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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
1 猫に出会う春
3/104

3 俺様にゃんこの無茶振り

「おーい、起きてる?」

 しばらく呆然としていた桜子は、猫耳青年の声ではっと我に返った。桜子の顔を覗き込んでくる青年は、猫耳という異常な点を除けば、なかなか見目形の整った男だった。猫耳さえなければ。

「あ……ありがとう?」

「なんで疑問形なんだよ」

 とりあえず礼を言った桜子に、青年は愉快そうに吹き出した。

「ま、礼には及ばないさ。たいしたことはしてねーし」

 確かに、やったことと言えば高齢者虐待だな――とは言わなかった。

「まあ、仮に俺が来なくったって、あのばーさんは、ちっと行儀は悪いが、何も取って食ったりはしなかったろうさ。若い女の精気だけが目当てのばばあだ。そうだな……白髪が三本くらい増える程度の被害だ」

「地味に深刻!」

 十代で白髪三本は勘弁してほしい。

「……あなたは、誰?」

 後回しにしていた質問を、桜子はついに発した。あの老婆は普通じゃなかった。普通じゃない奴を追い払った彼もまた、普通ではないのだろう。猫耳だし。

「俺は通りすがりの猫さ」

「まあ、猫耳だしねぇ……」

 触ったら気持ちがよさそうな形のいい耳が、ひょこひょこと動いた。作り物ではないことがよく解った。

 桜子は警戒しつつ謎の青年を値踏みするように見遣る。青年は不敵な微笑みを浮かべていた。その薄紅の唇にも、その金色の瞳にも。

「……コスプレ男子、ってわけじゃなさそうよね」

「そうだな、耳は飾りじゃないぜ。俺は、猫は猫でも野良猫、そして化け猫だ」

 自称野良猫はにやりと笑った。ほんのり尖った八重歯が覗いた。

「化け猫……妖怪ってこと? 猫又とか、そういうの?」

「人が勝手に作った分類なんて知らないね。ただ、俺は猫の妖怪ってだけ。さっきのは、普通のばーさんに見えるけど実は妖怪」

 妖怪だなんだという話、普通なら信用しないだろう。だが、地面からにょきにょき生える恐ろしい腕や高齢者虐待シーンを見せつけられてしまえば、信じないわけにもいかない。あの恐怖の光景を見た後では、たいていのことでは驚かない。先刻のパニックから立ち直れた桜子は、自分でも驚くくらい冷静に化け猫と話をしていた。

「じゃあ……ここが異世界とつながっているって噂は本当だったの? このあたりの道の先は、妖怪の世界とつながっているってこと?」

「少し違う。妖の世界への入り口はその気になればどこにでも開くもんだ。たまーにあのばーさんみたいに、こっちに出てくる奴もいる。まあたいていの奴はあっちの世界にいて、人に干渉なんかしないもんだけどな」

「じゃあ、あなたはどうしてここにいるの」

 まるで桜子を助けるためだけに颯爽と現れた青年。猫耳という大問題はあるが、桜子は目の前の青年を信じてもいいような気がしていた。

「勿論、お前を助けるためさ」

 そんな素敵な言葉を紡がれて、桜子はどきりとした。窮地を救ってくれたイケメンにこんなことを言われたら、たいていの女子はコロッといくな、と思った。少女漫画だったら絶対オチたな、ちょろインだな。

「あんなばーさんに傷物にされてたまるかよ」

 どきどき。

「お前のことは、俺が――」

 心臓がばくばくする。顔も赤くなっている。こんな運命の出会いって、信じられる?

「――ぼろ雑巾になるまで利用してやる予定だし」

「……………………」

 イマ、ナンテイッタ?

