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俺様にゃんこの躾け方  作者: 黒いの
2 猫とすれ違う夏
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12 第一声は苦情から

 夢でも見ているのかもしれない、と桜子は思う。

 ずっと会えなかった黒猫が、こんなピンチの時に、白馬の王子様の如くに華麗に駆け付けて、王子様にあるまじき品のない言葉を吐き捨ててくれるなんて、都合が良すぎて夢かと疑ってしまう。どうせ夢なら、不届きな鬼に拉致られたあたりから全部夢ならいいのだが、幸か不幸か、最初から最後まで全部夢ではなく、現実だ。

 桜子を庇うように、鬼たちの前に立ちはだかってくれた背中も現実だ。手を伸ばせば触れられるところにいる。桜子は思わず手を伸ばしかけて、しかし、すんでところで思いとどまり、その代わりに、言いたかった言葉が堰を切って溢れだした。

「遅っせええええ!!」

「はぁ!?」

 桜子の心からの苦情に、クロは思わずといった風に振り返って納得いかなそうな顔をした。折角格好よく登場したのにその扱いはないだろ、とでも言いたげだが、桜子はかまわずまくしたてる。

「遅い遅い遅い! 信じられないこの遅さ! なんなわけあんた! 人のこと拉致って散々巻き込んでくれたくせにテキトーなノリで元の世界に追い返したと思ったら四か月も音信不通ってどういうこと!? 人を脅迫して協力させたくせにアフターフォローもナシってありえないんだけど! 今更どのツラ下げて出てきやがったこのクソ馬鹿猫がッ!!」

「てっめぇ、助けてもらっといて開口一番その言い草とか、そっちのほうがありえねえだろうが! 素直に礼くらい言えねえのかこの恩知らず!」

「頼んでないし! 助けてなんて誰が頼んだのよ、余計なお世話よばかばかばーか!」

「強がってんじゃねえよ、俺が助けなかったらどうなってたと思ってやがる!」

「頼んでない、助けてなんて言ってない! 私はッ……」

 そこで言葉を切ると、クロが少し怯んだように目を見開く。思いがけず潤んでしまった瞳に、クロは驚いているのだろう。こんなところで泣くのは卑怯な気もする、だが、勝手に泣けてきてしまうのだからどうしようもない。

「私は、会いに来てって頼んだのに……会いたいって言ったのに! なんで今更助けになんか来るの……?」

 桜子の剣幕に、そして突然の涙に、鬼たちは手を出しあぐねていた。それをいいことに、桜子は更に言い募る。

「ちゃんと話もできないまま追い返されて、連絡もくれないで……そんなのって酷いじゃない。たった三日、ほんの短い間だったけど、いろいろあったじゃない。拉致られて、上から目線で命令されて、協力して、同じ屋根の下で寝て、喧嘩して、助けられて、泣いて、仲直りして……たった三日だったけど、たった三日でこれだけいろいろあった人なんて、他にいないよ。だから、私はクロのこと、友達だと思ってた。忘れられないと思ってた。なのに、あなたは私を追い払った。私が思ってたことは全部、私の一方通行だったの? あなたにとって私は、友達でもなんでもなくて、すぐ忘れられる奴だった? 用が済んだらそれでオシマイ? じゃあなんで助けに来たの? ……あなたは私のこと、どう思ってるの」

 零れる涙を拭って、じっとクロを見つめる。クロは戸惑いの表情を見せたが、目を逸らそうとはしなかった。

 長い沈黙の後、クロは観念したように口を開いた。

「それは……」

「うおおおおっ!」

 その時、空気の読めない般若面の一人が背後からクロに襲いかかった。

「クロ!」

 それに気づいた桜子が声を上げるが、それより早くクロは振り返り、般若面が振り下ろした竹槍を手刀で打ち払い、丸腰になった男の鳩尾に蹴りを入れて吹っ飛ばした。

 タイミング悪く台詞を中断されたクロはこほんと咳払いをして桜子に向き直る。

「ええと、俺はだな、」

「隙ありっ!」

 するとまたしても空気を読む気のない鬼が、槍でクロを突こうとする。クロはちっと舌打ちして、振り返りざまに鬼の横っ面に踵をぶち込んで黙らせる。

 今度こそ、と決意を固めた様子のクロが「実は」と切り出した瞬間、お約束の如く他の鬼たちが一斉に飛びかかってきたところで、クロもいい加減キレた。

「てめぇらちっとは空気読みやがれッ!!」

 こんな調子じゃ落ち着いて話もできないと悟って、クロは潔く般若面掃討を先に済ませることにしたようだ。

 クロの爪がナイフのようにぎらりと鋭く伸び、振り下ろされる竹槍を細切れにする。得物を失くし怯んだ般若面には容赦のない蹴りをお見舞いし、ばったばったと薙ぎ倒す。十五人はいた般若衆を、クロはものの一分ほどで伸してしまった。

 かなりの覚悟で心情を吐露したというのに、返事そっちのけで大立ち回りをおっぱじめられたものだから、桜子はげんなりしてしまった。

 雰囲気ぶち壊し、台無しだわ――涙も当然引っ込んだ。

 抗議の意を込めてじとりとクロを見ると、クロは苦々しげな顔で溜息をついた。

「不可抗力だ、怒るな」

「怒ってませーん」

 完全なる棒読みである。

 今度こそ、とクロが口を開きかけた時、こいつらはただ嫌がらせがしたいだけなのではと疑いたくなるようなタイミングで声が割り込んできた。

「空気を読むのはあんただっつの。いったいどこから湧いてきやがった」

 呆れと疲れを滲ませた声で愚痴りながらやってきたのは、般若面たちの親玉、忍である。

 忍はクロの後ろに立つ桜子と目を合わせるとにやっと笑った。

「逃げ出したと思ったら往来で痴話喧嘩とは、呑気だな」

「はぁ!? どのへんが痴話喧嘩よ! あんたの耳おかしいんじゃないの!」

「私のことどう思ってるの、なんて完全に倦怠期のカップルじゃねえか」

「ちょっとどっから聞いてたのよこのクソ鬼野郎!」

「いや、痴話喧嘩ってかむしろ告白か。恥ずかしい奴だ」

「いい加減黙らないと剥ぐわよ!」

「おお怖い怖い……っと」

 完全にからかい調子だった忍だが、隙だらけに見えるが油断はしていないらしく、クロが落ちていた槍の残骸を投げつけると紙一重で躱してみせた。忍はクロを見遣ると好戦的な目をした。

