10 鬼の所業
屋敷に連れ戻された桜子が放り込まれたのは、座敷、ではなく、座敷牢。外から見たらただの蔵かと思ったら、中に入ってみれば部屋の真ん中を鉄格子が分断しているのだから笑えない。何も知らないうちは好待遇だったが、今では脱走防止用に鉄格子で閉ざされた狭苦しい部屋にぶち込まれてしまった。窓もない牢には、鉄格子の外側に提灯が一つだけで、非常に薄暗い。
「そこで大人しくしてろ。それから、こいつは武士の情けだ」
そう言って、忍は格子の隙間から着物を寄越した。桜子は風邪をひきたくないし、忍としても二日後の鬼貴降に出すために桜子の体調には気を遣っているらしい。利害の一致だ。
桜子が大人しく着物を受け取ると、忍は律儀に背を向けた。一応、女の扱いはしてもらえるらしい。欲を言うなら部屋から出て行ってほしかったところだが、見張りをしないわけにもいかないのだろう。
濡れた制服を脱ぎ散らしながら、桜子は忍の背中に問う。
「で、結局、鬼貴降ってなんなわけ。本当は私に何をさせたいの。今までの説明は全部嘘っぱちだったんでしょ?」
隠しておく必要はもうないと判断したのか、忍は背を向けたまま語り出す。
「霊鬼山の社で、現鬼神と共に行う儀式ってところまでは本当だ。実際に行われるのは、巫女と現鬼神との婚礼の儀式だ」
「…………は?」
「結婚だ、結婚。言ったろ、ある意味墓場だって」
「いや確かに結婚は人生の墓場だけど! はぁ!? 結婚!? 私まだ結婚できる歳じゃ、」
言いかけて、そう言えばもう十六歳だっけ、もうすぐ十七だっけと思い出して口を噤む。
「詳しく説明すると長くなるが……古来より、社には紫鬼家という、高貴な鬼の血、現鬼神の血を引く一族が住んでいる。山の麓に住んでる俺たち普通の鬼は、紫鬼家に従属する立場だ」
将軍と御家人みたいな感じかな、と桜子は適当に咀嚼する。
「元々、ここら一体の土地を所有していたのは紫鬼家だ。他の鬼連中は土地やら資源やらを紫鬼家に恵んで貰ってるってわけだ。加えて、紫鬼家は特殊な妖術によって宝物を生み出す。鬼津那の郷が困窮したときは、紫鬼家から賜った宝物を売って生活を維持する。その代わり、俺たちは紫鬼家に何か問題が起きた時は駆けつけるって寸法だ」
「御恩と奉公みたいなものね」
「鬼貴降ってのは、この関係を維持するための儀式だ。この先百年も、どうか郷の鬼をよろしくお願いしますって願って、郷の巫女を一人嫁に出す。生まれた子どもは次の紫鬼家当主となる。巫女は高貴な鬼の子を産めるし、二人以上の子が生まれた時は、後継者にならなかった方は郷に戻ってくるから郷に紫鬼家の貴い血を入れることができる、いいこと尽くしの儀式。……ってのが表向きの話だが、実際は体のいい人質だ」
脈々と高貴な血を受け継いでいる現鬼神の家系、紫鬼家だが、その人数はかなり少なく、郷の鬼たちの勢力の方が上回っているという。つまり、「高貴な血なんか知ったこっちゃねえ」「持ってる土地も資源も奪っちまえ」と考える輩が出てくれば、即反乱になるのだ。ゆえに、紫鬼家は反乱を恐れ、それを防止するための策を用意しているのだ。
「人質を差し出している以上、郷の鬼は紫鬼家に従うしかないってわけだ」
「でも、そこまでして紫鬼家がこの関係を維持する必要ってあるのかしら。話を聞いた限りじゃ、郷の鬼はいろいろと恵んで貰ってるけど、紫鬼家は郷の鬼に、あまりしてもらうことがないと思うのだけれど」
「それは、桜鬼のなしたことのおかげだ」
「あっ……」
昔は、妖たちの間では、特に他種族間の間では争い事がたくさんあったのだ。紫鬼家は、他の郷の妖怪が侵攻してくることを恐れた。ゆえに、その時に自分を守って戦ってくれる者を確保していたのだ。
「桜鬼のおかげで、妖の世はだいぶ安定した。桜鬼が消えてからは少々種族間の小競り合いが起こっているようだが、それでも、大きな勢力がこの郷に侵攻してくるような事態は、今ではほとんど考えられない。紫鬼家はもはや、郷の鬼たちの忠誠など必要としていないはずなのだ。それなのに、鬼貴降は今回も行われることになった。今までも、鬼貴降が中止された例はない。もうメリットはないはずなのに、未だに紫鬼家が関係維持に執着する理由は何なのか、俺たちは密かに調べた」
後ろを向いているため、忍の顔は見えない。だが、忍が怒りを耐えるような表情をしているような気がした。
「紫鬼家は関係の維持など求めていない。紫鬼家はただ、鬼の巫女を欲しているだけなのだ」
「どういうこと?」
「最近の……最近と言っても、鬼貴降は百年に一度だから、あんたにとっては最近ではないだろうが……ここ数回の鬼貴降で嫁入りした巫女について調査した。俺が当主になる前のものについても調べてみたが……最近の鬼貴降では、生まれた子どもが郷に降りてきていない。後継者以外の子どもは郷に降ろされるはずなのにだ」