 桜子は自分の耳を疑った。今、初対面の男にものすごい非道なことを言われた気がする。

 化け猫はにやにやと笑っている。

 桜子の「運命の出会いゲージ」が一瞬にしてマイナス方向に振りきれた。

 いくらイケメンで、白馬の王子様の如く駆けつけてくれたとしても。

 こんな台詞を吐かれたら、千年の恋も冷める。

 桜子の動揺など露知らず、化け猫青年は桜子の手を掴んでぐいぐい歩き出す。

「ちょ、ちょっとどこ行くの」

「勿論、妖の世界へご招待だ」

 そんなところ、誰が行くものか。そう思った桜子だったが、手を引っ張られてなし崩し的に一歩二歩と踏み出した途端、ぞわりと周りの空気が変わった気がした。

 瞬きを一回。

 そこはすでに、寂れた商店街ではなかった。

 等間隔で並ぶ電柱も、灰色のビルもアスファルトもない。代わりにあるのは、まだ灯りの灯っていない提灯と、背の低い瓦葺の店々と、がたがた気味の土の地面。そこらじゅうに溢れて賑わう人々は、人と呼んでいいのか迷う外見をしたものばかり。ある者は尻尾が生えているし、ある者は角が生えているといった具合だ。

「言ったろ、入り口はどこにでも開くんだって」

 ぱっと手を離した青年が白い歯を見せて笑った。

「逃げ場はないぜ、桜鬼」

 その笑顔が、悪魔のそれに見えたということは黙っていようと、桜子は心に決めた。



 いきなり妖の世界とかいうとんでもない場所に連れてこられた桜子は発狂しかけたが、化け猫青年が自分を取って食おうとしているわけではないらしいと感じると、できるだけ大人しくしていることにしよう、と決意した。ここから元の世界に帰る方法を、桜子は知らない。青年の機嫌を損ねたら終わりだと思った。もしかしたら、そのへんにいる人(?)をとっ捕まえれば、世界を渡る方法を教えてくれるかもしれないが、生憎、そのへんにいるのは、とっ捕まえるのにかなりの勇気がいる外見の方々ばかりだったのだ。それに比べると、猫耳という問題があるとはいえ、青年が一番人間に近い姿をしているようだった。

 人を助けると見せかけて悪の世界に引きずり込むという鬼畜外道に頼らなければならない現状は非常に腹立たしい。しかし、桜子には為す術がなかった。

 青年は桜子を連れて、近くの茶屋に入った。店員の姿に目を瞑れば、人の世界にも普通にありそうな、和風建築だ。二人は奥の座敷に通された。どんなダークマターが出てくるかと思えば、普通に団子と緑茶が出てきたので桜子は拍子抜けした。

 いやいやしかし、ばーさんに見えた奴がただのばーさんでなく、イケメンに見えた奴が性格ブスであるという世知辛い世の中だ、団子に見えるこの物体にも実はホウ酸が入っているかもしれないぞ、と桜子は警戒する。が、

「普通に団子だし、奢ってやるから食えよ」

 そう言って青年がもぐもぐし始めたので、桜子は溜息交じりに団子を齧った。普通においしい。

「お前にやってもらうことは簡単だ。生きて帰りたきゃ俺の言うとおりにしろ、桜鬼」

「その、桜鬼って何。私、そんな名前じゃないわ。桜子よ」

「ふーん。……桜鬼ってのは、妖の中でも最強と謳われた女の鬼だ。名を、緋桜といった」

 桜子ははっと目を瞠る。それは、母の名前だ。

 「鈴木」とか「花子」とかなら、「たまたま同じ名前なのだな」で済ませられるが、「緋桜」という珍しい名前を偶然の一致と片付けることは難しい。

「緋桜は……お母さんの名前よ。私が小さい時に亡くなったけれど」

 物心がつくかどうかくらいの年頃で、母とは死に別れた。以来、桜子は父一人に育てられた。

「ああ、らしいな。本当なら緋桜本人に用事があったんだが、死んじまってたから仕方がねえ。この際半分だけでも血を引いてる娘の方でもいいかってことで、お前に白羽の矢が立ったってわけ。よーするに、お前は桜鬼の末裔だ。妖の血を半分引いている」

「うそ……私、半分妖怪なの?」

 そんなことは、夢にも思わなかった。

 妖怪といえば、人間よりも力持ちだったり、速く走れたり、頭が良かったり、何かそういう特別な力を持っているイメージだ。しかし、桜子は、勉強は中の中だし、運動神経はそこそこいいがずば抜けて秀でているわけではない。千里眼も地獄耳も持っていないし、何から何まで普通の人間だ。最強の妖の血を引いているなど、俄には信じがたい。

