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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
2 猫とすれ違う夏
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14 檻の中の姫君

 白い小袖に緋袴という巫女らしき装束を纏った女性が、小さな手で鉄格子を握りしめ桜子の方を見ていた。髪と瞳は緋色。年の頃は人間で言うところの二十歳前くらいに見える娘だった。

 蔵の中に鉄格子、その扉は南京錠で閉ざされている。その向こう側にいるということは、さっきまでの桜子がそうだったように、この娘は閉じ込められているということだ。

「あなたは、どなたですか。このあたりでは見かけない方ですが」

「いろいろあって鬼の連中から逃げてるしがない半妖よ。それより、あなたはどうしてこんなところに閉じ込められているの?」

 桜子が問うと、娘は哀しそうに目を伏せた。

「恋人に……とても酷い裏切りを受けて、閉じ込められてしまいました。もう三日も、このような場所で自由を奪われています」

「恋人に、裏切られた? 酷い、恋人があなたをこんなところに監禁しているの? さいってー、男の風上にも置けない野郎ね!」

 うら若き乙女をこんな薄汚い物置小屋みたいなところに閉じ込めるとは、いったい何を考えているのか。

「解ったわ、詳しい事情は解らないけど、出してあげる」

「え? ですが、あなたも逃げているところなのでは?」

「私もさっきまで閉じ込められてたから、まあ、閉じ込められ仲間のよしみよ」

 言いながら、どんなよしみだと内心ツッコんだが、細かいことは気にしない。

「ですが……ここには特殊な術がかけられていて、妖術で檻を破ることはできないのです。この不愉快な術さえかかっていなければ、私も鉄格子を壊して抜け出せるのですが」

「だいじょーぶ、私元々妖術とかからっきしだから。そんなのに頼らないでも、力ずくでこじ開けるわ。丁度、お誂え向きにスコップ持ってるし」

 頑張って持ち歩いていてよかった、と桜子は心から思う。

 脱出を阻む鉄格子は頑丈だし、南京錠もごつくて壊せそうにない、勿論そのへんに都合よく鍵が落ちていたりもしない。

 しかし、壁は違う。元々ただの蔵のような場所に鉄格子を入れて区切っただけの雑な造りだから、格子以外の三方の壁はぼろい木造だ。スコップで突き崩せる。

「器物損壊の現行犯だけど、まあ、緊急避難ということで勘弁してもらいましょ。さ、離れてて」

 娘は戸惑いながらも鉄格子から離れる。

 鉄格子と壁の境をじっと観察すると、左側には僅かに隙間があるようだ。そこから、スコップを突き刺して崩していく。

「ふっはっは! 耐震基準違反の木造建築め、ちょろいわ!!」

 ちょっとした破壊行動にハイになりながら、桜子はがつがつと壁をぶち壊していく。隙間が広がったところでスコップを深く突っ込んで、梃の要領でスコップの持ち手を引いてやると、壁がべりべりと破れて穴が開いた。

 時間にして五分ほどだっただろうか。運よく般若面の追っ手に見つかることなく、壁の破壊に成功した。

「ま、こんなもんでしょ。木が尖ってるから気を付けて」

 娘は桜子の器物損壊に面食らっていたが、やがて我に返ると、開いたばかりの穴から慎重に出てきた。

「ありがとうございます。……私は葵と申します」

「私は桜子。じゃあ、葵、とっとと逃げましょ」

 当然の提案をした桜子だったが、葵は首を横に振った。

「私には、やらなければならないことがあります。まずは青鬼家に行かなければ」

「青鬼家? あそこヤバいって、だって私、あそこから逃げてきたんだもの」

「青鬼家から? 私が閉じ込められている間に、いったい何が起きているのでしょう……」

「葵の方の事情はよく解んないけど、下手に動いたらまた捕まっちゃうんじゃない? やっぱり逃げた方が」

「いいえ。此度は不意を突かれましたが、もう同じ手は食いません。私にしたことを、あの方に後悔させて差し上げなくては……」

 どうやら葵は静かに、自分を裏切った恋人への復讐の炎を燃やしているようだ。表情には出さないが、心の中ではめらめらと大炎上しているらしい。

 しかし、青鬼家から逃げてきた桜子としては、あの場所に単身で乗り込もうという葵が心配でならなかった。

「他に仲間はいないの? 一人で突撃なんて危ないわ」

「心配してくださってありがとうございます。でも大丈夫です」

 葵はにっこりと微笑む。

「馬鹿力だけがウリの単細胞な殿方なんぞに後れを取る私ではありません」

 ――ん?

 お淑やかな女性かと思いきや、ちょっと語彙が汚くなってきたぞ、と桜子は思う。見た目はか弱い女性という感じだが、彼女もまがりなりにも妖怪、ガチで激弱な桜子と違って、見た目通りというわけではないということか。

 その時、外で轟音が響いた。

「っ! 何?」

 何かが派手に吹っ飛んでぶっ壊れたような、激しい音。こんな荒っぽい音の原因といえば、クロと忍の戦闘以外に思い当たらない。

 ――まさか、クロが?

