覚悟を決めたのに、桜子が乗らないわけにはいかない。
「――撃つ!」
泣くな。泣くくらいなら、笑え。
出雲はどうせ撃てないと思って、あるいは、どうせ当たらないと思って高をくくっている。避ける気もない。格好の的だ。
迷いも泣き言も全部振り捨てて、桜子はトリガーを絞った。
弾丸は――――出なかった。
「……………………は!? 何で出ないのよッ!」
思わず手の中の銃に向かって喧嘩腰に叫ぶ。銃口を覗き込むという危険行為にまで及んでしまった。出雲は予想外の展開に目を丸くしている。そして、クロは小さく笑っている。
不意に、銀色の光が閃いた。
びゅうっ、と風を切る音。直後、出雲の右上腕に太刀が突き刺さった。
「何ぃっ……!?」
注意の外からの奇襲。振り返ると、いつの間にか紅月が立ち上がっている。出雲が桜子に注意を向けている隙に、紅月がクロの太刀を拾って投擲したのだ。
そして、クロはすかさず柄を掴み、そのまま刀を引き下ろして出雲の右腕を掻っ捌いた。
「ぐぁああ!」
悲鳴を上げて出雲が悶える。その隙に、クロは出雲の拘束を振りほどいた。
よろけながら出雲と距離を取り、桜子の傍に戻ってきたクロは、桜子の手から銃を取り上げて、
「一つ言い忘れていたんだが」
二秒で嘘だと解る前置きをしてから告げる。
「紅月の銃は、使用者が妖力を弾丸に変えて撃ち出す仕組みだから、お前じゃ撃てない」
「はぁ!?」
思わず怪我人だということを忘れてクロに掴みかかる。
「聞いてないわよそんなこと! あんた、弾が出ないって知ってたわね!? 返せ、私の決意を! 私の涙を!!」
襟首を掴んで揺さぶってやると、思いがけずクロがふらついたので、桜子はぱっと手を離す。当然だが顔色が悪い。
「少し吸ったか」
紅月がふらつく足取りで歩いてくる。
「お前の復活が無駄に遅いせいでな」
クロは拳銃を投げ返して、そのついでとばかりに嫌味を言う。
おそらく出雲に捕えられている間に痺れ薬を吸わされたのだろう。あの状況では、息を止めているにも限度がある。桜子と違って動けなくなるほどではないようだが、それでも万全とは言い難い。
桜子が不安げに見つめると、クロは微かに笑って桜子の肩を叩く。
「いい時間稼ぎだった」
桜子としては決着をつけようとしてのことだったので少々不本意だが、それでも、ほんの少しでも役に立てたことが嬉しかった。元を正せば桜子がお荷物だったのが拙かったのだが、その尻拭いくらいはできただろう。
「くそ……小賢しい獣が……!」
血がどくどくと流れる腕を押さえて、出雲が地を這うような声で呪詛を吐く。
「大人しく神の糧になればよいものを、つまらぬ抵抗をしおって!」
「黙って食われてやるわけがないでしょ、ばーか! 今時カニバリズムなんて時代錯誤もいいところだわ!」
「口の減らない巫女だ。鬼たちを統べる当主とは思えぬ……いや、お前、当主ではないな? 桜子、と呼ばれていたな」
「あ」
もう必要がないだろうと思って演技など忘れてしまったが、一応「葵」としてここに来ていたことを思い出す。だが、よくよく思い出してみるとクロは突入してきた時点から桜子を本当の名前で呼んでいるのだから、冷静になってみればバレバレなのだ。
「加えて、妖気を糧とする銃を撃てなかったということは……お前、鬼ですらないな?」
「鬼よ! ……一応……半分は」
後半にかけて自信が喪失していく発言に、出雲は鼻を鳴らす。
「お前を食っても意味がないということか……無駄な戦いをしてしまったものだ」
「何よ、降参するフラグでも立ててるわけ?」
「降参するのはそちらの方だろう。役立たずの小娘に、死にかけの獣が二匹。現鬼神に敵うとでも?」
「こっちには引けない理由があるのよ」
「儂は勝っても何の収穫もない、不毛な戦いだというのに、まだやるのか……今なら、本物の巫女を差し出せば、慈悲をかけてやってもいいのだが?」
「お断りよ、ばーか!」
即答して、舌を出す。
「ふん、汚らわしい小娘だ……汚らわしい猫に守られる巫女もまた、汚らわしいのは当然だが」
「んだと、もういっぺん言ってみろ老いぼれ!」
年頃の女子にあるまじき汚い言葉で叫んで飛び出していきそうになる桜子を、紅月がすかさずとりおさえて「どうどう」と落ち着かせる。
「神の御山に籠る儂でも、俗世の話くらいは知っている。汚らわしい金目の猫のこともな」
「言ってくれるじゃねえか、くそったれ」
不敵に笑いながら、クロは床に刀を突き立てる。
「月並みな台詞を言うがな、俺のことはともかく、俺の前で俺の主人を馬鹿にするとはいい度胸だ」
「何?」
「飼い主を愚弄するのは許さない。桜子を馬鹿にしていいのは俺だけだ」
「あんたも馬鹿にすんなよ!」
桜子のツッコミは無視して、クロは紅月を見遣って言う。
「紅月、桜子を連れて下がってろ」
最初と同じ台詞を繰り返したクロ。すると紅月は、なぜだか顔を引き攣らせた。
「まさかとは思うが……」
「察しがいいな」
「やめろ! 俺は面倒見切れないぞ!」
「お前の都合なんか知るか」
「くそっ、あとで覚えとけよ、ちっくしょう!」
紅月は猛反対したが、結局クロに押し切られた形だ。しかし、彼らが暗黙の了解のもとに行っていた会話の意味を、桜子は理解しかねて首を傾げる。
問いただす暇もなく、桜子は紅月に抱えられる。
「嬢ちゃん、逃げよう」
「え」
「こっちまで巻き添え食う」
紅月が桜子を抱き抱えて走り出す。桜子は紅月の肩越しに振り返る。みるみるうちに離れていくクロの背中、そしてクロに向かって突進する出雲。
紅月が本殿の扉を開け、半身を乗り出した瞬間、出雲がクロに向かって拳を振りかざし。
クロは、ぱちんと指を鳴らした。
直後、クロを中心に爆発が起こり、本殿が全壊した。