「私、頭のてっぺんからつま先まで、もう、びっくりするぐらい普通なんだけど。半分妖怪なの? 信じられない」

「半分は人間だからな。今は人間の色が強く出ているんだろ。その気になれば妖怪の力を使えるだろうさ」

「別に、使いたくないけど」

「そのうち、いやでも使うしかなくなる。自分が桜鬼の末裔だってことを、知らしめるために」

「私に何をさせたいの」

「俺たち、化け猫の一族は今、化け狗の連中と対立してる。あんたには化け猫の陣営についてもらう。桜鬼が味方につけば、誰も逆らえなくなる」

「半分人間の女子高生に、そんな影響力なんて……」

「ある」

 化け猫は力強く断言した。

「桜鬼の名前には、それだけの力があるんだよ」

 そう言って、彼は桜鬼という妖について話を始めた。


 妖の世界はその昔、法も秩序も何もない世界だった。誰もかれもが好き勝手なことをする、何か揉め事があればすぐに暴力沙汰、力のない者は文句も言えない、そんな弱肉強食の世界だったという。

 妖たちは、同じ種族同士の結束は強いが、他種族に対してはだいたい喧嘩腰だった。顔を合わせれば反目しあい、種族間で仲良くすることなんて考えられなかったという。もし気に入らないことがあって、その相手が他種族だったら、間違いなく拳で問題を解決していた。そんな野蛮な日常が繰り広げられていた。力の弱い妖怪がいつも割を食っていた。

 そこに現れた秩序が、桜鬼だ。

 誰より美しく、誰より強い鬼・緋桜は、妖の世界を行脚し、数々の争いごとを調停して回ったという。

 ここまで聞いたあたりで、桜子が「水戸黄門みたいな?」とこぼしたら、黙って聞いていろと言わんばかりに睨まれた。

 桜鬼は、体のつくりがちょっと違うからって争うのは馬鹿馬鹿しいと説いた。猫だろうが狗だろうが、妖は妖だ、つまらないことで差別しないで、まずは仲良くしてみろと。

 問題を力で解決するのはやめろと命じた。言葉という便利な道具を持っているのに何でもかんでも暴力で済ませるのは野蛮人のやり方だと。

 桜鬼は、妖たちに公平な裁きを与え、和解させていった。そのうち妖たちは、何か問題が起こると桜鬼に頼るようになり、桜鬼はそれに応えた。桜鬼は勧善懲悪の理念を押し通すだけの力も持っていた。理不尽な行いをする不埒な輩に対しては、容赦のない鉄拳制裁を加えた。力のある妖は、力に任せて悪行を働くことをやめた。桜鬼の目が黒いうちは、そんなことはできないと悟ったのだ。

 そうして、妖の世界は次第に秩序を持った美しい世界になっていった。長い時間をかけて、種族など関係なく、妖たちが助け合い生きていく世界に。

 しかし、世界が順調に変わって行ったある日。

 桜鬼は、妖の世から姿を消した。

「一年経っても、二年経っても桜鬼は現れない。桜鬼が築いたものの素晴らしさを解っている連中は、桜鬼が来なくなったからって、昔みたいに戻りはしなかった。だけど、中には、桜鬼さえいないなら何をやってもいいと思う野蛮な妖もいる。そういう奴らは、力に任せて横暴をやっている。そういう奴らを、桜鬼に代わって懲らしめる組織もできた」

「自警団ってことね」

「だけど、やっぱり桜鬼という抑止力がなくなったの影響は大きかった。種族間での対立が、起こりやすくなった。俺たち妖は、最終的には利己的な存在だ。公平な審判ってのができないもんだ」

「それで、あなたたち猫と、狗も、今まさに対立してるのよね」

「そうだ。……桜鬼ってのは俺たちにとって絶対的な存在だ。桜鬼の言うことは正しい。桜鬼はもういない、だが、桜鬼の末裔であるお前が現れた。お前がその血を証明し、俺たちの勝利を告げれば、それが真実になる。さあ、解ったか、お前がやるべきことを」

 つまり、この男はこう言っているのだ。

 母の権威を盾にインチキの審判を下せと。

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