 嫌な予感が頭をよぎり、桜子は少なからず動揺した。

「どうしました、桜子?」

 様子が変わった桜子を心配したらしく、葵が問うた。

「実は、私を逃がすために戦ってくれてる人がいて、人っていうか猫だけど、とにかくそいつが危ないかもしれない」

「まあ……!」

「ごめんなさい、葵。私、戻らないと。やっぱり置いて逃げるなんて無理」

「ですが、今起きているのは妖同士の戦いなのでは? 半妖のあなたが行ったら危険でしょう」

「……行っても、何もできないかもしれない。でも、何もできないからって、何もしないで逃げるのは、やっぱり違う気がする」

 春――あの時もそうだった。

 桜子は何もできなかった。助けられてばかりだった。

 だが、何もできないからといって、何もしないで投げ出したりはしなかった。

「……最近、私、あいつに助けられてばっかりだしね。たまには助けてやらなきゃ」

 そう強気に笑ってみせると、不安そうにしていた葵はふっと微笑んだ。

「解りました。ならば、やはり私も逃げるわけにはいきません。お互い、できることをいたしましょう」

「解った。葵、気を付けてね」

「桜子も、ご武運を。助けてくれて、ありがとうございました」

 葵に見送られ、桜子は駆けだした。

 何ができるか解らない。だが、やれるところまでやってやる。

 走り出すと、再び轟音。あの二人、相当派手にやらかしているらしい。はたして、押しているのはどちらなのか。桜子は音のする方へと走った。

 ――クロ、どうか無事でいて。

 そう祈りながら桜子は走る。別れた時点ですでに無事ではなかったのだが、あれ以上手傷を負っていなければいい、と願いながら走る。

 やがて、騒ぎの中心に辿り着く。息せき切って駆けつけると、誰の家だか知らないが、大きな屋敷を囲む白壁の塀が一部崩れている。大型トラックが突っ込んだみたいな有様である。だが、妖の世界に大型トラックなどない。いったい何があって壁が破壊されたのかと思って近づいてみて、桜子は息を呑んだ。

「クロっ!」

 崩れた瓦礫に凭れるようにしてクロが倒れている。白いシャツはぼろぼろに破けているし、頭からは血を流している。苦しげに唸っていたのが、桜子が名前を呼ぶとはっと顔を上げた。

「桜子……馬鹿、なんでこんなところに」

「なんでって、あんたがぼろっくそにやられてないか心配して戻って来たんじゃないの! なのに本当にぼろっくそにやられてるって、どういうことよっ」

 思わず駆け寄って体を起こすのに手を貸す。クロは珍しく素直に桜子の手に縋った。どうやら相当に苦戦しているらしい。

「……なんだ、逃げた魚が自分から戻ってくるとは好都合だ」

 不届きにも人のことを魚呼ばわりしながら歩いてきたのは忍である。金棒を肩に担いだ忍は、さすがにノーダメージというわけではないらしく、服はところどころ切り刻まれているし頭から出血もしている。しかし、それだけ手傷を負っているにもかかわらず、まだまだ余力がありそうな顔だ。タフネスにもほどがある。

 桜子はキッと忍を睨みつける。

「近寄らないで、このくそったれ」

「女のくせに言葉が汚いな」

「今まで女の扱いをしてこなかったクソ野郎が何言ってんのかしら。というか、『女のくせに』って完全に男女差別発言だからね、男女共同参画社会基本法に謝れ」

「悪いが、戯言に付き合ってやる暇はないんだ」

 忍は鬼薙丸の先を桜子に向ける。

「今戻ってくるなら出血大サービスで化け猫は見逃してやる。あくまでも逃げようってんなら、まずは猫を始末してからあんたをとっ捕まえる。一人で死ぬか二人で死ぬか、選びな」

「はっ、そんなボロ雑巾並みに使い古した典型的悪役の台詞、どこで覚えてきたのかしら。ねえ、知ってる? その手の台詞は死亡フラグよ」

「黙って選べ、半妖娘」

「半妖半妖って煩いわね! 馬鹿にしてんでしょ、何もできない半妖娘ってさ。ええ、そうよ。何もできないわよ。でも、だからって、力で屈服させれば服従してくれると思ったら大間違いよ」

 桜子は立ち上がり、唯一の武器、スコップを構える。

「半妖だって反抗するときはするのよ。あんたなんかこのスコップで充分、もぐら叩きの如く頭頂部を禿げるまで殴打してやるから覚悟し」

 ろ、と言い終わる前に、忍が軽く金棒を振るってスコップを破壊した。

「…………」

 刃先が欠けて柄だけになったスコップを眺め、桜子は頭を抱えた。

「武器がぁぁ! 私の貴重な武器がぁぁっ!」

 ほんの三十分くらいのことだが、苦楽を共にした愛用武器(盗品)をあっけなく破壊された桜子は喪失感に襲われた。

 後ろでクロが溜息をついた。

「お前の努力は認めるからどいてろ」

 呆れたような声と共に肩に手を掛けられる。桜子を下がらせたクロだが、明らかにふらついている。顔色は悪いし、白くて綺麗だった手が今はぼろぼろだ。

 こんなぼろぼろの猫に守られていていいのか、と桜子は自問する。

 答えは決まっている。

 一人で戦おうとするクロの手を掴んで引き留め、桜子は横に並ぶ。

「ボロ雑巾が偉そうなこと言ってんじゃないわよ。もう、逃げ隠れするばっかりじゃないんだから」

 ――武器なんかなくても、戦ってやる。

 覚悟を決めた半妖は、猫と共に鬼と相対した。

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