「それは……子どもが一人しか生まれなかったとか、長子が病気かなにかで早逝したから二人目の子どもが後継者になったとか、いろいろ考えられるんじゃない?」
「鬼の子は人間と違って頑丈だ、そうそう早死にはしない。それに、後継者になれるのは基本的に男だけ、女の鬼の子は、紫鬼家には用がないからすぐに降ろされるはずだ。今まで一度も女が生まれなかったとでも?」
「じゃあ、どういうことなの」
「もう一つ……最近の鬼貴降で嫁に行った巫女の鬼とは、以来音信不通だ。かつては巫女からも文が届くことがあったのに、最近では一度もない。郷の者で、姿を見た者もいない」
なにやら不穏な予感がして、桜子は息を呑む。
子どもが生まれた形勢がない。
嫁に行った鬼と連絡を取れず、姿も見ていない。
それは、つまり……。
「鬼の心臓を食らえば、百年寿命が延びると言われている」
「……!」
その言葉がトドメだった。おそらく忍にとっても、その最悪の可能性は、疑う余地がないのだろう。
「紫鬼家は鬼貴降の儀式を利用して、鬼の娘を食らっている」
「やっぱり、そういうこと……」
忍が桜子を騙して鬼貴降に出そうとした理由も、これで解った。
「今回の本当の巫女を守るために、代わりに私を紫鬼家当主に食わせる気だったのね」
「…………」
忍は黙っている。だが、沈黙は肯定だ。
桜子は鉄格子に縋りつき、忍の背中に向かって叫ぶ。
「巫女の鬼を守りたいのは解ったわ。けど、こんなんじゃ何の解決にもならないわ。今回はよくても、百年後の次の鬼貴降ではどうする気? また別の奴を代わりに食わせるの? こんなの、問題を先延ばしにしてるだけで何の解決にもならないでしょう!」
「だったら、他にどうすればいいんだ!」
今まで散々考えて、他に手段がないと判断せざるを得なかったのだろう。だからこそ、こんな非道な方法を選ぶしかなかったのだろう。そんな苦悩と、こうするしかないのだという苛立ちとがないまぜになった顔を、忍は見せた。
その瞬間、忍はぎょっとして固まった。
桜子ははっとする。忍は思わずといった調子で振り返ってしまった、そして桜子の今の格好はと言えば。
「って、どさくさに紛れて見てんじゃねえよッ!!」
「ぐっ!?」
桜子は鉄格子の隙間から細い腕を伸ばした。パンチが通用しないことはすでに実験済みだったので、桜子の手はグーではなくチョキである。指を鼻の穴に突っ込んでやったらさすがの忍も驚いてよろめいた。
ガンマンが銃口をふっと吹くかのごとく、血の付いた指先をふっと吹いて、桜子は不敵に微笑む。
「やってやったわ……いけ好かない奴には鼻血を出させてやることを信条としている桜子さんを舐めたらいけないわ」
「つまらんことに執念を燃やすな!」
鼻を抑えながら忍は唸る。
「だいたい、なんでそんな格好なんだ、いつまでちんたら着替えてる」
「しっ、仕方ないでしょ」
現在着ているのはパンツだけ。
濡れた制服を脱ぎ、濡れたブラまでを威勢よく脱いだまではよかったが、着物を着るとはいえパンツを脱ぐのはどうなんだろう、と長らく葛藤していた結果である。
「ねえ、火をちょうだいよ、乾かしたいから」
「あんたに火をやったら何をされるか解らんから却下だ。逃亡するために放火くらいはやりかねない」
「人をどんだけクレイジーな奴だと思ってんのよ。だいたいあなたのせいで服が濡れたんだから、乾かすくらいさせなさいよ」
「どうせもう着ることはないだろうが」
「つべこべ言わずに火を寄越せ」
桜子があまりにしつこいので、忍は溜息交じりにぱちんと指を鳴らした。
すると、牢の中にオレンジ色の火の玉が現れた。
「わっ、何これ」
「鬼火だ。明るいし熱もあるが、手では触れないし燃え移らない」
「へぇ、不思議」
実は密かに「この座敷牢木造っぽいし燃やせるんじゃ?」と画策していたクレイジーな桜子は少しがっかりしたが、とりあえず服は乾かせるからいいやと妥協した。セーラーブラウスと破けて再起不能なスカートを鬼火の近くに置いておいて、自分も少し火に当たって暖を取ってから、渋々与えられた着物を着た。着物は裾がきつくて走りにくいのだけれど、と不満に思うが、これもまた仕方がない。
「……で、あなたはいつまでそこにいるの」
邪魔だからどっか消えろオーラを出しつつ尋ねるが、忍は落ち着いた調子で答える。つい先ほど人の裸を見た衝撃は早くも引いていて、何事もなかったかのようにしているのが桜子としては少々腹立たしい。
「いつまでもここにいるから見張りと言うんだ」
「不寝番ってわけ? いざってとき寝不足で不意をつかれても知らないわよ」
「余計なお世話だ」
「これ見よがしに爆睡してやるからなクソ野郎!」
そう吠えて、桜子は固くて冷たい土間に寝転がる。威勢よく啖呵を切ったはいいが、こんな寝心地の悪いところで寝れるだろうかと不安だったが、真夜中にいろいろとやらかして疲れていたらしく、桜子は宣言通り爆睡した。




