11 逃げ出した先で
変なところで寝たせいで肩が凝った。処刑二日前にしては能天気なことを考えながら桜子は目を覚ます。鉄格子の向こうを見遣ると、寝る前まではいた忍の姿が、今はない。見張りはどうした、とツッコミを入れつつ、大きく伸びをする。
「今何時かしら……」
明後日には桜子は現鬼神に食われることになっている。それまでに急いで脱出しなければならない身としては、ここからは時間との戦いだ。さしあたって今が何時かが重要なのだが、桜子がつけていた安物の腕時計は防水機能がついていなかったため、本日未明の水没で壊れてしまった。
――生き延びたら制服と一緒に時計も弁償させよう。
密かな決意を胸に、桜子が次に探したのは鞄だ。中に入っている携帯電話の充電は、まだ切れていないはずだ。
ところが、困ったことに座敷牢の中に鞄は放り込まれていない。逃げられないように、余計なものは与えないでおくつもりかもしれない。
「まさか捨てちゃいないでしょうね……」
心配して牢の中をうろうろしていると、蔵の戸が開けられた。
般若面をかぶった男が膳を運んできた。
「食事だ」
男はそっけなく告げると、檻の小窓から膳を差し入れるとすぐさま踵を返す。桜子は慌てて背中に声をかける。
「ねえ、私の鞄は」
般若男は立ち止まり肩越しに振り返る。が、すぐに前を向いて、何も言わずに蔵を出て行った。
「ねえ無視? 感じ悪いわね!」
分厚い戸が閉じられてしまっては聞こえないだろうが、一応詰っておく。
本日の食事も肉魚ナシの質素な膳で、「肉を寄越せ肉を」とぶつぶつ言いながら、脱出について考えを巡らせる。
目下、桜子の逃亡を阻んでいるのは、鉄格子と蔵の戸。一見すると二重密室みたいなことになっているが、今、般若面の男が入ってくる時、鍵をがちゃがちゃと開けるような音は聞こえなかったし、出ていくときも施錠している様子はなかった。おそらく、鉄格子が厳重に施錠されているからと思って、この建物の戸のほうは鍵を掛けていないのだ。
つまり、この鉄格子を突破すれば逃げられる。
「……って、それが無理ゲーだから扉の警備がヌルいんじゃん」
鉄格子には大きな南京錠が取り付けられている。中からこじ開けられる代物ではなさそうだ。桜子はちっと舌打ちし、苛立ちのあまり、箸をぶすっとご飯にぶっ刺した。
直後、
「はっ……今、天啓が」
邪悪なひらめきが脳裏を掠めた。
「今に見てろクソ鬼共め……あんたらみたいな能力がない分、こっちは知恵をフル稼働してんだからさ!」
時計がないので確かなことは解らないが、だいたい一時間くらい経ったころ、般若面の男が再び蔵の中に入ってきた。桜子の予想した通りだ。
「食事は終わったか。膳を回収する」
「その前に、お手洗いに行きたいのだけれど」
桜子がそう申し出ると、その質問は想定内だったのか、男は黙って牢の中のある一点を指した。訝しげに振り返ると、そこに置いてあったのは壺である。その意味を測りかねて、右へ首を傾げ、左へ首を傾げ、一往復したところで気づいて目を剥いた。
「あれに!? やれと!?」
般若男は黙って頷いた。
「冗っ談じゃないわよ!!」
予想外に容赦のない対応に、桜子は予定にないことをまくしたてる。
「花も恥じらうお年頃のうら若き女子高生に、よりによって壺? ウォシュレットと暖房便座と擬音装置までワンセットが女子用通常装備だろうが! こんな小汚い壺は鈍器としての用途以外期待できないんだから壺でその頭カチ割られたくなかったらレストルームまで連れてけよッ」
言いながら、なぜ花も恥じらうお年頃のうら若き女子高生がトイレについて熱弁しているのだろう、と思って頭が痛くなってきた。
桜子の気迫に押されたのか、般若男は返答に窮していた。桜子は頭痛に耐えながら畳みかける。
「あなただったらできるの、中からは施錠できないのに外からは開閉自由なクソみたいな部屋に閉じ込められて、いつ誰がずかずか進入してくるかも解らないところで、後始末も満足にできないような不遇の状況でその貧相なケツを出せるのか」
「それが花も恥じらうお年頃のうら若き女子が言う台詞か!」