「恥ずかしい奴はお前だ。真昼間から女のケツ追い回してんじゃねえ」

「ちょっとやめてその言い方!」

 忍より先に、「ケツを追い回されている女」扱いされた桜子が抗議する。断じてそんな浮ついた話ではない。こっちはガチで命からがら逃げ出したのに、と文句を付けようとしたが、命からがらの割には「逃げ出したと思ったら往来で痴話喧嘩」と馬鹿にされるようなことをしていたのを思い出して口を噤んだ。

「でさ、姫さんの告白もどきの顛末はともかく、あんたが結局のところ何者なのかってのは、俺も興味あるんだよな。こっちは郷の一大事で、その姫さんに用があるっていうのに、いきなり現れた野郎が邪魔しやがるってのは面白くねえんだ」

「そいつはよかった。俺は人の不幸を見てはせせら笑い、問題に首を突っ込んでは引っ掻き回して事態を悪化させるのが得意なんだ」

「あんたの正体には見当がついてるぜ。黒の猫耳に金色の瞳っていえば、野牙里の郷で村八分にされてる野良猫のことだってのは有名だからな。問題は、そんなあんたが、なんで桜鬼に肩入れするのかってこと……あんた、桜鬼の、何だ?」

 忍は、奇しくも桜子と同じ問いを発した。

 彼は何と答えるのだろうか。桜子が不安でいっぱいの視線をその背に向けていることに、クロは気づいているだろうか。

 クロの顔は、桜子からは見えない。

 だが、ふっと微かに漏れた吐息の音が耳に届き、クロが不敵に微笑んだのが解った。

「野良猫じゃねーよ」

「何?」

「――俺は飼い猫だ。ご主人サマの元に駆け付けて何が悪い」

 桜子は小さく息を呑む。

 こんな生意気で上から目線でご主人様に噛みつきまくりの俺様にゃんこのどのへんが飼い猫だよ、とか。

 今まで散々放置しといて今更調子のいいこと言っちゃって、とか。

 いろいろと言いたいことは思いついた。だが、そのどれも、心の中にそっと仕舞った。

 ――今は、これだけでいい。

 心が離れていなかった、他人だと思われていたのではなかった、桜子の一方通行ではなかった――それが解っただけで、今は充分だった。

 不安でいっぱいだった心が、今は不思議と、安堵感に満ちている。

 たった一言で安心してしまうなんて、安いだろうか? だが、そのたった一言を嬉しいと思ってしまった気持ちは、もうどうしようもないのだ。

 今なら素直に言えそうな気がして、桜子はそっと告げた。

「……来てくれて、ありがとう」

「ん、よくできました」

「調子乗んな」

 いつもの調子が出てきたところでツッコミを入れる。そのやり取りを一通り見ていた忍は、乾いた笑いを浮かべた。

「成程、よーく解った。要するに、あんたら、大人しくしてくれる気はゼロなわけだな。徹底的に邪魔してやろうってことだな。そっちがその気なら――俺も容赦しねえぜ」

 ぞくりと、背筋を震え上がらせる低い声。

 徐に忍が右手を上げる。すると、その手に青い光が収束していった。

 その光景には、覚えがある。似たようなものを見たことがある。クロが、妖刀を手にした時に、よく似ている。

 やがて光が散ると、忍は得物を手にしている。黒光りして、見るからに固く重そうなそれを見て、クロは僅かに声を上擦らせた。

「そいつが……お前の妖刀か」

「妖刀!?」

 桜子は忍の「妖刀」を見て目を剥いた。

「妖刀ってか……あれ刀じゃないよね? 完全に金棒だよね?」

 そう、忍が持っていたのは、どこからどうみても、金棒である。黒くて、でかくて、痛そうなとげとげがついている。絵本の中で鬼が持っているような、「いかにも」といった感じの金棒。

「インチキじゃん、刀じゃないじゃん!」

「『妖刀』ってのは、妖怪が妖力で生み出した武器全般を指す俗称みたいなもんで、別に形が刀って決まってるわけじゃないぞ」

 と懇切丁寧に説明してくれたクロだが、その声は珍しく動揺を滲ませているように聞こえた。

 忍は身の丈ほどもある金砕棒を、実に軽々と肩に担いでいる。この場合考えられるのは、いかにも重そうに見える得物が実は見せかけだけのものであるか、忍が規格外の怪力かのどちらかである。忍が妖怪であり、妖刀がそもそも強い妖怪しか持つことのできない代物であることを鑑みれば、答えはどう考えても後者に決まっている。

「あー、桜子、非常に言いにくいことなんだが」

「何よ」

「負けても恨まないでくれ」

「はぁ!?」

 かっこつけて登場しといてそりゃないんじゃない?

 だが、そんな文句も言えなくなるほど、クロの不敵な横顔は、ひっそりと冷や汗をかいていた。

 もしかして、ガチでヤバい相手かも――桜子は、厄介すぎる相手を敵に回したのだと、ようやく思い知った。

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