「ああ、そう、できるのね。そうか、そうか、そういえばあなたの上司の忍も、人の裸を見るような変態だものね、裸は見るのも見せるのもオールオッケーなのが鬼なのね、覚えておくわよ」
「し、忍様が裸を!?」
「言いふらしてやるからね、青鬼家当主は変態だって言いふらしてやるからね」
「待て、落ち着け、そんな不名誉なことは断じて言いふらすな!」
「遺書に書いてやるからな、私が生きるのを諦めたのは忍のせいですって遺書に書いてやるから、あなた、責任もって公開しなさいよね、隠滅したら末代まで呪うからね」
「頼むから落ち着いてくれ、話がどんどんおかしな方向に!」
おそらく面の下では慌てふためいていることだろう。男は解りやすいくらい混乱した。
「……で、お手洗いなんだけれど」
「…………大人しくしてろよ?」
どうせなにもできないだろう、という打算があるのは、解っている。
自分は鬼で、相手は何の力もない半妖――そんな油断があるから、こんな馬鹿みたいな甘いことをする。
自分で誘導したとはいえ、呆れたものだな、と桜子は思う。
般若男は躊躇いながら鉄格子の錠を外した。開かれた檻を出て、その解放感に思わず伸びをする。
「おい、早く歩け。さっさと済ませるぞ」
「はいはい、解ってるわよ――」
そう言いながら、せっつく般若男に、桜子は足払いを仕掛けた。
「!?」
完全に油断していた鬼を綺麗にすっころばせ、桜子はすかさずマウントを取る。
「一応言っておくと、私、保健体育は得意なの。とはいっても、面倒くさいから格闘技系の選択科目は尽くスルーしてるんだけど、でも、なぜか足払いだけは修得してあるの。やっぱり女子として、不審者対策の一つや二つは持ってないとね」
「お、お前っ」
何か言おうとする男に向かって桜子はにっこり笑う。
「それと、捕虜の食事にお箸を出したら駄目でしょう」
そう言って、袖の中に隠していた箸を取り出し、狙いを定めてしっかり握りしめる。
「ほら、喉と眼球、どっちがいいか選ばせてあげるから三秒で決めなさい」
直後、般若面の下でひっと引き攣れた悲鳴が上がった。
「なーんて、そんな危ないことするわけないでしょうが。私をどんだけクレイジーな奴だと思ってんのよ」
呆れながら、桜子は男の顔から般若面を剥ぎ取った。結局、桜子の脅迫に情けなくも硬直してしまった男の急所を蹴り上げ失神させて、ついでに身ぐるみも剥ぎ取った。いい年をした男を半裸に剥いて放置するのは気が引けたが、もともとこの男の服と面に用があったのだから仕方がない。
男の着物を上に羽織り、お面で顔を隠す。変装完了。これで、蔵から堂々と出て行ける。
忍が相手ならこうはいかなかっただろう。食事係が下っ端の鬼だったのは僥倖だ。
「よし、こいつが起きないうちにとっとと脱出よ」
言うが早いか、桜子は蔵の戸を開けて堂々と脱獄した。
まではよかったのだが、早速障害にぶち当たった。
蔵を出て庭を少し歩いたところで、運悪く前方から忍が歩いてくるのが見えたのだ。この進行方向からすると、忍は座敷牢に見回りにでも行くのだろう。最悪のタイミングだ。このままいけば、忍と鉢合わせる。
桜子は不自然にならないよう歩きながら逡巡する。ここで方向転換するのは怪しすぎる。開き直ってすれ違うべきだろうか。だが、すれ違う時はどうすればいい。部下は忍に挨拶でもするのだろうか。だが、声を出せば仮面の下が桜子だと即ばれる。かといって、黙って通り過ぎるのも怪しい気がする。
どうしようどうしようと考えているうちに、すぐ目の前まで忍がやってきた。忍はひとまず、桜子を捕まえようとはしない。まだばれていないようだ。
考えた末に、桜子は結局、黙って脇を素通りすることにした。
心臓が高鳴る。どきどきと緊張しながら、しかし、それを表に出さないように、忍とすれ違う。
一歩、二歩、と忍は遠ざかる。
なんとか切り抜けた――桜子は足を早めた。
瞬間、
「おい」
「!」
忍が立ち止まって声を上げた。この声の調子からすると、完全に呼ばれてるのは桜子だ。
まさか、ばれた? こんなあっさりと?
「よく考えた、と言いたいところだが、うちの者にこんなちんちくりんはいないんだ」
「誰がちんちくりんだッ!」
思わずぶち切れて般若面を放り投げる。忍は振り返りざまに面を叩き落して嘲笑を浮かべた。
――ちっくしょう、よりによって背の低さでばれるなんて! つーかこいつもちんちくりん呼ばわりかい!
会う奴会う奴、示し合わせたかのように桜子をちんちくりんと呼ぶ。女子としてはそんなに低い方ではないはずなのだ、妖怪連中の発育が良すぎるのだ。
「思ったより行動力があるな。とんだじゃじゃ馬だ。次はしっかり手綱をつけておかないとな」
「次なんかないわよばーか!」
言いながら、桜子は着物の裾を破る。深くスリットの入った着物は、走るのに都合がよくなった。
「そう何度も捕まってたまるか!」
あとは言わずもがなの全力疾走。後ろで忍の呆れた調子の声が響いた。
「般若衆、桜鬼を捕まえろ」
すると、どこからともなくぞろぞろと、般若の面をかぶった鬼たちが出動してきた。やたらと広い屋敷だと思ったら、こんなに大勢の部下が詰めていたのか、と桜子は舌打ちする。
わらわらと、本物の鬼が追いかけてくる鬼ごっこ。笑えない。
しかも鬼たちは松明ではなく竹槍を手にしている。少々痛めつけてでも連れ帰る気満々である。
「あんなので叩かれたら絶対痛いじゃん! 女子に向ける得物じゃないでしょ、くたばれド鬼畜共!」
呪詛を吐き散らしながら桜子は全力疾走で逃げる。ちらりと肩越しに振り返ると、鬼たちもどたばたと追いかけてくる。相手は男だし、妖怪だ。走るスピードでは敵うわけがないからそのうち追いつかれる。いっそ走るのはやめて、そのへんに隠れてやり過ごす方がいいだろうか、と往来を走り抜けながら点在する民家を見遣る。いい隠れ場所はないだろうかと吟味してみるが、はたと気づく。妖怪の種族間の結束は強い。青鬼家でなくとも鬼は鬼、全員協力関係にあると見た方がいい。民家なんかに転がり込んだら家主にとっ捕まって差し出されるのがオチではないか。
この鬼の郷には、逃げる場所も隠れる場所もない。郷から逃げ出さなければ命はないのだ。
しかし、どこまで走ればこの郷の果てに辿り着けるのか、桜子には見当もつかなかった。
「逃がすか!」
鬼が叫んで槍を振るう。長い槍がびしりと脚を打ち、予想以上の激痛に桜子は前のめりに転倒する。すぐさま立ち上がろうとするが、それを阻むように首筋に槍を突きつけられて硬直する。
「屋敷に戻れ」
追いついてきた般若面の男に腕を掴まれ強引に立たされる。二度も脱走した面倒な生贄に容赦する必要はないと考えているらしく、男の力は振りほどけないほどに強く、扱いは乱暴だった。
「痛い! 離せ馬鹿!」
「煩い、大人しくしろ!」
「殺されると解ってて大人しくしてられるアホがいるかッ!」
キレる相手に桜子もキレて、必殺の右手(グー)が般若面をぶん殴り叩き割る。男は怯み、拘束が緩む。その隙に逃れた必殺の左手(チョキ)を、面が外れて露わになった男の鼻にぶっ刺した。
「ぐぅぅ!」
「ざまあみろばーか! 私に近づいたら鼻から出血させた挙句醜い顔を鏡に映して悶絶させてやるからな!」
「いい加減にしろ!」
鼻を押さえて悶える男を押しのけ、別の般若面が叫びながら得物を振り下ろした。
桜子は両腕で頭を庇う――だが、腕でガードする前に、大きな手が槍を受け止めた。
「っ!」
桜子も般若面たちもそろって驚いた。
桜子の後ろから伸びてきている闖入者の長い腕――その手は槍を力任せに般若面から奪い取って投げ捨て、呆然としている男の顎を蹴り上げた。
「がっ……!」
大の大人が軽々跳ね飛ばされ、背中から地面に落ちて沈黙する。
思わぬ強敵の登場に、般若面たちは慄き、僅かに後退って警戒を露わにする。桜子を庇うように前に出て、鬼たちと相対する妖――その見覚えのある背中が映り、そして聞き覚えのある声が響いた。
「――どけ、生ゴミ共」
そう告げる、黒猫が一匹、そこにいた。




